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殿下、俺じゃダメですか?
19 有能な従者
しおりを挟む何はともあれ。
レオナルドとセスは元通りになり、城の中はすぐに平穏さを取り戻した。
けれど最初の頃は、セスを捨てて出て行ったレオナルドに当然、従者や使用人、騎士達の視線は冷たかった。彼らは事情を知らなかったから。
でも数日もしない内にすぐにルナの婚約が発表され、その婚約にレオナルドが一枚噛んでいた事が新聞のトップ記事に。
平民のセスを捨てて隣国のルナ姫に浮気したレオナルド。しかし実は自分と同じ境遇の、ルナ姫と平民で従者のエドワードの仲を取り持つ為だった、という記事だ。
『敵を騙すなら味方からと思い、セスも騙していた。だがセスを悲しませ、皆にも混乱を生んだ事、申し訳ないと心から思っている。しかし私とセスのように身分差に困っているルナ様とエドワードを放っておけなかった。愛する人と共にいられる幸せを私は知っているから』
と、取材を受けたレオナルドの謝罪の言葉も載せられ、国内でだだ下がりだったレオナルドの人気は元通りに。
ただセスの不妊や不死鳥の涙が関わっていることは伏せられていたので、セスは今回の騒動に振り回された人と思われて、まだ周りから同情の視線を受けていた。
しかしだいぶ以前を変わらない日常を取り戻しつつあり、セスは薬科室で仕事を。ウィルとリーナはフェニの面倒を見て、レオナルドも執務室で仕事をこなす日々を過ごしていた。
そう、何もかも元に戻ったかのように。しかし……それに声を上げた男がいた。
「レオナルド殿下、ノーベンです」
ノックの後、ノーベンは執務室のドアを前に言った。すると中からすぐに「入れ」と声が返ってくる。ノーベンはドアを開け、執務机に座るレオナルドに視線を向けた。
羽根ペンを持ち、書類にサラサラとサインをしている。
「話し声が聞こえたような気がしましたが、お一人ですか?」
ノーベンはレオナルドの前に立ち、尋ねた。そんなノーベンにレオナルドは書類を確認しながら答える。
「この部屋には私とお前しかいないだろう、気のせいじゃないのか。それよりなんだ?」
レオナルドが尋ねるとノーベンはちらりと冷たい視線を向けて、レオナルドに言い放った。
「レオナルド殿下、私は騙されませんよ」
レオナルドはノーベンの言葉に、羽根ペンを持っていた手を止めてノーベンを見上げて言った。
「何がだ? ノーベン」
「……何がだ? じゃありません、今回の事です」
ノーベンに言われてレオナルドはゆっくりと羽根ペンを机に置いた。そしておもむろに両手を組み、優雅に尋ねた。
「話を聞こうじゃないか?」
レオナルドの問いかけにノーベンは揺らぐことなく真っすぐな視線を向けて答えた。
「貴方の事です。今回の事も仕組んだのではないのですか?」
「……仕組んだ、というのは?」
「最初から貴方はセス君を手放す気なんてなかった。今回の事は、セス君に自ら子供を諦めさせて貴方を選ばせる為の計画だったのではないのですか? と聞いているんです」
ノーベンが冷静な声で言うとレオナルドは楽し気に口角を上げた。
「なぜ、そう思った?」
「貴方は狡猾で、セス君の為になら手段を択ばない頭の切れる方です。しかし今回のやり方はあまりに稚拙だ、もしも本当にセス君の為を思って別れようとするのなら、このような手を使わなかったのでは? それこそ自分が死んだ事にでもして、セス君に子供が出来たら生きて戻ってきた事にするでしょう」
ノーベンの推察にレオナルドは何も言わずに聞き入り、むしろもっと話を聞かせろとノーベンに告げた。
「それで? 他に気が付いたことは?」
レオナルドに促されてノーベンはゆっくりと口を開く。
「……貴方はセス君に護衛をつけていましたね? 今まで気が付いていませんでしたが、あの方は隠密部隊を以前総括されていた方だ。姿を変えられていたのでわかりませんでしたよ。……まさかセス君の護衛を任せているとは。でも護衛と同時に貴方は監視としてセス君に付けていたのではありませんか? セス君が貴方を諦めようとしたら、そのストッパーとしての役割を持たせて」
「……つまり?」
レオナルドは結論を求め、ノーベンは簡略して答えた。
「新聞の記事の通り、貴方はルナ様と示し合わせて浮気を演じた。でもその理由が不妊が治ったからなのだとセス君自身が気づくのを待ち、そして本来なら春頃にルナ様の婚約発表を待って城に戻ってくる予定だったのでしょう。浮気は演技で、セス君を想っての事だとでも言って。優しいセス君なら、自分を想って離れようとした方から自ら離れるなんて事はしないでしょうからね。実際セス君は戻ってきましたし」
ノーベンが言い終わるとレオナルドは組んだ両手を口元に当てた。そして話を聞いたレオナルドの表情は実に楽しそう……いや愉快そうだ。
「どうですか? 私の考えは間違っていますか?」
ノーベンが尋ねるとレオナルドはニコリと笑った。
「いいや。素晴らしい考察だな、ノーベン。さすが私の従者を務めるだけはある。……まあセスが不妊じゃなくなったことに中々気が付かなかった時は私もどうしようかと思ったがな」
レオナルドはニコニコ顔で言ったが、ノーベンはキッと目を吊り上げた。
「全く……どうしてこのような事をなさったのですか! セス君の落胆ぶりは見ているこちらも辛いものだったのですよ! それにセス君の気持ちを疑っていたのですか!? もうすっかり貴方に想いを寄せられているのに!」
ノーベンが非難するように言うと、レオナルドは静かに答えた。
「ノーベン、お前の言う通り、セスは私を愛してくれている。その事は私も重々わかっている。だが今回の事はセスにとって、私にとってもどうしても必要な事だったんだ」
「どうしても……ですか? なぜ?」
眉間に皺を寄せてノーベンが尋ねるとレオナルドは一呼吸入れた後、素直に答えた。
「……今はいいだろう、セスも私もまだ若い。しかし私達は老いる。そうなったら、いつかセスも本気で子供を持ちたいと思う時が来るかもしれない。例えフェニがいても。その時、私は今よりもずっと老いさらばえているだろう。そして年老いた私は子供を持ちたいと願うセスを引き留められない。だからそうなる前に、先にセスから子供の選択を捨て、私を選んだという事実が必要だった。もしもセスがこの先子供が欲しいと思っても、私を選んだのだから、と諦めさせる口実を作る為にね」
にっこりと笑って言うレオナルドにノーベンは呆れと共に恐ろしく感じた。今の内から未来の事を考えて予防線を張る狡猾さとセスへの愛が重すぎて、顔が自然と引きつってしまう。
「だからって、このような事。……そもそもセス君が本当に別れを望んだらどうするおつもりだったんですか? セス君、不妊だったのが不死鳥の涙で治癒されたんでしょう? 不妊じゃなくなったのなら、本当に子供が欲しくてなって別れたかもしれませんよ?」
そうノーベンは尋ねた。
セスの不妊に関して、ノーベンは知らなかった。元々デリケートな問題でもあるし、公表する事でもない。だから今回の件で、ノーベンは初めてセスが不妊だったという事実を知ったのだ。それはノーベンのみならず他の者もそうだ。
だからこそ皆、なにかこれは裏がある、と思いつつもその理由を突き止める事ができなかったのだ。そしてウィルとリーナの方はセスが不死鳥の涙を飲んだことを知らなかった。だから、あちらもレオナルドの行動の意味を理解できなかったのだ。
「もしかしたら子供が欲しいと本気で願って、レオナルド殿下を捨てたかもしれないのですよ?」
ノーベンがその可能性を言うとレオナルドもこくりと頷いた。
「そうだな、その可能性も考えてはいた」
「では、もし本気で別れを切り出された時はどうされるおつもりだったのですか?」
ノーベンが尋ねるとレオナルドは笑みを浮かべた。
「そんなの決まっているだろう? セスを監禁するだけだ」
レオナルドの言葉にノーベンは「は?」と間の抜けた声を出した。
「私に子供は産めない。セスにも無理だ。なら、そうするしかないだろう?」
レオナルドは悪びれもなく、はっきりと告げた。そんなレオナルドにノーベンは頭を抱えた。
「全く、貴方には呆れかえります」
「今更だろう?」
「そうですね」
ノーベンは皮肉を言ったがレオナルドはただただ微笑み、そしてノーベンに問いかけた。
「だが私の有能な従者は、私がいない間もしっかりと仕事をしていてくれたはずだな?」
レオナルドはにこりと笑って言い、ノーベンに手を差し出した。それはノーベンが持ってきたある報告書を受け取る為だった。
ノーベンはこの報告書が何なのかレオナルドにまだ何も言っていないのに、報告書の中身を知っているレオナルドの察しの良さに、もう何も言うまいと心に誓った。
「はぁ……いつも通り、全て記載しておきましたよ」
ノーベンは手に抱えていた報告書をレオナルドに渡した。そこにはセスに対して嫌がらせをした者の名前、家柄、年齢、そしてレオナルドがいない間に行われた嫌がらせの内容が事細かに書かれていた。
なので、当然セスに嫌味を言った貴族の子息やセスを男娼呼ばわりした酔っぱらいの男の名前も記載されている。
この報告書制作はノーベンがレオナルドから与えられていた仕事の一つだった。
「ふむ……大分、炙り出せたな」
レオナルドは楽しそうに報告書をぺらぺらと捲った。その青い瞳には怒りが宿っている。頭の中ではどう処罰を下すか考えているのだろう。
だが、レオナルドの言葉でノーベンは今更ながらにハッと気が付いた。
……炙り出せた? ……まさかレオナルド殿下は、自分がいない間にセス君に嫌がらせをする者を今回徹底的に炙り出す為にも他国に行かれたのか?! 確かにレオナルド殿下が城に居れば、手を出す者もここまで出なかったかもしれない。
ノーベンはセスに嫌がらせをした者達の名前を見ながら『どう料理してやろうか?』と楽し気に目論むレオナルドを見て、察した。
セスは平民から王族の一員になった。しかも人気の高いレオナルドの伴侶として。当然、それを面白く思わない者達はいた。しかし王妃の後ろ盾や王が許可したことによって、誰も何も言えなかった。だが、何も言わなくなっただけで存在しないわけではない。
嫉妬の根は深いものだ。レオナルドはその事に気が付いていた。
だから今回、炙り出すことにしたのだろう。これから先、セスに害悪をもたらすかもしれない芽を全て摘むために、一遍も残さず根から焼き払うつもりで。
「王族のセスに不遜な態度を取る者がこんなにもいるとは、いい度胸だ。……ノーベン、何か言いたそうだな?」
じっと自分を見るノーベンにレオナルドは目を細めて尋ねた。しかし、ノーベンは首を横に振った。
「いえ、もう何も」
ノーベンの答えに、レオナルドは「そうか」と笑って答え、それ以上ノーベンに何か聞くことはしなかった。
そして、それからレオナルドはノーベンにお茶を持ってくるよう頼んだ。焼きたての焼き菓子も一緒に持ってくるように告げて。
「畏まりました。直ちにお持ちします」
ノーベンは疑うことなく答え、素直に退室した。
レオナルドはノーベンを見送り、ドアがパタンっと閉まった後、一息ついた。
「ふぅ……」
……全く、私の従者は有能過ぎて困りものだな。
レオナルドはくすりっと笑って思ったが、レオナルドしかいない部屋に声が響いた。
『ノーベンにあのように思わせておいてよかったのかしら?』
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