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殿下、俺じゃダメですか?
2 突然の破棄
しおりを挟むそれから一週間もしない内に、イニエスト公国からディアナ様の妹姫、噂のルナ様がやってきた。
俺はレオナルド殿下の伴侶という事で一緒に挨拶に行くことになり、ルナ様がいる客室へ。
ドアをノックし、部屋の中に入るとそこには従者と共にいる可憐な女性がいた。
豊かな黒髪に紫の瞳。そして紺色の落ち着いたドレスが良く似合っている俺と同い年ぐらいの女性。
一目見て、彼女がルナ様だとわかった。
……あの方がルナ様。ディアナ様は美人って感じの方だけど、ルナ様は可憐な方なんだな。
そんな事を思いつつ、レオナルド殿下を見るとそこには思いがけない表情があった。
ルナ様を食い入るように見つめるレオナルド殿下の視線。
……え?
「お久しぶりですわ。レオナルド様」
ルナ様はソファから立ち上がり、優雅に挨拶をした。
「あ、ああ、お久しぶりです。ルナ様」
明らかに動揺したような声でレオナルド殿下は返事をした。
……レオナルド殿下?
俺はどうしたんだろう? と視線を向けるけど、レオナルド殿下はこちらを見てはくれなかった。俺を見てくれたのはルナ様に問いかけられてからだった。
「そちらの方はもしかして……?」
「あ、私の伴侶のセスだ」
レオナルド殿下が俺を紹介するとルナ様はにこっと微笑した。
「ああ、やっぱり! お姉様から聞いていましたが、素敵な伴侶様ですわね」
ルナ様はレオナルド殿下にそう言い、それから俺を見た。
「初めまして、セス様。私はイニエスト公国の第二王女、ルナ・フォン・イニエストですわ。ルナと呼んでくださいまし」
ルナ様はにこっと笑って俺に挨拶をし、俺も慌てて挨拶を返す。
「は、初めまして。ご丁寧な挨拶をありがとうございます。セスも申します!」
「ふふ、可愛らしい方ね」
ルナ様は朗らかに笑って言った。
……いや、可愛らしいと言うのはルナ様の方では?!
そう思ったけれど、この後俺とレオナルド殿下はルナ様に誘われてソファに座り、暫し話をすることになった。
ルナ様はとても気さくな方で、その上とても話し上手だった。次から次へと話題が出てきては、その内容は面白かった。
だから挨拶をしてすぐに帰るつもりが少し長居してしまって……俺達は結局一時間もルナ様とお話をしてから部屋に戻ることになった。
「ルナ様、とても気さくな方でしたね」
部屋に戻る途中の廊下で、俺はレオナルド殿下に声をかけた。でも返事が戻ってこない。
「レオナルド殿下?」
「え? 何か言った?」
レオナルド殿下は俺の話を全く聞いていなかった。こんなことは初めてで俺は内心驚いた。
……レオナルド殿下、どうしたんだろう。
そう思った矢先、突然レオナルド殿下は足を止めた。
「レオ?」
「少し思い出した仕事があるから執務室に行ってくるよ」
「あ……はい」
返事をするとレオナルド殿下は「先に部屋に戻ってて」と言って、そのまま俺と別れて執務室に向かって行った。
急にどうしたんだろう、一体……?
俺は何かわからないけど小さな不安がこの時から芽生え始めた。
そしてそれは時間が経つにつれ、大きくなっていった。
それ以降、レオナルド殿下は頻繁にルナ様と会うようになっていった。町に連れ出したり、お茶をしたり。
王族同士、何か話があるんだろう……。
そう自分に言い聞かせたけど、今までに感じた事のない不安が俺の心を覆った。
だって部屋にも戻ってこなくなったし、俺が話しても上の空。
レオナルド殿下の変わり様は見るも明らかだった。
……まさか、そんな訳ないよね?
そう不安に思ったけれど、ルナ様が二週間の滞在を終えてようやく帰国され、俺は安堵の息を吐いた。これからは元の生活に戻れる、そう思って。
でも……違った。
ルナ様が帰国した翌日の夜。
風呂上がり、いつも通りに私室に戻るとそこには仕事が終わって戻ってきたレオナルド殿下がいた。椅子に腰かけ、長い足を優雅に組んで考え事をしている。
俺はすぐさま「おかえりなさい!」と声をかけ、レオナルド殿下も返事をしてくれた。
「ああ、ただいま。セス」
その声は覇気がなく、少し心配に思ったがレオナルド殿下は俺を手招きした。
「セス、こっちに来て」
「はい」
俺は返事をして、すぐにレオナルド殿下の向かいの席に座った。
それから「どうしたんですか?」と尋ねてみるが、レオナルド殿下は何も答えてくれない。レオナルド殿下の顔は険しい……嫌な予感がした。
俺は「お茶でも飲みませんか?」と声をかけ、席を立とうとした。でも、そんな俺をレオナルド殿下は「いや、お茶はいい」と引き留め、大きく息を吐いて俺を見た。
そしてレオナルド殿下は俺に告げたんだ。
「セス、私と別れて欲しい」
あまりに唐突な言葉に俺は「……え?」と呟くしかできなかった。
「私と離縁して欲しいんだ」
レオナルド殿下は再度ハッキリと俺に言った。俺は空気を肺に送り込んで、尋ね返した。
「な、なんで?」
それは俺の率直な思いだった。
……なんで? どうしてそんな事を言うの?
俺の心はそう叫ぶ、冗談だったとしても笑えない。でも、きっと冗談じゃない。レオナルド殿下の顔が本気だから。
「ここ最近思うところがあってな……やはり、子供が欲しいと思ったんだ」
「え?」
その言葉はどんな鋭利な刃よりも鋭くて、俺の心を引き裂いた。
「こ、ども」
「ああ。フェニの事もあったし、以前二人で孤児院の慰問に行った事があっただろう? それを思い返して……やはり、子供はいいものだと思ったんだ」
レオナルド殿下は気まずそうに、歯切れ悪く俺に告げた。でも、きっとそれが正直な気持ちなのだろう。でなければ、こんな風に言ったりしないはずだ。
そして俺は思い出す、ちょっと前に訪れた孤児院での事を。
レオナルド殿下は子供達に大人気で、戸惑いながらも男の子達に剣を教えたりしていた。
「セスには悪いと思う。だが……」
レオナルド殿下の目が俺に向かう。その目が言っている気がした。
『お前では子供は産めないだろう?』と。
それは事実で、俺は否定できない。何より、そんな事をこれ以上レオナルド殿下の口から聞きたくなくて、俺は言い返しもせずにこの話を早く終わらせた。
「わ、わかりましたっ……!」
俺が答えるとレオナルド殿下は「そうか、理解が早くて助かるよ。セス」と言って、席を立った。
「あ、どこへっ」
馬鹿な俺は思わず問いかけていた。
「まだ仕事が残っているから、私は執務室に戻る」
「あ……はい」
俺は小さく答えて、出て行くレオナルド殿下を見送るしかなかった。
本当は言いたいことはいっぱいある。
『どうして? なんで? 俺の事、愛してるって言ってくれたじゃないですか!』
そう言いたいのに、言葉が何一つ出てこない。
ただただ痛む胸を抱えて、呼吸するのでいっぱいだったから。
それからレオナルド殿下は一度も俺と共にベッドに寝付くことはなかった。なぜなら部屋に一切戻ってこなくなったから……まるで俺を避けるように。
そして、あれよあれよという間に、レオナルド殿下は俺が元住んでいた部屋を再契約して、引っ越し業者を呼び寄せて荷物を運び出させた。
もうここには戻ってこないようにっていうように、とでも言うみたいに。
当然、引っ越しをするまでの間、俺も気持ちが落ち着いて冷静に話せるようになっていた。だから、レオナルド殿下ともう一度話そうとした。けれど、それは叶わなかった。
使用人さんに取り次いでも、ノーベンさんに取り次いでも『殿下は今お忙しいとの事です』という返事しか戻ってこなかったからだ。
レオナルド殿下は徹底的に俺を避けた。
そこで俺は思い出した。レオナルド殿下があまりに近くて忘れていた事を。
レオナルド殿下はこの国の第三王子で、本当なら庶民の俺が簡単に近づける存在じゃないんだって事。
今まではレオナルド殿下が俺に近づいて来てくれていたから、俺は傍にいられた。気軽に会話もできた。でも普通ならこの国で王位継承権第三位の王子と話すことなんて気軽にはできないんだ。
俺はすっかりその事を忘れていたんだ。
そして、レオナルド殿下が俺を避けるほど、レオナルド殿下が本気なんだと俺は思い知らされた。俺と別れるつもりなんだと。
信頼していた人からの唐突な裏切りは俺を打ちのめし、俺は失意の中、元住んでいた部屋に戻ってきた。今では改築されてすっかり綺麗になってしまった部屋に。
それが昨日までの俺。
そして今日仕事場に行ったら、更に悪い話を聞いてしまった。
レオナルド殿下が明日から冬の間、外交の為にイニエスト公国に赴くという話を……。
それを聞いて俺は何だか腑に落ちてしまった。ルナ様と出会った時から様子がおかしかったレオナルド殿下……きっとルナ様に本物の恋をしてしまったんだと。
だって、あんなに可憐で。気さくな人で、笑顔も可愛くて。何より身分も申し分ないし、俺とは違う柔らかい身体を持った女性だ。俺は、庶民だし、体も細くて柔らかくもない、ひょろっとしたのっぽだし、ただの薬剤魔術師で、何より男だ。レオナルド殿下の隣に立つのは、ルナ様みたいな人の方がよっぽどお似合いだ。それに俺だって最初は形式的な結婚だと思っていた。ちょっとの間、レオナルド殿下の相手をするだけだって。……だから、大丈夫だろ? 俺。
俺は枕に頭を預けて、自分に言い聞かせる。
だけど、悲しい、悲しいと訴える俺の心は俺の瞳から涙を溢れさせる。
「うっ……ぅぅっ」
ぽろぽろっと大粒の涙が次々に溢れては枕に滲んで、泣いちゃダメだって思うのに涙が止まらない。
だって、だって、あんなに愛されて心を交わしたのに、今更必要ないって捨てられるなんて誰が予想できた? 少なくとも俺は全然予想なんてしていなかった。
あの温もりはずっと俺の物だと思っていたんだ。
「レオ……」
酷いことをされているのだとわかっている。こんな一方的なやり方。
それでも俺はレオナルド殿下に灯された好きの気持ちが消えない。それに俺にはレオナルド殿下を憎めない理由がある。
レオナルド殿下は『子供が欲しい』と言った。それは俺が一緒にいては絶対に作れないものだ。
なにより俺は父さんと母さんにも言ったんだ。
『もしもレオナルド殿下が子供を欲しくなったり、他に好きな人が出来たら、俺、別れるつもりだから』
そう告げた。俺はそうなるかもしれない未来も忘れてはいなかったから……。
そして実際にそうなった。だから俺はこのまま身を引くのが一番なんだ。
でも、あの温もりを知った後に一人で眠るのは辛い。
『セス、好きだ』
甘い声も、俺を抱き締めてくれる温かい身体も、優しいサファイアの瞳を忘れるには時間がかかる。
ぎゅっと枕を掴み、俺は胸の痛みに耐えるようにそのまま眠りに落ちた。
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