残虐王

神谷レイン

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花の名を君に

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 それから僕は赤子の元に通うようになった。

 そして城に住む鼠たちの話によれば、赤子の名前は『ローアン』と言い、誰にも見向きもされない王の末子という事だった。鼠から聞いたローアンの事情はなかなか複雑なものだった。

 ローアンの母親は旅芸人の踊り子で、王が一目惚れして後宮に招き入れた一人だという。しかし母親がローアンを産んでから、父親である王はローアンにも母親にも会うことはなかった。

 ローアンが黒髪黒目だったからだ。

 王の髪は茶髪に茶色の瞳、そしてローアンの母親も金髪に紫の瞳。となれば、『本当は王の子ではない』と言われるのも自然の流れで。
 その上、ローアンは母親が後宮に入ってから身ごもった子。つまり後宮に入った後、王以外の誰かと肌を合わせたとなれば王室の醜聞。

 母親は『王の子です!』と言ったが誰も信じなかった。

 ローアンと母親は後宮の、それこそ不便な離れに居を移され、母親は体調を崩してすぐに亡くなり、残されたローアンは乳母だけつけられて、放置されていた。
 でも全てを見てきた城住まいの鼠だけは知っている、ローアンは間違いなく王の子である事を。

『人間は我々より大きな生き物ですが、時々愚かでとてもか弱い生き物だ。真実はいつもそこにあるのに、懐疑心から信じられない』

 そう鼠は僕にぽそりと告げた。

 僕は「そうだね。でもそれが人間なのだよ」と言うしかなかった。

















 そんな事情故に、誰も世話をしないローアンの世話を僕はできる限りした。

 ローアンがお腹を空かせば、動物から乳を貰ってローアンに飲ませ、物が食べられるようになれば果物を潰して与えた。汚れたら着替えさせて、排泄物だって自らの手で処理した。生き物が食べて排泄するのは自然な事だ、だから汚いなんて思わなかった。

 けれどロクな世話もされないのに、不思議と元気なローアンを乳母は気味悪そうに見ていた。

 そして言葉を少し覚えだしたローアンは僕に話しかけるようになり、独り言を呟くローアンをますます気味悪がって、乳母はローアンに近づきもしなくなった。

 僕はこれは良くない状況だと思いつつ、まだ赤子のローアンを放ってはおけなかった。きっと僕がいなくなればローアンは死んでしまう。そう思えるほどローアンはか弱く、僕以外誰も彼を守る者がいなかった。

 僕は知っている、庇護をなくした子がどんな末路を辿るのか……。その先は残酷なものだ。

 だから僕はローアンが、もう少し大きくなるまで面倒を見ようと決めた。
 期限を決めたのは、勿論ロベルトやヨーシャと同じ道を辿らせたくなかったからだ。

 人の子は人の世界に生きるべき。だから、今だけ。今だけ傍にいるんだ。

 そう僕は愛し子の柔らかな髪を梳きながら、自分に何度も言い聞かせた。















 けれどローアンが言葉を喋るようになり、一人で動けるようになった頃。

「ローアン、そんなに遠くに行かないで」

 僕はローアンと部屋の外を散歩していた。ローアンは僕の世話もあって、すくすくと元気に育っていった。最近では駆けるようにもなって、本当、人間の成長は早い。
 でも、僕が駆けたローアンの元に追いつくと、ローアンはある場所で足を止めていた。それは建国碑の前だった。

「これ、なぁに?」

 僕を見上げてローアンは僕の服の裾をくいくいっと引っ張って言った。僕はしゃがんでローアンと同じ目線に立ち、答えた。

「これは建国碑だよ」
「けんこくひ?」
「この国が出来た時の事を忘れないように建てられたものだよ」

 僕は建国碑を見上げて言った。そこにはロベルトの名前が刻まれている。

「ふーん」

 ローアンはぼんやりと見ていたが、特に興味が惹かれた訳でもなさそうだった。それを示すようにローアンの視線はすぐに近くを舞う蝶に意識が逸れ、蝶を捕まえようと必死に飛び跳ね始めた。だが蝶は軽やかにローアンの手から逃れた。
 それでもローアンは地面を蹴ってぴょんぴょんっと飛び跳ね、その姿はまるで山猫のようだ。

 あまりに必死なものだから、僕は思わずくすくす笑ってしまい、そんな僕を見てローアンはむすぅっとした顔をした。僕はすぐに「ごめんごめん」と笑って、そっと蝶に手を伸ばし、じっと待った。すると蝶はひらひらっと僕の指先に舞い、ちょんっと僕の人指し指にとまった。

 蝶は鮮やかな羽を色っぽく誘うようにはためかせた。その姿をローアンは騒ぐことなく、じっと黒のまるまるとした瞳で見つめた。けれど、あまりに見つめ過ぎたのか、蝶はその視線に耐えられなくなったように、僕の指先からふいっと空に飛んで行った。

「ちょうちょ、飛んで行っちゃったね」
「ちょうちょ?」
「そう、あれはちょうちょ。生き物には名前があるんだよ」
「……ちょうちょ」

 ローアンは小さく呟いて、それから僕を見た。何か言いたげな顔をしている。

「どうしたんだい?」
「おまえの名前は?」

 突然の問いかけに僕は驚いてしまう。今まで、ローアンは僕に名前を尋ねる事なんてしなかったから。

「僕の名前……」

 あったけれど、忘れてしまった。なんて黒い瞳を前にして言えなかった。

「ないんだ」

 僕は笑って誤魔化した。

「おまえ、名前がないのか?」
「うん、そうなんだ」

 ロベルトにつけて貰った名前は忘れてしまったから。
 でも、ローアンはうーん、と考え込んで、ぱっと顔を上げて僕を見た。

「それなら今日からお前の名前はレスカチアだ!」

 にこにこ笑顔でローアンは僕に言った。
 その笑顔はロベルトが僕に名前をくれた時と同じ笑顔だった。

「あのきいろのお花とおんなじ名前。髪が同じ色だから」

 ローアンは黄色の花を指さして言った。
 それを聞いて僕の記憶が鮮やかに蘇る。
 それは、まだロベルトが幼い時、初めて会った頃に同じように僕に告げた言葉。

『レスカチアって言うのはどうだ? お前の名前は、あの黄色の花と同じ。髪の色が同じだから』

 ……ああ、こんなことってあるのだろうか。

 僕は気が付けばローアンを腕の中に抱き締めていた。まだ幼い体をぎゅっと力強く。

「どうした? 名前、やだった?」

 ローアンは不安そうに僕に尋ねた。

「ううん、そうじゃないよ。そうじゃないんだ」

 僕はぽろぽろと水晶の涙を零して、ローアンに告げた。

 同じ魂の匂い。

 ローアンの小さな体から香ってくるその香りは、僕の心を揺さぶった。

「嬉しくて、泣いてるんだよ。ありがとう、名前をくれて」

 僕はローアンの頬を撫でて、言った。すると、ローアンは嬉しそうに「うん」と答えて僕に抱き着いた。

 けれど、この時の僕は自分の流した水晶の涙がローアンの立場を更に危うくするなんて思いもしていなかった。






















 それからしばらく経った頃。

 いつからかローアンは怪我をして部屋に戻ってくるようになった。
 その怪我の原因をローアンは決して口にしなかった。こけた、自分でぶつけた、としか言わなかった。そんな訳がないのに。

 でも答えないローアンに無理やり問いただすのは気が引けて、僕は鼠たちにこっそりと尋ねた。そして当然のように、鼠たちは真実を知っていた。

 それが実の兄姉達からの与えられたものだと。母親が卑しい身分の者だから、という理由だけで危害を加えられている事を。
 幼い子供のすることとはいえ、人間の幼稚さと愚かさを僕は感じずにはいられなかった。

 弱い他者を虐め、暴力を振るうなど、美しさの欠片もない。

 でも今まで見向きもしなかったのに、急になぜ? と疑問にも思った。けれどその僕の疑問を答えてくれたのも鼠たちだった。

 ……全ての原因は僕の水晶の涙だった。

 あの時、ローアンは僕の水晶の涙を持ち帰り、僕がいない時、外で光に当てて眺めていたらしい。だが、それを乳母が見て、こっそりローアンから盗み出した。
 そして愚かしいことに、乳母は町一番の宝石商にその盗み出した球を売ろうとしたのだ。だが、その宝石商はそれが王族の国宝とされる神の雫だと気づき、兵を呼んで、乳母は拘束された。国宝を盗んだ罪で。

 勿論、乳母は叫んだ。

『それは末子の王子が持っていたものだ! 私は盗んでいない!』と。

 兵たちはあんなまだ幼い末子の王子がどうやって盗むのだと笑った。しかし、王族の国宝とされ、厳重に管理されている神の雫を数えてみれば、一つも減っていない。

 そこから大人たちの顔色が変わってしまった。

 本物の神の雫。なのに減っていない国宝。それを王族の、初代王と同じ、珍しい黒髪と黒い瞳を持つ王子が持っていた。
 そうなれば、大人たちがまことしやかにささやき合うのも仕方がなかった。

『末子の王子はもしや初代王と同じように神に愛されているのでは?』と。

 人間の中で、僕の水晶の涙は神の雫と呼び名を変え、初代王ロベルトが神に愛された証拠として言い伝えられているようだった。
 それを持っていたが故に、今まで見向きもされなったローアンに注目が集まり、ローアンは兄姉達に嫉妬され、虐められるようになっていたのだ。

 ……ああ、また僕のせいなのか。

 そう僕は思った。そして、ローアンに手を出す者達にも苛立ちを覚えた。
 だが僕なら、いとも簡単にローアンを守ることができるだろう。以前のように僕の力を使えばいいだけだ。けれど、僕が安易に手を出せばどうなるか。それはもう簡単に想像がつく。

 より、ローアンに対する風当たりが強くなる事。そして、ゆくゆくはロベルトと同じ運命を辿らせてしまうかもしれないという事。

 これ以上、僕のせいでもっと酷いことが起こらない為には、僕は傍観者でいるしかなかった。それが一番だと思った。

 でも僕が何もしなくても、日に日にローアンに対する虐めは酷くなっていった。
 傷が治らない内から次々へと傷を作っていき、そして兄姉達の母親さえもローアンに嫌がらせをし始めた。

 食事に虫を混入させたり、洗いに出した服をボロボロにしたり、ローアンは何もしていないのに、影で無能だの、卑しい腹から生まれたのだの、気味の悪い子だと陰口を叩いた。それは耳の痛くなるものばかりで、子供よりも大人のすることの方がよっぽど卑劣で悪質だった。
 相手はまだ十にも満たない子供だと言うのにどうしてここまでするのか。

『ローアンが何をした! あの子はまだ子供だぞッ!!』

 僕は何度でも何度でも、声を大にして叫んでやりたかった。

 綺麗な石を見つけたら僕にくれて、美しい花を摘んだら僕の髪に挿してくれて、小さな手の平は僕の手のまだ半分もない。

 守られるべき存在だと言うのに。

 僕は人間の愚かさと醜さを痛烈に感じ、また涙が出そうだった。けれど、何も出来ない僕が泣く資格なんてなかった。

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