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夢塚
一
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「同級生の女の子が、自殺しかけたんです」
「めぐりや」の、座り心地の悪い椅子に腰掛けながら、深澄は言った。
ヒグラシは何も答えなかった。依頼品の腕時計を調べているようだ。
「これも、『蘇り』が引き寄せた災いなんでしょうか?」
「自分のせいって、思っているのか?」
ヒグラシは、淡々と言った。
「マサキに会わせてやりたいって言ったのは、お前だろ。『蘇り』に、未練なんて言葉を使って」
深澄は、何も答えず、首に巻いたマフラーに口元を埋もれさせた。
「まぁ、マサキに会わせてやるって言ったのは俺だけどな」
ヒグラシは、カチャカチャと手元で腕時計をいじりながら言った。
「縁があったら、の話だけどな」
素っ気なく、ヒグラシは付け加える。
◇◇◇
ヒグラシが深澄の家を訪ねてきたのは、先月のことだった。
ヒグラシが、近々母を見る必要があると言っていたので、深澄は、深澄が通学に使うバスに自然に乗ってきたヒグラシには必要ないかもしれないと思いながらも、ヒグラシに自宅の住所を教えていた。だから、ヒグラシが自宅を訪ねてきたこと自体特に不思議なことはなかったのだが、ヒグラシが深澄の兄の同級生を名乗ったときには、少し動揺した。確かに、髪の色はともかく、顔立ちだけ見れば、深澄の兄と同い歳と言っても不自然はなさそうだった。
「まぁ、マサキくんのお友だちですか」
紅梅色の着物に青い帯を絞めた着物の母は、意外そうな口ぶりで言った。
「小学校からの同級生です」
ヒグラシは、深澄が内心ドギマギとするほど、しゃあしゃあとした口調で言った。しかし一方で、ヒグラシが接客のときのように眼鏡をかけていないとはいえ銀髪を整えていたことや、竹刀袋を持っていないことに安心していた。パリッとしたシャツもズボンも、相手に好印象を与えるには充分だろう。しかしそれほど見た目に気を遣えるなら、いっそ髪も黒く染めて、短く切ってくれば良かったのに、と思った。
「よく、お宅にも遊びに伺ったんですけれど……」
「まぁ、えっと……」
「あはは、覚えていないのも無理ないです。何せこんな頭になったもんで」
ヒグラシは、驚いたことに声を上げて笑った。それだけでなく、母を気遣うような爽やかな笑みさえ浮かべてみせた。
「今は専門学校を卒業して、美容師をやっています。マサキくんはお元気ですか?」
ヒグラシは、サラサラとお茶漬けをかき込んでいくように、次から次へと嘘を吐いた。すると母の口調もそれにつられるように、段々と滑らかになってきた。
「はい。私にはさっぱり連絡を寄越さないので、それだけが心配なんですけれど、深澄ちゃんとはよく電話でやり取りをしているみたいです」
「頼りがないのは良い頼りって言いますよ、良かったじゃないですか」
その後、お手洗いをお借りしますと言って、ヒグラシは立ち上がった。母は隣に座る深澄の耳元で、コソコソと囁いた。
「驚いたわ……マサキくんに、あんなお友だちがいたのね。美容師さんだから、ああいう髪型をしているのかしら?」
深澄は苦笑いをして、さぁ?と答えるしかなかった。
「でも、礼儀正しい人みたいね」
これにも深澄は、苦笑いを返すしかなかった。
その後、ヒグラシは母と二言三言言葉を交わして帰っていったが、その日のうちに、深澄のスマートフォンにヒグラシから電話がかかってきた。深澄とヒグラシは、互いに電話番号を交換していた。ただし、ヒグラシはスマートフォンを持っておらず「めぐりや」の自室に置いてある卓上電話の番号を教えられた。
「仏壇も遺影も、片付けていないんだな」
ヒグラシは、もしもしという挨拶もなしにいきなり言った。お手洗いと言って席を外した隙に、調べたのかもしれなかった。
「はい」
「遺影の写真は、お前の母親か?」
「はい」
電話の向こうのヒグラシの声は、普段より疲れてくぐもっているようで、聞き取り辛かった。深澄はスマートフォンを耳にベッタリとくっつけるようにしながら、ヒグラシのしゃがれ声に耳を済ませた。
「あれを、お前の『蘇った』母親は何と認識してるんだ?」
「いえ、遺影にも、仏壇にも、特に何も言っていません。お線香を立てたりしているのも、見たことがないです」
「つまり、気にしていないんだな」
「それは……そう、かもしれません」
「難儀だな」
ヒグラシはため息を吐いたようだった。本当に、難儀と思って口にした言葉のようだった。
「つまり、今回『蘇った』お前の母親は、自分が『蘇り』だという自覚がないわけだな」
「はい」
遺影の写真だけでなく、アルバムに写った写真も、深澄は『蘇った』母に見せていた。幼い兄を抱っこする母の写真。庭でバーベキューをしている家族の写真。大きく膨らんだ母のお腹に耳をつけている兄の写真を見て、『蘇った』母は、そうそう、ここに深澄ちゃんがいたのよ、と懐かしそうに言っていた。
「そもそも、自分が『蘇り』という自覚があったところで、正しい情報が得られるかも分からんしな」
『蘇った』母は、自分は深澄とマサキの母だと思っているのだ。
「どうして母は、私のところに『蘇った』のでしょうか?」
深澄は呟いた。
電話の向こうで、ヒグラシは少し沈黙したようだった。
「何かのきっかけで『縁』が結ばれると、『蘇り』が現れると考えられている」
「『縁』?」
「まぁ、バッサリ言っちまえば共通点だよ。死んだ日付、名前、死亡理由、その他諸々……それらが『縁』となって、絡み合い、形をなして『蘇り』と呼ばれるモノが現れる」
深澄は今さらながら、とても大変なことをヒグラシに頼んでしまったのだと気がついた。
「母の命日や、名前について、一応お伝えしておきます」
「うん、ちょっと待て……紙、紙……」
ガサガサと音がして、やがて、ほら、という素っ気ない声がした。続きを促しているのだろう。深澄は、母の命日や名前、交通事故のこと、それから出身地、結婚前の家族構成など、思いつく限りを話した。ヒグラシはそれらをいちいちメモに取り、合間にいくつか質問をした。深澄はそれにも、分かる範囲で答えた。
「ところで、『蘇った』母親はいつも着物なのか?」
ヒグラシが言った。
「はい」
「今どき珍しいな。着物を着る仕事でもしてたのか?」
「亡くなった母は、着物は着ていなかったと思います」
「着物を着る仕事って、何があると思う?」
「……旅館の、仲居さんとか?」
「華道や茶道、日本舞踊の先生、というのもあり得るだろうな」
「そうかもしれませんけれど、これも『縁』に繋がっているのでしょうか?」
「ふぅん……」
ヒグラシは、答えになっているようでなっていない、曖昧な返事をした。深澄はヒグラシが何か言葉を続けるのを期待したが、やがて、じゃあな、と電話は切られた。深澄は深く、長いため息を吐いて、ベッドの上に仰向けに倒れた。耳の奥がジンジンと痺れていて、酷く、疲れているようだった。
◇◇◇
深澄は立ち上がってヒグラシの傍まで寄っていき、ヒグラシの手元を覗き込んだ。腕時計の蓋は開かれて、深澄にはよく分からない様々な部品が、ごちゃごちゃと敷き詰められている。
「開腹手術の現場を見ているみたいだろ」
ヒグラシは言って、また新しい道具を取り出して弄り始めた。
「ものを修理するっていうのも、ヒグラシさんの能力なんですか?」
「能力?」
「他人の意識に干渉する、というような」
「ほんの、目眩し程度だよ」
ヒグラシは呆れたように言った。
「この髪色をしていると、色々と目立つからな」
確かに、それもあるだろうが、ヒグラシの場合はそれだけではない威圧感がある気がすると、深澄は思い始めていた。ヒグラシの言う、「目眩し」という能力がなければ、色々と目立ったり、絡まれたり大変なこともあるのだろう。
その目眩しは、深澄には、効かなかったわけだが。そして、ヒグラシもそんな深澄に気づいてしまったわけだが。
もしも、どちらかが相手に気づかなければ、二人の間に接点は生まれることはなかっただろう。また、深澄は今も平穏な心のまま、『蘇った』母と砂の城に似た、幸福で、満ち足りた日々を過ごしていただろうか。
否、遅かれ早かれ、きっと綻びは生まれていただろう。そもそもが、「普通じゃなかった」のだから。
「随分長いこと生きているからな」
ヒグラシは言った。先ほどの話の続きのようだった。
「暇つぶしに、色んなことを覚えた。壊れたものの修理も、その一つだな」
「そうなんですか」
「時計の修理が、一番好きだけどな」
「意外です」
「何が?」
「ヒグラシさんにも、好きなものがあったんですね」
「当たり前だろうが。……あんまり、顔を寄せるな」
ヒグラシは伏せた顔はそのままに、深澄を邪魔くさそうに睨みつけた。
深澄は、ヒグラシから顔を逸らすと、ヒグラシの作業しているカウンターに後ろ向きに寄りかかった。
暫く、カチャカチャと音がして、パチン、と何かが閉まる音がした。
振り返ると、先ほどまでヒグラシが修理していた腕時計が、カチ、カチ、と秒針を動かして正確な時を刻んでいた。
「良かった。直せたんですね」
「死んでいなかったからな」
ヒグラシは、ゾッとするようなことを冷ややかに言い放って、工具箱を片付け始めた。
「自殺しかけた同級生とは、親しかったのか?」
工具箱の蓋を閉めながら、ヒグラシは言った。
深澄は頷きかけて、首を左右に振りかけて、躊躇うような仕草をした。
深澄が思う、友だち、というほどの関係ではなかった気がする。ただ、無関係だったわけでもなければ、無関心だったわけでもない。
◇◇◇
睡眠薬を飲んで自殺しかけた千鶴子は、深澄と同じ美術部だった。ただし、千鶴子は華道部との兼部だった。どちらかといえば、美術部の方で活動していたようだったが。
高校に入ってからの最初の絵画コンクールに向けて、深澄は千鶴子に頼まれて、絵のモデルをした。
深澄は千鶴子の家に招かれて、千鶴子の自室で、制服姿のまま頭の上から柔らかい布を被せられて、ユリの造花の花束を持たされた。千鶴子からの要望で、眼鏡は外した。十五分ごとに休憩を取り、二時間程度モデルをした。一時間経つと、千鶴子の母がお菓子や飲み物を持ってきてくれた。
深澄は段々と、体の節々が強張っていくことを感じていた。絵のモデルも、二人きりの空間で他人からここまで注目されるのも、今までなかった経験だった。人物画や静物画のデッサンは、深澄も、他の部員の殆どがスマートフォンで撮った写真を元に描いていることが多い。だが、千鶴子は生身の深澄を前にして、熱心に、何枚も何枚もデッサンを描いていた。
そして、完成した「花嫁」という絵は、コンクールで奨励賞を受賞した。「花嫁」を前にして深澄は圧倒された。技術的に、特に優れているという作品ではなかった。画面の中央に立つ、深澄をモデルにした女性の顔も、様々な細かい部分が違っていた。眼鏡もかけていなかったので、恐らく、モデルが深澄だと気づいた人もいなかっただろう。しかし、妙な生々しさと、迫力がある作品だった。画面の中の花嫁は、あらゆるものから祝福を受けながら、あらゆるものを拒絶しているようだった。
学校のトイレで自殺しかけた千鶴子は、病院から退院して以来、一度も学校に来ていなかった。
深澄は一度だけ、千鶴子の自宅を訪ねた。
ヒグラシの言うように、自分のせいかもしれないと、思ったのだった。
千鶴子は大きめのサイズのパーカーとズボンを履いていた。テーブルの上に食べかけのクッキーの小皿があった。千鶴子は深澄が思っていたよりもずっと健康的で、のびのびとしているようだった。深澄を家へ招き入れた千鶴子は台所に向かうと、深澄のために、新しいクッキーの小皿と紅茶を持ってきてくれた。
千鶴子は、日中は家で自習をしたり、本を読んだりして過ごしているようだった。そして昼食を食べた後はまた自習をして、本を読んで、両親と弟が帰ってくるまでに味噌汁を作っている。
「味噌汁しか作れないの」
千鶴子は自分でおかしそうに言って、笑った。屈託のない笑い方だったので、深澄もつられて微笑んだ。
「絵は描いていないの?」
「うん」
あまりにもハッキリと、明瞭な千鶴子の返事だった。
「アニメのキャラクターでも、落書きでも、何度も描こうとしたの。でも、色鉛筆を持とうとするだけで手が震えて、ゾーッと鳥肌が立つの」
千鶴子はそう言って、袖の上から自分の腕を摩った。
「それが自殺未遂の原因?」
深澄が問うと、千鶴子は海外ドラマのジョークのように肩をすくめ、それからクスクスと小さく笑った。
「明確な理由なんて、多分ないんだよね。ただあのときは、エネルギーがあり余っていたんだよ」
「エネルギー?」
「トイレで、睡眠薬を飲もうとするエネルギーだよ」
「……もう、絵は描かないの?」
「ある日突然、描けるようになるかもしれない」
後から思い出して不思議なくらい、千鶴子との会話は楽しかった。
千鶴子はよく笑った。クッキーのカケラが、皿の上にホロホロと雪のかけらのように落ちた。紅茶を飲んで、湿った唇を健康的な色をした舌で舐めていた。笑う千鶴子を見れば、誰がその背景に、トイレで睡眠薬を飲んで自殺しかけた少女を連想するのだろうかと思うくらい、千鶴子は明るかった。
テーブルの上には、一冊の本が隅に寄せられるように置かれていた。まだ読みかけらしく、栞が挟み込まれている。そういえば千鶴子は、日中は本を読んだりして過ごしていると言っていた。見覚えのある装丁の本だった。
深澄の視線に気づいた千鶴子が、ソファから立ち上がって本を手に持った。「儚く遠く、近いところから」とタイトルが書かれている。
「あ、その本知ってる」
深澄は言った。
「本当?」
「私は読んでいないけれど、祐志くんが、書店で同じ本を買っていたよ。ちょっと、話題になっているみたいだね」
深澄が言うと、千鶴子の明るい顔から、一瞬、パレットから絵の具の水を洗い流すように感情が抜け落ちていった。全くの無色になったわけではない。乾いて、こびりついて剥がれない色があった。
何だろう?と思っているうちに、千鶴子は再び笑顔になった。
「仲良いんだね。やっぱり二人って、付き合っているの?」
弾けるような声だった。しかし、先ほどまではなかったはずの歪な放物線を描く声だった。深澄は、それに言い知れぬ不安を感じた。
「仲は悪くないだろうけれど、付き合ってはいないよ。時々本のことで話はするけれど」
「そう……」
千鶴子の声は、段々と落ち着きを取り戻していくようだった。取り戻していくというか、取り戻そうと努力をすることで、落ち着いてくるようだった。
「これ、高校の先生だった親戚のおじさんの、昔の教え子が書いた話みたいなんだけど、私にはいまいちピンとこなくてね」
「なんだっけ?死者が夜毎主人公の元を訪ねてくる、みたいな」
「そうそう。ホラー小説っていうよりは、幻想小説っていうのかな?昔、文化祭で文芸部が作った文集で書いた話を、新しく書き直したみたいで。この本を送ってくれたとき、その文集も、一緒に送ってきたよ」
千鶴子は、ちょっと待ってね、と言って、二階の自室に向かうと、表紙のよれた一冊の冊子を持ってきた。「希望」というタイトルだった。
「深澄ちゃん、良かったらその本貸すよ。文集も」
「えっ?」
深澄は驚いて声を上げた。文集はともかく、小説は読みかけに見えた。それに、これらは千鶴子がおじさんから借りたものではないか、と思った。
「いいの?」
「いいよいいよ」
千鶴子はヒラヒラと手を振った。
「文学少女を気取ってみたけれど、私にはよく分からない内容みたいだし」
「はぁ……」
「読んだら、感想教えてね。おじさんがせっかく送ってくれたのに、感想も言えないんじゃ、悪いから」
「んー……」
千鶴子は、深澄がうんとも言わないうちに、グイグイと文集と小説を押しつけてきた。それが、深澄に一刻も早く帰って欲しそうな態度に見えて、深澄は慌ただしく帰り支度をするしかなかった。
千鶴子は深澄を、玄関まで送ってくれた。
◇◇◇
「ヒグラシさん、今、話しかけても大丈夫ですか?」
「さっきから話しかけてるだろうが」
疲れたように目蓋の上から目を擦りながら、ヒグラシは言った。
「何だよ?」
「夢塚って人、知ってます?」
「誰だよ?」
「小説家、みたいです」
深澄はバッグの中から、「儚く遠く、近いところから」を取り出した。
「俺は小説は読まねぇぞ」
「これ、主人公のところに夜毎死者が訪ねて来るって話なんですけれど」
「『蘇り』みたいだな」
ヒグラシは、皮肉っぽく言った。
「『蘇り』に似ています」
ヒグラシは、黙って深澄に話の続きを促すようだった。深澄は緊張して早口にならないように気をつけながら、落ち着いた口調で話した。
「ここに出てくる死者は、コーヒーしか飲みません。そして、鏡に映りません……ヒグラシさんが言っていた、『蘇り』の特徴に似ていると思いませんか?」
深澄はさらに、その小説の上に表紙のよれた「希望」を置き、あるページを開いた。
「蘇り 著 ユメヅカ」
と、書かれてある。
「ここに出てくるお話は、創作じゃなくて事実なんじゃないでしょうか?」
深澄は段々と興奮して、ヒグラシに向かって前のめりになってきた。
「ヒグラシさんは昔、白蛇として『蘇った』女性を斬ったんじゃないですか?」
深澄はそこまで言って、一度沈黙した。
暫く、カチ、カチ、と時計の秒針が動く音がした。
「……で?」
やがてヒグラシは、口を開いた。
「それがマサキとどう関わりがある?」
「この話は、著者……つまり、夢塚さんがひいおじいさんから聞いた、実際に起こった『蘇り』なんじゃないですか?」
深澄はここで、乾いた喉をゴクリと鳴らした。自然と、声が上擦ってくる。
「そして、『蘇り』という現象そのものと、夢塚さんとの間、というか一族に、ヒグラシさんが言っていた『縁』が生まれたとしたら……?」
「それは夢塚だけじゃない」
ヒグラシは無造作に突き放すような口調で言った。
「先祖に『蘇り』と関わった人間がいたからといって、その『縁』が子孫にまで引き継がれているとは限らない」
そこまで言ってヒグラシは、ニヤリと意地悪そうに笑った。
「いや、『蘇り』には、分かっていることよりも分からないことの方が多いんだったな。『縁』は子孫にまで引き継がれているかもしれない。だがそれが、今回の『蘇り』と繋がっているかは分からない」
「儚く遠く、近いところから」
深澄は大きな声にならないように、抑えた、低い声で言った。
「この小説に出てくる主人公の息子の名前が、マサキです。正しく輝くで、正輝。私たちが探しているマサキさんとは、実際の字は違うかもしれませんが……」
深澄の声が段々と震えて、小さくなっていった。
「女だったら、真っ直ぐに咲くで真咲かもしれない。名前じゃなく、マサキという苗字かもしれないな」
ヒグラシは言った。
「『縁』として考えるには、少し弱い」
深澄は唇を噛んで、俯いた。
「だが、もしもその、夢塚という人物が小説の登場人物に実在の人物を投影していたとしたら……」
深澄は、顔を上げてヒグラシを見た。ヒグラシは意地悪そうなニヤリ笑いもせず、深澄を見つめていた。
「そう遠くない先祖に『蘇り』と関わった者がいる夢塚に、マサキという息子が実際にいたとして、そいつが、お前の兄と同い年だったとしたら、ミスミという妹がいたとしたら、他にも何か共通点があったとしたら……」
ヒグラシは、何か眩しいものを見るように目を細め、カウンターの上に置かれた小説と文集を見た。
「それは、『縁』となるかもしれない」
「めぐりや」の、座り心地の悪い椅子に腰掛けながら、深澄は言った。
ヒグラシは何も答えなかった。依頼品の腕時計を調べているようだ。
「これも、『蘇り』が引き寄せた災いなんでしょうか?」
「自分のせいって、思っているのか?」
ヒグラシは、淡々と言った。
「マサキに会わせてやりたいって言ったのは、お前だろ。『蘇り』に、未練なんて言葉を使って」
深澄は、何も答えず、首に巻いたマフラーに口元を埋もれさせた。
「まぁ、マサキに会わせてやるって言ったのは俺だけどな」
ヒグラシは、カチャカチャと手元で腕時計をいじりながら言った。
「縁があったら、の話だけどな」
素っ気なく、ヒグラシは付け加える。
◇◇◇
ヒグラシが深澄の家を訪ねてきたのは、先月のことだった。
ヒグラシが、近々母を見る必要があると言っていたので、深澄は、深澄が通学に使うバスに自然に乗ってきたヒグラシには必要ないかもしれないと思いながらも、ヒグラシに自宅の住所を教えていた。だから、ヒグラシが自宅を訪ねてきたこと自体特に不思議なことはなかったのだが、ヒグラシが深澄の兄の同級生を名乗ったときには、少し動揺した。確かに、髪の色はともかく、顔立ちだけ見れば、深澄の兄と同い歳と言っても不自然はなさそうだった。
「まぁ、マサキくんのお友だちですか」
紅梅色の着物に青い帯を絞めた着物の母は、意外そうな口ぶりで言った。
「小学校からの同級生です」
ヒグラシは、深澄が内心ドギマギとするほど、しゃあしゃあとした口調で言った。しかし一方で、ヒグラシが接客のときのように眼鏡をかけていないとはいえ銀髪を整えていたことや、竹刀袋を持っていないことに安心していた。パリッとしたシャツもズボンも、相手に好印象を与えるには充分だろう。しかしそれほど見た目に気を遣えるなら、いっそ髪も黒く染めて、短く切ってくれば良かったのに、と思った。
「よく、お宅にも遊びに伺ったんですけれど……」
「まぁ、えっと……」
「あはは、覚えていないのも無理ないです。何せこんな頭になったもんで」
ヒグラシは、驚いたことに声を上げて笑った。それだけでなく、母を気遣うような爽やかな笑みさえ浮かべてみせた。
「今は専門学校を卒業して、美容師をやっています。マサキくんはお元気ですか?」
ヒグラシは、サラサラとお茶漬けをかき込んでいくように、次から次へと嘘を吐いた。すると母の口調もそれにつられるように、段々と滑らかになってきた。
「はい。私にはさっぱり連絡を寄越さないので、それだけが心配なんですけれど、深澄ちゃんとはよく電話でやり取りをしているみたいです」
「頼りがないのは良い頼りって言いますよ、良かったじゃないですか」
その後、お手洗いをお借りしますと言って、ヒグラシは立ち上がった。母は隣に座る深澄の耳元で、コソコソと囁いた。
「驚いたわ……マサキくんに、あんなお友だちがいたのね。美容師さんだから、ああいう髪型をしているのかしら?」
深澄は苦笑いをして、さぁ?と答えるしかなかった。
「でも、礼儀正しい人みたいね」
これにも深澄は、苦笑いを返すしかなかった。
その後、ヒグラシは母と二言三言言葉を交わして帰っていったが、その日のうちに、深澄のスマートフォンにヒグラシから電話がかかってきた。深澄とヒグラシは、互いに電話番号を交換していた。ただし、ヒグラシはスマートフォンを持っておらず「めぐりや」の自室に置いてある卓上電話の番号を教えられた。
「仏壇も遺影も、片付けていないんだな」
ヒグラシは、もしもしという挨拶もなしにいきなり言った。お手洗いと言って席を外した隙に、調べたのかもしれなかった。
「はい」
「遺影の写真は、お前の母親か?」
「はい」
電話の向こうのヒグラシの声は、普段より疲れてくぐもっているようで、聞き取り辛かった。深澄はスマートフォンを耳にベッタリとくっつけるようにしながら、ヒグラシのしゃがれ声に耳を済ませた。
「あれを、お前の『蘇った』母親は何と認識してるんだ?」
「いえ、遺影にも、仏壇にも、特に何も言っていません。お線香を立てたりしているのも、見たことがないです」
「つまり、気にしていないんだな」
「それは……そう、かもしれません」
「難儀だな」
ヒグラシはため息を吐いたようだった。本当に、難儀と思って口にした言葉のようだった。
「つまり、今回『蘇った』お前の母親は、自分が『蘇り』だという自覚がないわけだな」
「はい」
遺影の写真だけでなく、アルバムに写った写真も、深澄は『蘇った』母に見せていた。幼い兄を抱っこする母の写真。庭でバーベキューをしている家族の写真。大きく膨らんだ母のお腹に耳をつけている兄の写真を見て、『蘇った』母は、そうそう、ここに深澄ちゃんがいたのよ、と懐かしそうに言っていた。
「そもそも、自分が『蘇り』という自覚があったところで、正しい情報が得られるかも分からんしな」
『蘇った』母は、自分は深澄とマサキの母だと思っているのだ。
「どうして母は、私のところに『蘇った』のでしょうか?」
深澄は呟いた。
電話の向こうで、ヒグラシは少し沈黙したようだった。
「何かのきっかけで『縁』が結ばれると、『蘇り』が現れると考えられている」
「『縁』?」
「まぁ、バッサリ言っちまえば共通点だよ。死んだ日付、名前、死亡理由、その他諸々……それらが『縁』となって、絡み合い、形をなして『蘇り』と呼ばれるモノが現れる」
深澄は今さらながら、とても大変なことをヒグラシに頼んでしまったのだと気がついた。
「母の命日や、名前について、一応お伝えしておきます」
「うん、ちょっと待て……紙、紙……」
ガサガサと音がして、やがて、ほら、という素っ気ない声がした。続きを促しているのだろう。深澄は、母の命日や名前、交通事故のこと、それから出身地、結婚前の家族構成など、思いつく限りを話した。ヒグラシはそれらをいちいちメモに取り、合間にいくつか質問をした。深澄はそれにも、分かる範囲で答えた。
「ところで、『蘇った』母親はいつも着物なのか?」
ヒグラシが言った。
「はい」
「今どき珍しいな。着物を着る仕事でもしてたのか?」
「亡くなった母は、着物は着ていなかったと思います」
「着物を着る仕事って、何があると思う?」
「……旅館の、仲居さんとか?」
「華道や茶道、日本舞踊の先生、というのもあり得るだろうな」
「そうかもしれませんけれど、これも『縁』に繋がっているのでしょうか?」
「ふぅん……」
ヒグラシは、答えになっているようでなっていない、曖昧な返事をした。深澄はヒグラシが何か言葉を続けるのを期待したが、やがて、じゃあな、と電話は切られた。深澄は深く、長いため息を吐いて、ベッドの上に仰向けに倒れた。耳の奥がジンジンと痺れていて、酷く、疲れているようだった。
◇◇◇
深澄は立ち上がってヒグラシの傍まで寄っていき、ヒグラシの手元を覗き込んだ。腕時計の蓋は開かれて、深澄にはよく分からない様々な部品が、ごちゃごちゃと敷き詰められている。
「開腹手術の現場を見ているみたいだろ」
ヒグラシは言って、また新しい道具を取り出して弄り始めた。
「ものを修理するっていうのも、ヒグラシさんの能力なんですか?」
「能力?」
「他人の意識に干渉する、というような」
「ほんの、目眩し程度だよ」
ヒグラシは呆れたように言った。
「この髪色をしていると、色々と目立つからな」
確かに、それもあるだろうが、ヒグラシの場合はそれだけではない威圧感がある気がすると、深澄は思い始めていた。ヒグラシの言う、「目眩し」という能力がなければ、色々と目立ったり、絡まれたり大変なこともあるのだろう。
その目眩しは、深澄には、効かなかったわけだが。そして、ヒグラシもそんな深澄に気づいてしまったわけだが。
もしも、どちらかが相手に気づかなければ、二人の間に接点は生まれることはなかっただろう。また、深澄は今も平穏な心のまま、『蘇った』母と砂の城に似た、幸福で、満ち足りた日々を過ごしていただろうか。
否、遅かれ早かれ、きっと綻びは生まれていただろう。そもそもが、「普通じゃなかった」のだから。
「随分長いこと生きているからな」
ヒグラシは言った。先ほどの話の続きのようだった。
「暇つぶしに、色んなことを覚えた。壊れたものの修理も、その一つだな」
「そうなんですか」
「時計の修理が、一番好きだけどな」
「意外です」
「何が?」
「ヒグラシさんにも、好きなものがあったんですね」
「当たり前だろうが。……あんまり、顔を寄せるな」
ヒグラシは伏せた顔はそのままに、深澄を邪魔くさそうに睨みつけた。
深澄は、ヒグラシから顔を逸らすと、ヒグラシの作業しているカウンターに後ろ向きに寄りかかった。
暫く、カチャカチャと音がして、パチン、と何かが閉まる音がした。
振り返ると、先ほどまでヒグラシが修理していた腕時計が、カチ、カチ、と秒針を動かして正確な時を刻んでいた。
「良かった。直せたんですね」
「死んでいなかったからな」
ヒグラシは、ゾッとするようなことを冷ややかに言い放って、工具箱を片付け始めた。
「自殺しかけた同級生とは、親しかったのか?」
工具箱の蓋を閉めながら、ヒグラシは言った。
深澄は頷きかけて、首を左右に振りかけて、躊躇うような仕草をした。
深澄が思う、友だち、というほどの関係ではなかった気がする。ただ、無関係だったわけでもなければ、無関心だったわけでもない。
◇◇◇
睡眠薬を飲んで自殺しかけた千鶴子は、深澄と同じ美術部だった。ただし、千鶴子は華道部との兼部だった。どちらかといえば、美術部の方で活動していたようだったが。
高校に入ってからの最初の絵画コンクールに向けて、深澄は千鶴子に頼まれて、絵のモデルをした。
深澄は千鶴子の家に招かれて、千鶴子の自室で、制服姿のまま頭の上から柔らかい布を被せられて、ユリの造花の花束を持たされた。千鶴子からの要望で、眼鏡は外した。十五分ごとに休憩を取り、二時間程度モデルをした。一時間経つと、千鶴子の母がお菓子や飲み物を持ってきてくれた。
深澄は段々と、体の節々が強張っていくことを感じていた。絵のモデルも、二人きりの空間で他人からここまで注目されるのも、今までなかった経験だった。人物画や静物画のデッサンは、深澄も、他の部員の殆どがスマートフォンで撮った写真を元に描いていることが多い。だが、千鶴子は生身の深澄を前にして、熱心に、何枚も何枚もデッサンを描いていた。
そして、完成した「花嫁」という絵は、コンクールで奨励賞を受賞した。「花嫁」を前にして深澄は圧倒された。技術的に、特に優れているという作品ではなかった。画面の中央に立つ、深澄をモデルにした女性の顔も、様々な細かい部分が違っていた。眼鏡もかけていなかったので、恐らく、モデルが深澄だと気づいた人もいなかっただろう。しかし、妙な生々しさと、迫力がある作品だった。画面の中の花嫁は、あらゆるものから祝福を受けながら、あらゆるものを拒絶しているようだった。
学校のトイレで自殺しかけた千鶴子は、病院から退院して以来、一度も学校に来ていなかった。
深澄は一度だけ、千鶴子の自宅を訪ねた。
ヒグラシの言うように、自分のせいかもしれないと、思ったのだった。
千鶴子は大きめのサイズのパーカーとズボンを履いていた。テーブルの上に食べかけのクッキーの小皿があった。千鶴子は深澄が思っていたよりもずっと健康的で、のびのびとしているようだった。深澄を家へ招き入れた千鶴子は台所に向かうと、深澄のために、新しいクッキーの小皿と紅茶を持ってきてくれた。
千鶴子は、日中は家で自習をしたり、本を読んだりして過ごしているようだった。そして昼食を食べた後はまた自習をして、本を読んで、両親と弟が帰ってくるまでに味噌汁を作っている。
「味噌汁しか作れないの」
千鶴子は自分でおかしそうに言って、笑った。屈託のない笑い方だったので、深澄もつられて微笑んだ。
「絵は描いていないの?」
「うん」
あまりにもハッキリと、明瞭な千鶴子の返事だった。
「アニメのキャラクターでも、落書きでも、何度も描こうとしたの。でも、色鉛筆を持とうとするだけで手が震えて、ゾーッと鳥肌が立つの」
千鶴子はそう言って、袖の上から自分の腕を摩った。
「それが自殺未遂の原因?」
深澄が問うと、千鶴子は海外ドラマのジョークのように肩をすくめ、それからクスクスと小さく笑った。
「明確な理由なんて、多分ないんだよね。ただあのときは、エネルギーがあり余っていたんだよ」
「エネルギー?」
「トイレで、睡眠薬を飲もうとするエネルギーだよ」
「……もう、絵は描かないの?」
「ある日突然、描けるようになるかもしれない」
後から思い出して不思議なくらい、千鶴子との会話は楽しかった。
千鶴子はよく笑った。クッキーのカケラが、皿の上にホロホロと雪のかけらのように落ちた。紅茶を飲んで、湿った唇を健康的な色をした舌で舐めていた。笑う千鶴子を見れば、誰がその背景に、トイレで睡眠薬を飲んで自殺しかけた少女を連想するのだろうかと思うくらい、千鶴子は明るかった。
テーブルの上には、一冊の本が隅に寄せられるように置かれていた。まだ読みかけらしく、栞が挟み込まれている。そういえば千鶴子は、日中は本を読んだりして過ごしていると言っていた。見覚えのある装丁の本だった。
深澄の視線に気づいた千鶴子が、ソファから立ち上がって本を手に持った。「儚く遠く、近いところから」とタイトルが書かれている。
「あ、その本知ってる」
深澄は言った。
「本当?」
「私は読んでいないけれど、祐志くんが、書店で同じ本を買っていたよ。ちょっと、話題になっているみたいだね」
深澄が言うと、千鶴子の明るい顔から、一瞬、パレットから絵の具の水を洗い流すように感情が抜け落ちていった。全くの無色になったわけではない。乾いて、こびりついて剥がれない色があった。
何だろう?と思っているうちに、千鶴子は再び笑顔になった。
「仲良いんだね。やっぱり二人って、付き合っているの?」
弾けるような声だった。しかし、先ほどまではなかったはずの歪な放物線を描く声だった。深澄は、それに言い知れぬ不安を感じた。
「仲は悪くないだろうけれど、付き合ってはいないよ。時々本のことで話はするけれど」
「そう……」
千鶴子の声は、段々と落ち着きを取り戻していくようだった。取り戻していくというか、取り戻そうと努力をすることで、落ち着いてくるようだった。
「これ、高校の先生だった親戚のおじさんの、昔の教え子が書いた話みたいなんだけど、私にはいまいちピンとこなくてね」
「なんだっけ?死者が夜毎主人公の元を訪ねてくる、みたいな」
「そうそう。ホラー小説っていうよりは、幻想小説っていうのかな?昔、文化祭で文芸部が作った文集で書いた話を、新しく書き直したみたいで。この本を送ってくれたとき、その文集も、一緒に送ってきたよ」
千鶴子は、ちょっと待ってね、と言って、二階の自室に向かうと、表紙のよれた一冊の冊子を持ってきた。「希望」というタイトルだった。
「深澄ちゃん、良かったらその本貸すよ。文集も」
「えっ?」
深澄は驚いて声を上げた。文集はともかく、小説は読みかけに見えた。それに、これらは千鶴子がおじさんから借りたものではないか、と思った。
「いいの?」
「いいよいいよ」
千鶴子はヒラヒラと手を振った。
「文学少女を気取ってみたけれど、私にはよく分からない内容みたいだし」
「はぁ……」
「読んだら、感想教えてね。おじさんがせっかく送ってくれたのに、感想も言えないんじゃ、悪いから」
「んー……」
千鶴子は、深澄がうんとも言わないうちに、グイグイと文集と小説を押しつけてきた。それが、深澄に一刻も早く帰って欲しそうな態度に見えて、深澄は慌ただしく帰り支度をするしかなかった。
千鶴子は深澄を、玄関まで送ってくれた。
◇◇◇
「ヒグラシさん、今、話しかけても大丈夫ですか?」
「さっきから話しかけてるだろうが」
疲れたように目蓋の上から目を擦りながら、ヒグラシは言った。
「何だよ?」
「夢塚って人、知ってます?」
「誰だよ?」
「小説家、みたいです」
深澄はバッグの中から、「儚く遠く、近いところから」を取り出した。
「俺は小説は読まねぇぞ」
「これ、主人公のところに夜毎死者が訪ねて来るって話なんですけれど」
「『蘇り』みたいだな」
ヒグラシは、皮肉っぽく言った。
「『蘇り』に似ています」
ヒグラシは、黙って深澄に話の続きを促すようだった。深澄は緊張して早口にならないように気をつけながら、落ち着いた口調で話した。
「ここに出てくる死者は、コーヒーしか飲みません。そして、鏡に映りません……ヒグラシさんが言っていた、『蘇り』の特徴に似ていると思いませんか?」
深澄はさらに、その小説の上に表紙のよれた「希望」を置き、あるページを開いた。
「蘇り 著 ユメヅカ」
と、書かれてある。
「ここに出てくるお話は、創作じゃなくて事実なんじゃないでしょうか?」
深澄は段々と興奮して、ヒグラシに向かって前のめりになってきた。
「ヒグラシさんは昔、白蛇として『蘇った』女性を斬ったんじゃないですか?」
深澄はそこまで言って、一度沈黙した。
暫く、カチ、カチ、と時計の秒針が動く音がした。
「……で?」
やがてヒグラシは、口を開いた。
「それがマサキとどう関わりがある?」
「この話は、著者……つまり、夢塚さんがひいおじいさんから聞いた、実際に起こった『蘇り』なんじゃないですか?」
深澄はここで、乾いた喉をゴクリと鳴らした。自然と、声が上擦ってくる。
「そして、『蘇り』という現象そのものと、夢塚さんとの間、というか一族に、ヒグラシさんが言っていた『縁』が生まれたとしたら……?」
「それは夢塚だけじゃない」
ヒグラシは無造作に突き放すような口調で言った。
「先祖に『蘇り』と関わった人間がいたからといって、その『縁』が子孫にまで引き継がれているとは限らない」
そこまで言ってヒグラシは、ニヤリと意地悪そうに笑った。
「いや、『蘇り』には、分かっていることよりも分からないことの方が多いんだったな。『縁』は子孫にまで引き継がれているかもしれない。だがそれが、今回の『蘇り』と繋がっているかは分からない」
「儚く遠く、近いところから」
深澄は大きな声にならないように、抑えた、低い声で言った。
「この小説に出てくる主人公の息子の名前が、マサキです。正しく輝くで、正輝。私たちが探しているマサキさんとは、実際の字は違うかもしれませんが……」
深澄の声が段々と震えて、小さくなっていった。
「女だったら、真っ直ぐに咲くで真咲かもしれない。名前じゃなく、マサキという苗字かもしれないな」
ヒグラシは言った。
「『縁』として考えるには、少し弱い」
深澄は唇を噛んで、俯いた。
「だが、もしもその、夢塚という人物が小説の登場人物に実在の人物を投影していたとしたら……」
深澄は、顔を上げてヒグラシを見た。ヒグラシは意地悪そうなニヤリ笑いもせず、深澄を見つめていた。
「そう遠くない先祖に『蘇り』と関わった者がいる夢塚に、マサキという息子が実際にいたとして、そいつが、お前の兄と同い年だったとしたら、ミスミという妹がいたとしたら、他にも何か共通点があったとしたら……」
ヒグラシは、何か眩しいものを見るように目を細め、カウンターの上に置かれた小説と文集を見た。
「それは、『縁』となるかもしれない」
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