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花の名を君に
14 ミゼ峠、再び
しおりを挟むそれから数日経ったある日の事だった。
僕はノイクの言葉もあって、少しは立ち直っていたけれど、やっぱりロベルトを失くした痛みはすぐには消えなくて、鬱々としながらも湖の周りに生えている木の根に腰を下ろしてぼんやりとしていた。
ロベルトは死んだのに、湖は太陽の光を受けてキラキラと輝いている。いつもと変わりのない美しい湖がそこにある。それが無性に悲しくて、ロベルトがいないのに変わらない世界に苛立ちを少し覚える。
でも、そんな僕の元に馬の蹄の音が聞こえて、視線を音の方に向ければノイクが馬に乗ってやってきた。
「レスカチア様、ここにいましたか」
ノイクは軽やかに馬から下りて言った。
「ノイク……」
僕が声をかけると、座ったままの僕の傍に近寄ってきた。そして僕を見て、ほっとした顔をした。
「お元気そう、とは言えませんが、前よりは顔色が良いようで安心しました」
ノイクはそう言ったけれど、ノイクは前よりも顔色が悪くなっているようだった。とても疲れている顔をしていた。
「ノイク……大丈夫?」
僕の目の前に膝を折り、僕を見るノイクの頬に手を伸ばして尋ねた。
目の下には隈ができ、血色も良くない。少し痩せたように見えた。でも、ノイクは僕に微笑んで「大丈夫ですよ」と答えた。
そして僕をじっと見ると、窺うように尋ねた。
「レスカチア様、お顔に触れても?」
ノイクは躊躇いながらも僕に聞き、僕はこくりと頷いた。
「うん、いいよ」
そう答えたけれど、内心僕は少し不思議だった。
どうしたんだろう?
僕はそう思いながらもノイクを見つめると、ノイクは躊躇いがちに「失礼します」と言って僕の頬に手を伸ばした。
ロベルトとは違う温かな人の手。
ノイクの手は恐る恐ると言った様子で僕の頬を撫でた。黒の瞳が僕を見つめる。
だから、僕はずっと思っていたことをノイクに聞く事にした。
「ねぇノイク。僕ね、ずっと聞きたかったことがあるんだ」
そう僕の言葉にノイクの手が動揺を表したようにぴくりと動く。でも顔には出さず僕に問い返した。
「なんでしょう?」
ノイクは何気ない顔をして僕に言った。でも僕はノイクの瞳をじっと見て、僕は尋ねた。。
「僕の姿、本当はハッキリ見えているんでしょう?」
ノイクは一瞬、僕の問いかけに驚いた顔を見せつつも小さく答えた。
「……はい」
その言葉はやっぱり肯定だった。なぜ、ノイクは嘘をついたのだろうか?
それは僕の純粋な疑問だった。
「ノイク、どうして嘘ついたの?」
僕が問いかけるとノイクは僕の頬から手を離し、正直に答えてくれた。
「最初はハッキリ見えないと言った方がいいと思ったのです。あの頃は見えることが良くない事だと思っていましたから。でも言ってもいいのだと気が付いた時には言い出しにくくて……それにロベルト様には言わない方がいいと思ったのですよ」
ノイクはくすりと笑って僕に言った。
「ロベルトに?」
どうしてだろう? ロベルトも同じ見える目を持っていた。ノイクが見えたからと言ってロベルトは差別しなかっただろうに。
そう思ったけれど、ノイクの答えは意外なものだった。
「もしも私がハッキリ見えると言えば、ロベルト様はレスカチア様を隠されてしまわれたでしょうから」
思いもよらない答えに僕は首を傾げた。
「僕を?どうして?」
「レスカチア様はお美しいですから。きっとそのお姿を誰にも見せたくない、とロベルト様は思われたと思います」
ノイクは苦笑しながら僕に言い、僕をじっと見つめた。
「金色の美しい髪、新緑の瞳、その上声までお美しくいられる。私でさえ、レスカチア様の姿を誰にも見せたくないと思うほどです」
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「レスカチア様……。私もロベルト様同様、この目があってよかったと今なら思えます。子供の頃は自分のこの目を恨んだこともありました。抉り取ろうと思った事も。でも、この目を持ち、ロベルト様と貴方に会えてよかった」
ノイクは別れを告げるように僕に言った。
どうしてこんなことを言うのか。
「ノイク?」
僕が問いかけるとノイクはきゅっと僕の手を握り、そして顔を上げた。
「すみません、突然。でもどうしてもあなたに伝えたくて」
ノイクははぐらかすように笑って言った。
「うん……」
僕が戸惑いながらも答えると、ノイクは少し申し訳なさそうに微笑み、その手を離した。
でも黒の瞳を見ていると、ノイクはまだ何か言いたそうだった。
「ノイク?」
僕が尋ねるとノイクは思いを隠すように「なんでしょう?」と笑って答えた。たぶん、言わないつもりなのだろう。
「……ううん、何でもない」
僕はそう答えて、無理には聞かなかった。でも僕は無理やりにでも、この時ノイクに聞いておけばよかったんだ。
僕はまた過ちを犯すところだった。
雲行きが怪しいある日。
なんだか僕は妙な胸騒ぎがした。いや、正確に言うと嫌な気配を感じた。それは大地が穢れていく気配。これはロベルトがミゼ峠で戦っていた時にも感じた気配だった。
「……どうして」
ぽつりと呟いた僕の元に鳥が囁いて教えてくれた。
『ミゼ峠で人間達が争っています』と。
どうして。……僕がいるから他国は侵略しなくなったとロベルトは言っていたのに。
そう思ったけれど、僕はノイクが言っていたことを思い出した。
『……ロベルト様は常々、言っておられました。王を退き、普通に暮らしたいと。けれど、貴方の……神の力を宿した王が退けば、他国に侮られ、侵略を許してしまう可能性がある。そうなればまた戦いになり、この森もただでは済まないかもしれない。そうロベルト様は考えて、ロベルト様は他国の牽制の為に王座に就かれたままだったのです』
そうノイクは言った。
では聖王と呼ばれたロベルトが亡き今は?
神の力はロベルトだけが使えた。しかしロベルトが亡くなった今、他国はこの国を守るものはないと考え、侵略し始めたのだろう。そう容易に考えついた。
そしてノイクがこの前、何かを言いたそうにしていた事を思い出す。
ノイクは優しい子だ。そしてロベルトの意志を継いでいる。だからこそ争いがある事をわかっていて、僕に何も言えなかったのだろう。僕の力を借りることを躊躇ったのだ。
僕は正直、人間が争おうがどうでもいい。それでどれだけの人間が死のうとも。
でもノイクは別だ。ロベルトを失くした今、ノイクまで亡くすことは嫌だった。ノイクは大事な友だったから。
僕は居ても立っても居られなくなり、すぐにミゼ峠に向かった。
そこには多くの人間が争って怒号が飛び交い、砂埃が立っていた。何体もの屍が血を流して倒れ、それでも尚、人々は剣と盾を持って戦っている。
血生臭い腐臭に僕は顔を顰めた。しかし、そこにはノイクの姿もあった。
それはあの時のロベルトのようだった。
「ノイクッ!」
僕は思わず叫び、その声はノイクに届いた。けれど僕の声に気が逸れてしまったノイクに剣先が迫る。ノイクは辛うじてよけたが、それでも相手の剣先はノイクの右顔を滑った。
その姿に僕は息を飲み、すぐに力を使った。
風を呼び、よろめきしゃがんだノイクを殺そうとする相手を突風で吹き飛ばしたのだ。
相手は驚いたが人外の力に成す術もなく、背中から壁に強く叩きつけられてどさりと地面に落ちた。
突然の出来事にその場で戦っていた者達の動きが一斉に止まる。
その間に僕はノイクの元に駆けより、その肩に手を置く。
「ノイクッ!」
声をかけてノイクを見れば、右顔の頬から額に掛けて一直線の切り傷が入っていた。頬から血が溢れ、切られた瞳からも涙のように血が溢れ出ている。
僕はその痛々しい姿にひゅっと息を飲んだ。
なんでノイクが傷つけられなきゃいけない。こんな痛そうな傷を。なんでっ!
そう思った悲しい思いは、僕の中ですぐにふつふつと怒りに変わっていった。
……どうしてノイクに傷をつけた。……許さない、ロベルトが大事にしていた子を、よくも!
僕の怒りは冷気となって周囲を凍らせ始める。地面はパキパキと音を立てて凍り、怯む相手の足先を捕らえて、冷気が這い上がるように体も凍らせていく。瞬間的に凍らされた者達はその場を動くことができなくなり、恐れ、叫びながら僕の冷気に包まれ凍死していく。
敵味方なく誰もが呆然とし、僕の力に怯えた顔を見せた。でもそんな僕を引き留めたのはノイクだった。
「お止めください!」
ノイクは僕の手を引いて言った。ノイクを見ると、血を流しながらも残った左目で懇願するように僕を見つめた。
「……ノイク?」
「貴方の力はこのような事に使われるべきではありません。ロベルト様もこんなこと、望んではいません」
ノイクは僕を説得するように告げた。
その言葉を聞いて、僕はやはりそうなんだ、と改めて思った。
ノイクが僕に助けを求めなかったのは、この力を使わせない為。ロベルトの意志を継いでの事だったのだと。
だけど僕はノイクの頭を優しく撫でた。
「ノイク。僕の事を案じてくれてありがとう。でもね、僕だって力になりたいんだ」
「しかし!」
躊躇うノイクに僕は告げた。
「ロベルトは僕の力に報いる為にこの国を良くしようとしてくれた。なら、僕もロベルトの気持ちに報いたい。ロベルトが守ろうとしたこの国を、あの森を守ろうとしてくれた気持ちを」
僕が言うとノイクは困ったように微笑み、それから覚悟を決めた顔でその場に立ち上がった。
「ノイク! 立って大丈夫なの?!」
心配する僕を後ろにして、ノイクは「大丈夫ですよ」と振り返って微笑むと、堂々とその場に立った。そして今まで聞いたことのない威厳のある声で叫んだ。
「ロベルト様が亡くなられても神は我々と共にある。もしこれ以上の侵略をするならば、お前達は神の更なる怒りを買うだろう!」
その声はミゼ峠全体に反響し、敵も味方もノイクをただただ見つめた。
そしてノイクは僕に向き直り、視線で合図をした。その瞳を見て、僕は強烈な一陣の風を相手に見舞った。
それは僕がノイクに味方をしている証。
相手は見えない力に慄き、まさに尻尾を巻いて逃げて行った。ミゼ峠に残ったのは、ノイクとその味方、あとは死体だけだった。
味方達は相手が逃げていくのを歓声を上げて喜び、ノイクはほっと一息を吐いた。
でも、僕がここにいられたのはそこまで。
死と血の匂いがするここに僕はいられなかった。それに力を少々使いすぎてしまった。
「ノイク、僕は疲れたから帰るね。ちゃんと傷を治すんだよ……」
僕はそれだけを言って、その場から消えた。
それから以前と同じように、僕はこの世とは別の空間にある大木のねぐらでぐっすりと眠って、起きたのは力を使って一週間後の事だった。
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