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第六章 黒手の殺人鬼 ~許認可申請~

黒手の殺人鬼の行方

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 レッジョ市庁舎襲撃事件から
 更に一週間後――――

「色々、事情が変わったそうですね」

「はい、また許認可の申請に来たんで。
 よろしいですかね?」

「ええ、許認可申請の受付なら
 喜んで引き受けますよ」

 サンチェスは再び兄弟団設立申請のため
 ルロイの事務所を訪ねていた。
 あれからレッジョは
 元の平穏を取り戻していた。
 ガリアーノ局長の死は公示鳥によって
 大々的に市民に知らされ、
 参事会の主導のもと国葬も終わり
 ようやくいつも通りの日常が
 戻ってきたのである。
 レッジョを騒がせたマーノネッロも、
 いまは息を忍ばせているのか
 今はまったくその名を聞かない。

「ここ最近は本当に色々ありましたね」

 サンチェスの持参した必要書類を
 執務机に並べて確認し、
 サインをしながらルロイがぼやく。

「ええ、まったくです。
 しかしまぁ、きっと悪いこと
 ばかりじゃありませんぜ」

 サンチェスが浅黒く日焼けした顔を
 綻ばせ素朴な笑みを浮かべる。

「こんなことを言うのは
 不躾かもしれませんが……」

「何です?」

「貧しき者を助けるために尽くす
 あなたの姿はとても素晴らしい。
 本当に頭が下がりますよ」

「よして下せぇ、若旦那。
 あっしはこんなことしかできねぇ
 不器用なだけで……」

「どんなことであっても、
 サンチェスさんは苦には
 なさらないんですね?」

「ええ……」

 少しばかり神妙な面持ちになって
 サンチェスは答える。

「全ては子供たちのために?」

 その言葉の念を押すように
 ルロイはサンチェスの
 灰色の瞳を見据えていた。

「もちろんでさぁ。そのために
 あっしという人間がいるんで」

 サンチェスはルロイの言葉を
 訝りながらも、
 胸を張って生来の素朴な力強い笑顔を
 みせたのだった。
 そのサンチェスの言葉を確認して、
 ルロイも安心したように最後の決断を
 自らの良心にかけて下すのだった。

「サンチェスさん。実は私から、
 忘れ物をお返しせねばなりません」

「さて、ここに何か忘れましたかね?」

 ルロイは徐に執務机の引き出しを
 開けてそれを取り出す。
 机の上に奇怪な渇いた血の色のような
 黒い手袋がそっと置かれた。

「あなたのもので間違いありませんね」

「どこまで……知っている?」

 サンチェスの表情から一切の表情と、
 血の気が引いて行った。

「中身を改めさせて頂きました」

 ルロイは黒い手袋の中身を開き、
 内部に魔法陣が刻まれていることを
 指で示してみせた。
 そしておもむろに今度は
 サンチェスの手の甲を指さした。

「初めは手の甲のそれ、
 火傷の跡だと思っていましたよ。
 でも、違った。特殊な技法が施された
 魔法陣。違いますか?」

 サンチェスは観念したように
 手の甲をルロイに見せる。
 手の甲には手袋内部に刻まれたものと
 寸分違わぬ同じ文様の魔法陣が
 痣の様に盛り上がっていた。

「少し変わった形の火傷跡でさぁ……
 昔、無茶をしたときの古傷なもので……」

「冷静に考えてみて分かりましたよ。
 ディエゴの証言から孤児院が
 襲撃された時子供たちの保護者
 であるはずのあなたは、
 あの場所にはいなかった。
 その時、あなたはファビオ・ソアレスの
 殺害のためメリーダ河南岸にいた……
 それは、これを取り戻すためですよね?」

 ルロイは机から更に
 サンドラの墓標に掛かっていた
 ペンダントをサンチェスの前に差し出す。

「マーノネッロがただの殺人鬼でないと、
 教えてくれた人物から借りて来ました」

「突飛なことを言いなさる……
 あっしなんかがマーノネッロとは」

 静かなしかしドスの効いた声色だった。

「では、一週間前の暴動と
 市庁舎襲撃事件の折あなたは
 どこに居ましたか?」

「金策に駆けずり回っておりましたよ。
 乞食仲間と共にね……」

「ええ、半分当たってますね。ただし、
 その金策とは本当は孤児院の財産を
 奪い返しに市庁舎へ向かうための
 準備ではありませんか?」

「孤児院を襲ったのはマーノネッロだ!」

「いいや、おそらく孤児院を襲ったのは
 ガリアーノの手の者でしょう」

 静かに確信をもってルロイは言い切る。
 サンチェスはどう反応していいのやら
 冷笑を浮かべようとして
 口元を引きつらせていた。

「第一おかしいと思いませんか、
 公示鳥の伝える話では市庁舎が
 襲われたにも関わらず奪われたものは
 一切なかったという。しかし、
 僕はあの火事の最中、木箱や麻袋抱えて
 南街区へ走り去るディエゴらしき人物を
 その日、確かに目撃しているんです」

「全てあんたの推論だ!」

「ええ、そうです。
 しかし白状させていただきますが、
 その後荷物を抱えた集団が
 消えていった裏路地に、
 僕も足を踏み入れましてね」

「!」

「そこまで言えば、
 それから僕が何を見たか、
 何をしたか分かって頂けるかと」

 ルロイは再び机上の
 黒い手袋へと視線を移した。

「友人の錬金術師に分析してもらった結果、
 この手袋自体は特殊な武具などではなく
 血液が凝固した塊に過ぎませんでした。
 手の形は明らかに人間の大人のもの。
 マーノネッロのやり口を推察すると、
 これを凶器ならしめているものは外的な
 魔法の力。手を鋭利な手刀に変形させ
 そして犠牲者の血を手に集め魔法発動の
 対価として捧げる禁術。
 この魔法陣をみてあなたのその手の甲を
 思い出しました」

「ふふ、そういうカラクリか……」

 サンチェスは脂汗をかきながら、
 ぐったりと手袋の残骸を見つめ俯く。

「なぁ、あんた……さっきから
 ずっと気になっていたんだ。
 そんなに言うならなぜウェルスの力
 で公証してみせない。
 お前はマーノネッロか?と
 問いただせばすぐに結果が出るだろう」

「僕は官憲ではありません。
 ましてや正義を気取ろうなどと……」

「では、なんだ!」

 サンチェスは殺意さえにじませ、
 両の拳で机を叩きルロイに凄み
 問いかける。

「僕が本当に証明したいのは、
 そんなことじゃないんですよ!」

 ルロイも一歩も引くことなく、
 どこか悲しみを湛えた目で
 己の感情をサンチェスにぶつける。
 しばらく無言が続き二人は
 睨み合っていたが、いずれにしても
 ここまできた以上ルロイは
 なすべきことを
 しなければならないのだった。
 机から証書を取り出し
 ルロイは真に問うべきことを
 羽ペンで筆記していった。

「真実を司りし神ウェルスの名の下に、
 汝サンチェスに問う。先ほどの
 『全ては子供たちのためである』
 との言葉に偽りはないか?」

 サンチェスの顔が呆けた様に固まる。
 何を聞かれているか理解した時には
 すっかり毒気を抜き取られていた。

「はい、あっしにゃあ……もう、
 それしか残されていねぇですから」

「それだけ答えてくれればもう十分です」

 証書は答えが真実であり、
 偽りのない潔白を示すように
 白く輝いていた。

「若旦那、あっしを見逃すので?」

 わざとらしくサンチェスは悪党じみた
 太々しい笑みを浮かべる。

「そちらこそ、本当に正体を隠したいなら、
 有無を言わせずその手で僕を殺せば良い。
 僕がマーノネッロの件であなたに
 プロバティオを使わないのは、
 あなたがそうしないのと
 多分同じですよ……」

 サンチェスの太々しい笑みは
 すでになかった。
 張りつめた表情でサンチェスは
 机上の黒く歪んだ手袋を握りしめ
 椅子から立ち上がった。

「僕は官憲ではありませんからねぇ。
 そもそも裁く資格などない訳です。
 できるのは真実を明らかにする公証だけ。
 信じますよあなたを……少なくとも今は」

「正気か、若旦那?」

 それだけ言ってサンチェスは
 ルロイに背を向け玄関扉へ
 手を掛けていた。
 その背には闇に生きる人間の
 雄弁なまでの厳しさが
 刻み込まれているのだった。

「僕は何も見なかった。だから、
 それ以外の事は公証する必要は
 ありません」

「感謝なんてしませんぜ……
 だが、子供らのことは……」

 最後に一度サンチェスは、
 ルロイに振り返り、
 右手を心の蔵へ添え深々と頭を下げた。
 その言葉には自分を信じてくれた
 ルロイに喜んでいるようにも、
 自分を裁かなかったことへの失望とも
 今のルロイには感じ取ることができた。
 ルロイとサンチェスの間に、
 昼下がりの濃い日差しと影が、
 白と黒のコントラストの境を作り出す。
 ルロイの机を日が照らし背を向けた
 サンチェスは日陰に身を置いている。
 公たるものは光へ、陰たるものは闇へ、
 それぞれが帰すべき場所へと
 立ち戻ってゆく。
 ルロイへの一礼がすむや、
 サンチェスはぞんざいに扉を開け
 足早にレッジョの雑踏へ消えていった。

「僕が裁く側の人間だったとしても、
 何が正しく何が悪いかなんて永久に
 分からないかもしれませんがね……」

 誰もいなくなった事務所でルロイが呟く。

『本当にこれでよかったのか?』

 と、今更自問はもうするまい。
 そして、三日後――――

 正式にオルファノ兄弟団の
 再設立申請の許可が
 市参事会で通ったことを知るに及んで、
 ルロイ・フェヘールはようやく
 枕を高くして眠れたのだった。
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