君が笑うから僕も笑う

神谷レイン

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第二章「父と娘」

2「おじいちゃんな父」

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「じぃちゃ?」

 ICU(集中治療室)を出た後、初めて見る父をあかりは首を傾げながら見上げた。

「そうだよ、あかりのおじいちゃんだよ。あかりは美咲の小さい頃にそっくりだねぇ」

 人のいない廊下で父はしゃがみ、笑顔で言った。そしてあかりの頭を優しく撫でて、そのままその腕に抱いた。いつも人見知りをするあかりが、父に抱き上げられても何も言わず、ただじっと父を見ている。
 そして、その様子を私は信じられないただ思いで呆然とするしかなかった。

 昔と変わらない、その姿。いや、亡くなる前よりもずっと元気そうな姿。まだ病気にかかる前のその姿を父はしていた。そして、父が孫を抱きあげる日が来るなんて想像もしていなかった私は何も言えず、ただ呆けてその様子を見るしかなかった。でもそんな私に、父はあかりを腕に抱いたまま声をかけた。

「美咲、お父さんがこうして戻ってきたのに、何か言う事はないのかい?」
「お父さん、どうして……」

 私がそう言うと、父は首を横に振った。

「そうじゃないだろ? 帰ってきたらなんていうんだっけ?」

 父は私が幼い頃と同じように言い、私はまだそれを忘れていなかった。

「お、かえりなさい……」

 私が言うと、父は嬉しそうな顔をして「ただいま」と答えた。その顔を見て、私は改めてここにいるは正真正銘の父だと確信した。

 けれど、どうしてここに父が?

 その疑問が頭の中に浮かんだ。でも、その疑問を尋ねる前に父の方が先に口を開いた。

「美咲。あかりの事はお父さんが見ているから、聡君の親御さんとお母さんに連絡しておきなさい。あと、入院の手続きもしなくちゃ、だろ?」

 父に言われて、私はやらなければならない事を急に思い出した。

「あかりと聡君の事はお父さんが見ておくから」

 そう言って父はICUの中、ベッドに眠る夫に視線を向けた。あかり同様、父が夫と会うのはこれが初めてだ。父と夫との初めての対面がこんな形になるなんて。私がそう思っていると、父が口を開いた。

「ほら、美咲。いっておいで」

 父に言われて、私は「うん」と答えるしかなかった。でも、そんな私の頭を父は空いている片方の手でぽんぽんっと優しく撫でた。

「大丈夫。お父さんが傍にいるからな」

 亡くなった時と変わらない優しさで言われて、私はさっきまであった筈の孤独や悲しみが薄らいだ。そして、もう二児の母になるというのに父に頭を撫でられて少し嬉しかった。
 でも、そんな事は口が裂けても恥ずかしくて言えない。

「さ、行っておいで。あ、でもお母さんにはお父さんが戻って来ていることはまだ内緒な」

 父はさりげなく言い、私は思わず首を傾げた。

「え? どうして」

 その疑問が口をついて出る。私の覚えている限り、父と母はとても仲が良かった。だから当然、父は母に会いたいだろうし、母は父に会いたいだろうと思った。なのに、内緒にする必要がどこにあるのか? でも次の言葉で私は簡単に納得してしまった。

「サプライズで会いに行きたいからだよ」

 そう父は言った。それが父の優しい嘘だと気が付かず、私はただその言葉を鵜呑みにした。

「そう。わかった、じゃあお母さんにはまだ黙っておくね」
「ああ、ありがとう」

 私はその言葉を聞いてから父にあかりを託し、病院を出て、すぐに母と夫の両親に連絡を入れた。しかし母は祖母の自宅介護、夫の両親は丁度海外旅行中で、すぐにこちらには来れなかった。来れたとしても時間がかかるだろう。

 私は電話を切った後、小さくため息を吐いて、今度は自分の職場に電話を入れた。自分勝手ながらしばらく仕事に出れない事を伝える為だ。でも事情が事情な為、上司はすぐに快諾してくれた。その事にほっとしながらも、その後は病院の受付で、入院手続きをし、私はやっと父の下へと戻った。
 父はあかりと共に廊下の長椅子に座って待っていた。

「おかえり、聡君の親御さんとお母さんはどうだって?」

 父は私が戻ってくるなり尋ねてきた。

「すぐには来れないみたい。お母さんは忙しいみたいだし、聡のお義父さんとお義母さん」
「まあ、そうだろうね」

 父は見越していたように言った後、膝の上にのせていたあかりを下して、よっこいしょ、と座っていた椅子から腰を上げた。

「どこに行くの?」

 私が尋ねると、父より先にあかりが答えた。

「コンビー!」

 あかりの答えに私は首を傾げる。

「コンビニ?」
「ああ、もうお昼だから一階にある売店でおにぎりでも買ってくるよ。美咲は何がいい?」

 父に言われて腕時計に目を向ける、もう時刻は十二時前だ。お腹が空いていなかった私はすっかり時間の事を忘れていた。

「あ、私は別に」
「なら、何か適当なものを買ってくるよ。あかり、一緒に行こうか」

 父があかりに言うと、あかりは返事よく「うん!」と答えた。そして父はあかりを連れて出て行こうとしたが。

「あ、お父さん、待って。お金」
「大丈夫だよ。帰金ききんがあるから」

 父さんはそう言って、あかりを連れて仲良く出て行った。

「そっか……帰生保険金か」

 私はぽつりと呟いた。
 
 『死者回帰現象ししゃかいきげんしょう』によって、亡くなった人が命日から四年後、四日の間だけ現世に帰ってくる。
 でも、その時に自由に使えるお金がないと困る、という事で成人以降『帰生保険』に入ることを義務付けられているのだ。おかげで帰生した時に政府から十万円が支給され、もっと積み立てたい人は民間の保険会社に積み立てるんだとか。
 でも大抵の人は帰ってこれるかわからないから、積み立てるのは余程お金がある人ぐらいだ。

「お父さん、本当に帰ってきたんだなぁ」

 現実的な話をしたせいか私は今更になって、父が帰ってきたことを実感した。
 でも、どうして父が今さら帰ってきたのか、私にはわからなかった。
 けれど悩んでいる内に二人は帰ってきて、父は私におにぎりやサンドイッチ、プリンと飲み物を買ってきてくれた。それをあかりと共に食べた後、父はおもむろにこう話を切り出した。

「さて美咲、これからの事をちょっと話そうか」

 父に促されて、私は父とこの後の事を話し合った。

 私は聡から離れられないので、とりあえず父があかりを家に連れて帰り、面倒を見る事。明日、また来る時に必要なものを持ってくること。買い出しや、やるべき事を父が代わりにやってくれることになった。
 正直、父があかりの面倒をみてくれると申し出てくれた時は感謝するしかなかった。
 さすがにまだ三歳のあかりを一緒に病院に泊まらせるわけにはいかない、かと言って、こんな状況の夫を一人残して家に帰る事もできなかったから。

「美咲、無理するんじゃないぞ」
「私は大丈夫よ。あかりをお願いします」
「ああ、もちろんだよ」

 その頼もしい返事を聞いた後、私は父に車と家の鍵を渡し、父はあかりを抱えて病室を後にした。
 けどやっぱり夕暮れも過ぎた頃になるとあかりの事が少し心配になって、私は病院の外に出て父に電話をかけていた。しばらくの呼び出し音の後、父が電話に出る。
 政府が支給してくれる簡易携帯だ。父が出て行く前に番号を教えてくれた。

『もしもし、美咲?』
「お父さん? その、そっちはどう? あかりは大丈夫?」

 私が尋ねるとあかりの声が電話の向こうから聞こえてきた。その声は楽しそうだ。

『こっちは大丈夫だよ。一緒にアニメを見てる。あ、美咲。干していた洗濯物は取り込んで畳んでおいたぞ。それと冷蔵庫にあるものでオムライスを作ろうと思うんだが、あかりに食べられないものはあるか?』

 そのあまりに自然な声に私はほっと息を吐く。誰かがいてくれる頼もしさ、一人じゃないと思える心強さ。それだけで私の中にあった不安が少しだけ解消される。

「ありがとう、お父さん。あかりに特別嫌いなものはないから大丈夫だと思う」
『そうか、わかった。聡君の方はどうだ?』
「……まだ眠ったまま」

 沈んだ声で言うと、父は心配そうに『そうか』としか言わなかった。それ以上、父も何も言えないのだろう。そうわかっていても、誰かに話せることで少しは気が紛れる。
 そして、そんな私の気持ちを変えようとするかのように、父は『あ、あかりと話すか? ほら、あかり。ママだよ』と言い、携帯をあかりに持たせたようだ。

『ママー?』

 幼い我が子の声が聞こえて、思わず顔がほころぶ。

「ママだよ。あかり、良い子にしてる?」
『うん! あかり、いいこ!』
「そう、おじいちゃんのいう事、ちゃんと聞くのよ」
『うん』
「あかり、おじいちゃんに代わってくれる?」

 私が言うと、あかりは『じいちゃ』と呼んで、父に携帯を渡したようだ。

『もしもし、美咲』
「……あの、お父さん。折角帰ってきたのにごめんね」

 私は少し間を開けてから謝った。
 死者回帰現象、それは死んだ人間に起こるもの。亡くなった人は四年の時を過ぎてからこちらに現れる。そしてこちらに居られる期間はたった四日間。それ以上、こちらで過ごすことは出来ない。
 つまり、父がこちらで過ごせるのも四日しかない。その貴重な一日を使わせてしまうから、私は申し訳なくて謝るしかなかった。でも今は父しか頼める人がいない。そして私は父が私達を放っておけることなどできない事を知って頼った。
 けれど、電話口から返ってきた父の声は明るいものだった。

『そんな事気にするな。お前は今、聡君の身と自分の身に気をかけなさい』

 優しい父の声に私は電話越しに頷いた。

「うん、ありがとう」
『じゃあ、また明日な』

 父の言葉を聞いて、私は「また明日」と通話を切った。そのスマホの画面を見ながら、また明日も父と会えるんだ、とこんな状況なのに微かに嬉しく思った。
 でも、そんな中でずっと尋ねられない一言が頭に浮かぶ。

『お父さんはどうして今、戻ってきたの?』

 そう聞きたかったが、聞けなかった。もし聞いてしまえば父を頼れないような気がして。どこかに行ってしまう気がして。
 卑怯だとわかりつつも、私は携帯を上着のポケットに直した。







 それから夜の九時を回った頃、窓の外は真っ暗な闇夜に包まれていた。
 病院の中はしんっと独特な静けさに包まれ、昼間賑わっていた患者や見舞客達は姿を消した。今、辺りをうろつくのは患者を見回っている看護師だけ。その足音と消毒液の匂い、電子音の音が響く中、私はただ夫が目覚めるのを待つしかなかった。
 でも、今日はもう目覚めないような気がした。夫から目覚めそうな気配を感じられない。私はまた小さなため息を吐くしかなかった。暗い孤独に足が沈んでいくような気分だ。
 時間が一分一秒とゆっくりと進む。苦しさに息をするのも重く感じる。

 ……気分転換に外の空気を吸いに行こう。

 私は席を立ち、病院の外に出た。
 そしておもむろに携帯電話の電源を入れるとちょうど良く、電話が鳴った。
 着信相手は父だった。

『あ、もしもし美咲か? 今大丈夫か?』
「お父さん? うん、今ちょうど病院の外で……それよりどうかしたの?」
『いや。ただお前の事が心配でな。繋がるかわからなかったけどかけてみたんだ』

 そう優しい声で言われてしまえば、胸がじわっと暖かくなる。

「ありがとう。……あ、そういえばあかりは?」
『もう寝たよ。あかりも今日、色々ばたばたして疲れたんだろう。布団に入った途端、ぐずる事もなくすぐ寝たよ』
「そう、良かった」
『ああ、あかりなら大丈夫だ。でも、お前は大丈夫じゃないだろう? あんまり一人で考え込むんじゃないぞ。悪い方向よりも、良い方向に向く。そう思うんだ』

 そうはわかっているけれど、なかなかうまくそう思えない。父のいう事はわかるけれど、やはり不安が先立って悪い方向ばかり考えてしまう。でも、そんな私の考えを父は見越してか、言葉を続けた。

『聡君を信じろ。お前やあかりを残して、新しく生まれてくる子を残して逝く訳ないだろう? そう、信じるんだ。な?』

 夫を信じろ。そう言われると、心が少し軽く感じ、心強く思えた。

「うん、そうだね。聡を信じるよ」

 少しだけ気を取り直して言うと、父も電話口の向こうで少し安心したようだった。

『その調子だ。じゃあ、そろそろ電話を切るよ。おやすみ、美咲』
「うん、ありがとう。おやすみなさい」

 私がそう言うと通話が切れた。その事にちょっともの悲しさを感じながらも、少しだけ父から勇気を貰えた気がした。
 その後、私は病院の中に戻った。
 夫はまだ眠っていたけれど、夫を信じようとただ起きるのを待つのだった。

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