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第六章 黒手の殺人鬼 ~許認可申請~

治安維持局

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 レッジョ中央を貫く大通りを
 北西に上りマイラーノ大橋を渡った先
 にある中央広場に面した一角に
 レッジョ市の行政の中枢である
 市庁舎はある。
 市庁舎の中庭を通り抜けて、
 向かいに分厚い石壁で囲われた
 堅牢な砦が見える。
 市民兵や憲兵の兵舎でもあり、
 有事の際の軍の司令部ともなる。
 ここがレッジョ治安維持局である。
 砦の正面扉を守る緑色の官服に
 身を包んだ厳しい衛兵二人は、
 ルロイも書類の提出で
 すでに顔なじみになっている。
 ルロイの顔を認め、
 ルロイが局長への目通りを乞うと、
 愛想よくとはいかないが一言

「通れ」

 と頷きルロイを通してくれた。
 そのままルロイは、階段を駆け上がり
 局長室の分厚い扉をノックする。

「入りたまえ」

 三階の局長室の扉を開くや、
 その男は優美な執務机を前に
 座り左右の指を交差させながら
 ルロイを意味深に見据えていた。
 その言葉の通りルロイ自身の
 心の中まで見通しているようで、
 思わずルロイはその鋭い視線に
 射すくめられてしまった。

「どうした、フェヘール君。
 椅子に掛けたまえよ」

 もったいぶった口調とは裏腹に
 その声はまだ若かった。
 アイスブルーの丸くいかつい小さな目、
 細い鼻筋、一文字の口など育ちのいい
 猛禽類の鳥のようでもあった。
 が、その白い仮面のような端正な
 顔立ちの造形には酷薄さが見えた。
 また、よほどの潔癖症なのか、
 この人物は夏でも白い手袋をはめている。
 伊達男ではあるが、少々嫌味が過ぎる。
 この男こそ、荒くれ冒険者たちから
 レッジョ市民を守る憲兵隊の統率者
 フランチェスコ・ディ・ガリアーノ
 である。

「執務中失礼します。
 ガリアーノ局長閣下」

 ルロイは丁重に頭を下げると
 椅子に掛けた。

「そう、畏まらずともよい。
 君が私の元へ来た要件はおおよそ分かる。
 例のオルファノ兄弟団の件だろう?」

「ええ、ご存知でしたか」

「君はウェルスの魔法公証人だ。
 ルロイ・フェヘールの名は
 参事会でも有名だからね。
 君の活躍は私も聞き及んでいるよ」

 それまでの冷然としたガリアーノが、
 親しみやすい笑顔を浮かべていた。
 ガリアーノの態度が軟化したように
 見えルロイは、光明を見出したように
 机に身を乗り出した。

「では……」

「言っておくが決定は覆らんよ」

 笑顔のまま、ガリアーノは冷ややかな
 声色でルロイの言葉を遮った。

「局長閣下、しかし罪もない孤児たちは
 困窮しているのです。兄弟団の設立を
 認めなければ、子供らは飢えて死ぬか
 あるいは……」

「盗賊にでも身を堕とす。
 とでも言いたのであろう?」

「……子供たちに罪はありませんよ」

「まぁ、君の意見も分からなくはない。
 しかし、公共の福祉というやつか……」

 ガリアーノはくつろぐように悠然と
 執務室の窓から市街地を見下ろす。
 平和な昼下がりの雑踏。数多くの人々、
 その人々の平和と秩序を保つための
 責務がこの男にはある。
 ガリアーノのアイスブルーの双眸は
 すでに険しかった。

「マーノネッロにより殺害された死体が
 南街区に多いことは知っているかね?」

「いえ」

「我々は貧民窟である南街区に
 マーノのアジトがあると睨んでいる」

「そんな……」

 落胆するルロイにすでにガリアーノは
 目もくれずに背を向け、
 壁に立てかけてある一本のレイピアを
 鞘から引き抜き白い手袋で
 刃を拭っている。

「君の依頼人の気持ちも分かる。
 が、兄弟団の本部である孤児院も
 焼け落ちてしまった以上、
 兄弟団の解散は止むを得まい。
 それにそんな危険な場所に孤児院を
 再建してもまた子供らを危険に
 晒すだけだと私は思うのだがね?」

「局長殿にとっては、
 それが公共の福祉と言う訳ですか」

「この答えでは不満かね?」

 ルロイは沈黙して
 ガリアーノの出方を窺った。

「我々、そしてレッジョの民の願いは、
 枕を高くして安眠すること。
 人々の安眠と言うやつは
 生命以上に神聖なのだよ。
 特に善良な人々の眠りを
 妨げてはならない。
 我々治安維持局の使命は、
 それを妨げる者を排除することなのだ」

「僕のような者には
 及びもつかないことです」

「ああ、そうそう。言い忘れていたんがね、
 ディエゴ・コンティ。
 ここいらじゃ少し有名な
 コボルトの情報屋らしいが、
 彼の居所を知らないかね、フェヘール君。
 確か何度か君と接触があるはずだろう?」

 ガリアーノの口から
 ディエゴの名が出たとき、
 ルロイは気が気でなくなった。
 一体この男はどこまで知っているのか?
 いやディエゴを利用して
 何を企んでいるのか?
 昼下がりの日の逆光でガリアーノの顔に
 不気味な分厚い暗幕がかかっているよう
 にルロイには見えた。

「僕の交友関係までご存じとは……
 参りましたね。しかしなぜ
 彼をお探しなのですか?」

「私の質問に質問で答えるのか?
 まぁいい、他ならぬ魔法公証人
 の君の言葉だ」

 ガリアーノは皮肉っぽく
 肩をすくめて見せる。

「実は、このコボルトには
 ある嫌疑があってね」

「嫌疑?何のことですか……」

「ファビオ・ソアレスの殺害。
 彼は、私が南街区への密偵として雇った
 冒険者崩れだよ。二週間ほど前に
 メリーダ河の南岸で目撃されたのを
 最後に消息が途絶えている。
 恐らくは彼の正体を見破った何者かが、
 彼を始末したものだと私は見ているが、
 ファビオを見かけなかったか?
 彼の身体的特徴は、赤い縮れ毛で、
 太い首の大男でね、
 あと鷲鼻で左目は眼帯をしている」

「いえ、何分面識などない人物ですから」

 ルロイは膝の腕の拳をきつく握りしめる。

「ファビオ殺しもそうだが、今のところ、
 ディエゴがマーノネッロである可能性が
 一番高いと私は踏んでいるんだが、
 私の推理は君から見てどうかね?」

「私は、探偵ではありません。
 ましてや官憲などでは……」

 見え透いた挑発だとは分かっている。
 それでも歯を食いしばりながら
 ルロイは声を荒げてしまう。

「で、どうなんだね?」

「ディエゴなら最近見かけません」

「そうか、それならいい。
 妙なことを聞いて済まなかったね」

 それまでとは打って変わって、
 ガリアーノはルロイに安心した様に
 笑みを浮かべる。
 しかし、ルロイにとっては
 溜飲が下がることなどない。
 この件で何を隠しているかガリアーノを
 プロバティオにかけるつもりでいた。

「局長閣下……」

「よもや、私を君の能力プロバティオで
 尋問するつもりではあるまいね」

 ルロイはケープの中に潜ませていた
 証書に手を伸ばしたまま、
 完全に固まってしまった。

「まさか!」

 ルロイの内心、胃の中でなにか
 得体のしれないものが
 ひらひらと舞っている。

 完全にしてやられた――――

 すべてはルロイの口から
 これを言わせるために、
 ガリアーノが仕組んだ狂言だったのだ。

「魔法公証人である者が嘘をついた場合、
 嘘を付かれたその者をウェルス神の
 名において裁きに掛けることはできない」

「くっ……」

「そうだったね?」

「ええ、もちろん」

「誠実な君のことだ、
 友人を売るようなことはするまい。
 まったく、人間が真実を司るには
 その重責はあまりに酷であると
 そうは思わないかね?」

「僕が何をしたいかご存知でしたか……」

「ウェルスの加護なき私としては
 先に保険をかけさせてもらうよ。
 それにもとより、
 マーノの件は我々の問題だ。
 魔法公証人の介入など要らぬ」

「しかし……」

「これ以上、この件に関わらないことだ。
 私をこれ以上煩わせないで欲しい、
 フェヘール君。さもなくば……」

 ガリアーノのレイピアが、
 座っているルロイの右膝すれすれの空間を
 切り裂き床に切っ先が突き刺さる。

「なにを!」

「失礼、私は潔癖なものでね……
 こう暑いとネズミが沸いて困る」

 意地悪く口元だけで微笑んでみせる
 ガリアーノの言葉通り、
 レイピアの切っ先には
 絶命しかかったネズミが痙攣しながら
 串刺しになって鮮血を撒き散らしていた。
 辛気臭く重い沈黙がしばらく続き、
 けたたましいブーツの足音が
 階段を駆け上ってくる。

「局長閣下!」

 一人の憲兵が入ってくるなり
 ガリアーノの脇へと駆け寄り
 耳打ちをする。
 途中何度かガリアーノは冷淡に
 相槌を打って憲兵の報告を
 一つ一つ確認しているようだった。

「そうか……分かった。では、
 所定の通り動くよう各部隊に伝えろ。
 私もすぐに向かう」

 ガリアーノが憲兵に命じると、
 憲兵はそそくさと来たときと
 同じように慌ただしく部屋を出て
 階段を駆け下っていった。
 憲兵のブーツの足音が消え去った後も、
 部屋に静けさは戻らなかった。
 にわかに大通りの方角から怒号や
 悲鳴で騒然としているのが
 ルロイの耳にも届く。

「話は終わりだ、フェヘール君。
 これから少々ごたつくのでね……
 お引き取り願おう」

「また、事件ですか?」

「最近は、冒険者どもの乱痴気騒ぎが多い。
 だがまぁ……私にとって捕まえ損ねた
 ネズミ退治といったところか」

 レイピアの切っ先を華麗に振り回し、
 ガリアーノは刃で串刺しになった
 ネズミの死体を机下のごみ箱へ
 とそのまま放り込む。
 満面の笑みを浮かべたまま、
 ガリアーノは白い手袋でレイピアの刃を
 汚した血を拭って見せた。
 白い手袋が赤黒く汚れ染まって行く。
 ガリアーノは汚れた白い手袋を、
 惜しげもなくごみ箱に捨て去る。
 レッジョそのものを
 大きく揺さぶる流れが
 不気味に蠢動し始めていた。
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