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八、
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奇妙丸が立ち去ってしばらくした後――ひょっこりと、小動物のような影が下りてきた。
「……於泉」
「また若を怒らせたの? すごいことになってるけど……」
体を起こしただけで、ぱらぱらと土が髪や肩から落ちてくる。勝蔵はぶるぶると頭を振って土を落とすと、口の中いっぱいに血の味が広がった。
(ちぇっ。せっかく慰めてやろうと思ったのに……)
不貞腐れていると、目の前に手拭が差し出された。香が焚き染められているのか、甘い匂いが鼻孔をくすぐる。於泉が好んで最近使っているという、白梅の香である。年下のくせにと思うが、色気づいてきている辺り、一緒に庭を駆け回っていても、やはり於泉は女子なのだということを思い出す。
手拭で土を払っていると、
「大丈夫だよ」
と、於泉が唐突に言った。
怪訝そうに顔をあげると、途端に今度は焦った顔をする。勝蔵を慰めようとない知恵を振り絞ったのだろう――しかし、だからと言って、特段意味があったことではないのかもしれない。
「別に、慰めてくれなくてもいい」
「な、慰めてるんじゃないっ」於泉が必死そうに拳を握り締めた。「本当のことだよ。勝蔵殿は要らん事いいの大たわけだけど……でも、ただ意地悪なわけじゃないもん。泉も若も兄上も、みんな承知のことだから」
「俺、そんなに意地悪かよ。ていうかお前、聞いてたのか」
そもそも於泉はどこから来たのか。正面玄関からやって来たとは思い難い。もし正面から来たなら、侍女達が誰かしら声をかけてくれてもいいはずだった。
「一体いつから聞いてたわけ。俺と若の話」
「最初からだよ」
於泉はなにを言っているんだ、とでも言いたげに首を傾げた。
「どこから入って来たんだ……?」
恐る恐る問いかける。
「そこ」
於泉が指さしたのは、屋敷同士を区切っている土塀である。男ならともかく、女子どもが気軽に乗り越えられるような高さではない――が、於泉相手に一般というものを求めるのは間違いであった。最近は、「どうして於泉は女子なのか」と頭を抱えたくなるほど、武芸に秀でようとしているのである。
「あの塀、意外と登るのは容易いのね。袴も履かずに行けるかなって不安になったけど、結構余裕だったわ」
「不安に思うことがおかしい」
「三左様にはちゃんと挨拶してあるから大丈夫。驚かれていたけど、なにも叱られなかったから」
森家と池田家、両家の間ではそのうち、不届き者に備えた屋敷の防御をもう少し考え直した方がいいのでは――と、勝蔵は頭が痛くなった。
於泉は勝蔵の隣に膝を突くと、帯にぶら下げた巾着を広げた。中身は、蛤の貝殻である。貝殻を開けると、強烈な臭いを放つ軟膏が姿を現した。
「いただいたの。よく効くから――と。さ、勝蔵殿。口開けて?」
「なんで」
「さっき、舌噛んでたじゃない。傷になってるんじゃないの」
「いや、でもさ……」
しどろもどろと逃げ腰になっていると、急に体が傾いだ。一気に床に叩き付けられる。目を白黒させていると、於泉があっという間も与えずに、勝蔵の上で馬乗りになった。そして、舌を引っ張り出され、そのまま軟膏を塗りたくられた。
その軟膏は、於泉が奇妙丸から預かったものだと知るが――少し先のことである。そして、奇妙丸が持っていたものの中でも、一番苦くて滲みる薬だったということも。
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