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13 尻尾はボディーソープで洗うべきかシャンプーにするべきか
しおりを挟むよほど、昨日の食事が気に入ったのか、翌日の夕食も同じメニューをリクエストされて、世奈は昨日の倍以上の野菜を切り、たっぷりのお肉の上に、乗せて、テーブルに並べた。
普段食べなれないものを、食べるより馴染みのあるものを食べたほうが、野菜も馴染みやすいもので、野菜の酢漬けは思ったより好評だった。
けれど、世奈にすれば、どれだけ野菜が多くても、やはり肉料理ばかりでは、飽きてくる。世奈としては、肉に和えるなら、大根おろしや、シソ、ネギ、生姜、胡麻ドレッシングなども捨てがたい。
そしてありがたいことに、クローゼットの中には、世奈の台所にあった、調味料が入ってた。
醤油に味噌、日本酒やみりんに穀物酢、砂糖に塩。だから、他の料理も作れる。
でも、マティアスが喜んで食べてくれるのが何よりも嬉しくて、明日の献立を考えるのが楽しくなっていた。
食事を終えて、食器を片付けている間、まるで監視するかのように、マティアスは世奈の後ろに立っていた。
手際よく皿を洗い、片付けていくのを、不思議そうに見ていたが、時々ソワソワと、身体をゆすっている。
食事の後は入浴して寝るだけだ。世奈は、ソワソワと視線を動かすマティアスを見上げる。
「マティアス様?」
「あ・・・いや・・・入浴の準備は出来ている・・・」
顔を赤らめて、マティアスが告げた言葉に、世奈は彼がソワソワしていた理由を考えて、昨日の事を思い出す。
「あぁ・・・・えっと、危険な事はしませんから、一人で大丈夫ですよ?」
世奈に実害はなかったとはいえ、羞恥心はもちろんある。あんな事をしたのは、後にも先にも昨日が初めての事だ。おそらくあの時は、ハイになっていたんだと思う。自分の置かれた状況にいまいち納得も言っていなかったし、意味もよくわかってなかった。
とはいえ、今まで恋人が一人もいなかったわけではないのだから、あんなことをすることに対して、思うところが無かった訳でもない。一応、お見合いの相手として?婚約者として?良くは解らないが、そういう相手ではあることは確かで、世奈は、彼を知る必要があるからこそ、の、行動だったのだ。とりあえず様子見の予定で。
『人間は信じられない。目を離してはいけない』
そう思われているのならば、信じてもらうしかないし、危険な事はしないと、理解してもらうしかない。
料理をするときにも、ナイフは使用したが、危険なことはしなかった。むしろ、日本人に産まれて、平凡に生きていたのだ。ナイフで人を傷つける事なんて、考えもしなかったことだ。彼らが、危害を加えるのではないかと、思っているのならば、話をして理解してもらうしかない。むしろ、彼らが危害を加えない限り、自分の命の危機がないかぎり、そんなことは考えもしない。否、例え、命の危険がせまったとしても、今までの経験上世奈は、何の抵抗も見せないだろう。
だからこそ、危惧するようなことはないのだと。
「あの、私の生まれた場所は、とても平和なところで、ナイフなど常時身に着けて持つものではありませんでした。当然、料理の時には使用しますが、それ以外の目的で使うことなどありません。・・・・ほかの、貴方が懸念しているような、他人を傷つけるような、そんなことに使用しませんし、もちろん、火や水で危険を冒すようなこともしませんから、安心してください」
ニコリと、微笑めば、マティアスは目を見開いた後、「わかった」と、答えた。
『わかった』と、言ったから、世奈の部屋に移動した後は、彼は自分の部屋に戻るか、世奈の部屋のソファーで待っているのかと思った・・・・のだが。
どうして、彼は裸で、風呂場の世奈の前に居るのだろう・・・。
わずかに揺れる尻尾を横目で見ると、無下にできない。
「背中から洗いますから、椅子に・・・座りますか?」
座るのだろうか?と、疑問に思いながら、勧めてみると、彼はあっさりと椅子に座って背を向けた。
「髪は洗う前に・・・水を掛ける前に教えてくれ・・・」
やはり、狼は基本水が苦手なのだろうか。顔にかかるのは嫌なのだろうか・・・・。そんなことを考えながら、泡立てたスポンジを背中に押し当てる。
そこで、問題はそこではない事にはたと気が付く。
背中どころか、髪も洗ってもらう気満々の男は、耳を赤く染めて、俯いている。
世奈より頭一つ分以上高い身長は、お風呂の椅子に座っていることによって、簡単に頭に手が届く。
身長が高いのだから、当然背中も世奈よりずっと広い。けれど、細身の体はしっかりと筋肉が付いていて、それでもってしなやかだ。身体を洗いながら、そっと背中に触れると、ピクリと、身体がはねた。
背中を洗い終わり、スポンジを渡しながら、世奈はおもむろに尻尾に触れた。唐突に尻尾に触れたから、明らかにびっくりして、振り返るマティアス。
「あの・・・昨日はうっかりと忘れていたんですけど、尻尾も洗った方が良いですよね?」
人間にはない尻尾も大事な体の一部だ。これを洗い忘れるとは不覚だった。
明らかに動揺してビクリと、身体を跳ねさせたマティアスに、世奈は首をかしげる。
「あ・・・えっと、自分で洗いますか?」
「洗いたいのか・・・・?」
洗いたいのかと、聞かれれば、正直どちらでもよい。
珍しいものだから、耳同様触っては見たい。
洗ってくれと言われれば洗うし、自分でやると言われれば、無理強いすることもない。否、本当なら水で濡れる前にもしゃもしゃと触り倒したい。ふわふわの尻尾を堪能したい。濡れる前ならば!!
―――けど。
「ぜひ、洗わせてください」
そう答えると、マティアスの水を含んだ尻尾はぶんぶんと揺れた。
「し・・・・仕方がないな・・・」
渋々という態で答える、マティアスの尻尾を眺めながら、世奈は真剣に考え る。
尻尾はボディソープで洗うべきか、やはり毛が生えているのだから、シャンプーの方が良いのか。キューティクルの事を考えて、シャンプーを手に取った。
そっと、尻尾にふれると、ピクリと、マティアスの背中が震える。
彼は、初めから、世奈は一定の距離を取っていた。
けれど、その眼には哀憐の色が強く、人間に対してどう扱えばいいのか解らないと言った風だった。
泣き叫ばない、世奈を前にして、どう向き合えばいいのか、更に分からなくなったようで、不可解なものを見て、戸惑っていた。
それも当然だと思う。彼らから見た人間は、例え花であっても、獣人を見れば、口汚くののしり、暴言を吐きながら恐怖に叫ぶのだ。
見合い会場で垣間見た女性たちのあの態度こそ、人間の常であり、アレが当然の反応だと知っている獣人たちからすれば、アレを前にすれば、あまりの態度と暴言に憎悪も抱くし、触れ合いなど皆無だし、部屋に閉じ込めておきたくもなるだろうと思う。
だからこその距離だったのだろうけれども。
獣人に対してというか、他の獣人を知らない世奈はマティアスに対して嫌悪など持つはずもなく、ただ、彼を知りたいという純粋な思いで、彼に話しかけ笑いかけ、一歩踏み出す。
そうすれば、戸惑い、逃げられて、呆気にとられたが、数度繰り返せば、逃げることなくその場に踏みとどまってくれるようになった。
程度を覚えて、踏み込むのを控えたから・・・だろうか。
流石に風呂場での一件は大胆過ぎる行為だったが、彼は逃げることなく、触れた手を払いのけることもなく、ただ驚きに身を任せて、されるがままだった。
マニュアルとは全く違う世奈の行動に、戸惑い狼狽え、固まって。
そして、赤面する。
けれどその後も彼は、世奈との距離を置くこともなく、かといって、自分から近寄ってくることは無いが、世奈がそっと近寄っても距離を取ることなく接してくれるようになった。
掌で泡立てたシャンプーをそっと尻尾にまとわせて、優しく洗う。
濡れた毛皮は、ぺしゃんこで、世奈は思わず笑ってしまう。
くしゅくしゅと泡を優しく纏わせて、毛並みに沿って洗っていくと、マティアスの耳がぴくぴくと動いているのが目の端に映る。
綺麗な金色の毛は、柔らかく、濡れてしまってコシが無くなっても艶やきらめきは失われない。シャワーで尻尾を綺麗に洗い流して、世奈はマティアスの頭を見つめた。
「髪の毛も流しますよ?」
声を掛けるのは、彼に覚悟を決めてもらう為。
「っ・・・よし・・・いいぞ」
返事の後に彼が息を止めたのを確認して、笑ってしまいそうなのをこらえながら、シャワーで頭に湯をかける。
「ふふふっ・・・・濡れ狼、貧相に見えて可愛いですね」
尻尾と同じ、綺麗な金色の髪の毛は水を吸ってみるみるうちにぺしゃんこになっていく。髪の中に隠れている耳も毛が水を吸って、倒れてしまった耳ではそれが余計に顕著に見えてしまう。
「・・・貧相なのに、かっ・・・・可愛いのか?」
「ええ、とっても可愛いです」
世奈の言葉に、マティアスの耳が前後にぴくぴくとせわしなく動く。
「・・・そうか・・・可愛いのか・・・」
自問自答するかのように呟くマティアスを後ろから眺める。顔の表情は見えないが、耳と尻尾を見ていると、可愛いと言われても、満更ではないみたいだ。
シャンプーを泡立てて、ピコピコ動く耳の根元にまとわせていく。髪全体になじませた後、頭皮をマッサージするように指の腹で洗っていくと、マティアスが気持ちよさそうに、ため息を吐いた。
シャワーでシャンプーを綺麗に洗い流した後、コンディショナーで髪の毛も尻尾も丹念にケアすると、更に艶が増した。
「はい、終わりましたよ」
終わりを告げて、さっさとバスタブに押し込む。
マティアスは何か言いたげに、世奈を見ていたが、無視を決め込み、自分の体と髪を洗う為に椅子に座り込む。もちろん、バスタブに背中を向けることは忘れない。
きっと、獣人にとって、耳や尻尾は容易く触れるべき場所ではないと思う。ペットの犬や猫でさえ、耳や尻尾は繊細な部分だ。
そこに自分は笑顔で何も知らないふりして触れる。相手が嫌がらない事を良いことに、彼自身が自分に触れてこない事を良いことに。
―――相手が望むなら、受け入れる用意はあるけれども。
けれど、今のマティアスは世奈との距離を測っている状況で、こちらから踏み込めば受け入れてはくれるが、自分から歩み寄ろうというところまではまだ来ていない。
いつか、触れてほしい。
そんな気持ちを悟られたくなくて、背中を向けて、世奈は髪を洗った。
背中を向けている世奈は、この時、マティアスがどんな目で世奈のあらわになった背中を見ていたか、知らない。
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