散華記

水城真以

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菊花の戯れ

七、

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 辰千代との約束は、信長来訪の2日前である。
(衣、どうしよう)
 余所行きの衣はほとんど持っていない。そもそも持ち物自体がほとんどなく、あるのは欠けた櫛と、城に上がったときに支給された小袖だけだ。
(まあいいか)
 万里は逢引だと皮肉を言ってくるが、あくまでも団子の礼として、崇継とその恋仲の女子に会うだけである。於菊がいつもの衣に手を伸ばすと、肩を叩かれた。
「よかった、まだいた」
「お須磨――どうしたの?」
 なにか急用でも入ったかと思い身構えると、須磨は衣を差し出した。
「古いもので申し訳ないけど――私が於菊と同じくらいの頃に着ていたものよ。糸をほどく前でよかった」
 梔子で染められた小袖であった。綺麗、と呟くと、須磨はほっとしながら於菊に「あげる」と言った。
「で、でも、こんないいもの……」
「いいのよ。もう私が着るには丈が足りないもの。於菊の背丈なら、仕立て直すことなく着られるでしょう。姫さまはああ言っているけど、楽しんでいらっしゃいな」
「本当に、もらっていいの?」
 須磨は下級武士の娘――於菊よりは身分が上である。於菊が着るにはもったいない上等な衣だったので、着せてもらいながらもどこか申し訳なくあった。
「いいの、もらってちょうだい。その代わり、土産話を聞かせてくれる?」
「うん!」
 於菊が元気に返事をすると、須磨は微笑んだ。須磨の笑顔は、きっともうこの世にはいない、姉のことをぼんやり思い出させてくれる。姉は衣はくれなかったが、いつも於菊に笑顔で、優しくしてくれた。
「そうだ――どうせなら、髪もやってあげましょうか」
 須磨が袖から櫛を取り出す。於菊は「そろそろ行ってきます」と叫びながら、慌てて局を飛び出した。


      ◇◆◇


 にゃぁん。と、寒花の鳴き声で須磨は振り返った。寒花を抱いた万里が不機嫌そうに、於菊の後ろ姿を見ている。
「小袖なんて、渡さなくていいのに。余計なことをしてくれたわね」
「申し訳ございません。なれど、於菊が持っているのは、お城でいただいたもの――万が一、汚したり傷つけたりしたら、姫さまの顔に泥を塗ることにもなりますので」
「小賢しいことっ」
 万里は背を向けた。にゃっ、と寒花もまねるように身をよじった。
「気に入りませんか?」
 須磨が揶揄うと、万里は当たり前でしょ、と吐き捨てた。
 万里は於菊を気に入っているらしいことは、於菊以外はみんな知っていることだ。ここしばらく、やたら於菊をお使いに出していたのも、蔵の整理だのを命じていたのも、辰千代と会わせたくなかったからだろう。もっとも、辰千代はなにかと理由をつけて、於菊の後をついて回っていたので、すべて空振りに終わっていたが。
「於菊はわたしの侍女なの。嫁になんて、まだ出してあげない」
「でも、加藤どのは、織田弾正忠おだだんじょうのちゅう家当主のお小姓です。中将さまがお認めになれば、金山の殿もお許しになりますよ」
「絶対に、厭」
 万里は眉間に皺を寄せ、不機嫌を隠さなかった。
「殿や中将さまが許すかどうかじゃない。わたしが決めるのっ。日暮れまでに戻ってこないようだったら、探しに行かせるから覚悟しなさいよっ」
「仰せのままに、姫」
 ぷりぷり怒る万里を可愛らしく思いながら、須磨は庭を見た。木々は色づき、庭の菊花は満開である。於菊は一輪だけ伐った菊花を枯れるまで大切に育てていた。万里とは反対のことを願いながら、須磨は万里の後を追い駆けた。


      ◇◆◇


 しかしその日――於菊が戻って来ることはなかった。
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