4 / 20
1、出張陰陽師
三、
しおりを挟む――二つ三つばかりなるちごの、いそぎて這ひ来る道に、いと小さき塵のありけるを、目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、大人ごとに見せたる、いとうつくし。
紙に書き写しながら、初音はくすりと笑みを零した。
小さな子どもが、掃除したはずの床から埃を見つけて、それを親や家人達に見せびらかす光景が目に浮かぶようだ。
初音に「少納言」というあだ名をつけたのは、帰蝶だった。
父は少納言の官位ではない――と言ったら、「そなたのこと」と帰蝶は笑った。
『清少納言のように、聡明で勤勉なそなたを、妾は気に入っておる。その証じゃ、「少納言」』
普段からそのあだ名で呼ばれていたわけではない。
しかし、岐阜城に来たばかりの頃は、右も左も分からなかった。母が死したこともあり、自分には帰る場所がないのだと落ち込んでもいた。そんな時に賜った帰蝶の言葉は、初音を強く支えてくれた。
(写本ができたら、奥方さまに献上しようかしら)
楽しみが増えた――と初音は筆を置いた。
最初の頃は、家事をしなければと躍起になっていたせいで、こうして書き物をする時間もなかった。しかし、明晴から「家事はできる範囲だけでいい」と提案され、細かいところは明晴が作った式神達がやってくれている。
ひらひらと動く紙切れが掃除をしている様は、不思議だが可愛らしくもある。
「まるで雪みたい」
初音は笑みを零しながら、ありがとう、と名もない式神達に礼を言った。
「ただいまー」
すると、玄関から明晴の声が聞こえた。外を見ると、まだ日は高い。
初音は前掛けを付けながら、玄関に駆けた。
「お帰りなさい、明晴。今日はいつもより早いのね――」
部屋を出た途端、初音は固まった。
玄関には、框をよじ登っている紅葉と、気まずそうに頬を掻いている明晴。なぜかいる万見仙千代はこの際置いておいて――それよりも、その背後にいる人間が問題だった。
「……父上」
「……大きくなったな、初音」
指先が震える。
泣いてやめてと縋る初音を突き飛ばして、母にまつわる遺品全てを焼いた男。
喪が明けるや否や、初音を早々に人質に出し、その後ろくな便りも出さなかった。
初音は、拳を握りながら、框に上がり切った紅葉を抱き上げた。袂から取り出した手ぬぐいで、白い前足を拭いてやる。
「……明晴、お客様を中にご案内して。お茶のご用意をします」
初音は父と目が合わないようにしながら、居間に駆け込んだ。
***
明晴が蓮見四郎を連れて帰って来たのは、訳があった。
城で、万見仙千代の手習いを受けていた明晴を召しだしたのは、信長に謁見していた蓮見四郎であった。
てっきり、明晴は殴り飛ばされるのではないか、と思った。
いくら主命とはいえ、仮にも武家の娘である初音を、明晴が使用人として使っているのだ。しかも一部では、嫁入りさせられた、とまで言われている。
申し開きの余地もなく、明晴は「一発くらいなら」と殴られる覚悟を決めていた。
広間に行くと、信長と談笑している男の背が見えた。
信長は明晴を見とめると、嬉しげに手招きをした。
「四郎。この者が、例の陰陽師じゃ」
「陰陽師――」
明晴は、緊張しながら、蓮見四郎が振り返るのを待った。
振り返ったのは、三十も半ばを過ぎたであろう男だった。精悍な顔立ちで、髭が濃い。濃き色の衣を身にまとったその男は、初音とは似ていなかった。
信長が明晴を紹介すると、四郎は「そなたが初音の……」と、無感情に言った。
なんとなく詫びを入れたくなったが、詫びを入れる内容も思いつかない。そもそも明晴は詫びなければならないこともないというのに。
四郎は明晴を見ると、深々と頭を下げた。
「我が娘・初音を救ってくれたこと――深く感謝申し上げる」
「えっ」
明晴は慌てた。
「か、顔を上げてください! そんなことされるほどの立場じゃありませんって、俺!」
「否」
四郎は頑なに拒んだ。
「そなたが初音の無実を晴らしてくれたお陰で、初音は生きている。そなたがおらねば、我が蓮見の命運も潰えていたことであろう」
「まこと、面白き童である」
信長は喉を鳴らした。
「明晴は占いのほかに、十二天将を従えさせたり、妖を退治したりもできる。かの杉谷善住坊を捕らえられたのも、この明晴のお陰よ」
「それはそれは……御屋形さまも、よき縁に恵まれましたな。……そこで、恐れながらお願いしたき議がございます」
「ぬ?」
四郎は信長に向き直り、平伏した。
「この陰陽師どのを――某にお貸し願えませぬでしょうか」
***
「……なぜ明晴が、蓮見に行くことになるの?」
初音は、怪訝そうに明晴を見た。
初音の膝の上では、紅葉が丸くなっている。まるで猫のようだが、こいつ神様なんだよな――と、明晴は呆れるやら、羨ましいやら、複雑な気持ちになった。
「実は……」
明晴は仙千代をちらりと伺った。
仙千代がそこから言葉を引き継ぐ。
「蓮見四郎のご嫡女に、怪文書が届いているそうだ」
「ご嫡女、って……。……菫さま?」
初音が零れ落ちそうなほど目を見開いた。
四郎は持っていた紙を広げると、初音の前に差し出した。
そこには、
【我が愛しき女神、いずれ迎えに参る】
と書かれていた。それも、墨ではない。――獣の血のような臭いがする。
「……何故、このような怪しき文書が、菫さまのもとに」
「分からぬ。だが、宿直の侍女達曰く、誰かが届けたわけではない、と……。姫も、朝になると勝手に枕元に置かれているのだ、と言っていた」
明晴は手紙を手に取ると、文章をじっと見つめた。
この手紙自体に、怪しき術があるとは思えない。ただの紙に、血で文字を書いただけだ。呪詛の類ではないらしい。だが、送られている張本人である菫姫や周囲の者にとっては、気持ちのいいものではないだろう。
「初音」
明晴は、初音を呼んだ。
「俺、何日か蓮見に行ってこようと思う」
「…………」
「この手紙がどうやって姫のところに置かれているのかも気になるし……。もし、菫姫に何かあるなら、お守りしてあげたいんだ」
もちろん結界はきちんと張ること、心配なら十二天将の誰かを警護につけることなども伝える。
だが、初音から返ってきたのは、「一緒に行く」という言葉だった。
「ちょ、何言ってるんだよ」
明晴は顔を顰めた。
「遊びで行くんじゃないんだよ」
「分かってるわ。でも、蓮見はわたしの故郷でもあるのよ。地の利がない明晴に、何ができるのよ」
「あのなぁ。地の利がないのは初音も同じだろう。何年も帰ってないくせに。それに、今回は仙千代も同行するんだ」
此度の蓮見来訪は、信長の命令でもある。
信長は善住坊の一件もあり、呪詛に対する警戒を深めていた。もし身近に呪詛をくわだてるような者がいないか、探るためにも明晴と仙千代を遣わす、と言われている。
しかし、初音からは繰り返し「厭よ」としか返ってこなかった。
「わたしも行くわ。だめって言ったって行くわ。厭なら、殴ってでも縛ってでも置いていけばいい。もっとも、縛られたら、縄を切ってついて行くけど」
初音の膝で、紅葉は「諦めろ」と欠伸をした。
「お前、初音に口では勝てねえよ」
結局明晴が根負けし、蓮見には初音も同行することになったのだった。
1
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる