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第三章 ディープウェアウルフ ~錯誤~

森の中の決闘

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 それからフランツを起こし、
 森番のフォスターが駆けつけてくるまで、
 そう時間は掛からなかった。
 森の入り口で出会った時と同じ格好で、
 木々の合間をしなやかに
 すり抜けて高低差がある林床を、
 一気に疾駆してきたのだ。

「大丈夫ですか皆さん!
 村の方から人狼が出たと……」

「おお貴様、フォスターだな。
 貴様だけは来てくれると
 信じておったぞ!」

 フランツが手のひら返しのように、
 機嫌よくフォスターを迎える。
 ギャリックは半壊した皮鎧をベルトで
 補強して再び着込んでいる。
 恐ろしく静かな目でフォスターを
 向かい入れると、
 後は任せたとばかりにルロイに
 目くばせをする。
 ルロイだけは普段通り朗らかな
 笑みを湛えていた。

「フォスターさん。
 一つ伺ってもよろしいですかね」

「はい」

 ルロイはケープの内側から
 二つのものを出す。
 それぞれ、左右の手にそれを
 フォスターに掲げて見せる。

「この二つに、見覚えはありますよね?」

 一つは樹皮で造られ中央に、
 二つの血判が押印された証文、
 証文に書かれた文字はフォスターの杖に
 刻まれた円環型の文字と同じであった。
 加えて、血判のうち
 一つは明るい青色に変色していた。
 ちょうどルロイのもう片方の手に
 握られた短剣の白い鋼に、
 同じ明るい青色の付着物が
 こびり付いていた。

「青白く光っている個所は、
 同じ人物あるいは
 モンスターの血液を示しています。
 説明すると長くなりますが、
 そういう事の出来る悪友が
 身近にいましてね」

「それで?私にはあなたが
 何を仰っているのやら」

 フォスターは、丁寧な口調ながらも
 動じた風もなく、
 その目はルロイに挑みかかるようで
 さえあった。

「あなたの杖の文様を見たときから、
 引っかかってはいたんですがね、
 ギャリックさんがこの短剣で
 あなたに一矢報いてくれたおかげで、
 疑惑は確信へとつながりました」

 フォスターは表情をなくしただ
 無言であった。
 ルロイは二つのものを
 ケープの中へしまい込み、
 代わりに今度は用意していた
 証書を革袋から取り出し、
 自らの質問文を読み上げる。

「真実の神ウェルスの名のもとに問う。
 汝、森番フォスターは森に
 巣くいし異形のものであるか?」

 厳かなプロバティオを告げる
 ルロイの声を、
 フォスターは確かに聞いた。
 フォスターのそれまでの張りつめた
 無表情が遂に崩れ去った。
 その口元が諦観と嘲弄が、
 ない交ぜになった不思議な感情で
 歪んでいた。

「大した勘と嗅覚だ。
 人間にしておくには
 惜しいくらいには……な」

 フォスターがかっと目を見開き、
 犬歯をむき出しにして唸る。

「質問に答えよう。そう我は人に非ず!」

 言い終えるやフォスターの頭が歪み、
 人狼が頭をもたげる。

「しかし、森に巣くいしとは心外だな。
 その言葉貴様ら人間に返してやろう!」

 ギャリックとフランツが反射的に
 得物に手をかける。
 ルロイは二人を手で制し、
 更にプロバティオで問いかける。

「汝は自ら神であることを否定するか?」

 行政官のフランツがいる手前、
 ボドの契約の事まで触れるわけには
 行かなかったが、
 ボドが人狼と契約をするに至った
 錯誤の理由について
 触れなければならなかった。
 目の前の人狼が神でないことさえ
 証明できれば、
 真実の神ウェルスの御名とレッジョの
 法の支配の名において契約も
 取り消すことができるはずだ。

「……答えは否だ」

 長く意味深な沈黙の後、人狼は答えた。

「証書が赤く光らない」

 ルロイの手にあるウェルス証書は
 ただの紙切れのまま光らずにいた。
 人狼は嘘をついていない。

「ロイ、御託はもういいぜぇ。
 今度こそブッた斬ってやらぁ!」

 ついに我慢しきれなくなった
 ギャリックが、勇み出る。

「無駄だ!貴様では我は倒せぬ」

 冷たく言い放つ人狼に、
 ギャリックは半壊した皮鎧を
 自ら引きちぎりその残骸を投げ捨てる。
 まだ血の染み込んだ包帯で
 覆われた上半身を無防備にさらけ出す。

「なんで、脱ぐんだ!?」

「その方が滾るからに
 決まってんだろうが!」

 困惑気味に詰るフランツに、
 ギャリックは狂気の笑顔で吠え猛る。

「すでに深い傷を負っているのに、
 もう一撃食らったらおしまいですよ」

「この救いがたい痴れ者めが、
 今度こそ冥土へ送ってくれる!」

 ルロイの心配も、
 人狼の嘲りも耳に入らぬとばかり、
 ギャリックは短刀二振りを両の手に持ち、
 その刃をクロスさせて威嚇する。
 人狼は、はじめギャリックの
 トチ狂った覇気に、
 警戒の念を滲ませていたがもは
 やただの策のない蛮勇と認識してか、
 両の爪を逆立て余裕さえ浮かべ、
 ギャリックへと躍り出た。

「ギヤャッハー!!」

「無駄だと言おうが」

 ギャリックの二つの短刀と
 人狼の爪がそれぞれバインドする。
 力ではやはり人狼に分が上がるのか、
 人狼の長い爪が短刀の鋼へと
 ギリギリと食い込んでゆく。
 このままでは先ほどの戦闘同様、
 剣身が折れるか砕けるか。
 いずれにせよギャリックに勝ち目はない。
 苦悶の表情でギャリックは後ずさる。
 それに合わせて人狼が前のめりに
 一歩にじり迫った時――――

「ヒャハ、掛ったな間抜けがぁ!」

 ギャリックは爪が食い込んだ短剣を
 持った両手首を外側へと捻った。
 僅かの隙とは言え、
 一歩ギャリックへと肉薄する事へ気が
 反れた人狼は上半身の
 バランスを崩してしまった。
 人狼はそのまま
 短刀に食い込んだ爪ごと、
 ギャリックの腕の動きに引っ張られ、
 両の前腕が外側へと捻られた。
 必然、無防備な胴を晒すことになる。
 勝負は一瞬であった。

「ブッ殺しぃぃいい!!」

 ギャリックは両の手から短刀を
 素早く手放し、
 包帯でくるまれた上半身に手を
 突っ込んだかと思いや、
 何かをつかんだ右手を
 人狼の腹へと押し込んだ。

「これはっ、銀!」

「それも聖別されている一級品よぉ!」

 人狼が鮮血と共に苦悶の唸り声を上げ、
 ギャリックは獰猛な笑みで
 磨かれ本来の白い鋼を取り戻した
 銀のナイフを頼もしく見る。
 
「銀は錆びることはないが、
 硫化して黒ずむことはある」

 ルロイは以前リーゼが、
 こう言っていたことを思い出す。
 前回の戦闘で人狼が怯んだ理由を、
 神殿型のダンジョンで
 ギャリックが見つけたと言う、
 黒ずんだナイフとどうにか
 つなげて考えられたのも
 リーゼからの受け売りであたったが、
 今回その知識のおかげで
 人狼を追い詰めることができた。

「僕たちの勝利ですよ」

 ナイフが聖なる力で
 聖別されていることも、
 黒ずみが落ちるにつれナイフの複雑な
 文様は聖印であると容易に分かった。

「よもやこんな……」

「殺りがい、あったぜぇ」

 本命の銀ナイフは人狼に悟られぬよう、
 ギャリックは包帯の中に隠し、
 上半身の防具をかなぐり捨てる演技で
 人狼に自棄になったと
 認識させ油断を誘う。
 ギャリックもまた意外と策士であった。
 人狼はなおも呻きながら、
 何か懇願するように舌を動かしながら
 地面へと力なく倒れていった。

「死んだか?」

 しばらくの沈黙の後、
 それまで事態を静観していた
 フランツがおずおずと歩み寄る。
 半開きになった人狼の口から、
 自らの血にまみれた長い舌が
 だらりと垂れている。
 ギラつき獰猛だった双眸は、
 精彩を欠いたように濁り自身から流れ、
 溜まった血だまりを力なく眺めている。
 もはや、決着はついたのだった。
 高揚したように、
 フランツはレイピアを
 地面へと突き刺す。

「勝った……ふはは、ざまぁないな、
 邪魔者の邪神めが。
 これで参事会の村の土地買収も
 滞りなく進む。
 つまり、ワシの輝かしい立身出世も
 今この瞬間なったわけだ!」

 力なく森に伏せる亡骸を見下ろし、
 フランツは芝居がかった調子で
 今度はその背後で
 見守っていたルロイとギャリックに
 両手を広げ喜びを宣言してみせる。

 それが、
 彼の最期の言葉であったことは、
 ある意味、
 幸福であったと言えよう――――

「我が森を荒す人間め……」

 地の底から轟く獄卒の如き執念が、
 死せる肉体を蘇らせたのだ。
 まるで、森の怒りが奇跡の結晶となって
 偉大な戦士の肉体を付き動かした
 瞬間であった。
 断末魔と共にフランツの首が
 人狼の牙によって引き裂かれる。
 赤黒い鮮血が宙を舞い、
 周囲の木々と草花の瑞々しい緑に
 毒々しい赤を塗り付ける。

「欲深き者よ、あの世でこの森を
 征服した夢にでも溺れるがよい」

 ルロイもそれまで闘争本能に
 酔いしれていた
 ギャリックさえも目を張っていた。
 最後の力を振り絞った悪あがき。
 そう形容するにはあまりにも
 鬼気迫るものがあった。
 静かな無言の中、
 木々の騒めき以外に
 聞こえる音と言えば、
 人狼の高揚し獣じみた荒い息と、
 さきほどまで儚い野望に酔いしれた
 哀れな犠牲者の体がプツリと
 地面に倒れこむ音だけであった。

「遂に仕留めた。
 森を侵食する薄汚い人間が」

 人狼の気高き怨嗟の籠ったうめき声が
 森に響き渡る。
 が、そう言い終えるや人狼は痛ましく、
 血を吐き片膝を地面に着くのだった。
 人狼はルロイとギャリックを
 一瞥すると深く諦観したように、
 深く目を閉じた。

「案ずるな、人間。我ももう限界だ」

「あなたはもしや……」

 人狼の姿に、思わず息を飲んでいた
 ルロイは初めて畏れをもって
 言葉を継いだ。

「確信しましたよ。あなたはかつて
 確かにこの森の神であった。
 それがどういう訳か衰退してしまって。
 今や魔獣と化してしまった。
 それでもかつて神だったその魂の矜持が
 最後の意地を現したんだ。
 でなければ、あの時の証書の質問で
 嘘ではないことの証明が付かない」

「ふふ、だといいがな……」

 満身創痍であるはずの人狼は、
 穏やか目を見開き微笑んでいた。
 その顔には死にゆく者が抱く
 絶望も怨嗟もなく、
 満ち足りた余裕すら浮かべていた。
 ルロイは徐に人狼へ歩み寄り、
 ボドから授かった樹皮の証文を
 広げて見せる。

「ふっ、その証文の内容か……」

 ルロイの言いたいことなど
 すでにお見通しだった。

「この地の地力を回復させるために
 必要な家畜の量。
 もっとも我が書ける文字は
 それだけだったのでな。
 農夫ボドの願いは森によって
 じき聞き届けられる。
 すでに十分この森は命を啜った」

 ところどころむせながら、
 人狼はフランツの死体に目をやる。
 この森で死んだ者は、

 「死と再生」

 その循環の摂理のもとに、
 この森そのものへと回帰してゆく。
 それは人狼自身でさえ
 変わりのないことであろう。
 人狼は自身の体を見て、
 深く息を吐き出す。
 息は既に絶え絶えだったが、
 人狼は血を吐きながら喉を鳴らし
 末期の言葉を紡いでゆく。

「もはや、自分が何者なのか
 我には分からん。
 フォスターなのか、
 森神なのか、
 モンスターなのかも……
 しかし、もはやそれすらもういい。
 我は勝ったのだ……」

 掠れた声ともつかぬ弱々しい音が、
 人狼の口元を伝わり何かを囁いていた。
 ルロイはこの時、
 確かに心の声が聞こえた
 気がしたのだった。

「農夫ボドは、確かにあなたを
 神として信じていましたよ」

「まだ、そんな人間がいてくれて
 よかった……」

 そして、今度こそ真の静寂が
 森の暗緑色の内臓の隅々にまで響き渡る。
 森が喪に服している。
 夕暮れ時の暗く染まった森の中で
 ルロイとギャリックは
 ただただ祈るように黒く染まってゆく
 森そのものに魅入られていた。

「とんでもない敵と殺り合っちまったな」

 どれだけそうしていたか
 分からないほどの沈黙を破ったのは、
 ギャリックのつぶやきであった。
 ルロイは軽く頷き
 人狼の骸に別れを告げ、
 そして背を向けた。
 今となっては、
 一足先に自由になった戦士のために
 冥福を祈る。
 何故なら自分もまた、
 命ある限り自分の戦いの最中に
 戻るのだから。
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