殿下、俺でいいんですか!?

神谷レイン

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殿下、俺じゃダメですか?

10 眠りのセス

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 朝日が入り込む部屋の中、ベッドの上に横たわる遺体。
 そこには静かな顔がある、まるで眠っているように。

 だが、その部屋の床に魔法陣が浮かび上がり、強い光が辺りを包んだ。そしてそこから一人の人物が現れる、それは勿論レオナルドだった。

 レオナルドはすぐに辺りを見回し、ベッドに横たわるセスを見つけた。

「セスッ!」

 レオナルドは駆け寄り、セスの頬に触れる。しかし、その頬は冷たく、呼吸もなかった。

「どうして……!!」

 レオナルドはすぐにセスの左手を見た。その手の薬指には結婚指輪が光っている。
 この指輪にはセスの手から外れないように魔法を込めておいたから、ここにあるのは当然だ。しかし、レオナルドはこの指輪に他にも様々な魔法を込めていて、セスの命が危険にさらされた時、身を守るようにも魔法を施していた。

 それなのにセスは今、息をしていない。

 つまりそれが意味するのは、外的なものではなく、セスの命が自らついえてしまったと言う事だ。しかし、セスは大きな病気も何もなかった。つい最近、フェニの涙を飲んだばかりなのだ。健康体と言ってよかった。それなのに、こうなるという事は……。

「まさか、自ら命を絶って……?」

 レオナルドは驚愕に、瞳を大きく開けた。サファイアの瞳に映るのはセスの青白い顔だけ。

「嘘だ……セスッ! セスッ! 目を開けてくれ!!」

 レオナルドはセスをぎゅっと抱きしめて、大声で叫んだ。そしてすぐに治癒魔法を使った。何度も何度も繰り返し、セスを蘇生する為に。
 しかし死人に治癒魔法は効かない。

「なんで、どうしてなんだッ!! どうしてこんな事にっ……セス!!」

 レオナルドは叫ぶが、それでもセスは目覚めてはくれない。

 ……これは現実なのか?

 レオナルドの心は絶望に塗りつぶされていく。

「私のせいなのか……セス」

 レオナルドは青い瞳から涙を零し、セスの頬に落とした。そしてレオナルドはぎゅっとセスを抱き締め直した。

「セス……私はこんな風に君を追い詰めるつもりじゃなかった。謝るから、どうか目を覚まして。私は君なしでは生きていけないんだ。セス……セスッ!」

 レオナルドは泣きながら懇願した。そこにいつものレオナルドはいなかった。弱い、ただの男だった、しかし。




 ……トクッ……トクッ、トクッ、トクンッ。



 レオナルドはハッとした、抱き締めるセスから脈動が聞こえ始めたからだ。

「!」

 レオナルドはすぐにセスの首に手を当てて、脈が触れているか確認した。そこには確かな動きがある。奇跡的に心臓の音が戻り始めたのだ。

 ……ああ、神様ッ!

「セスッ!」

 声を上げ、名前を呼ぶとセスは小さく息を吐き、呻いた。

「ん」

 レオナルドがセスの顔を見つめると、その瞳がうっすらと開いた。

「……れ、ぉ?」

 セスが小さく呟いた。

「セス……ッ、セス! 私がわかるか?!」

 レオナルドが強く言うと、セスはぼんやりとしたままレオナルドを見つめた。何も言わないセスにレオナルドは不安が募っていく。

「セス、何か言ってくれ!」

 レオナルドが懇願するように言うと、セスはゆっくりと手を上げた。そしてその手をレオナルドの頬に伸ばし、レオナルドはその手が自分の頬に触れるのを待った。
 だが、セスが優しくレオナルドに触れる事はなかった。


 ……ペチンッ。


 レオナルドの頬をセスの手が軽く叩いた。それは触れる、ではなく、完全に叩くだった。
 まさかセスに叩かれると思っていなかったレオナルドは突然の事にまた驚いたが、セスを見ると自分を憎々し気に睨んでいた。
 それは今までに見たことのない怒った顔のセスだった。

「セ、ス?」
「レオ、の、馬鹿」

 セスのハッキリとした罵倒にレオナルドはしばし呆然とした。まさかこの状況で、そんな事を言われると思っていなかったからだ。

「せ、セス?」
「俺を、置いて、勝手する、レオなんて、だいっきらい」

 セスは起きて早々、レオナルドから離れようとむぎゅーっとその胸板を両手で押した。しかし厚い胸板はビクともしない。

「セス、落ち着いて」

 レオナルドは息を吹き返したばかりのセスを思いやって言ったのだが、セスは聞かなかった。

「やだっ、離してっ」

 セスはレオナルドから離れようと、ぎゅむぎゅむっとレオナルドの胸板を弱弱しい力で押す。まるで飼い主から離れようとする兎みたいだ。でも、力が入っていない手で押しても離れられない。
 それでもレオナルドからセスは離れようとぎゅっぎゅっとレオナルドを押す。

「セス、わかったから落ち着いて」
「レオなんてきらいっ、離れてよっ、んーーっ」

 むぎゅーっと胸を押されてレオナルドはセスの言う通り、少し距離を置こうとした。
 だが、セスを見ると不貞腐れた顔をしながらエメラルドグリーンの瞳からぽろぽろっと涙を流していた。うるうると瞳は潤み、涙の粒がどんどん溢れ落ちていく。

「セス……」
「うっ、ううっ……レオなんか嫌いだ。俺に、なんにも聞かないで、勝手に決めて!」

 セスは涙を流しながら、口をへの字にするとキッとレオナルドを睨んだ。そして、セスはポカッとレオナルドの胸を叩くと声を張り上げた。

「俺がっ! 俺が……いつ、別れたい、なんて望んだっ! 俺は……俺は貴方の、なんなんだっ!? 相談もなく、勝手に決めつけてッ!! ……一方的な愛なんて、傲慢な、押し付けだ!」

 セスは心の奥にあった怒りを吐き出し、ポカポカと力の入らない手でレオナルドの胸を叩いた。

「ばか、ばか、ばかっ! レオの大馬鹿、やろーっ!」

 セスははーっはーっと酸欠になりながら言い、黙ったままのレオナルドをもう一度睨んだ。だがサファイアの瞳は静かにセスを見つめている。

「っ! ……なんとか、言ったらどうなんだッ!」

 怒り口調でセスが言うと、レオナルドはようやく重い口を開いた。

「セスの言う通りだ……。セス、ごめん」

 レオナルドは素直に謝り、それから真っすぐにセスに視線を向けた。しかし、その表情は硬い。……いや、顔色が悪い?

 そうセスが思った時。

「私が愚かだった……セス、ご、め」

 レオナルドはそこまで言った後、最後の一文字を言わずにぐらりと体を揺れし、パタリっとベッドに倒れ込んでしまった。

「え? レオナルド……殿下?」

 セスは驚いて、レオナルドの体をついついっと揺らした。しかし、レオナルドは起きない。その上、どんどん顔色が悪くなっていく。

「え? ええっ?!」

 セスは自分のほっぺをぎゅーっとつねって引っ張った。そこには確かな痛みがある。それでようやくセスは気が付いた。これが夢でない事を。

「え!? これっ、夢じゃない!?」

 今までの事を夢だと思っていたセスは声を上げて驚いた。しかし、今はそんな事に驚いている暇はない。視線は倒れ込んで、顔色を悪くしているレオナルドに向かう。

「って事は、ここにいるレオナルド殿下は本物!? え! ちょ、ちょっとレオナルド殿下ッ!?」

 セスはレオナルドに声をかけたが、全く起きる気配がなかった。















 久しぶりに曇り空が晴れて、太陽が差し込む昼過ぎ。

「……セス」

 名前を呼ばれて俺はすぐに振り向いた。そこにはようやく目を覚ましたレオナルド殿下がいた。

「レオナルド殿下、体調は? 気分は悪くないですか?」

 俺のベッドに横になっているレオナルド殿下に尋ねると、くいくいっと手招きされた。

「どうしました?」

 俺が近寄ると、レオナルド殿下は俺の腕をぐいっと引っ張った。俺は体勢を崩して、レオナルド殿下に乗っかるように抱き着いてしまう。

「ぅわ! ちょ、レオナルド殿下!」

 俺は慌てて離れようとするけれどレオナルド殿下は俺を離してくれなかった。

「……セス、良かった」

 その声は心からほっと安堵した声で、俺は久しぶりのレオナルド殿下の温かな声にドキッとしてしまう。しかし、そんな俺達の後ろから怒った声が降りかかってきた。

「何がよかったですかッ!」

 俺とレオナルド殿下がちらりと後ろを見ると、そこには腕を組み仁王立ちで怒っているノーベンさんがいた。

「魔力があるからと、隣国のイニエストから転移魔法で飛んでくるなんてッ! 魔力が枯渇して倒れるのも当然です! 全く!!」

 いつも穏やかなノーベンさんの目が吊り上がっている。
 温厚な人が怒ると怖いって本当だな。と俺は思いつつ、ノーベンさんを見たがレオナルド殿下はさして気にしていなかった。

「ノーベンか。……なぜ、ノーベンがここに?」
「セス君とルナ様からご連絡を貰ったからです! 全く、戻ってくるならこちらにも連絡をして下さらないと!」
「ああ……すまない。しかし今回は仕方がなかったんだ」

 レオナルド殿下の言葉に、俺は肩身を狭くしてしまう。そして怒ったままのノーベンさんの肩にウィギー薬長がぽんっと手を置いた。

「ノーベン君、それぐらいにしておきなさい。怒るのは、また後日でいいだろう」

 ウィギー薬長は宥めるように言い、その横で腕を組んでいる父さんも声をかけた。

「ああ、それがいい。今、こいつを怒ったところで魔力が安定するまでは、ぼんやりしてるだけだからな」

 そして父さんの言葉の後に、傍にいた母さんも続けた。

「とりあえず、レオナルド殿下の意識も戻った事だし、私達は一旦帰りましょう。まず、二人で話すこともあるでしょうし」

 みんなの説得に、怒り心頭だったノーベンさんもようやく落ち着いて「そうですね」と答えた。ようやく和やかな空気に戻った、と俺はほっと息を吐いたが、しかし母さんはちらりと厳しい目を俺に向けた。

「セス」
「は、はい!」
「……今回の事、あとでじっくり聞かせてもらうからね?」

 覚悟しておきなさい? とその言葉の後に続いているように聞こえた。

「は……はぃぃ」

 俺は肩を落として小さな声で答えた。だって母さんが怒ると、とても怖いんだ。しかも今回はいつも味方になってくれる父さんも怒っている。

「そうだぞ、セス」
「はい、ごめんなさい」

 俺は小さな声で謝った。そんな俺に助け船を出してくれたのはウィギー薬長で。

「まあまあ、落ち着いたら話を聞こうじゃありませんか。ともかく我々は撤収しましょう。セス、ここに薬を置いておくからレオナルド殿下にちゃんと飲ませるんだよ?」
「はい。今日はありがとうございました」

 俺は慌ててぺこりと頭を下げて言った。そうして四人はやれやれ、と言った様子で俺の部屋から出て行った。俺はみんなを見送り、小さく息を吐く。

 ……今度、母さんと父さんにこっぴどく怒られるんだろうなぁ。まあ、仕方がないか。

「ふぅ……覚悟しなくちゃな」

 俺は今後の事を思って小さく呟いた。だが「セス」と俺を呼ぶレオナルド殿下の声に気が付いて、俺は慌てて駆け寄った。

「はいっ、どうしました?」

 俺が駆け寄って声をかけるとレオナルド殿下は俺をまじまじと見つめた。

「セス、大丈夫なのか?」

 レオナルド殿下は心配げに俺に尋ねた。倒れて、今ベッドの上にいるのはレオナルド殿下の方だと言うのに。

「俺は大丈夫ですよ。それより自分の心配をしてください……。まさかイニエスト公国から転移魔法で戻ってくるなんて、レオナルド殿下でも無謀すぎますよ」
「……帰ってくるのは問題なかった。ただ、早く戻って来たくて」

 レオナルド殿下は正直に俺にそう告げた。

 転移魔法は出発地点から到着地点までの距離が遠いとタイムラグが生じてしまう事がある。だが高魔力で魔法を使えばタイムラグを出さずに転移できる。
 レオナルド殿下は体の内にある魔力を使い切るほどの高魔力でイニエスト公国から転移してきたのだろう。

 ……そもそもイニエスト公国からバーセル王国まで、とても転移できる距離じゃないのに。なんて無茶な事をするんだ。この人は。

「無茶しないでください。こんなことはもう二度と」

 俺はレオナルド殿下の温かい頬に触れて言った。さっきまで魔力が枯渇して冷たかったのに薬が効いて、今ではほんのり赤みがある。

 ……本当に良かった。

 俺は心からそう思った。魔力が本当に無くなってしまったら、それは死に直結する。危険な事なのだ。しかし叱る俺の手をレオナルド殿下はぎゅっと握った。

「それは私のセリフだ。……息をしていないセスを見つけた時、胸が引き裂かれそうだった。セスを亡くすのかと思って、本当に怖かった」

 レオナルド殿下は俺の手を離さないようにぎゅっと掴んで言った。その手は震えている。

 ……俺から勝手に離れていったのは、貴方だと言うのに。

 だけど、今のレオナルド殿下を俺には怒る事はできなかった。あんなに苦しくて、悲しくて、怒りに満ちていたというのに、俺の為になりふり構わず駆けつけてくれたのだと思うと、恨み言の一つも言えなかった。
 魔獣のグリフォンさえ軽く倒してしまうのに、俺を亡くすのが怖かったというこの人を。

「でもセス、どうしてあんな事になっていたんだ?」
「それは……」
「あの時、セスの息は完全に止まっていた……。私は急いで駆けつけたが、セスの息が途絶えて目が覚めるまで十分は経っていたはずだ。なのに、セスは息を吹き返した。一体、何をした?」

 レオナルド殿下の鋭い瞳が俺を見つめる。

「それは……その」
「セス、答えて」

 レオナルド殿下は俺を見て言った。サファイアの瞳が厳しく問いかける。

 なぜ? と。

 だから、俺は計画していた事を洗いざらい話さなければいけなくなった。

「レオナルド殿下のせいなんですからね」

 俺は口を尖らせて、レオナルド殿下に言った。だがレオナルド殿下は思わぬ言葉だったのか、少し驚いた顔を見せた。

「勝手に決めて、俺を置いてイニエスト公国に行っちゃったから……その、仕返ししてやろうと思ったんです」

「仕返し? 私に?」
「そうです……。その、ルナ様からの手紙を読んで、自分勝手なレオナルド殿下に怒りが湧いて」
「ルナ様からの手紙?」

 レオナルド殿下に問いかけられて俺はこくりと頷いた。



 それは数日前の事だった。
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