残虐王

神谷レイン

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花の名を君に

16 赤ん坊

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 それからの僕は……もう二度と人間と関わることをしなくなった。

 大事な人は僕を置いていってしまう。その事に僕は耐えられなかった。それに僕を見える者がいなかったし、僕の興味の沸く人間がいなかった。

 人の世は欲望が渦巻き、ロベルトとノイクの守った国は、何度も頭を挿げ替えて存続していった。時が流れる間に人の信仰は薄れ、ロベルトと僕の約束が書かれた建国碑はただの飾りになっていた。

 そして唯一、残っていたヨーシャも長く生きたせいで人間から迫害を受け、捕まり、殺されそうになっていた。僕は影の精霊に助けを求められ、愚かな人々の手からヨーシャを助けた。それからいつの日かした約束を果たすことになった。

『精霊王様……どうか私を精霊にしてください。もうこの世で生きていくのは辛い』

 ヨーシャの願いは悲痛なものだった。
 人として生を受けたが、精霊と交わり、不老となった。周りの人間は彼女を置いていき、彼女の生まれた時代の者はもう誰一人いない。
 それでも彼女は長い時を生きて蓄えた知識で人の為に尽くそうとしたが、今度は恐れられ、殺されそうになった。ただ、人と違うからという理由で。ヨーシャは何もしていないのに。

 人でありながら、人と認められないヨーシャ。

 影の精霊と共にいても、どこか孤独だったのだろう。そしてヨーシャの姿はまるでロベルトに重なって見えた。ロベルトは刺されて死んだが、生きていたらヨーシャのようになっていたのかもしれない。僕はロベルトにこんな思いをさせたかもしれない、と思うと力にならずにはいられなかった。

『ヨーシャ、あの時の約束を果たそう』

 僕がそう言った時、ヨーシャのホッとした顔は忘れない。

 僕はヨーシャを精霊にした。精霊になりたいと願う者を僕は精霊にすることができるから。でももっと早くに僕がそうすべきだったのかもしれない。
 精霊になったヨーシャは嬉しそうに、ずっと共にいた影の精霊と共に真夜中の空に消えていった。
 代わりに新しい影の精霊が生まれたが、僕は古い仲間と友を失った。

 人は美しく、か弱い。人は優しくて、時折愚かで残酷。そして、もう二度と関わってはいけない存在だ。

 僕は寂しさからそう思い、孤独を抱えたまま森で過ごし、変わらない日々を送った。

 だって僕は死に方なんてわからなかったから。

 いつ、終わりが来るんだろう……。そう思いながら長い生を生きていくしかなかった。












 そうして死に方もわからずに数百年が経ち、幾度か季節が変わった頃の事だった。

 僕は木の太い枝の上に座ってブラブラと足を揺らしながら、ぼんやりと湖を眺めた。湖は相変わらずキラキラと湖面を輝かせている。
 一度、人間達が立ち入って森を荒そうとした時があって、僕は森に結界を張り、今では森に人間は入ってこれない。だからとても静かなものだ。

 あれから国がどうなっているのかはわからない。鳥たちの話では国は続いているけれど国境辺りでは小競り合いが起こっているらしい。でも僕の力がなくても何とかなっているそうだ。

 けれどそんな話の中で、ある鳥が興味深いことを教えてくれた。

『精霊王様。王宮に黒い髪と瞳を持つ、珍しい王子が生まれたのですよ』と。

 ……黒い髪と瞳。

 それはロベルトをすぐに彷彿とさせた。今までこの国では黒の目を持つ者は何人か見聞きした。けれど黒の髪と目を両方持つ者はいなかった、ロベルト以外には。

 ……一体、どんな子なんだろう。

 そう思ったけれど、僕ははっと思い返した。

 人に関わって、またあの孤独を味わうのか? 人の命は短い。長く生きたとて、ヨーシャのように苦しむだけだ。

 僕は目を伏せて、そう思い直した。

 会っても何も変わらない。誰もロベルトの代わりにはならない。

 そう思って会いに行くことを止めた。

 でも、そう思いながらも僕はもう永い時を経て、ロベルトの顔も声も、もうぼんやりとしか覚えていなかった。
 ロベルトが僕をなんて呼んでいたのかも……。

 あんなに愛していたのに、あんなに肌を重ねたのに、あんなに名前を呼んでもらったのに。もう誰も僕を名前で呼ばなくなったから、僕は忘れてしまった。

 ……思い出はまるで飴玉のようだ。

 口に含んだことは覚えているのに、どんな味だったのかも、どんな形だったのかも思い出せない。溶けて消えてしまったから。
 でも甘さを覚えているように、ロベルトを愛し、そして失った痛みだけはいつまでも消えない。

 ああ……生まれたばかりの時のように、何も知らずにいれたらよかったのに。

 僕は小さく息を吐き、まだまだ暮れない太陽に目を閉じた。

 だけど……。
 会いに行かない、そう思ったはずだった。なのに、僕は赤ん坊の元へ訪れていた。











 久しぶりに入った城は、増築や改築で随分と変わってしまっていた。

 だけど鳥に教えてもらった場所に行くと、赤子の泣き声が聞こえてきて、それは寂しそうに泣く声だった。僕は声のする方に向かい、少し開いているドアからちらりと中を覗いてみる。そこは日差しの悪い小さな部屋で、ゆりかごがぽつんっと置いてあった。
 その中から泣き声は響いていた。僕はその声に誘われるようにゆりかごの中をそっと覗いた。

 そこには、小さな、とても小さな生き物がいた。

 だけど僕が見つめると、赤子は涙をピタリと止めて、僕をまじまじと見た。黒いまんまるとした瞳で僕をじっと見たのだ。

 ……この子は僕が見えている。

 僕は思わず手を伸ばし、ちいちゃな手の甲をツンっとつついてみた。

 するとその手はもぞっと動き、僕の人差し指をぎゅっと握った。あんまりに小さな手に僕は驚いてしまったけど、そんな僕を他所に赤子は嬉しそうに微笑んだんだ。
 その時の気持ちを何といえばいいのかわからなかい。ただ、今まで干からびていた場所に潤いが戻ってきたようだった。

「君が……僕を呼んだの?」

 僕が尋ねても、赤子はにこにこしているだけで何も答えなかった。
 そして僕は昨夜の事を思い出した。








 ねぐらにしている大木の中で身体を埋めて眠っていた僕は、何かの気配を感じて目を覚ました。それは精霊の気配ではなかった。

 ……何?

 僕は眠気眼をうっすらと開け、でも目の前にいる者を見て、すぐに飛び起きた。
 その人は驚く僕を見て、くすりと笑った。その笑顔は昔と何一つ変わっていなかった。

「ロベルト!!」

 僕は彼に抱き着き、その名を呼んだ。そう、僕の元にロベルトが戻ってきたのだ。

「ロベルト! ロベルト! ロベルトッ!!」
 僕は縋りつくようにロベルトの体を抱き締めた。懐かしい匂いが、忘れていた匂いが僕の鼻をくすぐる。そしてロベルトはそんな僕の背中を優しく、宥めるように撫でてくれた。

 ……嬉しい! ロベルトが僕の元に戻ってきてくれたんだ!!

 僕はギュッとロベルトをもう離さないように強く抱きしめた。

「ロベルト、もうどこにも行かないで。僕を一人にしないで。ひとりは寂しい」

 僕は涙声でそうロベルトに告げた。
 いつものロベルトなら『わかっている。もうどこにも行かない』と言ってくれるはずだ。
 けれど、ロベルトは何も答えなかった。ただただ黙ったままで。

 どうして返事をしてくれないの?

「……ロベルト?」

 僕は体を少し離して、ロベルトを見た。
 ロベルトは僕を優しい眼差しで見つめていた。でも何も言わなかった。まるで言葉を忘れてしまったかのように。

「ロベルト、どうして」

 僕が問いかけようとするとロベルトは僕の額に軽く口告げを落とし、それから立ち上がって腕を伸ばした。その手はどこかを指していた。

「ロベルト?」

 僕はわからずに首を傾げたが、ロベルトはにっこりと笑って、どこかを指したまま僕を見た。そして、ゆっくりと口を動かした。
 そこに声は伴っていなかったけれど、僕にはロベルトがなんと言ったのかわかった。

「え? “城へ”? それってどういう意味?」

 僕はその言葉の意味を知りたくて、僕から離れたロベルトを捕まえようとした。でも僕の手は空を掻くばかりで、実体のないロベルトを捕まえる事はできなかった。
 そしてロベルトの体はどんどん薄っすらと消えていく。

「や、やだ! ロベルト! どこにも行かないで! ロベルトッ!」

 僕は必死にロベルトの体を捕まえようとするけれど、ロベルトの体は消えていくばかり。でも、そんな僕にロベルトは微笑んだまま、また口を動かした。

 その口は『待っている』と告げていた。










「……ッ!」
 ハッと目が覚めたら、僕はひとりでねぐらに横になっていた。もちろん傍にはロベルトも、誰もいない。

 ……今のは……夢?

 僕は乱れた息を整えながら頭を抱えたけれど、とてもただの夢だとは思えなかった。
 そしてすぐにある鳥が言っていたことを思い出した。

『精霊王様。王宮に黒い髪と瞳を持つ、珍しい王子が生まれたのですよ』と。

 あんなことを言われたからロベルトを思い出したのだろうか?
 そう思ったけれど、ロベルトが口にしていた言葉を思い出して、僕は胸が騒めいた。

 ……ロベルトが、城へ……待っている、と言っていた。

 僕はそれから居ても立っても居られなくなって、日の出と共に城に向かった。
 そしてこの赤ん坊を見つけたのだ。

 黒い髪、黒い瞳。ロベルトを思い出させる色。

「君の名前はなんていうのかな?」

 僕はきゃっきゃっと声を上げる赤子にそう尋ねていた。
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