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34 黒猫

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 ――――ローレンツの店での出来事から三日後の夕方。
 訓練を終えたドレイクは寮に戻り、自室に入るとすぐに制服を脱いでラフな格好になった。そしてベッドに腰を下ろす。だが思い出されるのは、帰り際に団長であるヒューゲルに言われた言葉だ。

『ドレイク、最近身が入っていないな。何か困り事があるなら相談に乗るが……』

 ……団長にあんな事を言われるとは。

 ドレイクは「はぁ」とため息を吐くとくしゃくしゃっと頭を掻き、鮮やかな赤い髪が乱れる。だが気にせず、そのままベッドに横になった。そしてぼんやりと天井を見つめる。

 ……身が入ってない、か。その言葉通り過ぎて何も返せねぇ。

 ドレイクは天井を見つめながら心の中で呟く。
 ヒューゲルの言う通り、ドレイクはここ最近訓練に身が入っていなかった。それは自分でも自覚していた事だった。だが、どうすれば元のように戻れるのかわからなかった。
 ただ唯一の救いは、不調の原因が例のクッキー事件だということはハッキリとしていた事だった。

 ……別に体に害はない。媚薬入りのクッキーをアイツが食べただけじゃないか。

 そう自分に言い聞かせる。だが、やはり自分のせいで起こった事だと思うと胸の奥がモヤモヤと、なぜか堪らない気持ちになった。
 自分が何かをしたわけじゃないと言うのに。

 ……どうして俺がこんな気持ちにならなきゃいけないんだ。

 ドレイクは不貞腐れた様子でただただ天井を見つめた。そうすれば今度はローレンツの言葉が蘇る。

『今のお前は、好きな子を自分のせいで傷つけてしまったって顔をしてるぞ』

 ……何を馬鹿な。そもそも俺はアイツを好きじゃない。気にはなるが……そういうものは俺にはない。大体愛だの恋だのくだらない。そんなもの一時の気の迷いだろ。

 ドレイクは心の中で吐き捨てるように呟いた。でも、ドレイクがそう思うのも無理らしからぬ事だった。ドレイクの両親はどちらも養育を拒否し、生まれたばかりのドレイクを孤児院へ送り込んだのだから。

 ……愛がなくても体の関係は成り立つし、子供もできる。それにこの世の中、どれだけ離婚した夫婦がいると思ってるんだ。

 ドレイクはそんな風に思いながら「フンッ」と一人鼻を鳴らす。けれど再びローレンツの言葉が頭を過った。

『俺は何度もターニャを泣かせた。今のお前みたいに気づこうとしないでな』

 真面目なローレンツの顔が思い出され、ドレイクは考え込む。

 ……この気持ちが愛だ、恋だと思わないが。アイツが泣くのは……気分が悪い。

 ドレイクはコーディーが泣く姿を想像して、言葉に表せない嫌な気分になる。

 ……アイツは能天気に笑ってるぐらいがいいんだ。……だが、俺が傍にいるといつも困り顔だな。俺はもうアイツとは関わらない方がいいのかもしれない。

 ドレイクは天井を見ながら、そんな事を思った。しかし拗ねた顔や美味しそうに料理を頬張る姿を思い出せば、また顔を見たいとなぜか思ってしまう。

 ……どうして俺は……。

 胸に溢れる気持ちに名前が付けられず、ドレイクは眉間に皺を寄せた。
 けれど、そんな時。

 ――――カリカリカリッ。

 何かを引っ掻く音が聞こえて、ドレイクはすぐさま体を起こした。
 なんだ? と思いながら音のする方を見れば、そこにはほっそりとした黒猫が一匹、窓辺に佇んでいた。

「……ネコ?」

 ドレイクは呟き、そのままベッドから立ち上がって黒猫のいる窓辺へと近づく。
 寮の部屋は二階にあるが、近くに大木があるのでその木を登ってきたのだろう、とすぐさま推測する。そして何気なく窓を開けてみた。すると黒猫は恐れも躊躇いもせずに、するりっとドレイクの部屋の中へと入ってくる。

 ……やけに人馴れしてる猫だな。餌でも欲しくてやってきたのか?

 ドレイクがそう思えば、黒猫はキョロキョロと部屋の中を見回している。

「おい、ここにはお前が食えるもんは何もないぞ」

 ドレイクは何気なく黒猫に声をかける。すると黒猫はまるで人の言葉がわかるみたいにドレイクに振り返った。なので続けて話しかけてみる。

「餌が欲しけりゃ一階の食堂へ行け」

 ドレイクが言えば黒猫は「にゃー」と鳴いた。しかし部屋から出て行こうとしない。

 ……一体何がしたいんだ?

 ドレイクはそのまま黒猫を眺める。すると黒猫はベッドを見上げて、昇ろうとした。しかし外から歩いてきて汚れている足元。
 すぐさまドレイクは黒猫をひょいっと持ち上げた。

「おい、どこに登ろうとしてんだ」
「んにゃっにゃっ!」

 ドレイクが持ち上げると黒猫はパタパタッと足を動かす。

「こら、暴れるな」

 ドレイクは言い聞かせながらしっかりと黒猫を抱く。そうすれば黒猫は大人しくなった。

 ……やっぱり人に飼われてる猫か? ……それにしてもこの猫。

 背を撫でてやれば、柔らかくてビロードのような毛並みに――――なぜかムラムラしてくる。それはコーディーに感じるものと同じものだった。

 ……俺はとうとう猫にまで?

 ドレイクは少々絶望的な気持ちになるが、不意に撫でる手を止めると「んにゃ!!」と黒猫はドレイクを見上げて鳴いた。
 まるで、手を休めずもっと撫でろ! とでも言いたげな顔で。

 なのでドレイクはやれやれと思いつつ、ベッドに座って膝に黒猫を乗せるとそのまま背や首元を撫でた。そうすれば黒猫は満足気に喉をゴロゴロと鳴らす。その様子にドレイクもまんざらじゃない気持ちになってくる。

 ……アイツもこんな風に簡単に手を出せたらいいんだがな。

 ドレイクは黒猫を撫でながら思う。しかし不意にあることが気になった。

 ……そういえば、この猫はどっちなんだ?

 ドレイクはそう思うと黒猫の体を両手でひょいっと自分の真正面に持ち上げる。黒猫は急に持ち上げられて不思議そうな顔をしたが暴れることはなく、ドレイクはそのまま黒猫のあるモノを確認した。

「お前、オスか」

 ドレイクは持ち上げられた黒猫の股を見て呟いた。すると「にゃっ!?」と黒猫は鳴くと、ジタバタとさっきより激しく暴れ出した。

「うわっ、ちょ、暴れるな!」

 ドレイクは黒猫を落としそうになり、慌ててしっかりと持って膝の上に戻す。
 だが黒猫の背は毛羽立ち、ぐるるるっと唸りながらドレイクを睨んでいる。その姿はまるで人間のようだ。いや、この姿は……。

 ……この反応、まるでアイツみたいだ。いや、だがまさか?

「コーディー?」

 ドレイクは半信半疑で名前を呼んでみる。すると黒猫の肩がぴくっと動き、表情が変わる。それを見て、ドレイクの疑いは確信に変わった。
 コーディーは小間使い呼ばわりされているが、一応魔法使いなのだ。
 しかし黒猫はドレイクの膝から逃げようとする。無論、ドレイクが逃すはずはなかったが。

「にゃっ!?」

 逃げようとする黒猫の首根っこをドレイクはしっかりと捕まえ込んだ。

「おいお前、コーディーだろ?」

 ドレイクは黒猫を見つめて問いただす。そうすれば黒猫は顔を背けた。

 ……この反応、やっぱり間違いないな。馬鹿正直なアイツらしい反応だ。

「今すぐ正直に正体を明かせば許してやる。だが、このまましらを切るなら……」

 ドレイクが言えば黒猫は『しらを切るなら、どうなるんだ!?』という怯えの目でドレイクを見る。

 ……本当にこいつは気持ちが表情に出るな。

 ドレイクは内心笑いそうになりながら黒猫を持ち上げ、そのままベッドの上で仰向けに寝かせる。

「にゃぅっ!?」

 黒猫は声を上げるが、ドレイクはお構いなしだ。

「どうする? 正体を明かすか?」

 ドレイクは最終宣告する。しかしコーディーは迷った顔をした後、フイッと顔を背けた。それが答えだった。

 なので、ドレイクは「そうか。お前がそういうつもりなら」と言うと、黒猫の両手を掴んだままそっと屈んだ。そしてそのまま黒猫の腹に顔を埋める。

 ふかふかモフモフ、温かい体にドレイクはちょっと和んでしまうが、すぐに黒猫は叫び声ならぬ鳴き声を上げた。



「ンニャァアアアーーッ!!!」

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