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殿下、俺じゃダメですか?
20 秘密の会話
しおりを挟むレオナルドに告げた声は女性のもので、そしてその声は机に置いている押し花のしおりから届けられていた。レオナルドはちらりと視線をしおりに向け、はぁっと息を吐いた。
「ルナ様……盗み聞きですか」
『あら、盗み聞きではないわ。通話を切らなかっただけよ?』
押し花から、くすくすっと楽し気に言ったのはルナだった。
「全く、貴方の花魔法通話は困ったものですね。こちらからは切れないのだから」
レオナルドはちらりとしおりに目を向けて言った。
しおりに飾られてるのは紫の花で、それはイニエスト公国にしか咲かない花だった。そしてルナはその花を媒体として誰とでも会話をすることが可能だった。
その魔法名は花魔法通話
この世界、転移魔法などはあったが通話魔法はまだなく、手紙のやり取りが一般的だった。なのでルナの能力は特別なもので、王族と親しい者しかその能力は知らされていない。
そしてその能力を使ってレオナルドとルナは度々このようにやり取りをしていた。だが、それは決して甘い関係ではない。二人は言うなれば同志の間柄だった。
『そんな事ないわ。しおりを破られれば、通話は切られてしまうもの』
ルナはそう言ったが、レオナルドがしおりを破れないのはわかっていたはずだ。
貰ったしおりは一つだけだし、目の前にノーベンがいて、尚且つまだルナとの話の途中だったのだから。
『それより、あのようにノーベンに勘違いさせたままでよかったのかしら?』
ルナは再度レオナルドに尋ねた。
「何がです?」
『そんなの決まっているじゃない、レオナルド様の事ですわ。本当は、本気でセス様と別れるおつもりだったのでしょう?』
ルナは確信に満ちた声でレオナルドに尋ねた。
「どうしてそう思われるのですか」
『考えれば、すぐにわかる事ですわ。私が手紙を書かなければセス様はレオナルド様がどうしてイニエストに来たか、わからないまま。なにより……必要もないのに、離婚届を書かせたのはなぜ?』
ルナの問いかけにレオナルドは黙る。しかしルナは続けた。
『貴方の事ですから別れを演出する為、とでも言い出しそうですが、それはあり得ない事です。最初からセス様を手の内に入れておくおつもりでしたら、離婚届なんて書かなくてもいいもの。ただの浮気にしておけばよかったはず。何より、セス様が本気で別れたいと願っても婚姻契約があれば、貴方はセス様をずっと縛っておく事が出来る。むしろ離婚届など書かせないでしょう。それなのにセス様にわざわざ離婚届を書かせたのは、セス様と本気で別れるつもりだったから。そうではなくて?』
「しかし私は離婚届を出していない」
『今はそうですわね。でも、それもさっき言ったようにセス様を蔑ろにする輩を一網打尽にする為でしょう? 平民では適応できませんけど、王族であれば不敬罪で罰せられますものね。そして春になって国に戻った時、国王陛下に許可を貰うつもりだった』
まるで見ていたかのような口ぶりに、レオナルドは眉間に皺を寄せた。
『あと。万が一の為に、離婚届を今も大事に持っていらっしゃるのではないの?』
ルナに言われてレオナルドは机の中のある箱を思い浮かべる。それにはこの世で一番強力な封印魔法をかけ、中にセスのサインが入っている離婚届を収めている。
万が一、もしセスが本気で別れたいと言った時や、自分の傍にいる事でセスの不利益になるような事があればすぐに離婚できるよう。
『違いません?』
ルナの質問にレオナルドはふぅっと息を吐いて答えた。
「ノーベンもすごいが君の推察力はより恐ろしいな。探偵業でも始めたらどうだ?」
『それもいいですわね。王族を廃することになったら始めようかしら?』
ルナはレオナルドの皮肉も何のその。笑って言い、そしてレオナルドも冗談で答えた。
「なら、私が一番の客になろう。……だが、ノーベンの言うこともあながち間違いじゃない。さっき私がノーベンに言った事は去年まで本当に考えていたことでもあるからな」
……そう。本当に去年まではノーベンの言う通り、セスを手の内に入れる為だけにこの計画を考えていた。セスの両親は”時忘れ”に効く薬を探しているし、他に何かしらの方法でセスの不妊は治ったかもしれないから。……だが。
『あら、じゃあどうして心変わりされたの?』
不思議そうに尋ねるルナにレオナルドは正直に答えた。
「愛すべき人がどうしたら最も幸せになるかを考えた結果だ。……セスは子供好きで面倒見もいいし、良い父親になる。もう不死鳥の涙を飲んで子供も望める今、私の存在は邪魔だと思った」
それが今回のレオナルドが起こした騒動の本当の理由だった。
『あら、貴族や国王陛下にまで手を回してセス様を手に入れた方のセリフとは思えませんわね。私の知っている手段も方法も選ばないレオナルド様とは思えませんわ』
レオナルドの腹黒い本性を知っているルナはくすっと笑って言った。しかし、レオナルドはいつになく真面目に答えた。
「そうだな、以前の私ならそうだろう。セスを監禁してでも傍に置いた。だが……私はセスに沢山の愛を貰った。本当に愛することの意味も教えてもらった。だからこそ、今、セスを解放すべきだと思ったんだ」
レオナルドの脳裏に蘇るのはセスのいじらしい言葉や仕草、恥ずかしそうな視線。
……セスは恥ずかしがり屋で、あまり多くの言葉は言ってくれなかったが、それでも十分あの美しい緑の瞳で愛を物語ってくれた。なによりセスが両親と話をしていた時に盗み聞きしたあのセリフ。
『あの、あのね。……もしも、レオナルド殿下が子供が欲しくなったり、他に好きな人が出来たら、俺、別れるつもりだから。その時は怒らないであげて欲しいんだ』
あの時ほど胸打たれた事はない。
自分はセスが欲しくて欲しくて、騙してでも傍にいさせようとしたのに。
セスは違った、私を思って別れようとまで考えてくれていた。……セスの優しさは私の心の奥底まで染みた。
だからセスと結婚した時から何からも守ろうと決めていたが、その思いはより強くなった。
セスを守り、今まで以上幸せにすると。
だが、そんな時にフェニが生まれて、セスは不死鳥の涙を飲んだ。
「セスは元々異性愛者だったのに私の策略で結婚することになった。なのに、これまでこんな私に沢山の愛をくれて。だから、もう私から解放しようと思ったんだ」
レオナルドは言いながら、また左手の薬指に嵌めることになった結婚指輪を見つめた。
もう二度と嵌められないと思った指輪を。
『だから酷い言葉を投げかけて、私に惚れたふりをして、そのままお別れになるおつもりだった』
「ああ」
セスに酷い言葉を投げかけ、自分を嫌い、憎んで、セス自ら離れるように。
そして、自分の事は犬にでも噛まれたと思って新しい家族を作ってもらいたかった。
王族の責務から離れ、普通の一般的な幸せな家庭を持ち、フェニの他にも子供を持ってほしいと思った。
……ノーベンが言うように死んだフリでもしようかとも思ったが、セスの事だ。死んだ私を想い続ける可能性があった。なら酷い言葉を言って別れてもらうしかなかった。そしてそれはうまくいくはずだった。
しかし、一つの手紙が予定を狂わせた。
「だから、あのままでいたら別れていただろう。誰かさんがセスに手紙を出さなければな」
レオナルドはしおりの先にいるルナに対して、呟いた。でも、その言葉をルナは笑って返した。
『あら、お言葉ですけど、お礼を言われてもいいぐらいだわ。今回私の手紙があったから、セス様はどうしてレオナルド様がこちらに来たのか気が付いたようなものですし。私が書かなければどうなっていたか。セス様はレオナルド様が私にずっと恋してこちらに来たと思ったでしょうね。でも私の手紙を読んで気が付き、貴方を取り戻した。ハッピーエンドじゃありません?』
ルナはそう言ったが、レオナルドはそうだとは言いきれなかった。
「これで良かったのか、まだわからない。セスにとって私の傍にいる事が幸せか。……勿論、幸せにするつもりだが」
『バーセル王国第三王子、なんでもできるレオナルド殿下にしては弱気な発言ですわね』
「……君にだってわかるだろう。大事な者がいるのだから」
レオナルドが言うと少し間を置いた後、ルナは『そうですわね』と静かに答えた。でも、ルナは言った。
『けれど、セス様は死んだフリをしてでも貴方を取り戻したかった。……それが答えではありません?』
ルナの言葉にレオナルドは柔らかく笑った。
「そうだな」
レオナルドは小さく答え、そんなレオナルドにルナは尋ねた。
『でも、ノーベンぐらいには本当の事を言ってもよろしかったんじゃないですの? どうして否定なされなかったの?』
ルナはノーベンに勘違いさせる理由はないと思って聞いたのだが、レオナルドは違った。
「さっきも言ったが、ノーベンの推察も間違いではない。それに……ああしていれば何があってもノーベンはセスに同情し、良くしてくれる。大事なのは私ではなく、セスなんだ」
レオナルドはそう言い、ルナは黙ったまましおりの向こうでくすっと笑った。
『どこまでもセス様第一主義ですのね』
「当然だ」
レオナルドは間髪入れずに答えた。
ーーーーだがその会話を盗み聞く人物が一人。
……そういう事だったわけですか。全く素直じゃありませんね。ま、昔からひねくれてはいましたが。
ノーベンはドアの前で立ち聞きし、それからやれやれと笑いながら息を吐いた。
ノーベンは自分の推察をレオナルドに言いはしたものの、なんだかおかしいと思っていた。レオナルドがすんなりと白状したから。
そして出て行くフリをした後、部屋から聞こえてきた話を盗み聞いて、納得するしかなかった。
……でも、そういう事なら仕方ありませんね。さて、レオナルドのご要望のお茶と焼きたてのお菓子をお持ちしますか。
ノーベンはくすっと笑いながら、厨房に向かった。
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