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第2章
序章
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第2章 表紙
**********
序章
「やぁ、久しぶりだね。元気にしていたかい?」
――違和感を覚えた。
魁地の眼に映る彼は、爽やかな口調でそう言うが、その声はどこか寂し気で、それでいて棘のある独特なものだった。
生理的不快感を伴うような、とでも表現したら、そのときの魁地の感じた違和感に近いかもしれない。おまけに、その顔を拝もうにも逆光で陰り、その表情も読み取れないものだから、違和感に不気味さを和えた不快感という言葉が丁度良い。
どこか耳の奥に残る彼の声は、喉の奥に刺さった魚の骨のように、耳小骨をひっかいてくる。そして、その声はどこかで聞いたことがある。
魁地はそれを思い出そうとするが、あと少しのところで具体的な記憶に結びつかない。
(まいったなぁ)魁地は困惑した。
何より困るのは、「久しぶり」などとあからさまに知人であることを示す言葉。つまり、彼は自分のことをある程度知っている、魁地はそう理解するが、当の本人は、その彼が誰なのか、皆目見当もついていないという厄介な事態。
「あ、お、おぅ……」
沈黙に耐えかねてとりあえず発した中途半端な場繋ぎの返事。いや、返事にもなっていないのではあるが。多少空気が柔らかくなったところで、魁地は彼の顔をそれとなく覗き込もうとする。
だが、近づく程、背面の光がより強さを増し、表の陰りが色濃く塗られていく。
ギブアップ。
言訳や取り繕いはなしだ。
ここで嘘をついても、大したメリットはなく、ただリスクが増大するのみである。
だったら、素直に行こう。
「えっと……すまん。誰だっけ?」
再び、沈黙が彼らを包んだ。
少し間をおいて、目の前の彼は、深く溜息をついた。
魁地は、マズったかなぁと頬を伝う汗を手で拭い取った。ひょっとしたら、彼を傷つけたのかもしれない。
選択を誤ったかな?
しかし、その彼はニコリと笑みを浮かべた。
「そうですか。そうですよね。何せ、前に会ったのはもう、七年程前ですもんね。忘れていて当然でしょう。 ……僕のことなんて」
最後の言葉に意味深な裏を感じつつも、魁地はそれをに気付かぬ振りをして言った。
「えっと……七年前、ってことは、会ったのは小学生のとき、ってことか」
魁地は思い出そうと記憶にぶら下がる糸を何本も手繰り寄せるが、そこにあるのは碌な思い出ではなかった。正直、この作業は自分の傷口に手を突っ込んでその中を弄るようなもの。彼はこれ以上の詮索を諦めた。
「すまねぇ、やっぱ分かんねぇや……そんだけ前だと、俺のしょうもない記憶力じゃ、さすがに厳しいね、ははっ」
「そう……ですか。でも、大丈夫ですよ。たぶんこれで、思い出せると思います」
そう言うと彼は、ポケットに手を突っ込みおもむろに何かを取り出した。
カチカチカチという音とともに伸びるそれは、先端に光を受け、鋭利な刃を露出した。
「?! ……カッター、ナイフ?」
刃先に反射する光が、影を落としていた彼の顔を照らし出した。
その顔には、どこか見覚えがあった。
「ま、まさか……お前は!」
「どうやら、思い出していただけたようですね」
すると、突然彼のカッターナイフから赤い液体が吹き出した。いや、このどす黒い赤は嫌なほど見たことがある。
間違いなく血だ。
あのとき、両親から降り掛かったあの血と同じだ。それに、霧生の時もそうだった。
「くそっ、なんだよ、これ?!」
止めどなく流れ出るそれは、見る間に部屋を満たし、まるで濁流のような勢いで嵩をあげて二人を飲み込んでいく。
呼吸ができない。
あっという間に口まで浸った魁地は、言葉にならない叫び声をあげながら、必死になって空気を確保しようとする。
しかし、ついに血の洪水は、その全てを飲み込んでしまった。
◆◇◆◇◆◇
目蓋を突き抜けて抉じ入る光が、毛細血管を透かして赤く染まり、魁地の網膜に降り注ぐ。
「うおぁ~っ!」
彼は目覚めた。
目を開けると、部屋はすでに昇った太陽で白色に照らされ、空調の風に揺れるレースカーテンで光の波模様を描いていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……なんだよ、夢だったのかよ」
魁地は、滴るほどの汗をパジャマの袖で拭い取った。
ーーまただ。
この夢を見たのは何回目だろうか……。
それにしても、少しは前向きになれたと思ったけど、俺はまだあの事を引きずっているんだな。
魁地はもう一度白い光の射す窓に顔を向けた。目を瞑ると、赤い光が視界を支配する。
ーーあいつはもう、いないんだ。どうしようもないだろう?
彼は目を瞑ったまま、そう呟いた。
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序章
「やぁ、久しぶりだね。元気にしていたかい?」
――違和感を覚えた。
魁地の眼に映る彼は、爽やかな口調でそう言うが、その声はどこか寂し気で、それでいて棘のある独特なものだった。
生理的不快感を伴うような、とでも表現したら、そのときの魁地の感じた違和感に近いかもしれない。おまけに、その顔を拝もうにも逆光で陰り、その表情も読み取れないものだから、違和感に不気味さを和えた不快感という言葉が丁度良い。
どこか耳の奥に残る彼の声は、喉の奥に刺さった魚の骨のように、耳小骨をひっかいてくる。そして、その声はどこかで聞いたことがある。
魁地はそれを思い出そうとするが、あと少しのところで具体的な記憶に結びつかない。
(まいったなぁ)魁地は困惑した。
何より困るのは、「久しぶり」などとあからさまに知人であることを示す言葉。つまり、彼は自分のことをある程度知っている、魁地はそう理解するが、当の本人は、その彼が誰なのか、皆目見当もついていないという厄介な事態。
「あ、お、おぅ……」
沈黙に耐えかねてとりあえず発した中途半端な場繋ぎの返事。いや、返事にもなっていないのではあるが。多少空気が柔らかくなったところで、魁地は彼の顔をそれとなく覗き込もうとする。
だが、近づく程、背面の光がより強さを増し、表の陰りが色濃く塗られていく。
ギブアップ。
言訳や取り繕いはなしだ。
ここで嘘をついても、大したメリットはなく、ただリスクが増大するのみである。
だったら、素直に行こう。
「えっと……すまん。誰だっけ?」
再び、沈黙が彼らを包んだ。
少し間をおいて、目の前の彼は、深く溜息をついた。
魁地は、マズったかなぁと頬を伝う汗を手で拭い取った。ひょっとしたら、彼を傷つけたのかもしれない。
選択を誤ったかな?
しかし、その彼はニコリと笑みを浮かべた。
「そうですか。そうですよね。何せ、前に会ったのはもう、七年程前ですもんね。忘れていて当然でしょう。 ……僕のことなんて」
最後の言葉に意味深な裏を感じつつも、魁地はそれをに気付かぬ振りをして言った。
「えっと……七年前、ってことは、会ったのは小学生のとき、ってことか」
魁地は思い出そうと記憶にぶら下がる糸を何本も手繰り寄せるが、そこにあるのは碌な思い出ではなかった。正直、この作業は自分の傷口に手を突っ込んでその中を弄るようなもの。彼はこれ以上の詮索を諦めた。
「すまねぇ、やっぱ分かんねぇや……そんだけ前だと、俺のしょうもない記憶力じゃ、さすがに厳しいね、ははっ」
「そう……ですか。でも、大丈夫ですよ。たぶんこれで、思い出せると思います」
そう言うと彼は、ポケットに手を突っ込みおもむろに何かを取り出した。
カチカチカチという音とともに伸びるそれは、先端に光を受け、鋭利な刃を露出した。
「?! ……カッター、ナイフ?」
刃先に反射する光が、影を落としていた彼の顔を照らし出した。
その顔には、どこか見覚えがあった。
「ま、まさか……お前は!」
「どうやら、思い出していただけたようですね」
すると、突然彼のカッターナイフから赤い液体が吹き出した。いや、このどす黒い赤は嫌なほど見たことがある。
間違いなく血だ。
あのとき、両親から降り掛かったあの血と同じだ。それに、霧生の時もそうだった。
「くそっ、なんだよ、これ?!」
止めどなく流れ出るそれは、見る間に部屋を満たし、まるで濁流のような勢いで嵩をあげて二人を飲み込んでいく。
呼吸ができない。
あっという間に口まで浸った魁地は、言葉にならない叫び声をあげながら、必死になって空気を確保しようとする。
しかし、ついに血の洪水は、その全てを飲み込んでしまった。
◆◇◆◇◆◇
目蓋を突き抜けて抉じ入る光が、毛細血管を透かして赤く染まり、魁地の網膜に降り注ぐ。
「うおぁ~っ!」
彼は目覚めた。
目を開けると、部屋はすでに昇った太陽で白色に照らされ、空調の風に揺れるレースカーテンで光の波模様を描いていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……なんだよ、夢だったのかよ」
魁地は、滴るほどの汗をパジャマの袖で拭い取った。
ーーまただ。
この夢を見たのは何回目だろうか……。
それにしても、少しは前向きになれたと思ったけど、俺はまだあの事を引きずっているんだな。
魁地はもう一度白い光の射す窓に顔を向けた。目を瞑ると、赤い光が視界を支配する。
ーーあいつはもう、いないんだ。どうしようもないだろう?
彼は目を瞑ったまま、そう呟いた。
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