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1、自称・晴明の子孫

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 銭が入った箱には、山のような銭が入っている。箱を揺らし、じゃらじゃらと音を立てながら、明晴あきはるはうっとりとした。
「いやぁ、大量大量!」
 岐阜ぎふは商いが発展している。領主が新しくなってからは、特に。
 海はないが、木曽川きそがわ長良川ながらがわといった、大きな川がいくつもある。それらの川があるお陰で船の航路が確立されており、物流が通っていることも理由として大きい。
 だが、一番の理由は関所がなく、店を出すのに税がかからないことだろう。関所がなく、店を出すのに銭を取られないお陰で、明晴のような芸人や、流れの商人なども多く行き来している。
「これが京だったら、どだい無理な話だよなぁ。稼いだ金、ほとんど税として巻き上げられちゃうもんな!」
 今夜は何を食べようか思案する。
 岐阜は、食べ物が美味い。柿が美味しいから、今後の旅に備えて干菓子を買い込んでおこうか。その前に腹が減っている。今のうちに味噌や米を備蓄しておく必要もある。いや、まずは贅沢をして、饅頭に干し肉に魚に野菜に団子に、今夜はたらふく食べたっていい。

 ――そんなに食えんだろ、お前。本当にバカ晴なんだから

 頭の中に響く厳かな声に、明晴はむっと顔を顰めた。
「バカとはなんだ、バカとは。仮にも主に対して」

 ――そう、嘆かわしいことにお前は我らが主なんだよなぁ……よよよ……

紅葉こうようは、今夜何食べるべきだと思う?」

 ――鹿肉と猪肉

「それは俺が食べるべきものじゃなくて、お前が食べたいものだろ! ていうか、狩れっていうのか。しかも、鹿と猪肉合わせて二体!?」

 ――うん

「無理だから。ていうかいたなら、普通に喋ればいいだろ、もう」

 荷袋が入った袋の影から、白い獣がひょっこりと姿を現す。丸みを帯びた耳に、猫のような体躯と、尖った牙。
 小さな体を抱き上げると、獣は渋い顔をした。
「というか、神の名を騙って詐欺を働くのはよくないぞ、明晴」
「嘘?」
 はて、と明晴は首を傾げた。
「なんのことだい? 紅葉」
「とぼけるな」
 獣はイーッ、と牙を剥き出しにした。
「誰がいつお前の召喚に応じたって? お前が使ったのは、”幻影の術”だろう」
「うるさいなぁ、細かいことをいちいち……」
「うるさくない。ばれたらどうするんだ」
「ばれやしないよ。今時、俺より霊力の強い人間なんて存在するもんか」
 パッ、と両手を離すと、獣はぼとっと音を立てて背中から地面に落ちた。その光景に、明晴は顔を顰める。
「猫みたいな体して、背中から落ちるなんて……。着地、できないの?」
「できるか!」
 獣はがおうと吠えた。
「よくこんな幼気で可愛らしい俺を、地面に叩き伏せて平気でいられるな! 昔はあんなに可愛……くはなかったか、別に」
「失敬な」
「昔からお前は、妙なところで現実主義者リアリストで可愛げなんかなかったもんな」
「はあ? そんなわけないだろ。俺は、昔も今も可愛い世。そのお陰で、ほら」
 明晴は2つの巾着袋を見せた。先ほど、衣を被いた女人がくれたものだ。
「俺の見立てではあれだね。お忍びの、豪商の奥さまってところだと思うな。深窓で何不自由なく暮らしていたけど、嫌気が差したので衝動的に城下に来たところ、愛らしい陰陽師と遭遇! 健気に天才的な術を披露するその姿を見て、急に家に置いてきた我が子を思い出したんだろうさ。ああ、俺は己の愛らしさが恐ろしい!」
「……お前、大道芸なんざやめて作家になれば? 豊かなその想像力を駆使して、紫式部もびっくりな大作家ベストセラー作家になれるさ」
「無理だね」
「なんでだよ。せっかく文字が書けるのに、使わなかったらどんな才能も廃れていく一方だぞ」
「分かってるよ。分かってるけど、紙も墨も高いんだぞ」

 戦国の世では、庶民の識字率は低い。文字の読み書きができればそれだけで仕官先が見つけられるといっても過言ではない。

 それに、明晴の生業は、流しの芸人である。旅の荷物は少ないに越したことはない。
 筆も紙も墨も、嵩張る。同じ量を持ち歩くなら、消費できる食べ物を買い込む方が先決だ。
「これが、字を読めるような名家に抱えられているならともかく、俺はそういうのでもないしな。それより、南に行く支度しよう。ここから寒くなるから。あ、そういえばこの間、近くで戦が起きたっていうよね。落ち武者狩りできないかな。刀とか鎧とか水筒とか欲しいんだけど」
「本っ当に、現実主義者だな、お前」
 よよよ、と前足で顔を隠しながら紅葉が嘆く。
「幼気なのは形だけ。可愛げないのは昔と変わらないけど、そこに夢を見る余裕もないなんて、不憫な子だなぁ、我らが主は」
「別に不憫とは思わないけど」
 明晴は首を傾げた。

 確かに明晴は、家はない。しかし、毎日の芸で食うことに不自由していない。衣も、ボロボロであちこち擦り切れているが、上下ともに揃っている。その日暮らしの身としては、充分揃った状態な方だ。
「でも、ずっとこのままはつらくないか?」
 紅葉が案じるように顔を顰める。
「お前は文字も読めるし、その気になれば仕官先だって見つかるだろう。なあ、悪いことは言わない。そろそろ身の振り方を真面目に――」
「いいんだってば!」
 明晴は強制的に話を終わらせた。
「俺、人に従うの、嫌いだし。話し相手には、紅葉もいるんだから。退屈なんてしないし、俺は充分楽しい。それでいいだろ。あ、饅頭売ってる! ちょっと買って来るね! 銭箱取られないように見張ってるんだぞ!」
 明晴が走って行くのを見ると、紅葉はやれやれ……とため息を吐いてその場で丸くなった。細長く、縞模様が描かれた尾に顎を乗せながら、瞼の裏に出会ったばかりの明晴を思い出す。

 明晴は、今年で13歳。昔のように、頼りない童のままではない。
「その気になれば、貴人に仕えることだってできるだろうに……」

 ――それは、あれが望むところではないだろう

 丸みを帯びた耳をぴょこぴょこと動かしながら、紅葉は欠伸をした。
「……分かってはいる」
 しかし、時代は戦乱の世。
 雨風をしのぐ家や、毎日の食事に困らないようにしてやりたいというのは親心に近い。
「明晴はまだ子どもだ。守ってくれる大人の庇護があれば、それに越したことはない」

 ――その子どもを守るのは、我らが務めであろう

「……だったら、お前も姿を出してやればどうだ、青龍せいりゅう

 ――断る

 同胞は、つんと声を固くした。

 ――明晴は我らが主、それは間違いない。だが、頼まれもしないのに姿を現してやるほど、わらわは優しくない。

「おい、青龍――」

 紅葉が呼びかけても、返事はしない。同胞の神気は既に消え去っている。
 むう、と紅葉は顔を顰めた。
 同胞達は、紅葉同様、まごうことなく明晴の式である。その気になれば紅葉のように人界に姿を現すこともできる。にも関わらず、ここ数年、同胞達が人界に顕現したことは、ただの一度もない。

「紅葉――!」

 饅頭を2つ抱えた明晴が戻ってくる。どうやら、饅頭りも明晴の見世物を見ていたらしく、おまけしてくれたようだ。
「はい、紅葉」
 明晴は饅頭をひとつ、紅葉に差し出した。
 紅葉が饅頭を受け取ると、明晴は嬉々として饅頭を2つに割り、かぶりついた。饅頭の中身は、野菜を味噌で炒めたものが入っている。
「う……っまぁ……! さすが、岐阜! しばらく美味しいものが食べられそうだ」
 饅頭を食べる姿は、一見するとただの元服前の少年だ。とても幻術使いの芸人には見えない。

 同胞達は、明晴の呼び出しに応じることはない。そして明晴も、自ら同胞達を呼ぶことはない。
 人に使われなくなれば、神霊は姿を消すしかない。明晴もそれは分かっているはずだった。

(それでも俺は、明晴を守る)

 紅葉は一息に饅頭にかぶりついた。
「あっつ!!!」
「……紅葉って、ちゃんと猫舌なんだなぁ」
 明晴は感心したように呟きながら、もう半分に齧りついていた。
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