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十、
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小牧山城下、森可成屋敷――。
天気のいい日だった。勝蔵が縁側で大の字になって鼾を掻いていると、額に硬いものが落とされた。また弟達の悪戯かと、若干うんざりしながら目を開く。しかし、すぐに勝蔵はあんぐりと口を開いた間抜け面をすることになった。
「たわけ。なんという情けない面じゃ」
と、奇妙丸が笑っている。少し離れた場所で、勝九郎が頭を抱え、於泉が馬乗り袴姿で、愛犬・駒若丸を従えて立っている。
「……池田兄妹は分かるけど、なんで若が……」
「抜けてきた。なんぞ問題でもあるかの?」
「問題しかないと思うんですけど。小牧山城の警備、ガバガバじゃないですか。どうなってるんだ」
「安心せい。流石に1人で城を抜け出してはおらぬ。河尻の爺が、今そなたの父と話をしておるから、庭くらいなら文句は言わせん」
「そうですか……」
勝蔵や於泉のように、流石に1人で城を抜け出すような真似はしないらしい。奇妙丸は、一応自分の立場は弁えている。少数でも家臣達を供につけるくらいの知恵は、働くはずだった。
「一応報告くらいしてやろうと思って来てやったのじゃ。有り難く思え」
「報告?」
「――御屋形様のご側室が一人、亡くなった。葬儀もすべて済んだゆえ、その報告じゃ」
奇妙丸の言葉に、勝蔵は首を傾げた。
生駒の方の訃報は、皆知っている。信長が最も寵愛していた女性――その死をいたく悲しんだ信長は、人目をはばかることなく、慟哭していたそうだ。
喪主を務めたのは、信長と生駒の方の次男・茶筅丸。周囲の支えを受けながら、どうにか葬儀は無事に終わったらしい。
勝蔵の父・可成は、信長の重臣である。わざわざ奇妙丸自ら報告に来なくても、情報は耳に届く。それなのになぜわざわざ報告しに来たのか――言いたいことだけ言って勝九郎とともに庭見物に離れてしまった奇妙丸を見ながら、勝蔵は首を傾げた。
すると、於泉がいつのまにか、するりと隣に来ていた。勝蔵の耳元に口を寄せ、「あのね」と囁く。小さな声とともに吐き出される吐息が少しくすぐったくて、居心地が悪く感じた。
「若なりの、仲直り、の合図なの」
「仲直り?」
「この間、八つ当たりされてたでしょ? だから、ごめんね、って」
確かに――喪主を務められないことに苛立った奇妙丸に、勝蔵は怒りをぶつけられた。ただし、勝蔵も前後の言い方が悪かったし、喧嘩したつもりもないような、森家の者としては些細な出来事だった。
もしかして、奇妙丸はずっと気にしていたのだろうか。
於泉は勝蔵の表情を見ると、楽しそうににやりと笑った。駒若丸とともに、奇妙丸の方に駆けていく姿は、人懐こい飼い猫のようでもあった。ああしてみると本当に兄妹のように見える。
(別に気にしてないけどさ)
勝蔵は別に、怒っていたわけではなかった。それでも、和解の印を見せられると、安堵してしまうことに気づく。
せっかく、忙しい合間を縫って奇妙丸が来てくれたのだ。庭の案内くらいしなければ、もてなしたことにはならない。勝蔵は下男に茶の支度を命じると、奇妙丸達3人のところに走り出した。
【第二章「焔の牡丹」・終】
小牧山城下、森可成屋敷――。
天気のいい日だった。勝蔵が縁側で大の字になって鼾を掻いていると、額に硬いものが落とされた。また弟達の悪戯かと、若干うんざりしながら目を開く。しかし、すぐに勝蔵はあんぐりと口を開いた間抜け面をすることになった。
「たわけ。なんという情けない面じゃ」
と、奇妙丸が笑っている。少し離れた場所で、勝九郎が頭を抱え、於泉が馬乗り袴姿で、愛犬・駒若丸を従えて立っている。
「……池田兄妹は分かるけど、なんで若が……」
「抜けてきた。なんぞ問題でもあるかの?」
「問題しかないと思うんですけど。小牧山城の警備、ガバガバじゃないですか。どうなってるんだ」
「安心せい。流石に1人で城を抜け出してはおらぬ。河尻の爺が、今そなたの父と話をしておるから、庭くらいなら文句は言わせん」
「そうですか……」
勝蔵や於泉のように、流石に1人で城を抜け出すような真似はしないらしい。奇妙丸は、一応自分の立場は弁えている。少数でも家臣達を供につけるくらいの知恵は、働くはずだった。
「一応報告くらいしてやろうと思って来てやったのじゃ。有り難く思え」
「報告?」
「――御屋形様のご側室が一人、亡くなった。葬儀もすべて済んだゆえ、その報告じゃ」
奇妙丸の言葉に、勝蔵は首を傾げた。
生駒の方の訃報は、皆知っている。信長が最も寵愛していた女性――その死をいたく悲しんだ信長は、人目をはばかることなく、慟哭していたそうだ。
喪主を務めたのは、信長と生駒の方の次男・茶筅丸。周囲の支えを受けながら、どうにか葬儀は無事に終わったらしい。
勝蔵の父・可成は、信長の重臣である。わざわざ奇妙丸自ら報告に来なくても、情報は耳に届く。それなのになぜわざわざ報告しに来たのか――言いたいことだけ言って勝九郎とともに庭見物に離れてしまった奇妙丸を見ながら、勝蔵は首を傾げた。
すると、於泉がいつのまにか、するりと隣に来ていた。勝蔵の耳元に口を寄せ、「あのね」と囁く。小さな声とともに吐き出される吐息が少しくすぐったくて、居心地が悪く感じた。
「若なりの、仲直り、の合図なの」
「仲直り?」
「この間、八つ当たりされてたでしょ? だから、ごめんね、って」
確かに――喪主を務められないことに苛立った奇妙丸に、勝蔵は怒りをぶつけられた。ただし、勝蔵も前後の言い方が悪かったし、喧嘩したつもりもないような、森家の者としては些細な出来事だった。
もしかして、奇妙丸はずっと気にしていたのだろうか。
於泉は勝蔵の表情を見ると、楽しそうににやりと笑った。駒若丸とともに、奇妙丸の方に駆けていく姿は、人懐こい飼い猫のようでもあった。ああしてみると本当に兄妹のように見える。
(別に気にしてないけどさ)
勝蔵は別に、怒っていたわけではなかった。それでも、和解の印を見せられると、安堵してしまうことに気づく。
せっかく、忙しい合間を縫って奇妙丸が来てくれたのだ。庭の案内くらいしなければ、もてなしたことにはならない。勝蔵は下男に茶の支度を命じると、奇妙丸達3人のところに走り出した。
【第二章「焔の牡丹」・終】
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