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3、予言

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『明日、信長のぶながさまを狙う者が、信長さまの命を脅かすかもしれませんので、お気をつけて』

 弓を引き絞りながら、信長は昨夜の出来事を思い返していた。

 ――牢に入れた初音はつねを助けてほしい――

 明晴あきはるはしつこく、暇さえあれば信長に手紙を飛ばし、懇願し続けていた。今朝も謁見を願い出る文が届いたが、思い切り破り捨てて無視を決め込んだ。

 初音は、まだ童女であった頃に、人質として織田おだ家にやって来た。川並衆が織田家に下る数年前のことだった。
 蓮見はすみ四郎は、誰よりも早く織田家の側についていた。そして、愛妾の忘れ形見であった二の姫・初音を人質として差し出したのだ。
 初音をはじめて見た時、信長は背筋が凍り付くかと思った。

 翠玉のごとく透き通った双眸。
 濡れた烏の羽のような、漆黒の艶やかな黒髪。
 何より、春の訪れを告げるかのような白い肌。

 神というものを信じなかった信長だったが、初音とはじめて対面した時ばかりは、「もしこの現世うつしよ
に女神が現れたのなら、このような姿かたちをしているに違いない」と思ったほどだった。

 そんな初音は、幼い頃から忠実に働き、愛想はないが生真面目で、人が嫌がるような仕事を自ら率先してやるような娘だ。
 初音が火付けをおこなったなどと、信長とて本気で思っているわけではない。


(――だが、あの場に火を放てる者はおらなんだ。……初音を除いては)


 それこそ明晴の言うように、妖術使いがやったとしたら話は別だが、初音の無実を証明するには弱すぎる。
 あの日の火事で死人は出なかった。しかし、暇を与えねばならない怪我をした者は少なくない。誰も処罰をしないなど、納得させることはできない。
 誰かが罰を受けなければ、他の恨みつらみを納めることはできない。
 この一件を正さなければ、信長の権威も人心掌握の力も落ちることは目に見えている。


 ――たんっ


 矢が的からわずかにはずれた位置に刺さった。
 あーあ、と万見仙千代まんみせんちよが肩をすくめながら、新しい矢を信長に差し出した。
御屋形おやかたさま。恐れながら、考え事をしていては、外しても仕方ないか、と。しっかりと的を見据えませぬと」
「……分かっておるっ、もういいっ」
 信長は由美を仙千代に押しつけると、片肌を脱いでいた衣を直させた。
「明晴は、どこにいる」
「恐らく、部屋かと。今朝方、式神と暴れておりましたので」
「式神……」
 白虎びゃっことやらだろうか。十二天将じゅうにてんしょうであり、四神がひとり。
 信長が唯一その目で見た、明晴の本物の式神である。
「初音を盗み出そうと騒いでおったか」
「いえ」
 仙千代は首を横に振った。
「朝餉のおかずを、奪い合っておりました」
「……おかず?」
「はい」
「……今朝は、明晴にだけ鹿肉でも出したか?」
「いえ。御屋形さまと同じものです。粗搗あらつきの黒米と、サトイモの煮物。それから……」
 告げられた献立は、確かに信長がいつも食べているものである。少なくとも、神が奪ったからと言って、喧嘩に発展するほどのものではない。
「……童の喧嘩か。次から、眷属のぶんも出してやれ」
 溜息を吐いたものの、明晴はまだ実際に童と言ってもいい。信長が元服した時よりも年下なのだから。

 明晴は、十二天将を舌がええいるらしい。火事を鎮火させたのも、明晴の式神であったという。
 式神の姿を見た者こそいなかったが、あの場に居合わせた者達は、「水の柱が火を鎮めた」と口を揃えて言っていた。そのあと転んで頭を打って重傷を負っているあたり、詰めは甘いが。


 見た目だけなら、ただの子ども。
 しかし、その秘められた力は、神の席に名を連ねる神聖な存在が控えるほど。

 今、調停で力を発揮し、陰陽師の座を独占しているのは、土御門つちみかど家。家系図でもはっきりと記録された、現代まで続く由緒正しき安倍晴明あべのせいめいの直系である。
「仙千代。そなた、明晴はまことに晴明の子孫と思うか」
「んー……」
 仙千代は弓を抱いたまま、首を傾げた。
「ありえない――とまでは申しません。実際、霊力を持っているのは事実のようです」
 仙千代も、白虎が明晴に従っているのは見た。明晴が何かしらの力を持っているのは確かだろう。
 しかし、平安の世には、今よりも多くの陰陽師が存在していた。賀茂かも氏、蘆屋あしや氏、小野おの氏。霊力の強い貴族は、今でも名が残っている。
 隔世遺伝というものもある。明晴が家名を持たない身分である以上、先祖返りしただけの没落貴族の末裔――が一番現実的な考えだった。

 そして、それは信長も同じ意見である。

 明晴が本当に安倍晴明の子孫なのかは分からない。
 しかし、確かなこともある。安倍晴明が没して以降、誰にも従わなかった十二天将が、あの童にだけは従っている、ということだ。



『火を放ったのは、坊主なんです! 初音さんじゃない!!!』



 信長は、自分の目で見たもの以外は信じない。
 見えないものは恐れるに値しない。だが、あの少年の言葉は、軽い割にはいつも頭の片隅に引っかかる。
 十二天将達も、同じ想いを抱いているから、明晴に付き従うのだろうか。

 ──弓掛を外している時、嗅ぎ慣れた臭いがした。

 戦場で、何度も嗅いだ臭い。


「──御屋形さまっ!!!!」

 次の瞬間、仙千代の悲鳴とともに、乾いた音が響き渡った。
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