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殿下、どうしましょう?
6 パンケーキと涙
しおりを挟む「ほわぁぁぁ、いいにおーい!!」
フェニは目をキラキラさせて言った。そしてレオナルド殿下と言えば、小鍋で作ったある物をテーブルの上に置いた。それは何かというと。
「さあ、できたよ。野いちごのジャムだ」
その小鍋の中には赤く、つやつやと輝く野いちごのジャムがあった。甘酸っぱい香りが部屋いっぱいに広がる。そしてテーブルに置かれた四つの皿の上には、これまたレオナルド殿下が作ってくれたパンケーキが乗っていて、レオナルド殿下はそれぞれに出来立ての野いちごジャムをかけてくれた。
「れお! ふぇにのいっぱいのっけて!!」
「はいはい」
フェニの要望にレオナルド殿下は答え、フェニのお皿にはジャムをたっぷりと乗せた。それからレオナルド殿下は俺の隣の席に着いた。
「では、いただこうか」
その掛け声に俺の目の前に座っていたフェニが声を上げた。
「いただきまぁーす!」
フェニはそう言うと誰よりも先にフォークを手にしてパンケーキに食らいつこうとする。そんなフェニにレオナルド殿下は声をかけた。
「フェニ、ジャムは熱いから気を付けて食べなさい」
「はぁーい!」
レオナルド殿下が注意して言えばフェニは元気よく返事をして、ふぅーふぅーっ!と冷ますように息をかけるとそのままぱくっとジャム付きのパンケーキを一口食べる。するとすぐにフェニの瞳がまたキラキラと輝いた。
「んぅーーっ! おいちーー!」
堪らず、と言った様子で呟くと、フェニは二口、三口と、どんどん食べていく。それを見て、フェニの隣に座っているジークさんもフォークを片手にパンケーキに手を伸ばし、ぱくりっと食べた。
「ん、うまいな。……フェニから聞いてはいたが、料理もできるとは。やるな、第三王子」
「なに、大したことないさ」
レオナルド殿下はそう言いつつ、自分で作ったパンケーキを口に運ぶ。でも、パンケーキを見つめるだけの俺にレオナルド殿下は「セス?」と呼びかける。だから俺はハッとして慌ててフォークを手にした。
「あ、おいしそうだなぁって見つめちゃいました」
俺はそう誤魔化して、パンケーキを一口食べた。甘酸っぱいジャムとふわふわのパンケーキが美味しい。
「レオ、おいしいです」
「良かった……セス、口の端にジャムがついてる」
「え、どこ?」
「ここ」
レオナルド殿下はそう言うと俺の唇の端をペロッと舐めた。あまりに突然の事に俺は驚いて目を丸くする。でもすぐに目の前にジークさんとフェニがいる事を思い出し、俺は顔を赤くしてわなわなと口を震わせた。
「なななっ、レオ!」
「ん、我ながらうまくできたジャムだ」
……うまくできたジャムだ、じゃなーい!!
俺はそう思ったが、目の前に座っていたフェニがわざと口の端にジャムをつけてジークさんを見た。
「ジーク、んっ!」
まるで取ってと言わんばかりだ。しかしジークさんは隠すこともなく面倒くさそうな顔をして、ピシャリと断った。
「自分で取れ」
「がーん!」
フェニはショックを受けていたがジークさんのドライな対応はいつもの事なのか、口を尖らせながらも自分の指で舐めとっていた。しかしフェニに真似された俺は余計に恥ずかしく、じろりとレオナルド殿下を見つめる。だが、俺の視線なんて何のその。
レオナルド殿下は「どうしたの?」と笑顔で聞いてきた。
……もぉ、レオのキス魔っ!
俺は恥ずかしさのあまり心の中だけで怒った。
◇◇
――――それからパンケーキをたらふく食べたフェニはお昼寝タイムに入り、ソファに座る俺に抱っこされながらすよすよと幸せそうに眠っていた。
「すっかり眠ってしまったな」
「色々と疲れたのかもしれません」
レオナルド殿下は俺の隣に座って言い、俺が返答するとジークさんは俺達が座るソファの斜め前にテーブルの椅子を持ってきて、一人座った。
「今回は悪かったな。まさかフェニが飛び出すとは思わなくて」
「いえ、大丈夫ですよ……というか、俺は何にもできなかったですけど。ほとんどレオが手を回してくれて」
俺は答えながら、何もフェニの力になってあげれなかった事にちょっと落ち込む。
……俺、慰めるしかできなかったな。
俺はフェニのしょんぼりが移ったみたいに、肩を少し落とす。でもそんな俺を励ますように隣に座るレオナルド殿下が否定した。
「セス、そんな事はないよ」
「ううん、そんなことあります。俺、傍にしかいられなかった……涙を拭いてあげる事しか。フェニが守護者に選んでくれたのに全然ダメで」
……やっぱり俺じゃなくてレオの方が守護者に向いていたんじゃないだろうか。俺じゃ、何の力にもなれなかったし。
そう思ったが、傍で聞いていたジークさんがフハッと軽く笑った。
「ジークさん?」
「セスは何か大きな勘違いをしているみたいだな。守護者が何なのか」
「勘違い?」
何を? と俺は首を傾げた。そうすればジークさんは俺を見て答えた。
「俺達不死鳥はこの身から生まれる奇跡ゆえに、魔物にも人にも狙われやすい。故に、生来より人一倍警戒心が強い」
ジークさんに言われて俺はフェニが生まれたばかりの頃を思い出した。あの頃は誰にも懐かず、俺だけにぴったりとくっついていた。
……確かに警戒心は強かったような。今ではレオとも仲良しだけど、最初は険悪だったし。
「だからこそ守護者は心の拠り所なんだ」
「心の……拠り所?」
「そうだ。俺達が同族以外で安心できる場所と言ってもいい。セスはこいつが泣いたと言ったな?」
「そうだけど」
「俺達は涙を狙われる。治癒効果のある涙は俺達が魔力を込めなければ、他の者と同じただの涙と変わりない。魔力を込めたものは粒になるが、それを多くの者は知らないんだ。それゆえに本能的に同族以外の前では普通の涙も出せないようになっている」
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「セスの前だけでは泣けるという事だ。逆にセスがいなければ一滴も泣けない、という意味でもある」
「一滴も?」
……一滴も泣けないなんて。それは悲しい時も辛い時も、嬉しい時も、感情を表に出せないってことなの?
俺は腕の中で眠る小さなフェニを見つめる。
……大きくなったら成長と共に泣くことも少なくなると思う。でもこんな小さい頃から泣けないなんて、それはきっと辛い。
「だから心の拠り所なんだ。安心して泣ける相手、それが守護者だ。……勿論、生まれたばかりの身を守ってくれる者、という意味もあるが」
「安心して泣ける相手」
……俺はフェニにとってそうであるんだろうか。もし、そうならいいな。
俺はすやすやと眠るフェニの頬を撫でる。しかし、ハッとある事を思い出した。
「でも、それならジークさんは」
……ジークさんの守護者はもう亡くなっている筈。
俺が心配の眼差しを向けるとジークさんは笑って見せた。
「俺は大丈夫だ。それに今はこいつがいる」
ジークさんはフェニを見て言った。そしてそれはフェニも同じだろう。だから俺はホッとする。
「そっか、よかった」
俺が思わず呟くとジークさんはフフッと笑った。
「全く、どうしてフェニがセスを選んだのかわかる気がする」
「私も同感だ」
ジークさんの言葉にレオナルド殿下も納得するように呟いた。でも、俺だけはやっぱりわからなかった。
―――それから日が暮れ始めようとしている夕方。
俺とレオナルド殿下は王城に戻ることになった。その頃には寝ていたフェニも起きて、山小屋の外でジークさんと俺達を見送ってくれた。
「じゃあフェニ。俺とレオは城に戻るけど、これからもジークさんの言うことをちゃんと聞いて暮らすんだよ? あと、ちゃんとよく食べて、よく眠って、運動して、歯も磨くんだよ?」
「はぁい!」
俺が告げるとフェニは元気よく答えた。これならきっと大丈夫だろう。
「だがフェニ。帰ってきたい時にはいつでも城に帰ってきなさい。今度は一人でなく、ジークと共に」
俺の隣でレオナルド殿下が言えば、フェニは嬉しそうに笑って「うん!」と答えた。そしてその返答を聞いたレオナルド殿下はジークさんに視線を向ける。
「ジーク、これからもフェニを頼む」
「ああ、勿論だ。フェニが俺の言うことをちゃんと聞けれたらな」
ジークさんが少し意地悪く言えばフェニは頬をぷっくりと膨らませた。
「ふぇに、これからちゃんといい子にするもん!」
「期待してるよ」
ジークさんはくすりと笑って答えた。
「ジークさん、フェニのことよろしくお願いします。もし城へ来ることがあれば、今度はフェニと一緒に」
「人のいる所はあまり好きじゃないが……まあ、気が向いたらな」
「はい」
ジークさんはハッキリとは答えなかった。ジークさんは分かっているからだろう、不死鳥である自分達が人のいる所に行く事は危険が多い事だと。それが警備の整った王城であっても。
だから俺も強くは勧めなかった。
「ではセス、そろそろ戻ろうか」
レオナルド殿下は俺にそう告げた。
だから俺は「はい」と答えて、それからフェニに別れを告げる。
「フェニ、じゃあまたね」
俺はフェニの小さな身体をぎゅーっと抱き締めて言う。そして、そっと離れればフェニはニコニコしながら俺に言った。
「んふふっ。ふぇにね、えちゅにぎゅーってされるの好き」
「ふふっ、俺もフェニをぎゅーってするの好きだよ。だからフェニが望むなら何度だってしてあげるよ」
「うん、また会った時にしてね! あとね、また一緒にぴくにっくもしようね!」
「そうだね。今度はジークさんも一緒に」
「うん。あとね、あとね。フェニがえちゅぐらい大きくなってもしようね!」
フェニが何気なく言うから俺はある事を思い出して、胸が切なくなる。だから曖昧な返答しかできなかった。
「……ああ、そうだね」
「えちゅ?」
俺の曖昧な返事にフェニは少し怪訝な顔をしたが、俺に問いかける前にジークさんがフェニを呼んだ。
「フェニ、二人を引き止めたら帰れないだろう。そろそろこっちに来い」
ジークさんに声をかけられ、フェニは「はぁーい」と素直に答えて俺達から離れる。
「ではセス、行こうか」
レオナルド殿下は俺の腰に手を添えて言った。
「はい。じゃあね」
「二人とも、また」
俺達が言うとフェニは「またねー!」と答え、ジークさんは「ああ」と短く呟いた。そしてレオナルド殿下の転移魔術が発動し、辺りは光に包まれ、俺達は王城の自室へと戻る事となった。
―――――だが見送ったフェニとジークと言えば。
フェニは二人が消えた場所をいつまでも寂しげに見つめ、そんなフェニにジークは声をかけた。
「泣いてもいいんだぞ」
ジークが言えばフェニはぐっと涙を堪え、首を横に振った。
「ふぇに、なかない。ふぇに、早くおおきくなるんだもん。大きくなって、えちゅにいろいろしてあげるんだもん」
「……そうか」
ジークはそう小さく呟いて、フェニの頭をぽんっと優しく撫でた。
「頑張れよ」
そうジークは励ました。ある事実を知りながらも――――。
◇◇
――――そしてフェニが泣かない一方。レオナルド殿下と共に王城の自室へ戻ってきた俺はというと。
「セス」
夕闇の光が満ちる部屋の中、レオナルド殿下が心配げに俺に声をかけた。なぜなら、俺がはらはらと涙を零していたからだ。
「セス、泣かないで」
レオナルド殿下は片手で俺の頬にそっと触れ、親指で俺の目元を拭った。けれど、俺の涙は止まらない。
俺は思い出していたからだ、アレク殿下から少し前に聞いた話を……。
『――フェニは約五百年の命を持つ不死鳥だ。故に成長が緩やかで、フェニはしばらくはまだあの幼子の姿のままだろう。……恐らく大人の姿に成長するにはあと百年の月日がいるはずだ』
そうアレク殿下は新たな文献を見つけて、俺達に教えてくれた。
フェニが俺と同じくらい成長するにはあと百年の月日がいるという事を。
……けれど、その頃には俺達はきっとフェニの傍に、この世にいないだろう。
そう思うとずっと未来の事なのに、残していくフェニの事を想って涙がどんどん溢れてしまう。
だって大きくなったフェニと俺達はピクニックができないから。
……きっとフェニは俺達がいないことに悲しむだろう。ジークさんに会えなくて泣いていた時のように。でも俺達は何もできないんだ。
そう思うと胸が痛くて、痛くて、俺は涙が止まらない。はらりはらりっと涙が落ちていく。
「セス」
もう一度名前を呼ばれて俺はようやく顔を上げる。そして涙を拭ってくれる手に自分の手を添えた。
「レオ、俺達……フェニにできるだけたくさんの事をしてあげましょうね。あの子が未来で泣かないように」
俺が告げればレオナルド殿下は「ああ」と短く答えると、俺を抱き締めた。まるで俺の悲しみを慰めるように。
だからその優しさに俺はまた涙が出そうになる。でもぐっと堪えて、俺は逞しい胸に寄りかかりながら小さな声で囁いた。
「ありがとう、レオ」
俺がお礼を言えば、レオナルド殿下は返事の代わりにぽんぽんっと俺の背中を撫でてくれる。その言葉のない優しさに俺の悲しみは溶かされていくようだった。
そうしてしばらく俺の涙が落ち着くまでレオナルド殿下は俺をずっと抱き締め続けてくれた。
夕日がすっかり夜に落ちるまで―――――。
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