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8 夏祭りの後は……
しおりを挟む――――それから花火大会は無事に終わり、俺達は電車に乗って帰路に着いた。
けれど駅から家に帰る途中で突然の大雨に降られてしまい、マンションのエントランスに着く頃には二人してびしょ濡れ。体に張り付く服が気持ち悪く、靴下もぐしょぐしょ。そして、京助さんも……。
「はぁー、まさか雨が降るなんてな」
エレベーターの中で、眼鏡を外した京助さんは水の滴る前髪を掻き上げて言った。その姿はまさに水も滴るいい男。
でも、その格好良さに当てられて顔が緩みそうになる。だから俺は濡れた顔を拭うフリをして手の甲で顔を隠した。
「う、うん、そうだね」
俺は曖昧に答え、何気なく上がっていくエレベーターの階数表示に視線を向ける。
……もう着いちゃうな。
エレベーターが上がれば上がるほどに、この楽しい時間がもうすぐで終わってしまう事を知らされているみたいで嫌な気持になる。
……さっきまであんなに楽しかったのに。
けれどエレベーターは無情にも俺達の住むフロアに着き、自動ドアが開いた。京助さんは先に降り、俺もそれに続いて下りる。
それから数歩歩けば、もう俺の家の前だ。というか、もう着いてしまった。……早すぎる。
「じゃあ、またな。夏生」
京助さんは俺に振り返って言った。でも俺は何も答えない。ここで別れたくなくて。
……もう少し。もう少しだけでも京助さんと一緒にいたい。……でも、花火大会にも付き合ってもらったし。これ以上は我儘かな。
返事もしないで考えていると京助さんは怪訝な顔で「夏生、どうした?」と聞いてきた。
だから俺は咄嗟に嘘を吐いた。
「ううん、なんでもない」
俺は笑って誤魔化す。でも京助さんはすぐに俺の嘘を見破った。
「なんでもないって顔してないぞ。どうした、何か気になる事でもあるのか?」
京助さんは優しく俺に尋ね、その優しさに俺の心はゆれ動く。
……なんで、京助さんはこんなに優しく尋ねてくれるのかな。俺、我儘になっちゃうよ。でも、これ以上は。
「夏生?」
心配げな瞳で名前を呼ばれたらもう駄目で、口から本音が勝手に零れ落ちていた。
「京助さん。……俺、まだ帰りたくない」
わがままな、子供っぽい願い。言い方も子供っぽくなってしまった。でも、それが正直な気持ち。
そして、俺の言葉を聞いた京助さんは。
「帰りたくないって……」
もう家の前だぞ? と京助さんの表情が語っている。でも俺は髪先からぽたぽたと雨水を滴らせながら、じっとその場に立ち尽くした。
そして京助さんは俺の家の玄関ドアを一回見た後、再び俺に視線を向けた。
「親父さん、帰ってこないと心配するんじゃないか?」
「父さんは今日は帰ってこない。そう連絡があったから」
俺はすぐに答えた。でも同時に、言ってしまった事をもう後悔していた。
……ああ、どうして言っちゃったのかな。京助さん、やっぱ困ってるじゃん。
「京助さん、やっぱ今のナシ。忘れて。俺、家にかえ」
「家に来るか?」
言いかける俺に被せるように京助さんは言い、俺は「え?」と顔を上げる。そうすれば京助さんはくすっと笑った。
「まだ帰りたくないんだろ? なら家にくるか?」
「……いいの?」
「別に構わない。ただ先に風呂に入ってこい。その後、家においで」
京助さんは優しい声で俺を誘ってくれた。おかげでさっきまで曇っていた心が一気に晴れ空になる。自分でも嫌になるぐらい単純だ。でも嬉しいから仕方がない。
……やった。もう少し京助さんと居られるっ。
俺は嬉しくて顔がつい緩みそうになる。でもそんな俺に京助さんは声をかけた。
「夏生」
「ん?」
俺が返事をすると京助さんは身を屈めて俺の耳元で色っぽく囁いた。
「折角だ。……俺と夜更かしでもしようか?」
その声にもだけど、京助さんの吐息が耳にかかって俺はドキリと胸が跳ね上がる。
「きょ、京助さん?!」
俺が驚いて名前を呼ぶと、京助さんはニッと笑った。
「じゃあ、ちゃんと体を洗って来いよ」
京助さんはそれだけを言うと、早々に自分の家へと帰ってしまった。そして残された俺はと言えば……。
「……えっ!?」
……今のってどういう意味ーーーーーっ!?
◇◇
――――それから三十分後。
軽くシャワーを浴びて、髪も生乾きのまま首にタオルをひっかけて京助さんの家へ俺は訪れた。そうすれば……。
『早かったな、夏生』
京助さんは俺の腕を引き、寝室へ向かう。
『え? え? 京助さん!?』
驚く俺を京助さんは何も言わずに寝室へ連れ込み、そしてベッドに押し倒した。
『え、京助さん、な、なに?』
『夏生、俺と夜更かしをしようって言っただろ?』
京助さんは俺に覆いかぶさって、色っぽい顔で言った。
そして京助さんは俺を。
……なんて事になったら、どーしよッ!?
俺は玄関前に立って、一人、妄想で頬を熱くしていた。
しかし、緩む顔を両手でぺちんっと叩いて精神統一をする。
京助さんと分かれて三十分。軽くシャワーを浴びた俺は、髪も生乾きのまま首にタオルをひっかけて、京助さんの家の玄関ドアを開けた。
そしてリビングに入れば……。
「早かったな、夏生」
京助さんは家へやってきた俺を見て、呑気に言った。そしてリビングには飲み物とスナック菓子が用意され、風呂上がりの京助さんはDVDデッキにディスクを入れようとしていた。明らかに映画鑑賞する流れだ。
妄想と違う展開に俺はちょっとだけがっかりする。
……やっぱり、そうはならないよねぇー。いや、なっても心の準備ができてないから無理だけど。けど。あんな言い方するからぁー。
俺はそう思いながら京助さんに声をかけた。
「京助さん、これは?」
「夏生、この前見たいって言ってただろ? 昨日、ちょうど借りてきたから」
「それはそうだけど……」
……夜更かしってこういう事かぁ。
「ん? もしかしてもう見てたか?」
少しがっかり声で呟いた俺に京助さんは尋ねた。なので俺は慌てて否定する。
「ううん! 見てないよ!! 見たいと思ってたからうれしい!」
俺はそう答え、ソファにぽすんっと座る。そしてテーブルの上を見れば、近くのレンタルDVD屋さんの袋が置かれていた。
……京助さん、俺の為にわざわざ借りに行ってくれたんだ。妄想みたいにはならないけど、これでも十分すぎるぐらいだよね。
俺は胸が少しほっこりする。誰かが自分の為に何かをしてくれたという事実に。それが好きな人ならなおさら嬉しいに決まっている。
……でも、京助さんって今時ネットの配信サービスがあるのに、いっつもレンタルDVD屋さんだよなぁ。
以前、その事を言及すれば京助さんは『ネットで簡単に見れるのもいいけど、俺は店に行って並んでるDVDのパッケージとか見て選びたいんだよ』と言った。
……でも絶対ネットで見た方が色々便利だと思うんだけどなー。
そう思うけど俺はDVDを見て、不意に仕事をし始めた頃の事を思い出した。
それはシーツを替えようと、京助さんがシャワーを浴びている間に寝室のクローゼットを開けた時の事だった―――。
◇◇
……えーっと。替えのシーツはここだっけ?
高校生の俺はクローゼット内にある引き出しを開けたが、そこは教えて貰ったのとは別の引き出しで。中には少し古めのエッチな雑誌とDVDが数点置かれていた。
……う、うわぁっ、京助さん、こういうの見るんだ。
俺は引き出しをさっさと閉じればいいのに好奇心が勝って、まじまじと中を見てしまう。でも仕方ない、俺だって健全な高校生男子で、エッチな事には興味があるお年頃なのだ。
しかしエッチなパッケージ眺めていると、あるDVDに気がついた。それはパッケージに男しか映ってないDVD。
……ええっ!! なんでこんなのがッ?!
俺は衝撃を受けて、思わずそのDVDを見つめてしまう。でも、背後に忍び寄る影は俺に囁いた。
「夏生くんのえっち」
後ろから囁かれて俺は肩を大きく揺らしてビックリした。
「ぅわぁあっ!! きょ、京助さん!!」
「好きなのでもあったか?」
風呂上がりの京助さんは濡れた髪をタオルで拭きながら、何てことない顔で俺に尋ねた。そこに恥ずかしさはないみたい、見つけてしまった俺はすごく恥ずかしいのに。
「ご、ごめんなさい! 勝手に見て!」
俺は慌てて引き出しを閉じた。
「別に構わないけど。夏生だって見るだろ? ……あ、これってセクハラになるか。悪い、聞かなかったことにしてくれ」
「べ、別にセクハラってほどのことじゃ」
俺が否定すると京助さんは「そうか?」と言った。でもそんな京助さんに、よせばいいのに俺は気になってつい問いかけてしまった。
「あ、あの、京助さん。中に男同士のやつもあったんだけど」
「ああ、昔付き合ってた奴が置いてったのだ」
「え? でも」
女の人が? と思った疑問はすぐに解消された。
「その時、男と付き合ってたから」
京助さんはさらりと答え、俺は内心驚く。でもそれはさすがに声には出さなかった。
「へ、へぇー、そーなんだー」
ちょっと棒読み感が半端ないが、俺は平気なフリして答える。そして聞かなきゃいいのに、俺の口は勝手に動いてしまった。
「てことは、京助さんはゲイなの?」
聞いた後で、すぐに後悔する。あんまりにもプライベートな事を口にしてしまったことに気がついて。けど京助さんは隠すことなく答えた。
「俺はバイだよ」
「……へぇー、そっかぁ」
……京助さんって男女、どっちとも付き合える人なんだ。でも、確かに京助さんのカッコ良さなら、男女ともに人が寄ってきそう。
俺は京助さんの顔をちらりと見て思う。そして風呂上がりのシャンプーの香りが京助さんからして、胸がドキリとした。けど、この時の俺はそれが何なのかわからなくて。
「幻滅したか?」
突然聞かれて俺は顔を上げる。そして京助さんを見れば、その顔はなんだか少し寂し気だった。だから俺はわかってしまった。
この人は誰かに幻滅されて、傷ついた事があるんだと。
「嫌な気分にさせたなら悪い。全部忘れてく」
「幻滅なんかしてないッ!」
京助さんの言葉を遮るように俺はハッキリと答えた。すると今度は京助さんが驚いた顔を見せる。でも俺は構わずにありのままの気持ちを告げた。
「確かにちょっと驚いたけど。でも、人を好きになるのに幻滅なんてしない。京助さんが誰を好きだって、京助さんは京助さんでしょ」
俺が鼻息荒く言えば、京助さんは目を瞬かせた後、「そうか」と小さく呟いて優しく笑った。そして京助さんはくしゃっと俺の頭を一撫でした。
「ほんと、夏生はいい子だな」
京助さんはいつになくおじさんっぽく言い、俺は子ども扱いされてちょっとムッとする。
「もういい子って年じゃないよ!」
「俺から見れば、まだそういう年だよ」
京助さんはそう、笑って言った。
―――――それから俺は。
……でもあの後からだよなぁ。京助さんが男の人も好きになれるんだって知って。そこから意識して、いつの間にか京助さんの事が好きだって気がついたのは。
俺は思い出しながら、ふぅっと息を吐く。そして俺の見たかったDVDを借りて来てくれた京助さんにまた好きの気持ちが胸に積もる。けれど京助さんは俺の気持ちに気づかずに何気なく隣に座った。
そして俺と京助さんの間には少しの距離があって、その距離がもどかしい。
もしも京助さんの肩に寄りかかって、くっつく事が許されたなら、と俺は一人夢見てしまう。でも、俺の気持ちに気づかない京助さんはいつも通り、俺に尋ねた。
「再生するぞ」
聞かれて俺は「うん」と答える、そうすれば映画が流れ始めた。
だから、じりじりと焦がれる想いを胸の内に押し留めて、俺は映画に集中することにした。
—————でも想いに蓋をする事なんてできないんだって、この後俺は思い知らされる。
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