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第三章 ディープウェアウルフ ~錯誤~

邂逅

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 森に立ち入ってから
 数時間は経ったろうか、
 それともまだ
 数分しかいないのだろうか。
 とかく森という空間は人を酔わせる。
 特に日光の加減が樹上の林冠に
 遮られるので、
 空を見上げても時間の感覚が
 麻痺してくる。

「ポルルルゥガー!!」

 トチ狂った猛禽類のような奇声を
 ギャリックが上げる。

「だから、騒ぐな馬鹿モン!」

 もうギャリックは既に数頭、
 分猪やら鹿の形をしたモンスターを、
 その手にかけている。
 フランツも一応は護身の剣術くらいは
 身につけているようで、
 洒落た象嵌の施されたレイピアなど、
 腰から下げていたが、
 特に活躍することもなく。
 ギャリック一人で森のモンスターどもは
 片が付いてしまっている。
 ルロイに至ってはとりあえず
 護身用の短剣を持ってきただけで、
 剣術も護身術も昔はともかく
 今はからきしなのだった。
 フランツはギャリックの頼もしい活躍と、
 耳障りな奇声を内心天秤にかけつつ、
 忌々しい表情は崩さないでいたが、
 ルロイとしては初めて
 ギャリックに感謝したい気分だった。

 横倒しになった古い木の幹へ何かが、
 勢いよく踏みしだく音がする。
 節くれ立った木の幹はみしみしと軋む。
 ルロイ達は固唾を飲んで
 その黒い影を見上げる。

「あれは、狼」

「フン、一頭だけとは脅かしおってからに」

 灰色の毛並みの良い狼が首を傾け、
 その視線をルロイたちへと下ろす。
 獲物である人間をただ睨みつけて、
 威嚇しただけだったのかもしれないが、
 狼の所作はまるで、
 上品に会釈したかのように
 ルロイには思えた。
 まるでそう感じさせるに相応しい、
 知性が狼に備わっているようであった。

「いや、これは……」

 見る見るうちに狼は四つ足から
 二つ足で直立し、
 骨格も獣から人間のそれへと
 変貌していった。
 全身が毛に覆われていることと、
 頭部が未だ狼のままであることを除けば、
 ほぼ人間の姿かたちをしているのだった。

「人狼!」

 畏敬の念さえにじませルロイが呟く。

「ギュエァッハー!ついに会えたな!
 テメェら手ぇ出すんじゃねぇぞ!!」

 ギャリックはと言うと、
 遂に自分を抑えるタガが外れ始めたか、
 フランツにまでタメ口を通り越して
 テメェ扱いである。
 正気を失ったようにギャリックは、
 上ずった奇声ではしゃいでいる。

「人間どもよ、ここを去れ。
 我はこの森の……」

「ギャアハハハハァ!!」

 最後まで言い切る前に、
 ギャリックの両手剣が
 人狼の頭頂に襲い来る。

「この森の、で何よぉ?」

 ギャリックの両手剣は人狼の爪で、
 それも片腕であしらわれる様に
 防がれている。
 ギャリックはひるんだ様子は微塵もなく、
 皮肉じみた笑みさえ浮かべ、
 両腕にさらに力を込める。
 人狼は、剣圧に耐えかねたように、
 後ろに飛びのき
 ギャリックを冷たく睨む。

「愚かな」

「こいやぁあー!」

 両手剣を構え、
 人狼を迎え討つギャリックには、
 既に周囲の声など及んでいないのだった。
 ギャリックが人狼へ両手剣を構える。
 人狼が四つん這いになって毛を逆立てる。

「消えた!」

 人狼の、その跳躍の瞬間を
 とらえることはできなかった。

「ヒャゴッ――――」

「遅いわ」

 空気を切り裂くような乾いた音の後、
 ギャリックの短い悲鳴が響く。
 見るとギャリックの皮鎧が
 人狼の爪によってズタズタにされ、
 その後からは鮮血が生々しく
 滴り落ちている。

「大丈夫ですかギャリックさん。って」

「ヒャアァ、心配ねぇ。
 調子が戻りかけてきたところだ」

 そう言うや、ギャリックは
 己の傷口から赤黒い血の塊を
 指で穿り返し、
 その塊を顔に塗りたくり
 痙攣的な笑みを浮かべている。

「この戦馬鹿めがっ!」

 ギャリックの蛮勇にフランツは
 眉を顰める。
 ルロイにせよフランツにせよ、
 これほどまでの相手と戦う力量は
 恐らくない。
 こうした純粋な戦いとなると、
 ギャリックが勝つのを
 祈るしかなかった。

「この」

 負傷にひるむことなく、
 むしろ高揚した戦士の魂が
 ギャリックを突き動かしていた。
 人狼へ斬撃を変幻自在に叩き込み、
 それを人狼の長爪がはじいてゆく。
 その攻防がしばらく続いてゆく。

「人間風情が、図に乗るな!」

 一進一退の膠着した戦況に
 しびれを切らしたのか、
 人狼は爪ではなく顎を突き出し、
 ギャリックの体ごと凶悪な牙の列で
 引き裂こうとする。

「ヒャハッ、させないぜ!」

 紙一重でギャリックは剣身を、
 人狼の牙の間に滑り込ませる。
 大ぶりな攻撃はギャリックにとっても、
 千載一遇のチャンスであった。
 このまま顎から上を切り落として、
 決着をつけるつもりらしかった。
 人狼は、一瞬ひるんだように
 顔をこわばらせていたが、
 すぐに不気味な余裕を滲ませた
 笑みで口元を歪ませていた。
 何かが割れる音と共に、
 ギャリックの両手剣の
 剣身が割れ破片が宙を舞う。

「剣が!」

 ギャリックが悲鳴を上げ、
 同時に人狼の牙がギャリックの上半身を、
 覆う皮鎧に食い込みひしゃげてゆく。
 食いしばった歯の合間から、
 ギャリックのくぐもったうめき声が
 漏れる。

「うむっ!」

 人狼の方も、よろめき脇腹を抑えている。
 どうやらギャリックの一撃を
 深く食らったようだった。
 あの瞬間、
 ギャリックは肩帯に吊るされた
 短剣の一つで、
 人狼の肋骨の隙間を貫いていた。

「へっ、いい気になるなよ」

 半分ひしゃげた皮鎧から
 血まみれの上半身を露出させながらも、
 なおギャリックは獰猛な笑みで
 自身を奮い立たせていた。
 人狼もまた予期せぬギャリックの反撃に
 脇腹をおさえつつも、
 憎々し気な双眸からはまだまだ
 余裕をにじませる静かさがあった。

「猪武者め、そんな短剣で
 我と戦うというのか……」

「デカい得物が手元にないから
 終わったとでも思ったか?」

 脇腹に刺さった短剣を体から引き抜き、
 人狼はギャリックを睨み返す。
 ギャリックは肩帯に装備した
 次のナイフを二本取り出し、
 それぞれ両手に掴み構える。

「ッツヒャー、まだまだぁ……」

「無茶だ、逃げてください!」

 ルロイの声などギャリックは
 お構いなしだったが、
 どういう訳か、人狼は一瞬苦虫でも
 噛み潰すよう乱杭歯をギリと鳴らし、
 後ろへ飛びのく。
 圧倒的に優勢だというのに。

「ケヒャヒャ!どうしたい、
 まさかこの期に及んで俺に
 ビビってんじゃねぇよなぁ?」

「おい、奴を逃がすな」

 人狼は続けざまに後ろへ飛びのいてゆく、
 フランツは人狼を指さし
 ギャリックに追撃を命じるも、
 既にギャリックは満身創痍なのだった。

「無茶ですよ。
 まずはギャリックさんの手当てを」

「ええい、役立たずめが。
 ならば、私自ら成敗してくれる!」

 ルロイの悲壮な訴えも虚しく、
 フランツは腰のレイピアの柄に
 手をかける。
 いてもたってもいられず、
 フランツは肩をいからせ
 勇み足で人狼の後を追う。

「しつこい人間どもめ、これでも食らえ」

 振り向きざまに、苛立った人狼が
 石のつぶてを投げつける。

「のわっ――――」

 奮闘虚しくフランツは額に
 つぶての一撃を食らい、
 そのまま地面に突っ伏してしまう。
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