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12 ミモザ
しおりを挟む――――それから俺は次から次へと運ばれてくる美味しいフレンチのフルコースに舌鼓を打ち、お腹をしっかりと満たした後。
今度は同じフロアの別エリアにあるバーへと足を運んだ。
でもバーの中を覗けば、さっきのレストランだけでも敷居が高かったのに、今度はもっと身の丈に合わない雰囲気に俺は呑まれそうになる。
照明が落とされたシャンデリアはほのかに輝き、シックなインテリアに、ジャズの生演奏。そしてバーテンダーがカウンターで静かにカクテルを作り、アルコールの香りが満ちている。
とにかくラグジュアリーな雰囲気でいっぱいだ。
……俺、本当にこんなところでお酒を飲むの?!
そう思うけれど京助さんは軽い足取りでバーの中へと入って行く。という訳で、俺もついて行くしかない。
そうすれば俺達はまたもスタッフの人に案内されて、窓側の小さなテーブルが置かれたソファ席に誘導された。
「いい席が空いてたな」
京助さんはそう言うとソファに腰掛け、俺もその隣へ座る。それから京助さんは案内してくれたスタッフに早速注文した。
「すみませんが、ジンフィズを一杯と。あまり強くない甘めのカクテルを一杯、お願いしたいのですが」
京助さんが尋ねるとスタッフの人は俺を見て察したのか、丁寧に返した。
「強くない甘めのカクテルですね。でしたら、カシスオレンジやファジーネーブル、ミモザなどオレンジジュースベースのお酒などいかがでしょうか? アルコールに慣れていない方でも楽しめるカクテルかと思います。カルーアミルクなど、少し度数が高くなりますが甘めのカクテルですし。若い方にはラムコークなども馴染みが合って飲みやすいかと思います」
「なるほど。夏生、どれがいい?」
京助さんに話を振られ、俺は慌てる。
「俺、よくわかんないよ」
「そうか。じゃあ、俺が決めていいか?」
「お願いします」
俺が頼むと京助さんは再びスタッフの人に視線を向けた。
「確か、ミモザはスパークリングワインとオレンジジュースを合わせたものでしたよね?」
「はい、その通りでございます」
「では、ミモザを一杯お願いします」
京助さんが伺い、頼むとスタッフの人はにこやかに「畏まりました」と答えて、一礼して去って行った。
そして俺はホッと息を吐く。この慣れていない空間に。
……ホテルのバーって本当にお洒落だなぁ。やっぱりこういう所にお酒を飲みに来る人って会社の社長とか、重役の人達なんだろうか?
俺は他の席やカウンターでしっぽりと飲んでいる人たちを眺める。でも無言で座る俺に京助さんは声をかけた。
「随分と静かだな。こういう所は苦手か?」
「苦手というか……身分不相応な気がしてるだけだよ」
俺が答えると京助さんは苦笑した。
「ま、夏生の気持ちもわからなくもないが、こういう所で飲むってのも経験の一つだよ。きっとこれからは色んなところで飲んでいくシーンもあるだろうからな」
「そういうもの?」
「ああ。その内、自分で飲める量と呑まれる量がわかってくるだろう」
「呑まれる量って?」
「酔っぱらうってことだ。酒は呑まれない程度に飲むことがマナーだからな」
「ふーん?」
俺はいまいち京助さんの言っている意味が分からなくて、曖昧な返事をする。でも、そんな俺に京助さんは分かり易く教えてくれた。
「夏生、ビアガーデンでバイトしてるんだろ? その時、正体を無くした客とか見てるんじゃないのか。そう言うのを呑まれるって言うんだよ」
京助さんに言われて思い出し、俺は「あー」と思わず返事をする。
……確かにあれは飲むと言うより、お酒に吞まれてるって言葉が合ってるな。
俺は迷惑な酔っ払い客を思い出して、自分はそうならないように気を付けようと心の中で思う。
けれど、そこへさっきのスタッフの人が早くも頼んだカクテルを持ってきてくれた。
「お待たせいたしました、ジンフィズとミモザでございます」
コースターの上にそれぞれのグラスを置き、サービスのナッツを添える。
「では、ごゆっくりどうぞ」
それだけを言うとお辞儀をしてカウンターへ戻って行った。
一方、俺は目の前に置かれたカクテルに視線を向ける。
「これがミモザ」
俺は細長いグラスに入ったほとんどオレンジジュースにしか見えないカクテルを見つめる。そして、隣にある京助さんのグラスには透明なカクテルが入っていた。
「試しに一口飲んでみたらどうだ? 飲めそうになかったら俺が飲むよ」
京助さんはそう言って、俺に勧めた。なので俺はとりあえずグラスを手に持ってみる。そして、くんくんっと匂いを嗅いでみればオレンジジュースの匂いしかしない。
……これ、本当にお酒が入ってるのかな?
そう思いながら、グラスの縁に唇を当ててちょびっと一口含んでみた。するとほとんど甘いオレンジジュースの味しかしない。でも、ちょっとシュワッとしていてなんだかおいしい。
「どうだ? 飲めなさそうか?」
「ううん、これなら俺も飲める」
俺はそう答えて二口目を飲む。そうすれば京助さんは「そうか」と言って、自分のグラスに手を伸ばした。そして透明なカクテルをおいしそうに飲む。
「京助さんの飲んでるお酒って、どんな味?」
「ん? どんなってレモン系のお酒、かな。一口飲んでみるか?」
京助さんはグラスを俺に傾けて言い、俺は好奇心から京助さんのグラスを受け取って一口飲んでみる。でも強いアルコールに俺は苦みを感じて、すぐに口を離した。すると京助さんはハハッと笑う。
「やっぱり強かったか」
「うー、よく平気な顔で飲めるね」
俺はミモザで口直しをして、京助さんに言う。でも京助さんは俺から受け取ったグラスにまた口を付けた。
「別に平気なわけじゃないけど、年を取ると不思議と苦みが上手くなるんだよ」
「ふーん、そういうもの? じゃあ、俺もいつかその飲み物がおいしく感じる時が来るのかな」
「もっと大人になればな」
……大人になれば、かぁ。今日はなんだか、そのワードを強く意識するなぁ。
俺は京助さんに言われてしみじみと思う。
「でも。大人で思い出したが、そろそろ旅行に行く資金は貯まったんじゃないのか?」
京助さんに聞かれて俺は正直に頷く。
「おかげさまで。でも、すぐに行くつもりはないよ。大学を卒業してから行こうと思ってるんだ」
「卒業旅行ってことか、いいな。……けど、きっと旅行だけじゃなくて、夏生はこれからなんだってできるんだな」
「なんだってって、俺、そんなになんでもできないよ?」
「いや、しようと思えばなんだってできるさ。若さがあるんだから」
京助さんは俺を見て言う。でも、俺が欲しいのは若さより大人の渋さだ。こうやって京助さんの隣に座っていても、おかしくないぐらいの貫禄が欲しい。
でも、今の俺にはそれは遥か遠くに思えた。それに……。
……なんだってできるなら、京助さんと付き合う事もできる?
俺はちびっとカクテルを飲んで、隣に座る京助さんの横顔を眺める。
大きな窓ガラスの向こうに見える夜景を背景に、グラスを手に持つ京助さんはいつも以上にカッコよさと色っぽさが倍増だ。なんならこのまま写真集でも出せそうなくらい。だからこそ、やっぱり俺は心の中で考えてしまう。
……どうしてこんなにも俺に優しくしてくれるんだろう。こんなバーにまで連れてきてくれて、誕生日だからってそれだけで? なんでもない人を連れてきたりする? ……俺、勝手に期待しちゃうよ、京助さん。
俺は胸がぎゅっと締め付けられるような想いを感じながら、冷たいカクテルを口に含む。でもあんまりにも飲みやすいから、気がつけばあっと言う間にミモザを飲み干していた。
「夏生。もう一杯、違うやつを飲んでみるか?」
京助さんは空になったグラスを見て俺に尋ねた。なので俺はちょっと考えてから頷く。そうすれば京助さんは近くを通りかかったスタッフの人に二杯目を頼んでくれた。
そしてしばらくして運ばれたのはカルーアミルク。牛乳ベースのお酒と言われたけれど全然イメージが出来なくて。でも一口飲んでみれば、これも美味しかった。甘くてお酒という感じがしない。
……今までお酒のイメージってビールしかなかったけれど、今日は京助さんのおかげでお酒の奥深さに少しだけ触れられた気がしたな。
俺は緊張していたバーの雰囲気にもすっかり慣れて、ゆったりと流れる空間にもはや居心地ささえ感じていた。
けど、アルコールの免疫がない俺は、まだ十時前だというのになんだか眠くなってきた。そして、うとっとしてきた俺に京助さんは気がついた。
「眠くなって来たか? カルーアミルクは少し度が高いからな、夏生には二杯は多かったか」
「大丈夫、ちょっと眠いだけ。それに二杯ともおいしかったよ」
「そうか。でも、そろそろ帰ろう。時間もいい具合だしな」
京助さんは腕時計を見て言った。けど、帰ったらもうこの楽しい時間が終わってしまう。寂しさが胸に吹く。
「もう帰るの?」
頬に軽い熱さを感じながら俺が問いかければ、京助さんは俺をじっと見て、それからそっと俺に近づくと耳元で色っぽく囁いた。
「なら、泊まっていくか?」
誘われて、俺は胸の奥が唸る。さすがの俺でも、その言葉の意味を知っていたから。けれど、ドキドキしてすぐに返事ができない俺を京助さんはすぐに茶化した。
「冗談だよ。なに本気にしてんだ」
京助さんは笑って言った。その言葉に俺はちょっと傷つく。けれど俺は勇気を振り絞って、ぐっと手に力を込めて想いを伝えた。
「俺、本気でもいいよ。京助さんとなら泊まっても……」
俺の出した精一杯の答えに京助さんは驚いた顔を見せる。まさか、俺がそんな事を言うとは思っていなかった顔で。
「夏生」
「京助さん、俺は京助さんのことが」
俺は京助さんを見て、胸の内を明けようとした。でも、残酷にも京助さんはそうはさせてくれなかった。
「夏生。お前、相当酔ってるな」
京助さんは俺の言葉を遮って、決めつけた。そのあまりにも一方的な言い方に、俺はすぐに反論する。
「なっ、俺は酔ってなんか」
「いいや、十分酔ってるよ。さ、早く帰るぞ」
京助さんは有無も言わせずに席を立った。俺はそんな京助さんを見上げて、言葉を続けようとした。
「京助さんっ、俺は!」
「夏生、帰るぞ」
京助さんは俺の言葉を聞かず、俺の気持ちを突き放すように告げた。そこに見えたのは頑なな拒絶。だから俺はなにも言い返せなくて。
……京助さん、どうしてだよっ。
俺は悔しさと悲しさにぐっと口を閉じ、でも京助さんの言う通り、大人しく席を立った。
それから俺達はバーを出て、エントランス外でタイミングよくタクシーを捕まえ、乗り込んだ。そして俺達を乗せたタクシーは来た時と同じ道を通る。
ただ、行きと帰りで違ったのは俺が終始無言で京助さんの方を見なかった事。そして楽しさや喜びを感じていた行きとは逆に、怒りと失望、悲しさを抱えていたって事だ。
でも、どうしたって笑う事はできなかった。
最後の最後で俺の気持ちを京助さんはないがしろにしたんだから……。
*****************
こちらに出てくるカクテルですが素人調べですので、あしからず。
ちゃんとしたバーに一度は行ってみたいものです(´・ω・)
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