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1. 泥沼での生き方
しおりを挟む「ドロボー!誰か警察を呼んでくれ!!!」
日差しのない地下都市。パールで怒りの声が響き渡った。
顔が真っ赤になった商人が大声でわめいていたけど、空を飛んでいる俺たちの耳からはあっという間に遠くなるだけだった。
金が入っているカバンと契約書を盗んだ二人がそれぞれ両方に分かれ、俺だけが速度を上げて塔に設置されている鐘の間を越える。
高度を下げて建物の間を飛び回ると、カバンを盗んだ茶色のポニーテール少女。フレア・メルンが満面の笑みを浮かばせながらついてきた。
「うおお!マジやべえ!俺こんなでかい金のカバン初めて見たよジンの兄貴!」
まるで自慢でもするかのようにカバンを持ち上げて見せる少女に言った。
「はしゃぐな。この前みたいに下に落ちたら今度は怪我くらいでは済まないぞ。」
「もうそんなことはねえよ!あの時はちょっと調子が悪かっただけだ。D3の運用なら兄貴にも負けないんだから!」
自信があるのはいいことだけど自慢がやりすぎると毒になるだけだ。
でも確かに、あの時の失敗がそれなりに勉強になったのか今まで以上に安定的にD3を運用している。
人をY軸に動かせてくれる装置D3。背中のⅮ1で圧縮された空気を爆発させ体を飛ばし、腰のⅮ2で噴射する空気を調節しながら方向を調整するので使用するためにはバランスの取れた体と反射神経、センスが必要だった。
文字通り才能の領域だったので彼女が今回の仕事に参加することを少し心配してたけど、これなら問題なさそうだ。
「おいジン。お巡りさん来たぞ。」
ガスを節約するために高度をもう少し下げようとしたが、フレアとは逆の方向から合流してきた黒髪の青年、ボロ・パラノイアの言葉にそうするわけにはいかなくなった。
後ろをちらっと確認したフレアが気に食わないのかフンと鼻で笑う。
「いつもなら10分20分はかかるやつらのくせに。今日は早いな。」
「それだけ今回盗んだ奴のサイズが違うってことだ。どうするんだジン?今ならあきらめても遅くはないと思うんだが。」
「なんだよボロ!今更ビビってんのか!情けないちんちくりんやろう!」
「ガキは黙ってろフレア。大人同士で話し中だろうが。それでジン。どうする?」
確かにボロの言う通りあきらめるならまだ遅くはない。金ならともかく、ボロが盗んだ契約書だけ返してあげれば適当にあきらめてくれるだろ。でも逆に返してあげないと、おそらく死ぬまで追ってくるはずだ。
この町で今まで通り暮らしたいのなら返してあげるのが正解だ。でも、
「……2年待ってた。」
この日のためだけ2年を待ってたんだ。迷いさえしなければ1年で十分だったはずなのに、馬鹿みたいにもう1年待つことにした俺は結局何も得ることができず2年目を迎えることになった。
わかっている。このまま挑戦しても失敗どころか死ぬ可能性が高いってことぐらい。
だが、たとえそうだとしても、もう十分だ。
何も得られずただ時間だけを犠牲にする毎日なんて、もう十分なのだ。
「俺はもう待たない。たとえ神と契約できなくても、ディスゲームに参加してやる。あきらめたいならそうしろよボロ。契約書渡して隠れていな。」
変わらない俺の返事と覚悟を聞いたボロは軽く苦笑いした。
「お前があきらめないのに俺があきらめるわけねえだろ。まったく…… 誰一人契約できないってのは相変わらず心配だけど、日差しもないこの泥沼で生きるのは俺ももううんざりだ。最後まで行ってやろうぜ!」
「じゃあ決まりだな…… 二人とも捕まるんじゃねえぞ。」
「もちろんだ!」
「任せておけ!」
角を曲がったフレアが地下につながる通路に入る。ボロも地上に降りて行って全く光のない路地に身を隠した。
盗みに一番大事なのはどれだけ早く身を隠せるか、だ。光もないし複雑な迷路の形をしているこの町はそれに最も向いているといえる。
「じゃあこっちも…… コソ泥を相手するときとはどれだけ違うのか、お手並み拝見だ。」
D3を操作してそこに止まる。すると― ものすごいスピードで追ってきた警察たちと目が合った!
「っ……?!?!」
正面から飛んでくるやつの顔を手の甲で殴り落とした。
反応が遅れたほかの奴らがびっくりして方向を変えようとしたけど、それを待つ義務はないので分かれた二人とは逆の方向に飛んで行った。
事件が事件なだけに警察たちも普段より体に緊張感が入り込まれていた。
ボロが盗んだのはここ地下都市パールを再開発することに対する契約書なんだけど、このまま進めたら金のない人たちはより光のないところに追い出されることになる。
抵抗する人々がいたけどお金持ちの目にそんな人たちが人間に見えるはずもないし、この町はすぐ姿を変えることになるはずだ。
俺の知ったことではなかった。もともと他人の物を奪いながら暮らす人生だったし。何よりも俺たちは今日、遅くても明日にはこの泥沼から出ていくつもりだ。
盗んだ契約書を依頼主に渡しさえすれば、俺たちは地上への居住権を手に入れられる。
バン!バン!
「…… チッ」
いつもとは違って 銃まで抜いた奴らは威嚇射撃を開始した。最初の二発は威嚇で今度は当てるというかのようにまっすぐこっちを狙っている。
当然なことにも嬉しくはなかった。相手があんな凶器を使うのなら、足止めをするこっちとしては、ただ逃げ回るわけにはいかないから。
もう一度角を曲がる。そして今度は、持っていたナイフで追ってきたやつを襲った。
正確に心情をつらぬかれた胸元から噴水のように血が噴き出た。
「リ、リブリ……?!」
「は、犯人が反抗してきた!撃て!」
まさか反撃してくるとは思わなかった奴らが一斉に引き金を引いてくる。
リブリと呼ばれた男を盾にすると肉に銃弾が打ち込まれる感覚が手を上って伝わってきた。そのまま加速し、並んでいた二人の首も切り裂いた。
続いて後ろから聞こえてきた装塡音に下に反応することで銃撃をかわし、即座に奴らに向かって体を飛ばした。目が合った警察の顔が真っ青になったけど、今度も何の迷いもなくナイフをふるって頭と体を分離させた。
「散開しろ!」
焦ったせいで味方に銃を撃った奴らが3人も地に落ちるとそんな指示が下された。
距離をとるほど有利になるのは銃を持っているあっちだ。無理して追うよりは下に降りて降り注ぐ銃弾をかわしながら視界に入ってきた酒場に飛び込んだ。
「ヒイッ!?い、いらっしゃいませ!」
かなり過激な出入りだったのにも差別なく迎え入れてくれたマスターに心で感謝を伝え、酒が陳列されたテーブルの下に身を隠す。
すると昼から酒を飲みに来た奴らが一歩遅れて騒ぎながら店から出ていく音が聞こえた。
「お前は完全に包囲された!あきらめて出てこいこの人殺し野郎!」
さっき散開しろと指示を出した奴の声だ。
お前は完全に包囲された、って。まるで映画や漫画に出てきそうなセリフだった。問題は20年ほど前の作品に出てきそうなセリフだったので現実感が全く感じられなかった。面白くもなければ感動もない。
そんな奴は許せない。
「すまんマスター。椅子一つ借りるぞ。」
「は、はい……?!」
安っぽい感じの椅子を窓の外に投げる。すると外で待機していることを見せつけるかのように四発の弾丸が二つの方向から椅子をこっぱみじんにした。
一つは対角線。もう一つは、この建物の真上だ。
俺もまた窓から出て行って最大速力で上を目指した。
運がいいというべきか、今まで指示を出していた男と目が合った。
「っ……?!」と何とか反応したまではよかったけど、彼の銃口が俺に向けられる前に俺のナイフが先に彼の首を切り裂いた。
「隊長!っ……?!」
さっきみたいに屍を盾にし奪った拳銃で攻撃を続ける。五人残っていたやつらは二人になってやっと追撃をあきらめ、後退し始めた。
「……チッ。きたねぇな。」
手に付いた血をハンカチで拭く。
さまざまな犯罪が数多く発生している都市なだけに、俺も殺人は初めてではなかった。
その中に罪悪感はなく、ためらいもまた存在しなかった。でもこれで本当に戻れない川を渡ったって感じはした。
悔いはない。このくそみたいなところで生き残るためには仕方ない選択だったんだから。
何よりも俺は、たとえどんなものを犠牲することになっても、必ずディスゲームに参加しなければならない。
大騒ぎになった街から目をそらして急いでアジトに戻る。追跡がないってことを何度も確認し、都市の隅に存在する建物の中に入った。
「ボロ、フレア。戻ってきた――あ?」
およそ10年近くまで生きてきたアジトには招かざる客というか、今回の仕事を依頼した中年の紳士が座っていた。
目が合った彼は軽く帽子を上げてあいさつし、彼と話していたボロが「来たな。」と俺を迎えてくれる。
「フレアは?」
「荷造りに行ったよ。俺たちとは違って一度も上に行ったことがない奴じゃねえか。さんざん浮かれてるよ。」
「あいつはいつ来た。」
「わからね。俺たちが来る前から来てた。ほら、契約書。」
ボロが渡す契約書を受け取る。紳士と向かい合うと白い肌に白いひげを持った彼が茶色い声で言った。
「戦闘があったみたいだね。」
「あんたとのんびり話すつもりねえよ。ボロとフレア分の居住権は?」
単刀直入なこちらの言葉に特に反応せず紳士は懐から出した二つの居住権をテーブルの上に載せておいた。
それは間違いなく前金でもらった俺の居住権と同じこの地下から出られる許可証であり、太陽が照りつける地上の居住権だった。
それを確認して契約書を渡すと彼もまた中身を確認しては、不愉快そうに眉をひそめた。
「悪い奴らめ…… こんな契約書にサインしたらどれだけの人々の不幸が約束されるかわかってるくせに……」
言ってることから見れば、かなり孤高な思想を持っているようだった。
もちろんこれもまた俺の知ったことではない。
「要件が終わったのなら出て行け。あんたも俺たちも、顔を長く合わせていていいことない関係なんだから。」
たとえこんなスラム街のお偉い方でも、お偉い方はお偉い方だ。俺たちみたいなごろつきとかかわったことをばれていいことなんか何もない。
俺たちも止められない都市開発に反対し続ける男と長くかかわりたくなかった。
もう相手する気がないって意味でコーヒーポットに水を入れると、立ち上がった彼が言った。
「君たちは上に上がるだけではなく、神託も受けてないのにディスゲームに参加する気だと聞いたんだが。」
「……!」
ボロに目を向けると、びっくりした彼は自分じゃないと首を横に振った。
突然の不安な空気に懐のナイフを用意しながら紳士に言った。
「あんたとは関係のない話だ。」
「ただ忠告しておきたいだけだ。一応、先輩としてね。」
先輩、だと?
「君たちが何を望み何を考えているかは知らんが、この上はずっと残酷で厳しいところだ。神託を受けたわしでさえ、故郷に帰られずここに定着してしまったからな。」
「……………」
「やめたほうがいい。せっかく居住権をもらったんだからうえで平和に生きることをお勧めしよう。」
「……あんたほどの年じゃそれを忠告というかもしれないけど、知ってることをわざわざそのまま聞かせるのは俺たちの年じゃ口はさみっていうんだ。」
反抗的に打ち返すこっちの言葉に彼はそれ以上は何も言わなかった。紳士が去ったアジトにはいつも通り俺たちだけが残ったんだけど、少し気まずい沈黙が流れることになった。
誰もが言った言葉だし誰にも言われた言葉だったのに、経験者から言われると少し重さが違く感じられた。
もちろん参加するという覚悟と気持ちが変わったわけではない。ただ…… そのゲームに参加するのは俺だけではないってことだった。
今まで地下で一緒に苦労してきたボロとフレアも一緒に行くんだ。
地上での平和、か……
「あ、ジン兄貴。戻ってきてたんだ。」
「おおフレア。ちょうどよく来た。これ見ろよ。ついに手に入れたぞ。俺たちが夢見てた地上への居住権だ。」
まるで俺の気持ちに気づきでもしたみたいにボロがいつもよりテンションを上げた声で言った。
さっきはああ言ったけど5歳まで地上で暮らしてた彼もまた浮かれているはずだ。
そもそもこの地下で生きてきたやつらの中で地上を憧れてないやつはいない。
「あ、うん。そうなんだ。ついに得たんだ。うん……」
でもなぜかフレアはそんなにうれしくなさそうだった。俺たちの中で誰よりも喜怒哀楽がはっきりする奴なのに喜ぶどころか戸惑いが顔にいっぱいだ。
「どうしたフレア。」
「なんかあったのか?」
少し心配になって聞くと奴は話すのを躊躇した。でもその時間は短く、すぐ覚悟したみたいに顔を上げて俺たちに言った。
「ジン兄貴。ボロ。二人に見せたいものがあるんだ。」
隠していた左手を見せる。そこには金色で輝くキンセンカの文様が刻まれていた。
まるで催眠をかけるときに使われる模様のように、金色が繰り返される花がその手を飾っていた。キンセンカの花言葉は絶望らしいけど、地上ならともかく地下にはちょうど似合う鼻であり、花ことばだと思ってた。
それに俺もボロも驚愕せざるを得なかった。
「フレア…… お前…… それ……」
「うん…… できちまったみたい……」
人からすれば誤解しそうな言い方だったけどそんなことを気にする場合ではなかった。
だってあれは、第4世界の神の神託だったから。
ディスゲームに正式に参加できるチケットであり、2年前から俺とボロが望み続けてきた、神と契約できる資格の証拠だった。
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