殿下、俺でいいんですか!?

神谷レイン

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殿下、俺じゃダメですか?

4 お見舞いに来たのは?

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「おや、気が付いたかい? レオナルドじゃなくてすまないね、セス」

 レオナルド殿下と同じサファイアの瞳が申し訳なさそうに俺を見ていた。

「……ランス、殿下?」

 俺はぼんやりとする頭で、目の前にいるランス殿下を見る。

 ……ランス殿下? え、どうして俺の部屋に?

 そう思ったけれどランス殿下は俺に優しく声をかけた。

「セス、大丈夫かい? 魘されていたけれど。泣くほど怖い夢でも見た?」
「え?」

 ランス殿下に言われて俺は自分の頬に手を当てる。濡れている感触。

 ……俺、泣いていたのか。

 俺はごしごしっと服の袖で目元を拭った。きっと俺は酷い顔をしていたに違いない。

「すみません、ランス殿下」
「いいんだよ、セス」

 ランス殿下は優しく俺に言い、それからマグカップを渡してくれた。

「喉が渇いてるんじゃないか?」
「ありがとうございます」

 俺は素直に受け取って、くんくんっと嗅ぐと甘いはちみつとレモンの匂いがした。

「……これ」
「はちみつレモンだ。喉にいいと思ってね」

 ランス殿下はそれ以上は何も言わなかった。でも俺はちょっとレオナルド殿下の事を思い出してしまう。俺が飲ませてあげたはちみつレモン。

 ……でもそんな事、ランス殿下は知らない。

 俺はちょっと涙ぐみそうになったがぐっと堪えてお礼を言った。

「ありがとうございます」

 そして、ぬるめのはちみつレモンをこくこくっと飲む。甘くてすっきりとした味が痛んでいる喉に優しくて、俺は一気に飲み切った。泣いたこともあったのか、喉が渇いていたみたいだ。

「もう一杯いる?」
「いえ……あのランス殿下、どうしてここに?」
「セスが風邪を引いたと聞いてね。通りかかったものだから寄らせてもらったんだよ」
「……そうですか。わざわざすみません」

 俺はぺこりと頭を下げる。そんな俺の頭をぽんっと優しく撫でた。

「病人はそんな事、気にしなくていいんだよ」

 優しい言葉に俺はまた涙が出そうになる。でも、それを言ってくれるのがどうしてレオナルド殿下じゃないんだろう?
 そう思ったら俺はもっと涙が出そうになった。けど、堪えて顔を上げる。

「ありがとうございます」

 俺が言うとランス殿下はにこっと微笑んだ。

「しかし一人で大変かと思ったが、大家さんに良くしてもらっているようだね」

 ランス殿下はサイドテーブルに置かれた水や小さなダイニングテーブルの上に置かれた、果物やスープの入った鍋を見て言った。

「はい」

 ……スープ、あとでちゃんと食べてお礼を言わなきゃ。

 そう思う俺にランス殿下は申し訳なさそうな顔をした。

 どうしてランス殿下がそんな顔をするんだろう?

「……ランス殿下?」

 俺が声をかけるとランス殿下はハッとした顔を見せ、ぐっと拳を握った。

「いや、何でもないよ。病人にあまり無理をさせてもいけないから、俺はそろそろ帰るよ。今日は本当に顔を見に来ただけだから」
「あ、じゃあ、お見送りぐらい」

 俺はそう言ってベッドから下りようとしたけれど、ランス殿下はそっと俺の肩を押した。

「病人なんだから、見送りしなくていいよ。ここで十分。……早く治すんだよ、セス」

 ランス殿下はにっこりと笑って言った。

「はい、ありがとうございます」
「じゃあ、またね」

 ランス殿下はそれだけを言うと、上着を羽織り、颯爽と部屋を出て行った。どうやら本当にお見舞いに来ただけのようだ。

 ……それにしてもランス殿下、何か俺に言いたそうだったな。……レオナルド殿下と俺の事かな。

 俺はぐっと拳を握り、それからもぞもぞっとまた布団の中に体を潜り込ませた。

 ……今は寝よう。何を考えても何を想っても悲しくなるだけなんだから。

 目頭が熱くなるのを感じながらも、俺は無理やり眠ろうとした。




 一方、セスの部屋から出たランスは大きなため息を吐いていた。

「全く、セスがこんなことになっているのに、何をやっているんだ」

 それは呆れ返った声だった。













 


 しかし、その後、何が変わるわけでもなく俺は風邪を治して仕事に戻るようになった。
 日々は過ぎ、冬はどんどん寒さを連れてきて雪は深く積もった。

 ……今日もよく雪が降るな。

 俺は廊下を歩いている途中、足を止めて窓の外をぼんやりと見つめる。
 雪はもう10㎝程の深さに積もっていて、きっと冬が明けるまでレオナルド殿下は帰ってこれないだろう。こんな雪の積もった道を戻ってくるのは危険だ。

 でも、それを見越していないレオナルド殿下じゃない。つまり冬の間、あちらで過ごす事前提でイニエスト公国に行ったのだ。

 ……行ってから二週間かぁ。今頃、ルナ様と仲良くしてるのかなぁ。

 ズキリッと胸が痛んで、俺は咄嗟に抑える。

 レオナルド殿下がいない事にほっともするけれど、同時に寂しさも覚える。時々、レオナルド殿下がひょっこり現れて『今までの事は全て嘘だよ』と言ってくれるんじゃないかと夢を見る。けど、現実は冬の風と同じように冷たく厳しい。

 それはレオナルド殿下が帰ってこないという現実、そして俺に対する風当たりも。

「おや、こんなところに元伴侶様がいらっしゃるとは」

 廊下の窓辺に立ち止まる俺にくすくすと悪意のある笑い声と共に声をかけてきたのは、貴族の子息達だった。

 俺は当然自分より身分の高い彼らに頭を下げる。そんな俺の前から彼らは立ち退かず、ジロジロと不躾に俺を見下げた。

「こんなところでおサボりですか?」
「いえ、そう言う訳では……」

 俺は頭を下げたまま答える。今は薬科室から他部署に書類を渡しに行った帰りだった。

「今はもうご身分がないのですから、気を付けた方がよろしいかと思いますよ?」

 まるで今まで俺がレオナルド殿下の伴侶であったことに笠を着ていたような、鼻につく言い方だ。当然俺はカッと怒りを感じる。

 俺は今まで一度もそんな事はしなかったし、レオナルド殿下と結婚していても自分は庶民だという感覚を忘れたことなんてなかった。俺はどうやったって王族にはなれないから。

 それでも公務があれば仕事も休みも返上で務めたし、できるだけレオナルド殿下の伴侶として恥じないでいようと努めた。それなのに、こんな風に嘲笑されて。

「まあ今までが身分不相応だったのですからね。レオナルド殿下もようやく目が覚めたみたいですし」

 クスクスと笑われて、俺はただただ頭を下げたまま拳をぐっと握った。

 ……なんでこんな事、言われなきゃいけないんだ。

 そう憤る気持ちと同時に、最近こんなことばっかりだな、とも冷静な頭で思った。
 レオナルド殿下に捨てられた俺の噂はもう城下にまで渡っている。当然貴族間でも。
 するとレオナルド殿下の寵愛を一心に受けていた俺に、こうして難癖をつけてくる人がちょくちょく出てきたのだ。

 でもそれも仕方ない。

 美しい容姿と類まれなる魔力の持ち主、そして知性もあって、誰にでも優しいレオナルド殿下。そんな人を俺は今まで独り占めしていた。
 当然レオナルド殿下に好意を寄せていた人達にとってみれば、俺は面白くない存在だったんだろう。特に身分が高い訳でも、魔力に優れているわけでも、容姿が美しい訳でもない俺が、あのレオナルド殿下の相手だったんだから。

 それがレオナルド殿下が選んだ相手だとしても。

 けれど結婚した後、俺はレオナルド殿下の伴侶として王族に身分が連なり、今までずっとレオナルド殿下が傍にいた。だからこんな嫌味を言える機会もなかったんだろう。

 だが、どうだろう?

 今や俺はレオナルド殿下と別れて身分は庶民に戻り、ましてやレオナルド殿下は城に、いや国にもいない。

 そしてレオナルド殿下はイニエスト公国のお姫様に夢中だと言う噂は、もうすでに広まっている。俺にどうこうしようと、誰も何も言わないと思って、こうして嫌がらせをしてくるのだ。

「まあ、これからは自分の相応にあった生き方をするんですね」

 貴族の子息たちは言いたいだけ言って、ケラケラ笑いながら俺の元を去っていった。
 俺は唇を噛み締めながら悔しさに涙が出そうになるけどぐっと堪えて、彼らが立ち去るまで頭を下げ続けた。ここで泣いたら、負けたような気がしたから。

 けれど頭を下げ続ける俺は、影から俺達のやり取りを見ていた視線に気付かなかった。








 その頃、イニエスト公国では。

「レオナルド様、どうされたの?」


 窓辺に立って外を眺めるレオナルドにルナは声をかけ、レオナルドはルナに視線を向けた。

「いえ、なんでもありませんよ」

 レオナルドが言うとルナはそっと近寄った。

「レオナルド様、冬の間こちらにいて下さって嬉しいわ。……もしも、叶うならずっとこのまま」

 ルナが見つめて言うと、レオナルドはふっと笑顔を見せた。

「ええ、貴方が私を必要だと言ってくれるのなら」

 レオナルドはそう言うと従者もいる中、人の目も憚らずにルナの頬をそっと優しく撫でた。

 窓の外は暗く、こちらも雪が降り積もっていた。

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