焔の牡丹

水城真以

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六、

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       *


 奇妙丸きみょうまるが森屋敷にいるのは、なんだか不思議な感覚だった。勝蔵しょうぞうがぽりぽりと頬を引っ掻く一方で、奇妙丸は庭を物珍しそうにきょろきょろと見渡していた。
 姉のせいが母の代わりに、訝しそうに茶を運んできた。

 青は勝蔵を手招きすると、耳打ちした。
「そなた、悪いことをしたのか」
「してねぇよ」
「よいか。森家は、父上のお陰で御屋形おやかた様から寵を受けておる。誠心誠意謝れば、きっとそなたが出家するくらいで許していただけるはず」
「だから悪いことしてないからな?」
「少なくとも、そなたの腹が二つに分かれる程度じゃ。よし、行ってこい」
「お願い、姉上。話聞いて?」
 勝蔵の願いも空しく、青は「くわばらくわばら……」と唱えながら、離れて行ってしまった。

 奇妙丸は、届けられた茶を美味そうに飲んでいる。勝蔵は溜息を吐きそうになるのを堪えながら、そっと茶碗を受け取った。

「勝蔵は、兄弟が多いのであったな」
「はい。兄と、姉と、弟と妹がいます」
「仲は良いか」
「まあ、それなりに……」
 母親が全員同じなので、対立の仕様もない。父と兄を助けるように、と厳しく躾けられている。
 奇妙丸は「母が同じならば」と眉間に皺を寄せた。

「皆が仲が良いと良かったのだが」

 奇妙丸は、茶碗を置いた。ことん……と、陶器と床板が触れ合う音が空しく響いた。

「儂の生みの母上は、生駒吉乃いこまきつのという。……茶筅丸ちゃせんまる五徳ごとくは、母を同じくする兄弟のはずであった。本来ならば儂は、吉乃殿の葬儀において、喪主を務めねばならん立場にある。なのに――」

 奇妙丸は、拳を握り締めた。
 信長が吉乃の葬儀の喪主として指名したのは、茶筅丸だったからだ。その手伝いは、五徳が務める。奇妙丸は喪主はおろか、その補佐を務めることさえも許されなかったのである。


「……儂の母は、帰蝶きちょう様だけではない」


 爪が食い込んだ掌の皮が裂け、血が滲んだ。奇妙丸は悔しそうに、秀麗な顔を歪めている。珊瑚の瞳は歪み、今にも泣き出しそうだった。
「儂は、自らの母の死を嘆く権利もないのか? 武家の、後嗣というだけで」
「そんなことは、ないと思いますけど」
「ならばなぜっ」奇妙丸は声を荒げた。「なぜ、父上は儂に、喪主を――吉乃殿の子としての役割を、与えてくださらぬのじゃ」
 奇妙丸の目から、とうとう涙が零れ落ちた。

「確かに、儂は帰蝶様の養子となった。織田の嫡子として、父上の正室の子にならねばならなかった。だが、だからといって、吉乃殿が母上でなくなるわけではない。儂とて、吉乃殿の子じゃ。吉乃殿の訃報は悲しい。母の死を、嘆く権利もないというのか――なぜ、茶筅なのじゃ。……儂では、ならぬと仰せか」

「……若、どうして今日は、城を出られたのですか?」
 勝蔵が問いかけると、奇妙丸は泣きながら頬を膨らませた。

「儂なりの、謀反じゃ。父上に対する。儂とて人の子であるぞ、と――いつまでも父上の言いなりになるばかりではないのじゃ。そんなに茶筅が気に入りならば、茶筅に後を継がせればよいではないか……」

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