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第五十六話

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 結界の修復が終わってから数日が過ぎた。結界はそのまま消えることはなかった。そこから、あの穴は自然に空いてしまった穴ではなく、人為的なものである可能性が高いと考えられた。

 そんなある昼下がり、昼食を終え自室にて突然言い様のない不安と焦燥感に襲われた。どうしたのだろうかと自分でも困惑していると、机の上に置かれた時間を止めて物を保存する箱が、キラキラと輝きだした。

 以前、出来を確認するために月下美人を入れて以来、なにも入れていない。誰かのいたずらだろうか? と、思いながら箱を手に取った。

 すると金属仕掛けの音がして、箱の蓋がゆっくり開いた。中を覗くと二通の手紙が入っていた。一通はアザレア宛、もう一通はカルに宛てたものだった。

 アザレア宛の封筒には、アザレアの字でこう書かれていた。

「箱が開いたら直ちにこの手紙を読むこと」

 嫌な予感がして慌てて封を切る。中にはこんなことが書かれていた。

「これを書いているのは、すぐ未来のわたくし、アザレアです。貴女はすぐにもう一通の手紙をカルに渡して、王都の邸宅にいるお父様の所に行き、お父様がマフィンを食べるのを阻止してください。マフィンには毒が入っています」

 読み終わるとアザレアは弾かれるように自室を飛び出し、カルの執務室まで走った。ノックもせずに執務室へ飛び込むと、カルの机の上に二通の手紙を叩きつけるように置く。

「それを今すぐ読んで! わたくしは、お父様の所に言って参ります!!」

 アザレアのあまりの慌てように、カルとフランツは呆気に取られていたが、アザレアにとって今はそんなことはどうでも良かった。振り返り執務室を出るとケルヘール家に移動した。

 エントランスホールにいたストックに

「お父様はどこ!」

 と訊いた。ストックは驚きながら答える。

「お嬢様のお作りになったマフィンをいただくと言って、お庭の方に……」

 アザレアはそれだけ聞くとストックの言葉が終わる前に走り出した。

 間に合って! 間に合って!! と、心の中で叫びながら庭へ駆けて行くと、庭にテーブルと椅子を出してそこに座り、リアトリスがマフィンを食べようと口を開けているところだった。アザレアは

「チェストーーーーーーーーーッ!!」

 と叫びながら、勢い良くリアトリスの横っ面に飛び蹴りを入れた。リアトリスは

「ひでぶっ!」

 と言いながら、蹴りの衝撃で横に弾き飛んで倒れた。アザレアは素早くリアトリスの手から落ちたマフィンを遠くへ蹴り飛ばし、倒れているリアトリスの襟首をつかむと、無事を確認するために激しく前後に揺らして叫んだ。

「お父様! 起きて!! 寝ている場合ではありませんわよ!!」

 リアトリスは若干白目になっていたが、なんとか意識を取り戻すと振り絞るように言った。

「ア、アジャレ、お前の……飛ぶ姿はまるで……天使のごとき……」

 アザレアは更に強くリアトリスを前後に揺する。

「天使はどうでもいいですわ! お父様、マフィンを少しでも口に入れました!?」

 リアトリスはふるふると首をふる。

「これから、これから食べるとこだったの……」

 アザレアはそれを聞くとほっとして、リアトリスの横にへたりこんだ。

「よかっ、良かったお父様~!!」

 そしてリアトリスの胸に顔を埋めると泣き崩れた。

 ストックはそんな二人を後ろから見つめ、涙を拭いながらつぶやいた。

「子が親を思う気持ち、なんと感動的なことか……」



 しばらくして、リアトリスの意識がしっかりしたところで、リアトリスにマフィンをどこで手に入れたのか訊く。

「今日は早朝から王宮に所要があってな。登城したんだがそこに場違いな神官がいたのだ。どうしたのか尋ねたら『アザレア様より、忙しくて渡せないから、殿下の所へ持っていって欲しいと頼まれたのです』と言うではないか。中身を訊いたら『手作りマフィン』だと答えたので、殿下のところへ持っていくのを引き受けるついでに、一ついただくことにしたのだ」

 アザレアは、お父様はわたくしのこととなると、警戒心が緩んでしまうのはなんとかならないものだろうか? と、頭を抱えた。

 ストックがお茶の用意をしてくれたので、ゆっくりお茶を飲みしばらくリアトリスと話しをした。そうこうしているうちにアザレアは気持ちを落ち着かせることができた。

 アザレアが落ち着いたのを見ると、リアトリスは優しく頭を撫でながら言った。

「手紙はもう一通あったのだろう? きっとそこにことの真相が書かれているやもしれん。殿下が今頃なにかつかんでいることだろう。殿下のところへ行ってみよう。なに、もうきっと大丈夫だ」

 久々にリアトリスに会い、アザレアはそうしてリアトリスに甘えた。

 王宮への帰り道は、落ち着くためとリアトリスとすこしでも長くいられるように、馬車を利用することにした。

 そうして王宮に戻ると、執事長のホルンストが出迎えた。

「お帰りなさいませ、お嬢様。直ぐに王太子殿下の執務室へいらしてください」

 アザレアたちはそのままカルの執務室へ案内された。入室すると、そこにはヴィバーチェ公爵、コシヌルイ公爵にスパルタカス宰相、そしてフランツとカル、チューザレ大司教と聖女が勢揃いしていた。

 栞奈かんなはアザレアの姿を見ると立ち上がり、腕を組んだ。

「飛んで火に入る夏の虫とはこの事ね。今、貴女の悪事を暴こうとしてたところなの。もう逃げられないわよ」

 そう言い放った。状況がつかめず困惑していると、カルがアザレアに小さく手で制するゼスチャーをしたので、アザレアも小さく頷き、話を聞くことにした。

 栞奈かんなは相変わらず、自信に溢れた態度で腕を組んで、アザレアを上から見下ろすように見ると言った。

「今ね、貴女が作ったマフィンに毒が入っているのを見破ったところなの。貴女は、王子の心が自分から離れて行って、悔しいあまりに、私と王子をなきものにしようとしたのでしょう?」

 栞奈かんなが、カルに訊く。

「王子、マフィンに添えられていたお手紙を証拠として提示しても良いでしょうか?」

 栞奈かんなはアザレアに向かって、にやりといやらしい笑みを浮かべた。

「これは証拠品だから渡す訳にはいかない。フランツ、その手紙をアザレアに見せて読み上げろ」

 フランツはマフィンに添えられていたという手紙を、アザレアの手の届かない位置で一度開示して内容を読み上げる。

「では読みます『今日もマフィンを持参いたしました。皆様も一緒にお召し上がりください』と、書いてあります」

 フランツは読み上げ終わると、その手紙をカルに渡した。確かにアザレアが書いたものだった。カルは手紙を見ると言った。

「確かに、アザレア公爵令嬢の文字に間違いない」

 栞奈かんなは満面の笑みを浮かべる。

「証明ありがとうございます」

 そして、周囲をぐるりと見回す。

「毒の入ったマフィンにあの女が書いた手紙が添えられていたのです。犯人はあの女に間違いありません」

 と言うと満足そうに頷き続ける。

「まだこの女の悪事はあります。ミツカッチャ洞窟の崩落事故です。あれはただの事故ではありませんでした。事故を起こすことにより、皆を助けだし注目され、自分がさも本当の聖女だと印象付けるために起こした故意の事故でした」

 そう言うと、カルの方を向く。

「王子、ひとつお願いがあります。私が事故の真相を突き止め、捕まえた犯人をここに呼び、証言させたいのです」

 カルは頷く。

「真相を知るためならかまわない、その者はその後、王宮側に引き渡してもらえるのだろうな」

 栞奈かんなは笑顔で言った。

「もちろんです。しっかり調べてください!」

 そして、お供の神官に顎で指図した。虚ろな目をしたその神官は一人の老人をつれてきた。

「ほら、歩け! 前に出るんだよ!」

 神官が突飛ばし、一人の老人が床に四つん這いになる。見るとノクサだった。アザレアは思わず駆け寄る。

「ノクサさん!?」

 それを見た栞奈かんなは、満足そうにカルの顔を見る。

「ご覧になりました? この二人は繋がっているのです」

 そう言い頷いた。そして続ける。

「私が調べたところ、アザレアはわざわざ服を着替えてまでして、王子の目を盗み職人通りにこそこそ出掛けていたようです。そしてある職人のお店に行くと、この老人と密会していました」

 と言った。
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