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6 本当のこと
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「アキラッ!」
声が聞こえ、その後ドゴォッと人を蹴りつける音と「ぐああっ!」と男が叫んだ声が同時に聞こえた。
のしかかっていた重みがふっと消え、驚いて彰が振り返れば、そこには蘇芳が立っていた。
「す、おぅ?!」
「大丈夫か?!」
蘇芳は彰に近寄り、その体を支え起こした。でも彰はここに蘇芳がいるなんて夢のようで、ぱちくりと蘇芳の顔を眺めるしかなかった。
「す、蘇芳……刺されたって」
「そんな事より、怪我は?」
「お、俺は大丈夫だけど。蘇芳は?」
「御覧の通り、ピンピンしてるぞ」
そう言われ、目の前にいる蘇芳が元気な事に彰は心からホッとした。だがその間にぞろぞろと鬼崎や二名の警察官が部屋に入ってきて、伸びている男を取り押さえた。
……警官? それに仁にぃも?? なんでここに?
不思議に思っていると鬼崎に声をかけられた。
「彰、大丈夫か?」
「仁にぃ。仁にぃまでどうしてここに?」
「まあ、それは色々と事情があるんだが」
鬼崎が言いかけると、おもむろに蘇芳が立ちあがった。
「蘇芳?」
彰が呼びかけても蘇芳は何も言わず、なんだか怒っているようだった。そしてそんな蘇芳を見て、鬼崎はやれやれという顔をした。
……どうしたんだ?
彰が思っていると、蘇芳は男を連行しようとした警官二人を呼び止め、気を失い警官に担がれている男の頬を叩いて、起こした。
男は何度か叩かれて目を覚まし、気が付いた男は目の前にいる蘇芳に「ひっ」と声を上げた。それもそうだろう、目の前に自分よりずっと上位のαが立っていて、なおかつそれが先程自分を蹴り飛ばした人物であれば。
だが蘇芳は容赦なく男の胸倉を掴み上げ、はっきりと宣言した。
「いいか、はっきりと告げておく。あいつは……彰は俺のΩだ、二度と俺の番に手を出すな! もう一度こんなことをしてみろ、生きてることを後悔することになるぞ」
間近で凄まれて、男は「ひぇっ」と悲鳴にも近い声を上げた。でもそんな男の胸倉から手を離し、蘇芳は二人の警官に「連れていってください」と頼んだ。
ストーカー男の何とも呆気ない幕引きだった。
「ストーカー規制法違反に不法侵入、脅迫に傷害罪、強姦未遂……その上蘇芳への殺人未遂。罪状は一杯つきそうだな、あの男」
「当たり前だ。それだけの事をしてきたんだからな」
鬼崎と蘇芳の会話を聞いて、彰は二人がこの状況を全て把握しているように思えた。だから尋ねていた。
「一体どういうこと?」
彰の問いかけに二人は顔を見合わせ、そして鬼崎が言った。
「蘇芳、もう犯人は捕まったんだからちゃんと教えてやれよ。ストーカーから守る為に監禁してたんだって」
「え……?」
鬼崎に言われ驚く彰が視線を向けると、蘇芳はくしゃっと頭を掻いた。
それから彰はダイニングテーブルの席に着き、向かいに鬼崎、隣に蘇芳が座った。
そして二人が彰に教えた話はこうだった。
以前からストーカーの存在を認知していながらも、何の対策も講じていなかった彰。しかしストーカーの危険性を感じていた蘇芳は鬼崎に相談し、彰の安全を図るために監禁と称して一時部屋に閉じ込めて保護することにした。
なぜならこの時、彰はすでに蘇芳と発情期を一度過ごしていたからだ。
今までは誰の手も借りずに一人で発情期を乗り越えていた彰。そんな手垢も付いていなかった彰に発情期を共に過ごした男が現れたとなってはストーカーが過激になるのは目に見えていた。
案の定、発情期に蘇芳と過ごした彰に対するストーカー行為は日に日に増し、彰の見えないところで護衛がつけられ、送られてきた手紙や贈り物は事前にチェックが入り、捨てられていた。
彰の手に渡ったあの一通の手紙は、その手をすり抜けて彰に届いてしまった一通に過ぎなかったというわけだ。
そして再び発情期がくる一カ月前に蘇芳は彰を連れ去り、部屋に監禁した。もし発情期中にストーカーに捕まり、万が一にでも項を噛まれてしまえば強制的に番が成立してしまうから。
全ては彰の為だったのだ。
その後はさきほど起こった通り。彰の居場所を突き止めたストーカーは蘇芳を金で雇った男に襲わせ、その間にここへ来て彰と番おうとした。発情誘発剤を使って無理やりに。
「そうだったんだ。……でも俺、蘇芳が刺されたってニュースを見たけど、あれは? 誤報って事?」
「ああ、それは蘇芳が気を回したんだよ」
尋ねた彰に鬼崎は蘇芳を指さして答えた。
蘇芳は脅迫状を送ってきたストーカーが何か仕掛けてくると考え、日ごろから用心していたらしい。おかげで、傷一つなくあっさりと自分を襲ってきた男を倒した。
だが襲われた蘇芳はストーカーを炙り出すにはちょうどいい機会だと機転を利かして、ニセ情報を流した。そうすればストーカーが無防備な彰の元へ行くのは自然な流れだからだ。
そして蘇芳達は家の前で鍵を開けられずにいる犯人を捕まえるだけの予定だった。
ただひとつ誤算だったのは、犯人が何重にもかけていた最新式の鍵を執念で開けてしまったことだった。そういう所は腐ってもαだったのだろう。
しかし幸いにも蘇芳が鬼崎と共に警官を連れて駆け付けた時、玄関先でストーカーと彰が喋っている最中で。ストーカーが周りをすっかり見失った瞬間に蘇芳が背後から見事な一撃を与えたという訳だ。
「あの男、鍵屋になった方が今後の人生うまくいくかもな」
鬼崎は説明を終えてしみじみと言い、全てを聞き終わった彰は全てに納得がいった。
どうしてここに監禁されたのか、それを兄にも近い存在の鬼崎が許したのか。どうして理由を話してもらえなかったのかも。
「俺が、ちゃんとしてなかったからだったんだ」
彰がしゅんっと肩を落として呟くと、鬼崎は元気づける様に声をかけた。
「まあ、そう落ち込むなって。今回は悪質なストーカーだったってだけだろ?」
「でも俺が最初から気を付けていれば……迷惑かけて、ごめんなさい」
いつもの彰は影を潜め、小さな弱弱しい声で謝った。襲われ、自分の注意のなさで周りを巻き込んでしまった事が余程堪えたのだろう。
でも、そんな彰の頭をポンっと大きな手が撫でた。
「蘇芳?」
彰が顔を上げて名を呼ぶと、蘇芳が困ったように笑っていた。
「お前がそんなんじゃ、調子が狂う。……確かにお前が注意不足だったのは事実だ。でもな、悪いのはお前じゃない。罪を犯したあの男だ、だからお前が謝る必要なんてない」
優しい声で慰められて彰はうっと感情が、涙がこみあがってくる。
そしてあの時、もしも蘇芳が助けに来てくれなかったら、蘇芳に保護されていなかったらどうなっていただろう? と考える。答えは、どれも最悪の結末だ。
「蘇芳だって、いつもと違う。……でも、ありがとぉ」
彰はとうとうぽろぽろっと涙を流しながらお礼を言った。そんな彰を蘇芳は隣からぎゅっと抱き寄せて、慰めた。蘇芳の大きな手にぽんぽんっと背中を撫でられ、彰はみっともなく泣くしかなかった。
そしてそんな彰を見て、鬼崎はやれやれと頬杖を突いた。
「ま、とりあえずこれで一件落着だな」
こうして彰の監禁、もといストーカー事件は終えたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
それから鬼崎は仕事が残っているからと事務所に帰り、彰は泣き疲れてベッドで眠ってしまっていた。
だが夕方頃になって彰はふっと目を覚まし、パチパチと目を瞬かせた。
たくさん泣いたせいで瞼が重い。
……ちょっと腫れたかも。
彰はこしこしっと目を少しだけ擦って、それから周りを見た。寝室に蘇芳の姿がない。
「リビング、かな?」
彰は小さく呟き、喉の渇きも感じながらベッドを降りてリビングに繋がるドアを開けた。
「起きたのか」
蘇芳はスーツを脱ぎ、ネクタイも外して、首元を開けたシャツ姿でキッチンに立っていた。何か料理を作っているようだが何を作っているのかわからない。でも、いい匂いがする。
くんくんっと嗅ぐと、彰は蘇芳に手招かれた。なんだろう? と思えば、蘇芳は小皿に汁をよそい、彰に差し出す。時折、料理中に蘇芳がさせてくれる味見だ。
「ほら、飲んでみろ」
「ん」
彰は小皿を受け取って、くいっと汁を飲んだ。口当たりが柔らかい出汁に、うっすらと効いてる醤油。そしてふんわりとした卵の味が胃に優しい。汁の正体は卵のかき玉汁だった。
「おいしい」
「そうか」
ほっと息を吐くように言えば、蘇芳はふっと笑った。その優しい笑みに彰の胸がドキッと高鳴る。
そして脳裏に浮かぶのは、ストーカーに項を噛まれそうになった時の事。
『こんなことになるんなら、意地なんか張らないで俺からお願いすればよかった』
そう心が正直に叫んだ事。だから彰は目の前を本人して、顔をカァッと赤らめた。
「どうした?」
蘇芳に尋ねられて彰はハッとし、小皿をキッチンに置いた。
「な、なんでもない。あ、あのさ。本当に今回は俺の事、助けてくれてありがとう。いや……ありがとうございました」
彰が頭をしっかり下げてお礼を言うと、蘇芳は火を止めて腰に手を当てた。
「どういたしまして……と言いたいところだが、俺がなんの見返りもなくお前を助けたと思ってるのか?」
「え?」
思わぬ返しに彰は下げていた頭を上げて蘇芳を見上げた。するとくいっと顎を捉えられた。
「助けたお礼、言葉だけで済むと思ってるのか?」
「え? あ、いや……でも、俺がお前に返せるものなんて。あ、金か?」
「バカ、そうじゃない」
蘇芳にバカと言われて彰は反射的にむっとする。
「じゃあ、なんだよ。俺がお前に何のお礼」
そこまで言った時、蘇芳は彰の項をするりと撫でた。今はチョーカーを着けておらず、そこは守るものが何もない。
「不用心だな。……なぁ彰、お前が俺に唯一与えられるものがあるだろ?」
「なっ」
今まで呼ばなかった名前を耳元で囁かれ彰はビクッと体を震わせた。そして同時に思い出す、蘇芳がストーカーに告げた時のことを。
『いいか、はっきりと告げておく。あいつは……彰は俺のΩだ、二度と俺の番に手を出すな』
そうはっきり言ったのを。
「あっ、うっ、あ」
鮮明に思い出してしまった彰は嬉しさと恥ずかしさが胸いっぱいに広がり、蘇芳を見上げたまま、ぶわっと真っ赤に染まった顔で言葉にならない言葉を発した。
でもそんな彰を見て、蘇芳は今まで見たことない、くしゃっとした素の笑顔を見せた。
「なんだ、その顔は。ははっ」
……それはこっちのセリフだぁーーッ! そ、そんな笑顔を今見せるなんて。ズルい、ズルいぞッ!
彰はそう思うけれど、するっともう一度項を撫でられて「んっ」と声を上げた。
「な、彰。どうなんだ?」
そっと顔を寄せられ、間近で問いかけられたら、もうダメだった。αの匂い、いや蘇芳にささくれていたはずの心が溶かされてしまった。
「わ、わかったよ。俺の項……やる」
色っぽさも何もないが、彰にとってこれが精いっぱいの答えだった。でもそれは蘇芳にとって十分な答えだったようで、嬉しそうに瞳を細めた。
「そうか。それは光栄だ」
眩しいほどの笑顔に彰はまたドキッと胸が高鳴る。だからぎゅっと胸を押さえて、目を逸らした。
「で、でも、俺のだけだぞ。他の人のは絶対噛んじゃ駄目だ。……浮気したら、金玉蹴るからな」
「そりゃ怖いな。でもお前も知ってるだろ? 俺はΩ嫌いのαだ」
蘇芳はそう言うと彰を抱き寄せて、ぎゅっと腕の中に閉じ込めた。
αの匂いに、逞しい体にすっぽりと抱き締められ、なによりそれが蘇芳である安心感に彰はほぅっと息を吐いた。
「彰を一生大事にする。約束する」
誓うように言われ、頭のてっぺんにキスされてたら彰は胸がいっぱいになって、自らむぎゅっと蘇芳の胸に顔を摺り寄せ、ぎゅうっと蘇芳を抱き締めた。
「ん、俺もお前のメシ、ずっと食べたい」
その思わぬ返しに蘇芳はまた声を出して笑った。
「ははっ、そのセリフ。まるで俺がお前のところに嫁に行くみたいだな」
蘇芳に言われて彰はハッとして、自分の言ったセリフが古臭いプロポーズの言い回しだという事に気が付いた。だから言い直そうかと思ったが、でも……。
「嫁でも婿でも何でもいい、俺の傍にずっといて。……俺はお前の番、なんだろ?」
それが彰の答えだった。でも正面を見て言えないから、蘇芳の胸に顔を押しつけて言ったのだが、蘇芳はそっと彰の顔に手を添えて顔を上に向かせた。
そこには頬を真っ赤に染めた彰の顔。その顔に蘇芳は笑みを零した。
「ああ、彰は俺の大事な番だ」
蘇芳はそう告げると、そっと彰にキスをした。
それは今までしてきたどんなキスよりも甘くて、優しくて、嬉しいキスだった。
声が聞こえ、その後ドゴォッと人を蹴りつける音と「ぐああっ!」と男が叫んだ声が同時に聞こえた。
のしかかっていた重みがふっと消え、驚いて彰が振り返れば、そこには蘇芳が立っていた。
「す、おぅ?!」
「大丈夫か?!」
蘇芳は彰に近寄り、その体を支え起こした。でも彰はここに蘇芳がいるなんて夢のようで、ぱちくりと蘇芳の顔を眺めるしかなかった。
「す、蘇芳……刺されたって」
「そんな事より、怪我は?」
「お、俺は大丈夫だけど。蘇芳は?」
「御覧の通り、ピンピンしてるぞ」
そう言われ、目の前にいる蘇芳が元気な事に彰は心からホッとした。だがその間にぞろぞろと鬼崎や二名の警察官が部屋に入ってきて、伸びている男を取り押さえた。
……警官? それに仁にぃも?? なんでここに?
不思議に思っていると鬼崎に声をかけられた。
「彰、大丈夫か?」
「仁にぃ。仁にぃまでどうしてここに?」
「まあ、それは色々と事情があるんだが」
鬼崎が言いかけると、おもむろに蘇芳が立ちあがった。
「蘇芳?」
彰が呼びかけても蘇芳は何も言わず、なんだか怒っているようだった。そしてそんな蘇芳を見て、鬼崎はやれやれという顔をした。
……どうしたんだ?
彰が思っていると、蘇芳は男を連行しようとした警官二人を呼び止め、気を失い警官に担がれている男の頬を叩いて、起こした。
男は何度か叩かれて目を覚まし、気が付いた男は目の前にいる蘇芳に「ひっ」と声を上げた。それもそうだろう、目の前に自分よりずっと上位のαが立っていて、なおかつそれが先程自分を蹴り飛ばした人物であれば。
だが蘇芳は容赦なく男の胸倉を掴み上げ、はっきりと宣言した。
「いいか、はっきりと告げておく。あいつは……彰は俺のΩだ、二度と俺の番に手を出すな! もう一度こんなことをしてみろ、生きてることを後悔することになるぞ」
間近で凄まれて、男は「ひぇっ」と悲鳴にも近い声を上げた。でもそんな男の胸倉から手を離し、蘇芳は二人の警官に「連れていってください」と頼んだ。
ストーカー男の何とも呆気ない幕引きだった。
「ストーカー規制法違反に不法侵入、脅迫に傷害罪、強姦未遂……その上蘇芳への殺人未遂。罪状は一杯つきそうだな、あの男」
「当たり前だ。それだけの事をしてきたんだからな」
鬼崎と蘇芳の会話を聞いて、彰は二人がこの状況を全て把握しているように思えた。だから尋ねていた。
「一体どういうこと?」
彰の問いかけに二人は顔を見合わせ、そして鬼崎が言った。
「蘇芳、もう犯人は捕まったんだからちゃんと教えてやれよ。ストーカーから守る為に監禁してたんだって」
「え……?」
鬼崎に言われ驚く彰が視線を向けると、蘇芳はくしゃっと頭を掻いた。
それから彰はダイニングテーブルの席に着き、向かいに鬼崎、隣に蘇芳が座った。
そして二人が彰に教えた話はこうだった。
以前からストーカーの存在を認知していながらも、何の対策も講じていなかった彰。しかしストーカーの危険性を感じていた蘇芳は鬼崎に相談し、彰の安全を図るために監禁と称して一時部屋に閉じ込めて保護することにした。
なぜならこの時、彰はすでに蘇芳と発情期を一度過ごしていたからだ。
今までは誰の手も借りずに一人で発情期を乗り越えていた彰。そんな手垢も付いていなかった彰に発情期を共に過ごした男が現れたとなってはストーカーが過激になるのは目に見えていた。
案の定、発情期に蘇芳と過ごした彰に対するストーカー行為は日に日に増し、彰の見えないところで護衛がつけられ、送られてきた手紙や贈り物は事前にチェックが入り、捨てられていた。
彰の手に渡ったあの一通の手紙は、その手をすり抜けて彰に届いてしまった一通に過ぎなかったというわけだ。
そして再び発情期がくる一カ月前に蘇芳は彰を連れ去り、部屋に監禁した。もし発情期中にストーカーに捕まり、万が一にでも項を噛まれてしまえば強制的に番が成立してしまうから。
全ては彰の為だったのだ。
その後はさきほど起こった通り。彰の居場所を突き止めたストーカーは蘇芳を金で雇った男に襲わせ、その間にここへ来て彰と番おうとした。発情誘発剤を使って無理やりに。
「そうだったんだ。……でも俺、蘇芳が刺されたってニュースを見たけど、あれは? 誤報って事?」
「ああ、それは蘇芳が気を回したんだよ」
尋ねた彰に鬼崎は蘇芳を指さして答えた。
蘇芳は脅迫状を送ってきたストーカーが何か仕掛けてくると考え、日ごろから用心していたらしい。おかげで、傷一つなくあっさりと自分を襲ってきた男を倒した。
だが襲われた蘇芳はストーカーを炙り出すにはちょうどいい機会だと機転を利かして、ニセ情報を流した。そうすればストーカーが無防備な彰の元へ行くのは自然な流れだからだ。
そして蘇芳達は家の前で鍵を開けられずにいる犯人を捕まえるだけの予定だった。
ただひとつ誤算だったのは、犯人が何重にもかけていた最新式の鍵を執念で開けてしまったことだった。そういう所は腐ってもαだったのだろう。
しかし幸いにも蘇芳が鬼崎と共に警官を連れて駆け付けた時、玄関先でストーカーと彰が喋っている最中で。ストーカーが周りをすっかり見失った瞬間に蘇芳が背後から見事な一撃を与えたという訳だ。
「あの男、鍵屋になった方が今後の人生うまくいくかもな」
鬼崎は説明を終えてしみじみと言い、全てを聞き終わった彰は全てに納得がいった。
どうしてここに監禁されたのか、それを兄にも近い存在の鬼崎が許したのか。どうして理由を話してもらえなかったのかも。
「俺が、ちゃんとしてなかったからだったんだ」
彰がしゅんっと肩を落として呟くと、鬼崎は元気づける様に声をかけた。
「まあ、そう落ち込むなって。今回は悪質なストーカーだったってだけだろ?」
「でも俺が最初から気を付けていれば……迷惑かけて、ごめんなさい」
いつもの彰は影を潜め、小さな弱弱しい声で謝った。襲われ、自分の注意のなさで周りを巻き込んでしまった事が余程堪えたのだろう。
でも、そんな彰の頭をポンっと大きな手が撫でた。
「蘇芳?」
彰が顔を上げて名を呼ぶと、蘇芳が困ったように笑っていた。
「お前がそんなんじゃ、調子が狂う。……確かにお前が注意不足だったのは事実だ。でもな、悪いのはお前じゃない。罪を犯したあの男だ、だからお前が謝る必要なんてない」
優しい声で慰められて彰はうっと感情が、涙がこみあがってくる。
そしてあの時、もしも蘇芳が助けに来てくれなかったら、蘇芳に保護されていなかったらどうなっていただろう? と考える。答えは、どれも最悪の結末だ。
「蘇芳だって、いつもと違う。……でも、ありがとぉ」
彰はとうとうぽろぽろっと涙を流しながらお礼を言った。そんな彰を蘇芳は隣からぎゅっと抱き寄せて、慰めた。蘇芳の大きな手にぽんぽんっと背中を撫でられ、彰はみっともなく泣くしかなかった。
そしてそんな彰を見て、鬼崎はやれやれと頬杖を突いた。
「ま、とりあえずこれで一件落着だな」
こうして彰の監禁、もといストーカー事件は終えたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
それから鬼崎は仕事が残っているからと事務所に帰り、彰は泣き疲れてベッドで眠ってしまっていた。
だが夕方頃になって彰はふっと目を覚まし、パチパチと目を瞬かせた。
たくさん泣いたせいで瞼が重い。
……ちょっと腫れたかも。
彰はこしこしっと目を少しだけ擦って、それから周りを見た。寝室に蘇芳の姿がない。
「リビング、かな?」
彰は小さく呟き、喉の渇きも感じながらベッドを降りてリビングに繋がるドアを開けた。
「起きたのか」
蘇芳はスーツを脱ぎ、ネクタイも外して、首元を開けたシャツ姿でキッチンに立っていた。何か料理を作っているようだが何を作っているのかわからない。でも、いい匂いがする。
くんくんっと嗅ぐと、彰は蘇芳に手招かれた。なんだろう? と思えば、蘇芳は小皿に汁をよそい、彰に差し出す。時折、料理中に蘇芳がさせてくれる味見だ。
「ほら、飲んでみろ」
「ん」
彰は小皿を受け取って、くいっと汁を飲んだ。口当たりが柔らかい出汁に、うっすらと効いてる醤油。そしてふんわりとした卵の味が胃に優しい。汁の正体は卵のかき玉汁だった。
「おいしい」
「そうか」
ほっと息を吐くように言えば、蘇芳はふっと笑った。その優しい笑みに彰の胸がドキッと高鳴る。
そして脳裏に浮かぶのは、ストーカーに項を噛まれそうになった時の事。
『こんなことになるんなら、意地なんか張らないで俺からお願いすればよかった』
そう心が正直に叫んだ事。だから彰は目の前を本人して、顔をカァッと赤らめた。
「どうした?」
蘇芳に尋ねられて彰はハッとし、小皿をキッチンに置いた。
「な、なんでもない。あ、あのさ。本当に今回は俺の事、助けてくれてありがとう。いや……ありがとうございました」
彰が頭をしっかり下げてお礼を言うと、蘇芳は火を止めて腰に手を当てた。
「どういたしまして……と言いたいところだが、俺がなんの見返りもなくお前を助けたと思ってるのか?」
「え?」
思わぬ返しに彰は下げていた頭を上げて蘇芳を見上げた。するとくいっと顎を捉えられた。
「助けたお礼、言葉だけで済むと思ってるのか?」
「え? あ、いや……でも、俺がお前に返せるものなんて。あ、金か?」
「バカ、そうじゃない」
蘇芳にバカと言われて彰は反射的にむっとする。
「じゃあ、なんだよ。俺がお前に何のお礼」
そこまで言った時、蘇芳は彰の項をするりと撫でた。今はチョーカーを着けておらず、そこは守るものが何もない。
「不用心だな。……なぁ彰、お前が俺に唯一与えられるものがあるだろ?」
「なっ」
今まで呼ばなかった名前を耳元で囁かれ彰はビクッと体を震わせた。そして同時に思い出す、蘇芳がストーカーに告げた時のことを。
『いいか、はっきりと告げておく。あいつは……彰は俺のΩだ、二度と俺の番に手を出すな』
そうはっきり言ったのを。
「あっ、うっ、あ」
鮮明に思い出してしまった彰は嬉しさと恥ずかしさが胸いっぱいに広がり、蘇芳を見上げたまま、ぶわっと真っ赤に染まった顔で言葉にならない言葉を発した。
でもそんな彰を見て、蘇芳は今まで見たことない、くしゃっとした素の笑顔を見せた。
「なんだ、その顔は。ははっ」
……それはこっちのセリフだぁーーッ! そ、そんな笑顔を今見せるなんて。ズルい、ズルいぞッ!
彰はそう思うけれど、するっともう一度項を撫でられて「んっ」と声を上げた。
「な、彰。どうなんだ?」
そっと顔を寄せられ、間近で問いかけられたら、もうダメだった。αの匂い、いや蘇芳にささくれていたはずの心が溶かされてしまった。
「わ、わかったよ。俺の項……やる」
色っぽさも何もないが、彰にとってこれが精いっぱいの答えだった。でもそれは蘇芳にとって十分な答えだったようで、嬉しそうに瞳を細めた。
「そうか。それは光栄だ」
眩しいほどの笑顔に彰はまたドキッと胸が高鳴る。だからぎゅっと胸を押さえて、目を逸らした。
「で、でも、俺のだけだぞ。他の人のは絶対噛んじゃ駄目だ。……浮気したら、金玉蹴るからな」
「そりゃ怖いな。でもお前も知ってるだろ? 俺はΩ嫌いのαだ」
蘇芳はそう言うと彰を抱き寄せて、ぎゅっと腕の中に閉じ込めた。
αの匂いに、逞しい体にすっぽりと抱き締められ、なによりそれが蘇芳である安心感に彰はほぅっと息を吐いた。
「彰を一生大事にする。約束する」
誓うように言われ、頭のてっぺんにキスされてたら彰は胸がいっぱいになって、自らむぎゅっと蘇芳の胸に顔を摺り寄せ、ぎゅうっと蘇芳を抱き締めた。
「ん、俺もお前のメシ、ずっと食べたい」
その思わぬ返しに蘇芳はまた声を出して笑った。
「ははっ、そのセリフ。まるで俺がお前のところに嫁に行くみたいだな」
蘇芳に言われて彰はハッとして、自分の言ったセリフが古臭いプロポーズの言い回しだという事に気が付いた。だから言い直そうかと思ったが、でも……。
「嫁でも婿でも何でもいい、俺の傍にずっといて。……俺はお前の番、なんだろ?」
それが彰の答えだった。でも正面を見て言えないから、蘇芳の胸に顔を押しつけて言ったのだが、蘇芳はそっと彰の顔に手を添えて顔を上に向かせた。
そこには頬を真っ赤に染めた彰の顔。その顔に蘇芳は笑みを零した。
「ああ、彰は俺の大事な番だ」
蘇芳はそう告げると、そっと彰にキスをした。
それは今までしてきたどんなキスよりも甘くて、優しくて、嬉しいキスだった。
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