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「なにをしている。騒々しい」

 グランツがそう言うと、アリネアは嬉しそうに振り向いて言った。

「グランツ様! お待ちしてましたわ。わたくしリートフェルト家の前に王宮の馬車が止まっているのを見て、グランツ様がこちらにいらっしゃると思ってここで待っていましたの」

 そう言うと、恭しくカーテシーをした。

「それで?」

 すげなくグランツが答えると、アリネアは心配そうにオルヘルスを見つめる。

「リートフェルト家は、貴族の仲間入りをしたのが最近でしたでしょう? だから、わたくし父からオリの教育係を任されてますの」

「で?」

「オリには王太子殿下のような、地位の高いかたのお相手はまだまだ難しいと思いますわ」

「で?」

「ですから、今日はわたくしもお出かけに同行いたしますわね」

 それを聞いてグランツは驚いた顔で言った。

「なんだって?! では、君はエーリクとオリが出かけるときにもいつも同行していたというのか?」

 そう問われ、アリネアはさも当然のように答える。

「なぜですの? 当然ですわ。オリには口で言うだけでなく、お手本を見せなければ理解できませんでしょう?」

 グランツは大きくため息をついた。

「信じられない。君は社交界でなにを学んだんだ。君のほうこそ礼儀がなっていないのがわからないのか?」

 そう言うとオルヘルスに向き直り微笑む。

「私と婚約するからには、こういった者からも君を守ろう。安心してくれ」

「は、はい」

 オルヘルスは思わずそう返事をし、しまったと思いながらアリネアを見ると、案の定アリネアは恐ろしい形相ぎょうそうでオルヘルスを睨みつけていた。

 だが、アリネアはオルヘルスと目が合うと微笑んで言った。

「そうですわね、オルヘルスも少しは成長したかもしれませんし。寂しいけれど、あなたも一人立ちしてもいい頃かもしれませんわね……」

 アリネアはしみじみとしたようにそう言ったが、当然オルヘルスがアリネアから学んだことなどひとつもなかった。

 確かに、国王からリートフェルト家が叙爵じょしゃくしたのはオルヘルスの曾祖父の代であり、それまでリートフェルト家はなんの地位もない家柄だった。

 しかも、母親のエファは父親の幼馴染みで貴族の養子には入っているが、生粋の貴族でもない。

 さらに、オルヘルスは小さいときから病弱で、社交界デビューするまで表に出たこともほとんどなかった。

 それでも、オルヘルスは父親であるステファンが手配した家庭教師により、最高水準の教育を受けている。

 お陰でオルヘルスのマナーにはまったく問題がなかった。

 そのとき、グランツが鼻で笑って言った。

「自分を客観視できない者とは、こんなにも哀れなものなのか」

 アリネアはうれしそうにうなずく。

「本当にそうですわよね、オリにはわたくしいつもいってますのよ? でも、まったく理解してくれませんの」

 それを聞いて、オルヘルスは頭に血が登るのを感じた。

 この話が通じない感じ、本当にイライラしますわ。

 オルヘルスがそう思っていると、グランツが間髪いれずに答える。

「私がいっているのはお前のことだ、アリネア・デ・コーニング伯爵令嬢。恥を知れ」

 吐き捨てるようにそう言うと、何事もなかったかのように微笑みオルヘルスをエスコートする。

「出鼻をくじかれてしまったが、今日を楽しい一日にしよう」

「はい」

 オルヘルスがそう言ってアリネアの方を見ると、彼女はうつむきドレスをつかんでワナワナとしていた。

 グランツはオルヘルスと馬車に乗り込むと、心配そうに尋ねる。

「アリネアはいつもああなのか?」

 オルヘルスは苦笑する。

「そうですわね、いつものことですわ」

 それを聞いて、グランツは少し考えてから言った。

「そうなのか、あり得ないな。それに、昨日の今日で、よくぬけぬけと君の屋敷に訪ねてこれたものだ。信じられない」

 そう呟くように言ったあと、笑顔を作る。

「さぁ、あんな不快な者のことを忘れさせるためにも私は今日、思う存分君を甘やかそう」

 そこでオルヘルスは疑問に思ったことを質問する。

「殿下はいつもこうして外へ買い物にお出かけになりますの?」

「まさか、私は外で買い物などしない。だが、母が言っていた。『デザインさせるのもいいが、買わなくとも色々なドレスや小物を見るのも楽しいものだ』と。私や父にはその気持ちはわからないが、君ならわかるのではないか?」

 そう言われ、オルヘルスはウィンドウショッピングのようなものだろうか? と考えうなずいた。

「はい。色々な品物を見るのは、とても楽しいですわ」

 グランツは満足そうにうなずく。

「そうか、よかった。母とも気が合いそうだな」

 そこでオルヘルスは慌ててグランツに言った。

「殿下、恐れながら申し上げます」

「ん? なんだ?」

わたくしと殿下の婚約のことですわ」

「どうした?」

「殿下はわたくしを庇うためにあの場で婚約を申し込まれたのですよね? でしたら、まだ本当に婚約したわけではありませんし、話をなかったことにしても問題ありませんわ」

「君はそんなふうに思っていたのか?」

「違いますの? それに、確かにアリネア様の言ったとおり、わたくしの出自は決して褒められたものではありませんもの」

「だからなんだと言うんだ?」

「ですから、婚約の件はもう少し考えたほうがよろしいのではないかと思いますの」

 そう進言すると、グランツは明らかに不機嫌そうな顔をした。

「私の意見は変わらない。それに、そんな理由で婚約の申し込みを撤回するつもりもない。私は君がいいんだ。さぁ、この話はもう終わりだ」

 そう言ったあと、優しく微笑むとオルヘルスの手を取りその指先にキスをした。

「さて、まずはドレスを見に行こう。君には悪いが、エーリクからのプレゼントはもちろん、彼の目に触れたものすべてを手放してもらうつもりだからな。だが心配しなくとも君のものはすべて、私が買い揃えよう。いや、すべて私の好みで揃えてしまいたいぐらいだ」

 そう言ってオルヘルスを愛おしそうに見つめた。

 オルヘルスは驚いてグランツを見つめ返す。

 もちろん、グランツと一緒にいるときにエーリクからプレゼントされたものを身に着けるつもりはなかったが、この調子だと持っているものすべてを買い替えられそうな勢いだからだ。そこで慌てて言った。

「心配いりませんわ。エーリク様は贈り物をするのがあまり好きではなかったようで、もらったものは舞踏会で着たドレスぐらいですもの。そこまで買い足す必要はありませんわ」

 すると、今度はグランツが驚いた顔をした。

「それは本当か?」

「はい。わたくしも、贈り物は必要ありませんといっていたので……」

 オルヘルスがそこまで言うと、グランツは嬉しそうに言った。
   
「そうか、君はまだ誰にも染められていないのだな」

「はい」

 反射的にそう返事を返したが、しばらくしてどういう意味で言ったのか疑問に思い、グランツを見上げる。

「殿下、それはどういう意味でしょうか?」

「もちろん、そのままの意味だ。無理強いするつもりはないが、君を私の色に染められると思ったらこんなに嬉しいことはない」
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