京助さんと夏生

神谷レイン

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9 衝動のキス

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 ――――それから二時間後。

 エンドロールまで見終わった後、俺は映画の余韻に浸り、ふぅっと息を吐く。そして隣にいる京助さんを見れば腕を組んで眠っていた。きっと今日の人混みに疲れたんだろう。それにもう時刻は十二時を過ぎてる。

 ……京助さん、家を出るまで執筆してたって言ってたからなぁ。

 俺はそう思いながらも、京助さんの寝顔に見入ってしまう。

 ……かっこいいけど、寝顔はなんだか可愛いな。

 自分よりずっと年上の男の人をそう思うのはやっぱり恋してるからだろうか、と思いつつ俺は京助さんの肩を揺らして起こした。

「京助さん、京助さん」

 俺が呼びかければ、京助さんは薄っすらと目を開けた。

「京助さん、映画もう終わったよ。こんなところで寝ないで、ベッドで寝た方がいいよ」
「あー。映画終わったのか。悪い、寝てた」
「今日は疲れたんだよ。俺、もう帰るから」
「帰るのか?」
「うん。俺も自分のベッドで寝るよ」

 俺が伝えば京助さんは「そうか」と小さく答えた。そしてやっぱり眠気に耐えられないのか京助さんはソファから立ち上がった。

「夏生、俺は寝るから鍵はいつも通り閉めておいて」
「うん、わかった。今日は付き合ってくれてありがとう、京助さん」

 俺がお礼を言うと京助さんは俺の頭を一撫でして微かに笑うとそのまま寝室へと行ってしまった。そして残った俺は触れられて嬉しい気持ちと、子ども扱いされた気持ちでちょっと複雑。
 けれど、その気持ちのままじっとしている訳にもいかず、俺もソファから立ち上がった。

 ……帰るって言ったけど、とりあえずテーブルを片付けてからにしよう。

 俺はテーブルに置かれた二つのコップとまだ少し残っているスナック菓子、ジュースのペットボトルをささっと片づけた。
 それから、仕事をし始めてから暫くして貰ったこの家の合鍵を手に寝室へ向かう。

 ……京助さんってば、俺なんかに合鍵くれるんだもんな。『もういちいち出るの面倒くさい。チャイム鳴らしたら、これで勝手に入ってくれ』って言って、ぽいって渡すんだもん。京助さんは基本的に在宅仕事だから家にいるけど、俺が京助さんのいない内に勝手に入ってお金を盗んだりって考えたりしなかったのかな? まあ、そんなことしないけど。大らかなのか、不用心なのか。うーん。

 俺はそんな事を思いながら、そっと寝室のドアを開ける。

「京助さん、帰るね」

 カーテンの隙間から入る月明かりだけ照らす、真っ暗な部屋の中。俺は小さな声で囁くように一応声をかけた。でも当然返事はない。聞こえるのは京助さんの微かな寝息だけ。
 きっともうぐっすりと熟睡しているのだろう。だから、そのままドアを閉じて帰ればよかった。
 けれど、俺の胸にひょこっと下心が生えてしまう。

 俺は暗い部屋の中を忍び足で、ベッドに仰向けに横たわる京助さんに近寄る。けれど京助さんは気づかずに、すやすやと夢の中だ。でも、その顔を見ているだけで俺は堪らない気持ちになってしまう。好きな人に触れたいって気持ちに。

 そして、立ち尽くす俺に心が静かに囁いた。

 ……京助さん、好きだよ。だから、京助さんに優しくされると俺、勘違いしそうになるよ。……京助さん、どうしてそんなに俺に優しくしてくれるの?

 俺は京助さんの寝顔を見ながら、俺の心は問いかけた。

 今日の花火大会だって、先日の看病だって、それ以前だって京助さんは俺にいつだって良くしてくれる。『帰りたくない』って言った俺のわがままにも付き合ってくれて。

 俺はただの大学生で、二軒隣に住んでいる親しい隣人ってだけなのに。それ以上でもそれ以下でもないのに。

 ……俺にとって京助さんは好きな人だけど。京助さんにとって俺は何になる? 俺、京助さんの特別になりたい。どうしたら、なれるのかな?

 でも、そう思うばかりで意気地なしの俺は京助さんに告白の一つもできなかった。なんだか、告白してしまったらこの居心地のいい関係が終わってしまうような気がして。

 ……でも、きっとこのままじゃいられないよな。今はいいけど、もしかしたら突然京助さんにいい人が現れてしまうかもしれないし。そうなったら俺は。

 俺は京助さんの寝顔をぼんやりと見ながら、手にしている合鍵をぎゅっと握る。不吉な想像に胸が抉らるような気持になって。

 けど俺はハーッと深呼吸して、気持ちを切り替えた。

 ……嫌な想像はここまでにして。今日のところはもう帰らなくちゃな。いつまでもここにいる訳にもいけないし。
 俺はそう思って、今度こそ帰ろうと京助さんから離れようとした。

 でも、そんな時。

「夏生」

 京助さんに呼び止められて、俺は振り返る。でも京助さんは目を閉じたままだ。

 ……寝言?

 俺は驚いて目をぱちくりとする。けど、京助さんはもう一度声を上げた。

「夏生、どうした?」

 京助さんは優しく尋ねた。その声に、言葉に、俺は胸が熱くなる。
 いつだって俺を気遣ってくれる優しい京助さんに。

 ……夢の中まで、俺に優しくしてくれるの? どうして、あなたは。

 そう思ったら体が勝手に動いていた。いけない事だとわかっていても、感情にブレーキが掛けられなかった。

 好きな人に触れたい気持ちが溢れかえり、俺は京助さんにそっと近づいた。そして、眠る京助さんの鼻先まで顔を寄せて、柔らかい唇を許可もなく奪った。
 そうすれば京助さんの唇は思っていたよりも柔らかくて、俺は胸震わせる。好きな人に触れられて。 

 でも、した後ですぐに大きな後悔が波のように押し寄せた。衝動的で、軽率で、最低な行為だと”理性”が俺を容赦なく罵倒したから。

 ……俺、京助さんに断りもなく! なんてことを!!

 俺は自分のした行為に居た堪れなくて、すぐに部屋を飛び出した。
 そして家を出て、誰もいない自分の家に戻り、自室に籠った。けど京助さんに触れた喜びと罪悪感が胸に大きく渦巻いて、その日の夜はとてもじゃないけれど眠れず。

 ……俺、今度京助さんにどんな顔して会えばいいんだろう? ごめん、京助さん!

 そう思うばかりで。俺は結局、自分の事ばかりしか考えていなかった。





 ――――この時、実は京助さんが起きていたなんて気づきもせず。

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