残虐王

神谷レイン

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花の名を君に

1 出会い

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 生まれたのは森の中だった。
 時期は春で、花々が綺麗に咲き、太陽の光は柔らかだった。
 けれど僕には親もなく、名前もなく、自分が何者なのかもわかっていなかった。

 いや、きっとこの時の僕は何者でもなかったんだ。




 生まれてから数日が過ぎた、ある晴れた昼。
 僕はあてどなく歩いて見つけた湖で、パシャパシャと水浴びをしていた。
 朝晩は冷え込むけど、日中は暑いくらい。だから僕は水しぶきを上げて泳ぎ、湖で遊んでいた。だって湖の水は冷たくて、とっても気持ちが良い。

 それに湖の水は透き通るほど綺麗で、水を通って太陽の光がキラキラと揺らめくのも好き。色んな生き物が泳いでいて面白いし。
 僕は湖に潜って、魚の真似をしてゆらゆらと泳いでみるけどうまく行かない。

 面白くなくなって、ぷはっと湖面から顔を出した。
 僕は動物がする呼吸って言うのが必要ないから、随分と長い事潜っていたみたい。体が冷えちゃった。

 ……どこかで日向ぼっこでもしようかなぁ。

 そんな事を思っていた時だった。

「……っ!」

 息を飲む音がして僕が視線を向けると、湖の縁に一人の人間が立っているのが見えた。

 僕は人間を見るのは初めてだったけれど、森に住む動物達が教えてくれた人間と言う生き物だとわかって慌てて湖の中に潜った。
 だって、森の動物達は人間は自分勝手で野蛮で残忍な生き物だと言っていたから。見たらすぐに逃げて下さい、と言われていたことを思い出したんだ。

 だから僕は湖の中に潜ったんだけど、好奇心から揺れる湖面の向こうに見える人間を見つめた。
 人間は驚いた顔で覗くようにこちらを見ている。向こうからは僕の事がみえないはずなのに。

 それにしても、みんなが言っていた人間より小さいなぁ。小さい人間なのかなぁ?

 僕はそんな風に思った。後からわかったんだけど、人間は人間でも、僕の前に現れたのは人間の子供だった。
 でも僕は気が付かなくて、潜っていたら寒さに体がぶるっと震えた。

 ……温かいお日様の光を浴びたいなぁ。岩場の影からこっそり上がったら大丈夫かな?

 僕は湖底をすいすいっと泳いで、人間のいた場所からは見えない岩場の影からこっそりと頭を上げた。きょろきょろっと周りを見て、誰もいない事を確認する。

 よし、誰もいない。

 僕はそう思って、湖から上がった。でも、よいしょ、と上がった途端、木の陰からにゅっと伸びてきた僕より小さい手がむきゅっと僕の腕を掴んだ。

「ぴゃっ!」

 驚いて声を上げれば、そこにはさっきの人間がいた。どうやら先回りされていたみたいだ。
 その人間は黒い毛に黒い瞳をして、僕みたいに裸じゃなくて何かを纏っていた。後で知ったんだけど、服ってやつだ。
 でも人間は僕をじろじろとみて、驚いた顔のまま呟いた。

「*******?」

 何を言ったのかはわからない。僕は人の言葉はわからないし、そもそも言葉を持たない。動物達との会話は意志を繋げるだけだから。
 僕は何を言われたのかわからなくて、きょとんっと首を傾げた。
 でもそんな僕をまじまじと見て、人間はまたぽつりと何かを呟いた。

「****」

 何を言っているんだろう?

 僕はそう思ったけれど、人間は僕に次々と話しかけてくる。

「****? *****、******?」

 だけど、僕はわからない。人間は僕が言葉が理解していないとわかると、むっと眉間に皺を寄せた。
 怒ってるのかなぁ。人間、怖いな。と思いかけたけど、人間ははっとした表情を見せると自分が羽織っていた薄手の上着を僕に掛けてくれた。
 僕は少し寒かったから、薄手の上着をかけて貰えて嬉しかった。暖かさに、自然と微笑む。

 うわぁ、あったかぁい。へへ。

 人間は、そんな僕を少し驚いた顔をしてみた後、くすりと僕に笑いかけた。

「******?」

 何かを問いかけてくる。でもその声はさっきみたいに僕を問い詰めるものじゃなくて、ゆったりとしていた。
 でも勿論、僕にはわからない。僕がまた首を傾げると、人間は仕方ないな、って感じに笑って僕を見た。そこには怒りも悪意も何もなかった。

 ……なんだ、みんなが言うほど人間は悪い生き物じゃないじゃないか。

 僕はたったこれだけのやり取りで、単純にもそう思った。

「ロベルト」

 人間は自分を指さしてそう言った。僕は何のことだかわからなくて人間をじっと見た。でも人間はもう一度自分を指さして「ロベルト」と言った。

 真似しろって事なのかなぁ?

 僕はそう思って、人間の真似をして言ってみる。

「ろヴぇりゅと?」

 うまく真似できない。そうすると、もう一度人間は訂正するように「ロベルト」と言った。

「ろべりゅと」

 僕が言うと人間は仕方がない、と言った様子で苦笑したけど、こくりと頷いた。
 そこで僕はようやく気が付いた。『ロベルト』と言う言葉がこの人間の名前なのだと。

「ろべりゅと!」

 もう一度、僕が名前を呼ぶと彼は嬉しそうに笑った。
 その顔があんまり嬉しそうだから、僕はついつい見とれてしまった。

 それが、十歳になったばかりのロベルトと僕の初めての出会いだった。

 この時の出会いが僕の運命を変えたなんて、この時の僕はちっとも気が付いていなかった。そしてロベルトの運命も世界の運命も。















「レスカチア!」

 湖の縁で素足をちゃぽちゃぽ遊ばせていた僕は、名前を呼ばれて顔を上げる。
 森の奥から馬に乗ったロベルトがやってきた。

「ロベルト!」

 僕は立ち上がって、ロベルトに駆け寄った。ロベルトも傍まで来ると、馬から下り、僕を見下ろした。ロベルトはこの数年で、会った時の面影を残しつつも立派な青年に成長していた。

 会った時は僕の方が大きかったのに、今ではロベルトの方が大きい。肩も広くなって、手もごつごつしてる。僕の手はやわっこくて、細いままなのに。
 でもそれも仕方ない。僕とロベルトが出会ったのは八年前。

 ロベルトは今年、十八歳になった。人間の世界じゃ、大人って言うんだって。

 僕はロベルトとここで会うようになって言葉を教えて貰った。今ではロベルトの言う事の意味が全部わかる。人間の文字だって読めるようになった。
 でも言葉が通じ合うようになって、ロベルトは僕が人じゃない事に気が付いた。

 最初は戸惑ったようだった。でもロベルトはその事がわかっていても、僕に会いに来てくれる。僕はそれが嬉しかった。
 動物達や他の精霊には『人間は危険です。関りに合わない方が御身の為です』と散々言われた。けれど、僕はロベルトに会いたかった。
 だってロベルトと話したり一緒にいるのがとっても楽しかったんだ。
 だから今日もこの湖で落ち合う約束をしていた。




「ロベルト、こんにちは。ジーナも」

 僕はロベルトの愛雌馬のジーナにも挨拶をする。ジーナは睫毛が長くて、お目目がぱっちりとした可愛らしい馬だ。
 ジーナはヒヒンッと控えめに鳴き、僕に挨拶をした。相変わらず、品のある馬だ。
 そしてその主であるロベルトも僕に挨拶をした。

「レスカチア、元気にしてたか?」

 ロベルトは笑って僕に尋ねた。

「元気だよ。ロベルトは?」
「見ての通りだ」

 ロベルトはそう答えた。いつの間にか低くなった声で。
 以前の高い声も好きだけど、僕はこの声を聞くのが好きだった。この声で名前を呼ばれるのも。

 そうそう、名前と言えば! ロベルトが僕に名前をくれたんだ。名前がないと不便だからって、春に咲く黄色の花と同じ『レスカチア』って名前。

 僕はこの名前をすごく気に入っている。そして、ロベルトは時々僕を『レスカ』って短く呼ぶんだ。この呼び方もすごく好き。

「今日はお前に土産を持ってきた」
「えー、何々?!」

 僕は目を輝かせて尋ねた。ロベルトは背負っていた肩掛け鞄から、布に包んだものを取り出した。甘い匂いがふんわりと香る。
 ロベルトは布を捲って中身を見せてくれた。

 そこには焼き菓子がはいっていた。

「うわー! お菓子だ!」
「お前は甘いものが好きだろう? 母が作ったのでな、少し貰ってきた」

 ロベルトは笑って僕に言った。
 ロベルトは時々こうして僕に人間の食べ物を持って来てくれる。僕にとって人間の食べ物は毒だ。でも元気な時に、少しなら食べても平気。
 それに甘いお菓子は美味しい。

 だからロベルトは時々、こうして持って来てくれる。僕にとって人間の食べ物があまり良くないと知っているから、いっぱいは持ってこないけど。

「ありがとう、ロベルト!」

 僕がお礼を言うと、ロベルトは嬉しそうに笑った。
 それから僕達は並んで一緒に焼き菓子を頬張る。

 そしてロベルトと湖の魚釣りをしたり、森の果実をもいだり、ロベルトが持ってきた小説を朗読して貰ったり。そんな他愛のない時間が、僕は大好きだった。
 平和で、穏やかで。

 僕はこんな時間がずっと続くと思っていた。僕は本気で思っていたんだ。



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