殿下、俺でいいんですか!?

神谷レイン

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閑話

従者ノーベンの回想 後編

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「――ふふ、人生とはわからないものですね」

 厨房で貰ったお茶のセットと焼き菓子の乗ったカートを押しながらノーベンはひとり廊下を歩き、過去を思い出してくすっと微笑んだ。

 ……出会った時とは随分と変わりましたからね。でも私は昔より今の殿下の方が。

 だが、そんな事を考えている内にノーベンは執務室の前に着いていた。なのでドアをノックしようと手を上げたが……なにやら中から話し声が聞こえてくる。

『ちょ、レオナルド殿下! どこに手を入れてるんですか!』
『どこって、ここだけど?』
『ひゃっ! も、駄目です!!』
『どうして? セスは私に触れられるのは嫌かい?』
『そういう訳じゃないけど。って、あっ、もっ、だめっ』

 色めいた会話が聞こえてきて、ノーベンは「はぁーっ」と大きなため息を吐くと今度は「すぅーっ」と息を飲みこんだ。そして、呆れ顔でドアをノックをし、少し大きな声を出す。

「レオナルド殿下、ノーベンですっ。戻って参りました!」

 ハッキリと言えば、中からドタバタと慌てる音が聞こえ、少し待ったのちにノーベンは「入りますよ」と声をかけてからドアノブを回した。

 そうすれば執務室にはムスッとした顔のレオナルドと、ほんのりと頬が赤く、恥ずかしそうにしているセスがいた。

「ああ、セス君。来ていたのですね」

 ノーベンは知らないふりをして尋ねた。そうすればセスは「あ、はい」と素直に答えた。しかしレオナルドは不服そうな顔をしてノーベンを見た。

「もう少し時間をかけて戻ってきてもよかったのだが?」
「おや、これでも遅くなってしまったと思いましたが? それより殿下、戻ってくるまで仕事を続けていてくださいとお願いしたはずですが、書類が変わっていないようですね? 一体、何をしていらっしゃったのか」

 微笑んで言えば、レオナルドではなくセスの方がギクリと肩を揺らした。

「あ、ノーベンさん。すみません、俺が急に尋ねてきたからっ」
「いいえ、セス君は悪くありませんよ。この方はおさぼり常習犯ですから」
「ノーベン、それでは私が全く仕事をしていないみたいではないか」
「おや、人が見ていないとすぐに望遠鏡を覗いているのはどなたですかな?」

 ノーベンが告げるとレオナルドはぐっと口を閉じた。しかし、セスは不思議そうな顔をして尋ねる。

「望遠鏡? レオナルド殿下、鳥でも観察してるのですか?」
「まあ、そんなところかな」

 レオナルドは笑顔を張り付けて誤魔化した。

 ……薬科室で働いているセス君をここから覗いているなんて、それは口が裂けても言えませんよね。しかも仕事をさぼりつつ。

 けれど、レオナルドが人の倍以上働いているのは事実なので、ノーベンは一応フォローを入れておいた。

「まあ、レオナルド殿下は人の数倍働いていらっしゃいますからさぼっていても、おつりがくるぐらいなんですけれどね」

 ノーベンが言えば、セスは尊敬の眼差しをレオナルドに向ける。その眼差しにまんざらでもなさそうなレオナルド殿下。そんな二人のやり取りにノーベンは内心くすりと笑う。

 ……やれやれ一体どこをどうなったら、こんなに面白くなったのか。

 そう思いつつもノーベンは気になっていたことを尋ねた。

「ところでセス君。レオナルド殿下に何か御用でも?」
「あ、はい。レオナルド殿下、連日お仕事で大変そうだから疲れが取れる回復薬を持ってきたんです」

 セスはそう言うとポケットから小さな小瓶を二つ、取り出した。

「いらないかも、って思ったけど。俺にできるのはこんな事しかないから」
「セス……十分すぎるよ。ありがとう」

 レオナルドがお礼を言うと、セスはえへへっと嬉しそうに笑った。

 ……レオナルド殿下はセス君の言葉だけで充分回復したようですがね。

 二人のやり取りを見て、ノーベンは思う。だが、セスは小瓶の一つをレオナルドに渡すと、それからもう一つをノーベンへと差し出した。

「え、私にも……ですか?」

 まさか自分にも貰えるとは思っていなかったノーベンは少し驚いた。しかしそんなノーベンにセスは笑みを向ける。

「ノーベンさんも連日お疲れかなっと思って」

 遠慮しがちに手渡され、ノーベンは笑みを零す。

 ……この優しさが、きっとレオナルド殿下を変えたんでしょうね。

 そう思いながら。

「ありがとうございます。大事に頂きますね」

 ノーベンがお礼を言って受け取るとセスはにこっと笑った。その後ろではレオナルドが嫉妬深い視線を向けてくるが、ノーベンは見なかったことにした。

「じゃあ、俺はそろそろ行きますね」
「セス、もう行ってしまうのかい?」
「俺がいたら休憩の邪魔になっちゃうから」
「そんなことはない!」

 レオナルドはすぐさま否定したが、セスは首を横に振った。

「いいえ、ちゃんと休んでください」

 セスが説得するとレオナルドは寂し気な顔をしつつも「わかったよ」と受け入れた。でも、レオナルドがあんまりにもしょんぼりとするので、ノーベンはやれやれと思いつつ声をかけた。

「そうですよ。しっかり休んで、仕事を終わらせて今日はセス君と一緒に夕食を頂いてください」

 ノーベンが告げるとレオナルドは「いいのか?」と尋ねてきた。なので、ノーベンはこくりと頷く。

 ……今日ぐらいは仕事を早く切り上げてもいいでしょう。連日遅くまで勤めていてくれていますからね。

「今日は夕食を一緒にできそうなんですか?」

 セスが嬉しそうに問いかけるとレオナルドは「ああ、そのようだ」と笑って答えた。

「じゃあ俺、待ってますね」
「ああ、今日は一緒に夕食をとろう」
「はい!」

 セスがにこにこと笑うとレオナルドも笑みを零した。さっきまでしょんぼりしていた姿はどこへやら、だ。

「じゃあ、俺は戻りますね。俺も早く仕事を終わらせるように頑張ってきます!」

 セスは両手をぐっと握って言った。どうやらセスも仕事の合間にやって来たようだ。そしてドアへと向かうセスにノーベンは声をかけた。

「セス君、ありがとう」

 お礼を言うとセスは「いいえ」と微笑み、それから出て行く際、レオナルドに振り返った。

「レオナルド殿下もお仕事、頑張ってくださいね」

 それだけを言い残し、ドアはパタンっと閉められた。そして残ったレオナルドと言えば。

「ノーベン、休憩はなしだ。仕事をする」

 セスの一言で、完全にヤル気スイッチが入っていた。

 ……ものの数十分前までやる気なかったのに。セス君は本当にすごいですね。

 ノーベンは改めてセスの存在の大きさを痛感させられた。だが。

「駄目ですよ。休憩はちゃんと取って貰います、休憩も仕事の内ですよ」
「……さっきは仕事をしろと言ったくせに」

 レオナルドはぶつくさ言うが、ノーベンはしれっとした顔でお茶を入れ始める。だが、それ以上レオナルドが何かをいう事はなかった。お茶を淹れている間、セスから貰った小瓶を嬉しそうに眺めていたからだ。

 その姿は、好きな人からの贈り物に喜ぶただの男。

 だからノーベンは思わずと笑ってしまう。

「なんだ?」
「いえ、随分と昔とは変わられたな、と思いまして」

 ノーベンはティーカップに淹れたお茶をレオナルドの前に差し出した。だが、ノーベンの言葉にレオナルドはピンっと来ていないようだった。 

「そうか? 別段、変わってはいないだろう」
「いいえ、変わられましたよ。昔よりずっと人間味のある方になられました」

 ノーベンが率直に言えば、レオナルドは眉をひそめた。

「なんだ。それでは私がまるで無感情な人間だったみたいじゃないか」

 レオナルドは少しむすっとした顔で言ったが、ノーベンは微笑むだけで何も答えなかった。まるで『そうだったでしょう?』と無言で伝えるように。

 そして思い当たる節がないわけでもないレオナルドは居心地悪そうな顔でノーベンの淹れたお茶をこくりと飲んだ。
 そんなレオナルドを見てノーベンは心底思った。

 ……本当、随分と変わられましたよ。でも今の方がずっといいですよ、レオナルド殿下。

 ノーベンは自分より若い主人に微笑ましく思ったのだった。



 ◇◇



 ―――だがその頃、薬科室へ戻る為、廊下を歩いていたセスは少し前に何気なく話したレオナルドとの会話を思い出していた。
 それは夜、寝る前の二人っきりのひと時の事。

「……レオ。レオはノーベンさんとどれくらい付き合いが長いんですか?」

 レオナルドに抱きかかえられながら横になっていたセスが突然問いかけた。

「ん? 急にどうしたの?」
「いや、そういえば出会った時にはもうレオの傍にはノーベンさんがいたなって思い出して」
「ノーベンは私が十五の時から従者をしているからね」
「そうなんだ。長い付き合いなんですね」
「まぁね。ノーベンじゃなかったら、こんなにも続かなかったと思うよ」
「信頼があるんですね」

 セスが言うと、レオナルドは少し考えた顔をした。

「レオ?」
「いや。確かにそうだな、と改めて思ってね。出会った頃は口うるさくて、厄介な存在だと思っていたし。私達は仕事上の関係で、ノーベンの事は有能な従者だとは思っていたが……いつの間にか私はノーベンを信頼していたんだな」

 レオナルドは改めて気がついたようで、しみじみと呟いた。そんなレオナルドにセスはふふっと笑う。

「あんなに仲良しなのに、今気がついたんですか? レオってちょっと鈍感」

 そう言われてレオナルドは思わずじぃっとセスを見つめる。でも、鈍感なセスはレオナルドの目の訴えに気づかない。

「ん? なに?」
「……いや」
「でも、レオが有能っていうぐらいだからノーベンさんってよっぽどすごいんですね」
「ああ、ノーベンは有能だ。だが、恐ろしいのはノーベンがまだ本気じゃないと言う所だよ」
「本気じゃない?」

『どういう意味ですか?』とセスが目で問いかければ、レオナルドはふぅっと息を吐いた。

「その昔、ノーベンがあんまりにできるのに学歴書がパッとしなくてね。尋ねた事があるんだ。『これほどできるのなら学院でも優秀な成績を修められただろう。なぜいつも五番手止まりなんだ?』と。そうしたら、ノーベンは」

『一番なんて面倒くさいから嫌ですよ。やりたくもない役回りを押しつけられますし、二番手三番手の妬みや嫉みのいい対象です。そんなのはやりたい人がやればいい。私は平々凡々穏やかに暮らしていたいので、それぐらいでちょうどいいのです』

 レオナルドの脳裏に飄々とした様子で答えるノーベンが思い出される。

「そう答えたんだ。ついでに『じゃあ、今はどれくらいの力で仕事をしている?』と尋ねたら……」

『そうですね、六割ぐらいですかね。大体、仕事に毎回全力を尽くしてたら疲れ果ててしまいますよ』

「と答えられてね。言っている事は真っ当だが、さすがの私も驚いてしまったよ」
「……六割。でもノーベンさんがしてる仕事って」

 ……レオの従者ってことだから、六割の力で出来るような内容じゃないはず。

「私の関わる仕事は国策が主だ。むろん、私の従者もそれに関わってくる。だから仕事ができない人間を側には置いておけない。でもノーベンは常に最善を尽くしてくれている……まだ六割の力で」

 ハッキリというレオナルドにセスは思わず「ひぇー」と驚きと畏怖の声を上げる。

「だからノーベンが全力を出したらどうなるか。私もちょっと怖いところだよ」

 そうレオナルドは呟くように言った。
 でも、そんなレオナルドを見ながらセスはこう思った。

 ……そう言うレオも全力を出しているようには見えないけど。

 そんな事を思いながらじっと見つめると、レオナルドはちゅっとセスの唇にキスをした。

「んむっ!」
「さて、もうノーベンの話はここまでにして、そろそろ私に集中してもらおうか? セス」

 レオナルドはそう言うとセスを抱き寄せて、ズボンの中に手をするりと入れると大きな手でセスの尻たぶをもにもにっと揉んだ。

「あん、ちょ、レオっ」
「可愛いセス、今日もいっぱい愛させてね」

 レオナルドはそう言うと『ちょっと待って』と言おうとするセスの唇を塞いだ。
 それからセスがどうなったかというと……。



 ◇◇




 ……あー、思い出しちゃダメダメ!

 セスは執務室から出た後、廊下を歩きながら頬を少し赤くし、雑念を消すように頭を振った。

 ……ノーベンさんについて話した事を思い出したかっただけなのに、レオってばあの後も俺を。あーっ、だから思い出しちゃダメだって!

 でもどうやったって思い出してしまうので、セスの頬の熱は一向にひかない。

 ……さっきだって執務室で俺にちょっかい出してきたし。レオは俺に触りすぎ! ノーベンさんが来てくれたからよかったものの、こなかったらどうなっていたか。

「ふぅ」

 セスは小さなため息を吐いて、頬の熱を冷ます。でも、不意にある事を思い出した。

 ……でも、そう言えばノーベンさんのあの言葉。幼い頃にも言われたなぁ。

 セスは思い返しながら、随分と昔の事を思い出した。それはまだセスが七歳の頃、リーナに連れられて王城に遊びに来ていた時の事。

 ノーベンはリーナに連れられた小さなセスを見かけると、リーナと何かを話し、その後セスと同じ目線になるようにその場にしゃがみ込んだ。
 そしてノーベンはほとんど初対面のセスにこう言ったのだ。

『セス君、ありがとう』と。

 ……あの時もお礼を言われたんだよなぁ。俺、一体なんでお礼を言われたんだろう? 今になってもわかんないんだよなー。

 セスは首を傾げながら思い返し、廊下を歩く。
 まさか、そのお礼の言葉の意味が『(レオナルド殿下を人間にしてくれて)ありがとう』という事だったとは気がつかずに。

 ……まぁ、いっか。俺も仕事がんばろーっ!

 楽観的なセスは深く考えずに、薬科室に戻る道を急いだのだった―――――。







おわり





*******************

ノーベンのお話はいかがだったでしょうか?

実はこのお話、投稿する予定はなかったのですが。
お気に入りがいつの間にやら3600を越え。
同小説が「小説家になろう」さんの方で200万PVを超えましてΣ(゚Д゚)

「これはお礼という名の新しいお話を書くしかない!」と思い、今回投稿することになりました(笑)

今回は主人公たちのお話じゃなかったけど、楽しく読んで頂けたなら嬉しいです。

ありがとうございます('ω')ノ
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