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【拾伍】
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捕えられたおりは縄をかけられ、政宗の前に引きずり出された。
長い長い尋問の末、おりは甲賀の生まれであることを白状した。おりの両手は爪が剥がされ、右手に至っては皮が引き裂かれた挙句、指先を潰されていた。おりの供述を受けた政宗が持ち物を探らせたところ、葵の紋が見つかった。主君は――、
「なにゆえかような真似を致した?」
愉快そうに政宗は問いかける。
おりは鋭い視線を浴びせたが、政宗の隻眼は、無のまま女忍びを見下ろしていた。
「私は伊達家を監視するため、五郎八姫に近付いた。五郎八姫が前夫・忠輝殿に嫁がれた頃も、あなたは幾度も怪しげな動きを繰り返しておったな。幕府はいまでも貴様を、伊達家を潰したいと願っておる。この屋敷にいる草は、私達だけではないわ」
「……そうか」政宗は、静かに隻眼を閉じた。「儂は、たわけ、か。五郎八に近づいたのも、五郎八を通じて伊達家を潰すためであったか」
「いかにも」
おりは悔しそうに唇を噛み、政宗が座る濡れ縁の、向こう――立てられた几帳を縋る様に見据えた。
「それなのに」
おりは、唇を噛みちぎった。裂けた皮の間から、ぼたりぼたりと血が零れ落ちる。
「それなのに、あの女……柊め、主を裏切りおって!! なにが、姫を殺す、よ! 牟宇姫はけろりとしているではないか!!! あの女、直前になって怖気づきおって!!」
政宗は目を細めた。
牟宇姫が倒れた時、すぐに政宗はカステーラを調べさせた。そして、毒が曼殊沙華の根であることは、早々に明らかにされていた。
実際の曼殊沙華は――それほど強い毒ではない。確かに、獣を追い払うために畑に植えることがある。しかし、牟宇姫がそうであったように、体が毒に慣れていない者であっても、数カ月寝込めば回復することがほとんどで、命までは奪われない。望まぬ子を孕んだ遊び目達が赤子を堕ろす手段として使うこともある。飢餓に備えるために、毒抜きをし、食糧に変える術もある。
地獄花と恐れられるのは曼殊沙華が持つ毒によるものではなく、むしろその妖艶な見た目ゆえ、であった。
(哀れなことよ)
政宗は、おりの申し開きをそれ以上聞かなかった。政宗は直ちにおりを晒し首にするよう命じた。
(最後に――迷ったか)
失態を犯した者の末路は、武士も忍びも呆気ない。おりが消えたところで、幕府が伊達家を咎めたてることはないだろう。
ともに過ごすうちに、情でも沸いたのだろうか。たとえ腹を痛めた我が子でなくとも、乳を与えた子でなくとも、姫と呼んだ歳月に、いつしか飲まれたのだろう。おりにせよ、すみにせよ、忍びとして見た時には、あまり有能な者達ではない。
おりが引き立てられる光景を見送ると、政宗は小姓達を下がらせた。代わりに、几帳の方に顔を向ける。
「――これで良かったか?」
几帳の向こうの人物は、何も言わない。きっとつまらなそうな顔で、新しい紅でも買いつけようか、などと考えているに違いない。
「そなたは、あの侍女を気に入っていると思うておったが」
「はい?」
几帳の向こうから、呆れたような、驚くような声が聞こえた。
「私が? 誰を? 牟宇姫のことどすか」
「いや、あの侍女のことじゃ」
「いややわ、父様ったら」
几帳の向こうで、噴き出す音が聞こえる。そのまま、鈴の音を転がすような笑い声が軽やかに響き渡った。
「あれが甲賀者か、思うほど……お粗末な子どしたわ。牟宇姫相手やったさかい騙せたのやろうけど、流石に私は騙せしまへん」
面白そうやったさかい泳がしてみたけど泳ぐこともしてくれしまへんどしたなぁ、と、声の主は衣を揺らしてころころと笑い続けた。
「……五郎八」
「何どす?」
「儂を恨んでおるか」
「はい」
几帳の向こうで、凛とした声が響いた。
「父様は、見えるか見えへんかさえ分からへん、『天下』っちゅう夢を追い求め続ける。ほんで、その見えるかさえ分からへん夢とやらのため、巻き込まれるこちらは、たまったものやあらしまへん。ほんで、それに従わなあかんのも、涙を流さなあかんのも、女達でございます。……ご存じどすか?」
「存じておる」
見えるか見えないか分からない夢――それがはっきりと見えていたのは、恐らく政宗だけであった。近習達も一門衆も、支えてくれる頼もしき存在ではあったが、同じものを見ていた者などついぞいなかった。
五郎八姫が女子であれば、政宗にしか見えなかった夢を目にしてくれたのか――と思ったが、そうとも思えなかった。
「……ずるいわぁ」
五郎八姫が几帳の向こうで声を震わせながら、喉を鳴らす。
「やけど、それもええか思うくらい、父様のお話はおもろいんどす。……たった一回の今生くらい差し上げまひょって思うくらいには」
几帳の向こうで、五郎八姫が立ち上がった。手にした扇には、雪薄の紋が描かれている。
「母様は、まだまだしばらく仙台には来られへんようどす」
「む……」
「可愛い可愛い可愛い、二の姫ももうじき嫁いでしまわれるんやろ? 他の姫達も同じく。兄上達も近くにはいぃひんようどすし……お可哀想やさかい、父様の話し相手、務めて差し上げまひょ。角田も京や江戸は少々遠いけど、仙台やったら近おすさかい」
ふと、政宗は気になっていたことを聞いてみた。
五郎八姫は、なぜ牟宇姫のことを気にかけるのだろう。確かに年が離れた妹は、娘のようにも思えるのかもしれない。しかし、五郎八姫は京で育ち、江戸にいることのほうが多い。そして牟宇姫は、仙台から出たこともないような姫である。時々会う程度でありながら、五郎八姫が牟宇姫を気に入った理由が分からなかった。
「簡単な話どす。――牟宇姫は、私のこと憐れんだことは、ただのいっぺんもなかった。それだけや」
五郎八姫は去り際、伊達家の家紋が入った扇を広げて顔を隠した。雪薄の扇の隙間から一瞬垣間見えた一の姫の顔は、かつて「独眼竜」と呼ばれた頃の自身と重なる。戦が落ち着いた時、独眼竜とは決別したつもりであった。しかし、その血は脈々と子供達に受け継がれているらしい。
(皆は、五郎八を美しいと言うが――そのような可愛らしいものではないわ)
政宗は脇息に凭れ掛かると、ふう、と息を吐いた。
(この政宗に一番似ているのはお牟宇じゃ――しかし、独眼竜に最も似ておるのは五郎八よ)
いずれにせよ、二人のいずれかが男であれば――と悔やまれる。ひとりで悶々と頭を掻き毟るには、いかんともしがたい寂寥が駆け抜ける。決別したつもりの独眼竜、それを受け継がせてしまったことを悔いるにはいささか時が流れ過ぎている。
閉ざされた瞼の向こうに縫い付けられた雪の眼差しは、たとえ夏が来ようと二度と溶けることはないのだろう――と、政宗は確信した。
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