上 下
2 / 43

2

しおりを挟む
 舞踏会のあと、社交界で一躍時の人となってしまったオルヘルスは、その後の対応に追われることになった。

 翌朝、庭にあるガゼボで朝食兼昼食を取っていると、メイドが嬉しそうにトレーを持って駆け寄った。

「お嬢様、すごいです! お茶会のお誘いがこんなに!」

 そう言って嬉しそうにトレーに載った招待状の束をオルヘルスに見せたが、オルヘルスは憂鬱でしかなかった。

「オルガ、そんなに騒がないでちょうだい。どうせみんな昨日の舞踏会での話を聞きたいだけなんだから」

 そういって大きくため息を吐き、頬杖をつくとその招待状の束を見つめた。これらすべてに返事を書くのは骨のおれる作業になるだろう。

 そこへ母親のエファがやってくると、招待状の束を手に取り送り主の名を確認しながら向かいの椅子に座った。

「あら、いいじゃない。オリはどのお茶会に参加するつもり? ドリーセン伯爵家にフィーレンス侯爵家、ストッケル子爵家に、まぁ! シャウテン公爵家からも届いてるわよ?」

「お母様ったら、そんなにはしゃいで。わたくしあんまり目立ちたくありませんの。それに婚約解消すれば、しばらくは誰もわたくしを相手にしなくなって、ゆっくりできると思ってましたのに」

 それを聞いてエファはオルヘルスに微笑むと言った。

「オリ、あなたは特別な子ですもの。あなたみたいな子を他の男性が放っておくはずないわ。王太子殿下に婚約を申し込まれなかったら、今頃、夜会の招待状を大量に受けとることになってたはずよ?」

 オルヘルスは、今日こそはっきり言っておかなければと、エファを見据えて言った。

「お母様、わたくしは特別でもなんでもありませんわ」

「はいはい、自己評価の低い子ね。一体誰に似たのかしら」

 そう言うと、エファは招待状の束ををテーブルの上に置き、両手で頬杖をつくとオルヘルスを正面から見つめて微笑んだ。

「それにしてもあなた、昨日の舞踏会では随分準備がよかったじゃない。婚約解消されるなんてよく気づいたわね」

「あら、流石にそばで見ていればエーリク様とアリネア様の関係に気づきますわ」

 そう答えたが、実はオルヘルスはずっと前からこうなることは知っていた。

 なぜなら、この世界は前世で読んでいた小説の中の世界だったからだ。とは言っても、まったく同じではなかった。

 小説の中のオルヘルスはいわゆる悪役令嬢であり、主人公のアリネアがエーリクを想っていることを知りながら、親にねだってエーリクと強引に婚約する。

 そして、真実の愛に気づいたエーリクに婚約破棄されてしまうのだ。

 だが実際には、エーリクとの婚約は親に勝手に決められたことだったし、グランツは幼少のころ亡くなった王子として扱われており、小説に登場していない。

 そうして小説の内容をぼんやり思い出しているオルヘルスに向かって、エファは納得していない顔をした。

「あらそう、ふーん。なにかありそうね。でも、今のところは、そういうことにしておきましょ」

「そういうこともなにも、それが真実だもの」

「はいはい。それにしてもホルト公爵令息も大胆なことを考えたわねぇ、舞踏会で婚約破棄しようだなんて。それに、彼はあなたに救われたわね。お父様もお母様も、昨日のあなたの立ち回りには感心してるのよ?」

 そのとき、エントランスから執事のディルクが急ぎ足でやってくると報告する。

「奥様、お嬢様、大変なことでございます!」

 エファはそちらを向くと、鬱陶うっとおしそうに答える。

「もう、なんなの? ディルク……」

 そう言ってエファが言葉を止めて唖然としたので、オルヘルスは何事かと振り返って見ると、ディルクの後ろにグランツが立っていた。

 あまりのことに驚いて、ふたりともしばらくそうして固まっていたが、エファがハッとして立ち上がり膝を折ると、オルヘルスもそれに続いた。

「ふたりとも、ここは公の場ではない。かしこまらなくていい。オリ、顔を上げて」

 優しくそう言われ、オルヘルスはそっと顔を上げる。するとグランツはオルヘルスの手を取った。

「くつろいでいたのか? 実は今日は君を買い物に誘いに来た」

「買い物にでございますか? 殿下がですか? しかも、わたくしと?!」

 オルヘルスは王太子殿下が自分を誘いに来たということより、王太子殿下ともあろう人物がわざわざ買い物に出掛けようとすることに驚いていた。

 すると、グランツは寂しそうな顔をした。

「オリ、君は私と出かけるのは嫌か?」

「いえ、いいえ!! とんでもないことでございます。とても光栄なことですわ。では、支度がありますから、客間でお待ちいただけますでしょうか?」

 そう言われ、グランツはオルヘルスを足の爪先から頭のてっぺんまで見つめる。

「私は君が何を着ていても、その、とても美しいと思うが……。女性には色々あるのだろう」

「申し訳ありません」

 そう言ってディルクに客間へ案内するよう指示し、オルガと共に急いで自室へ向かった。

「あぁ、お嬢様。王太子殿下とお出掛けだなんて、なんて素敵なんでしょう! ドレスも取って置きのドレスにいたしましょう!」

 オルヘルスは慌ててそれを制する。

「オルガ、男性はドレスに興味なんてありませんわ。着替えるのに時間のかからないものにしましょう」

「そんな、せっかくのお出掛けなのにそれではシンプルなものになってしまいます」

「それでいいのよ」

 正直、オルヘルスは王太子殿下と婚姻することにあまり乗り気ではなかった。

 そもそも、婚約破棄されるところまでは計算どおりだったが、グランツに婚約を申し込まれるのは予定外の出来事で戸惑ってもいた。

 オルガに手伝ってもらい、装飾の少ないシンプルで地味な外出用ドレスに着替えると、慌てて客間へ向かう。

「お待たせしてしまい大変申し訳ありませんでした」

 すると、ソファでくつろいでいたグランツは慌てて立ち上がりオルヘルスに駆け寄る。

「いや、待っていない。それにしても、そのドレス」

 そう言われ、なにか文句をいわれるのかとオルヘルスは身構える。だが、グランツは微笑むと愛おしそうにオルヘルスを見つめて言った。

「シンプルだというのに、ここまで着こなしてしまうとはね。美しい」

 そう言ってじっと見つめたあと呟く。

「閉じ込めたい」

「はい? 殿下? 申し訳ありません。今なんと仰ったのでしょうか。聞こえませんでしたわ」

 そう言われ、グランツはにっこり微笑む。

「なんでもないよ。さぁ、行こう」

「はい……」

 グランツはそのまま素早くオルヘルスの腰に手を回すと、エントランスに向かって歩き始めた。

 そのとき、エントランスの方向からディルクと誰かが争うような声が聞こえた。

「なにか騒がしいですわね、なんでしょう」

 そう言いながら、その声に聞き覚えのあったオルヘルスはまさかと思いながらエントランスをそっと覗き込む。

「執事の分際で、あなたわたくしが誰だかわかって言っているのかしら?」

「申し訳ありません、コーニング伯爵令嬢。ですが、お嬢様は今手が離せないのです」

「大丈夫よ。オリはわたくしに逆らえないのだから」

 そんな会話が聞こえ、オルヘルスはげんなりした。彼女はこちらから避けようとしても、こうしていつも絡んでくるのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

裏切り者として死んで転生したら、私を憎んでいるはずの王太子殿下がなぜか優しくしてくるので、勘違いしないよう気を付けます

みゅー
恋愛
ジェイドは幼いころ会った王太子殿下であるカーレルのことを忘れたことはなかった。だが魔法学校で再会したカーレルはジェイドのことを覚えていなかった。 それでもジェイドはカーレルを想っていた。 学校の卒業式の日、貴族令嬢と親しくしているカーレルを見て元々身分差もあり儚い恋だと潔く身を引いたジェイド。 赴任先でモンスターの襲撃に会い、療養で故郷にもどった先で驚きの事実を知る。自分はこの宇宙を作るための機械『ジェイド』のシステムの一つだった。 それからは『ジェイド』に従い動くことになるが、それは国を裏切ることにもなりジェイドは最終的に殺されてしまう。 ところがその後ジェイドの記憶を持ったまま翡翠として他の世界に転生し元の世界に召喚され…… ジェイドは王太子殿下のカーレルを愛していた。 だが、自分が裏切り者と思われてもやらなければならないことができ、それを果たした。 そして、死んで翡翠として他の世界で生まれ変わったが、ものと世界に呼び戻される。 そして、戻った世界ではカーレルは聖女と呼ばれる令嬢と恋人になっていた。 だが、裏切り者のジェイドの生まれ変わりと知っていて、恋人がいるはずのカーレルはなぜか翡翠に優しくしてきて……

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

愛を求めることはやめましたので、ご安心いただけますと幸いです!

風見ゆうみ
恋愛
わたしの婚約者はレンジロード・ブロフコス侯爵令息。彼に愛されたくて、自分なりに努力してきたつもりだった。でも、彼には昔から好きな人がいた。 結婚式当日、レンジロード様から「君も知っていると思うが、私には愛する女性がいる。君と結婚しても、彼女のことを忘れたくないから忘れない。そして、私と君の結婚式を彼女に見られたくない」と言われ、結婚式を中止にするためにと階段から突き落とされてしまう。 レンジロード様に突き落とされたと訴えても、信じてくれる人は少数だけ。レンジロード様はわたしが階段を踏み外したと言う上に、わたしには話を合わせろと言う。 こんな人のどこが良かったのかしら??? 家族に相談し、離婚に向けて動き出すわたしだったが、わたしの変化に気がついたレンジロード様が、なぜかわたしにかまうようになり――

全てを諦めた令嬢の幸福

セン
恋愛
公爵令嬢シルヴィア・クロヴァンスはその奇異な外見のせいで、家族からも幼い頃からの婚約者からも嫌われていた。そして学園卒業間近、彼女は突然婚約破棄を言い渡された。 諦めてばかりいたシルヴィアが周りに支えられ成長していく物語。 ※途中シリアスな話もあります。

完結 冗談で済ますつもりでしょうが、そうはいきません。

音爽(ネソウ)
恋愛
王子の幼馴染はいつもわがまま放題。それを放置する。 結婚式でもやらかして私の挙式はメチャクチャに 「ほんの冗談さ」と王子は軽くあしらうが、そこに一人の男性が現れて……

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

牢で死ぬはずだった公爵令嬢

鈴元 香奈
恋愛
婚約していた王子に裏切られ無実の罪で牢に入れられてしまった公爵令嬢リーゼは、牢番に助け出されて見知らぬ男に託された。 表紙女性イラストはしろ様(SKIMA)、背景はくらうど職人様(イラストAC)、馬上の人物はシルエットACさんよりお借りしています。 小説家になろうさんにも投稿しています。

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

処理中です...