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8.お食事処のマナーは守りましょう
しおりを挟むヴェネクト領の中心街・コールマレは五つの地区からなり、それぞれ専門店が集まっている。第三区は飲食店が多く建ち並び、カフェから酒場等多種多様で二十四時間眠らない区と言われている。
大通りから細い路地に入り、更にいくつもの枝分かれする道をまるで迷路のゴールを目指すかのように進んでいくと、ひっそりとしかし煌々と灯りが点く二階建ての木造の店に辿り着く。
『木漏れ日』と書かれた看板を出すこの飲食店は、日中は昼食時に三時間ほどの営業と夕食時から日を跨いで午前二時までの酒場になる。今日も今日とて酩酊状態のオヤジから仕事終わりの若い男女、家族と色々な客層が賑やかさをより一層際立たせていた。
常連客が多く、おふざけの喧嘩やいざこざはちょくちょくあるものの、大きな事件になったことはない。この領内直轄の騎士団員達も常連のうちだからだろう、どんなに酔っていてもなけなしの理性が働くらしい。最悪泥酔して意識を失ってもこの店の二階は宿屋になっているため、そこに運ばれるのだ、勿論きっちり宿泊代は戴く。しかも、酔った客を二階まで運ぶ介抱代も何割か上乗せで。
レイナルドら三人も二階の宿屋から下の食事処に来ていた。
「やあ、珍しいね、三人揃ってご来店とは。ジルは入り浸っているけれどね」
「うるさい、ヨアン」
カウンターから出てきた店主・ヨアンという青年は、肩ほどまでの金髪を無造作に流し、この国の平均的な男性より華奢な体格と目尻が少し下がった柔和な表情はどこか女性的だ。勿論女性と比べてしまうと、完全に男性の肩幅ではあるが。
「上に私の可愛いお客さんがいるの。あとで少し料理を小分けにしてくれないかしら?お腹が空いたら下に降りてきてとは言ったけど…多分来ないと思うから持っていくわ」
「それはかまわないよ。でも声を掛けても降りて来ないならお腹が空いていないんじゃないかい?」
「まだ小さな女の子なんだけど、物凄く周りに気を遣うのよ。何と言うか…妙に大人びているのよね。育った環境がそうさせているのかはわからないけれど、お金が無い事を気にしてきっと降りて来ないと思うわ」
「小さな女の子だって?親はどうしたんだい?」
「その事で少し伺いたいことがあるんですよ」
「…レイ、もしかして巷を賑わせている例の集団?」
「断定は出来ませんが」
****************
「―――と、いうことが今日あったのですよ」
「あの時は本当に驚いたわよ。レイったら眠ってる女の子を抱えて宿屋の私の所に来るから、そっちの趣味かと思って焦ったわ~!」
「…なぜそういう発想になるんです」
「そりゃあレイがあまりにも女の影がないからだろ。紹介するっても断るし、迫ってくる美女にも冷笑で追い払うし。最近じゃあ男色家じゃないかと噂されてるぞ」
「ふふっ…あはははは!それ最高ね!幼女趣味は犯罪臭しかしないけど、男色だったら…まぁ…応援するわ!……ヨアンは気をつけて!」
「僕は女性が好みなんだけどね。ごめんね、レイ」
「応援すると言って牽制してるじゃないですか。私は幼女趣味でも男色家でもありませんよ。…ヨアンも後退りするのはやめてください」
レイナルドは話が脱線して進まないと大きなため息をつく。自身の男色家の噂も初耳でわかりやすくショックを受けていた。
常連客が集まるこの店は旅行客やほとんど来ない地元民が入ってくるとかなり目立つ。ヨアンには人身売買の集団が活動し始めた時期から、一見の客やもしくは常連客との会話の中に何か繋がるヒントがないかと定期的に通っていた。
「ははは!冗談だよレイ。それはそうと、そのカズハという少女は謎が多いねぇ」
「会うとわかりますが、まずあまり見ない顔立ちですよ。瞳と髪色も珍しい色素の濃さです」
「なるほど。それは狙ってくださいと言ってるようなものだね。ただ…空から落ちてきたということろに疑問が残る」
皆も思うところが同じらしく、うんうんと頷く。
何故空から。上空までどのように運んだのか。何故あの高さから落下して無傷で済んだのか。何故我々の言葉が理解出来るのか。
そして、鎖国状態で文明は遅れていると言っておきながら、着ているものから旅行鞄から何から何まで質の良い物を持っていた。眼鏡なんて代物は最近では多少裕福な庶民でも買えるようにはなってきてはいるもののまだまだ安価とは言えない。それを予備まで持っていた。
「旅行に行こうと家を一歩出た所で、気付いたら投げ出されていたと…薬でも嗅がされて眠らされていのかな?」
「何も覚えていないようですよ」
「記憶が無いのが幸いね」
「幸いねぇ…普通子供に一人で旅なんて行かすか?でかい鞄二つの中身はそれなりの準備がされてたぞ。二~三日なんてものじゃない、一ヶ月以上の旅支度仕様だ。誘拐以前に口べらしでもするつもりだったんじゃないのか?」
「ジル、憶測でものを言ってはいけませんよ」
「一体その少女はいくつなんだい?」
「本人には聞いていないけど、十二~三才くらいよ」
「それは…また…」
卑劣極まりない集団も勿論許せないが、親も親だなと思う。それとも鎖国しているだけあって治安が良いのか。
そもそも『ニホン』がわからないため、少女を送り届けることも出来なければ、両親を探すことも出来ない。もしかすると『ニホン』というのはニホンの言葉の発音であって、訳されていないのかもしれない。
少女に教養があれば世界地図でも広げ『ニホン』の場所を指してもらうのだが、貴族ではないと言っていたことを考えると平民が一般教養を施しているとは思えない。それがこの世界の常識だから。
人身売買の組織を潰すためにも、少女を無事故郷へ返すためにも聞きたいことは沢山あるのだが、事を急いて無理をさせれば恐怖がフラッシュバックされる危険性もある。精神的な静養も念頭に置き慎重に調査をしなければならない。
「さて、今日はこのまま上に泊めるとして、これからどうすっかね」
「そうねぇ。本当はこのまま解決するまで居て貰った方が安心なのよね。ここには私もヨアンもいるし、街の騎士団も結構来るから安全と言えば安全だし」
「ええ。ですが泊まり客が問題なんですよ」
「泥酔してたり、何だったら勝手に相部屋にして“いたして”しまうバカもいるからな!子供には環境が悪すぎる」
「そうだね。常連客とはいえ殆んどが泥酔客だからね、その子の部屋に押し入って問題を起こされても困るよ」
うーん…と四人一様に悩んでしまう。地味な顔立ちで目立たない容姿なのに、逆にここではかえって目立ってしまうため下手に人前に出すわけにもいかない。つまりは今後の生活拠点も軽く考えて決めるわけにもいかず、次から次へと考えることが増えていく。
「あっ!ジルぅ~!」
甘い声で彼らのテーブルまでツカツカとやってきたグラマラスな女性はジル目掛けて飛び込んできた。胸元は谷間を強調するように大胆に開いており、そこ以外の肌は布に隠れてはいるが体のラインが丸わかりの何とも妖艶な姿だ。
飲食店では不釣り合いなきつい香水を漂わせ、周りの反応も不快感が隠せない。そして名前を呼ばれたジルでさえも怪訝な顔になっていた。
「…アン、どうしてここに?」
「お友達に連れてきてもらったのぉ。まさかジルもいるなんて思わなかったわ!嬉しい!ねぇねぇ、私と飲みましょ?」
いやいや、後ろの男、友達って言われてめっちゃへこんでるけど!この店の顔馴染みだからすげーいたたまれねーよ!と、店中の客の心の中は盛大なツッコミで心は一つになった。
「あのね、見てわからない?俺ら今大事な話してんの。後ろのお友達待ってるぞ」
「ねーねー、相席しましょ~!」
会話が噛み合わない女に不快指数が上がったのか隣から大きい溜め息聞こえてくる。発信源はルーシーだ。
「…ジル、私達席外すわね。ごゆっくりどうぞ」
「ルーシー?!」
「この店でのルール説明しておいておくれよ、ジル」
「おっおい!ヨアン!」
「さて、そろそろカズハに夕食でも――」
「逃がさないぞレイ!」
ルーシーどころか、その場にいた全員の不快指数が激上がりし、ルーシーとヨアンがさっさと退場してしまった。それに続くように席を立つレイナルドの腕をジルはがっしりと掴んで離さない。
いつの間にか女の連れの『お友達』も姿を消していたのに気付き、もはやこの女の相手が自然とジルに押し付けられることになった。ジルが『レイ』と口にしたことで、この女の態度が更にパワーアップされる。
「えっ?!レイって、レイナルド様?!」
「…ジル、あなたの知り合いならあなたが相手しなさい」
「キャー!レイナルド様とこんなに近くでお話出来るなんて!アンっていいます、ご一緒してもいいですかぁ?」
話も通じなければ空気も読めない珍獣に苛立ちが強まっていく。それに気づかず自慢の谷間を見せつけながら目を潤ませて近づいてきた。レイナルドの腕に絡み付こうと自身の腕を伸ばしたところでゆらりと一歩下がってかわされる。その行為にわざとらしく唇を尖らせ本人的には可愛いく見せたつもりらしいが、鳥肌ものの気持ち悪さだった。
「お嬢さん」
レイナルドはニッコリと微笑んでアンを見るが、誰が見ても目が笑っていないとわかる。一瞬にして店中を凍りつかせるその冷笑を、やはりアンだけは自分に微笑んでくれたと勘違いを発動させていた。
「あのぉ、お嬢さんじゃなくてアンって呼んでくださぁい」
尚も安定のブリブリで斜め上の発言を繰り返す。
「…お嬢さん、わたしもこれから予定があるのですよ。そこを退いてくれませか?ヨアン、例の食事用意できてますか?」
「はいはい、水も全てトレーに乗せたからそのまま持って行くといいよ。君の可愛い子が待ちくたびれてるかもしれないから早く行くといいよ」
「そうよ~。あれだけ疲れさせたんだから今頃ベッドから動けなくなってるんじゃない?ふふっ」
ヨアンもルーシーも意味深な発言で援護射撃をしてくるが、勿論事実無根である。レイナルドを逃がし珍獣はジル一人に押し付けることに決めたらしい。
「えー!何処行くんですかぁ?二階って泊まるとこなんでしょう?私もこの店の前に随分呑んじゃって体が熱いかなぁって…運んでくれますう?」
「…すみませんが、私は今たった一人の女性で手一杯なんです。ですから退いてくれませか?」
「ずっと憧れてたんですぅ!わたしだってあなたのためだったら何でもしますよぉ…?」
よほど自分の美貌に自信があるのか、下世話なネタで引き留めようとし始めたのには呆れるしかなかった。それをカウンター席から見ていたルーシーはハァ…と何度目かの大きなため息をつき、何とかしろとジルに冷ややかな視線を投げ掛ける。それを受け取ったジルもまた目の前の珍獣にうんざりしていた。
「おい、アン。お前帰れ。そして二度と来るな」
「はぁっ?!それはわたしの勝手でしょ?!」
「いや、新参者はこの店の常連客から認められないと入れないルールだ。空気読め。誰も認めていない」
「そんなふざけたルール聞いたことないわよ!あたしは客よ!」
そう言いつつまわりに視線を走らせると、余所者を見る目がアンに突き刺さる。店に入ってきた時はガヤガヤと煩いくらいに賑やかだった声が今は全くしないのだ。いや、今というより店の扉が開いた瞬間から強い香水が先に入り込み、早い段階から雰囲気は一変していた。「おい、臭ぇぞ。豚が入り込んだんじゃねぇか?」「飯が不味くなる。窓開けろ」「換気だ換気!」とあちこちから声が上がる。それが自分に向けられた言葉だとやっと理解したアンは顔を真っ赤にして走って出て行った。
「まったく…とんでもない頭の弱い彼女つくったもんねぇ」
「誰が彼女だ!部下の妹なんだよ。目が合っただけで勘違いする女なんだ」
「イタイわね…。部下とやらに妹を何とかするよう言いなさいよ。今後もここに来られても迷惑だわ」
「とっくに言ってるよ。それが改善されないから困ってんじゃないか。今まで何人の女の子との仲を邪魔されたかっ…!!くっ……!!」
お前も大概だな、と店内一同心の声であった。
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