月のまなざし

水城真以

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一、

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       ◇◆◇


 ぴちゃん、ぴちゃん……。


 その足音は、雲1つないような青空の下であっても、まるで水たまりの上を跳ねるような音がするらしい。
 違和感や恐怖を覚えても、決して振り向いてはいけない。もしも振り向いたら、その女と同じ姿になってしまうから。
 顎と額が逆向きになった、不気味な顔をした髪の長い女と―――。


       ◇◆◇


「ぎゃああああああああああああああ!!!!!!!!!」


 於泉おせんの悲鳴が屋敷に響き渡る。しがみ付かれた奇妙丸きみょうまるは、両耳を押さえながら顔を歪めた。
「若、怖いっ」
「うん、怖いな。ところでそなたの声はどこから出ておるのじゃ……?」
「もう1人で厠いけないっ! 兄上の部屋で寝る!! 怖すぎて死にそう!」
「儂の耳も死にそうじゃ……」
 幼馴染の娘をなだめながら、奇妙丸は勝九郎しょうくろうをねぎらった。
「たまには良いな、怪談も。涼しくなる。特に勝九朗、そなたは語りがうまい」
「……お褒めいただき、光栄でございます」
 勝九郎は楚々とした振る舞いで礼を言った。

 この晩、勝蔵、勝九朗、於泉の3人は、奇妙丸の部屋に遊びに来ていた。いつもと違い夜なのは、奇妙丸の暇ができる時間帯が夜しかなかったからである。於泉の乳母である初瀬は夜中に姫が出かけることをよしとしなかったが、それを見越した奇妙丸が「主命」として手紙を出してしまえば、表立って拒否はできなかった。
 夏の真っ盛り。最初は水菓子を片手に最近の話をしていた一同であったが、自然と「納涼には怪談をする」という流れに向かって行った。

「ところでその話は実話か?」
「いえ……以前、乳母に聞いた話を、適当に修正した話。少なくとも、尾張おわり美濃みのの辺りではとんと聞いたことがございませぬ」
「であろうなぁ」
「……なんで若達はみんな平気なの」
 於泉が涙目で睨んでくる。だが、なぜかと訊かれても――別に珍しくもないからだ、としか言えない。


       ◇◆◇


 永禄10年(1567年)、8月。織田軍の猛攻により、稲葉山いなばやま城が陥落した。
 信長は稲葉山城下の「井ノ口いのぐち」を「岐阜ぎふ」と改め、金華山きんかざんに四層の居館を点てると、ただちに小牧山こまきやまから一族家臣を引き連れ、移住してきた。
 濃尾平野が一望できるこの居館を、信長は大層気に入っているようだった。
 そして信長は、ここから「天下布武てんかふぶ」を掲げていくことになる。
 信長は武士を戦の専門職とし、農事閉業を罷免した。これまで戦は農閑期に限定されていたのだが、一年を通じていつでも戦うことができる体勢を整えたのだ。
 次に信長は、物資の円滑な流れに目を向けた。
 国境を亡くし、関所を廃止した。

「人々の暮らしに必要なものが豊富に出回らぬ。――おかしなことよな。商いは自由にできればよい。商いが自由に回らねば、戦もできぬ」

 信長は、戦に欠かせない武具や馬具に金がかかることを自覚していた。尾張で試みた楽市・楽座を取り入れることで商人が自由に出入りできるようにしたのである。商人が出入りできれば、人も集まる。そして、人が他国から集まるということで、多くの情報を入手しやすくもなっていた。

 そして奇妙丸はこのころから、戦場に連れて行かれることが増えた。無論、指揮を取るわけではない。戦の知恵を見て盗め、と言われていた。

 無論、当初は家臣達も嫡男を戦場に連れて行くことに異を唱える声はあった。しかし、信長は、
「安全な場所しか知らぬ将は、ろくな采配ができん」
 と一蹴した。これには、かつて自らが廃した弟への皮肉も込められていた。


       ◇◆◇


 小さな戦ではあるが、奇妙丸は死体をよく見かけた。お陰で、勝九郎が話す怪談も、身震いするもの――というよりは、ひやりと涼しい風が吹く程度、になったのである。むしろ、どこから出るのか疑問なくらい大きな於泉の悲鳴の方が怖いくらいだった。
 死体も、不自然な曲がり方をした首も、戦場では日常風景だ。いちいち怯えていたら、あの場所にいられない。息を呑んだのも最初の数刻だけで、奇妙丸は呆気なく戦場に馴染んでいた。
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