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三九 終章
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三九 終章
その夕日は流れ来る豊富な水を湛えた川を赤く照らし、複雑に流動するその水面は光の反射と変化するコントラストで常に新しい紅染め模様を描く。広い芝生の草の香りに包まれながら見るその光景を、真理望は素直に美しいと思った。
「綺麗ね……」
芝生の草のざりざりとした感触を手に受けつつ、そこに腰を下ろしている真理望。だが、その横にいる彼はその光景を同じようには捉えていない。
「……まるで血のような赤だよな」
「何よそれ、魁地。もっとロマンチックな表現ないの?」
魁地は真理望を見ていて思った。ロマンチックなんていつの時代の言葉だよというつっこみは後にして、自分の目に映る血生臭い光景も、人によっては美しいのだと。いや、むしろ自分が本来のそれを歪曲しているだけなのかもしれない。
――あの日以来、自分は何かを失っている、彼はそう思った。それは独りで生きようとしていた頃には気付けなかったことかもしれない。
「多綱くん、ここに何か思い出でもあるのですか? 突然行ってみたいなんて」
魁地は反対側に首を返す。
彼の目に入った霧生の横顔は、白い肌を夕日の紅色で透かしてその美しさを際立たせている。
「いや、まぁ思い出って言うか。ここから乗り越えていかなきゃなぁ~ってね」
真理望と霧生は魁地の言わんとしていることが分からなかったが、分からないままでいいと思った。その必要性は魁地自身が決めようとしているのだと。
しかし、彼女らは魁地のそばにいる。いざとなったら何とでもなる、二人はそう思い、それ以上の詮索は止めにした。
「それにしても、あんた本当にしぶといわよね」
「ホントです。外傷性くも膜下出血は致死率が高いんです。華凛さんがリアクションキャンセラーで止血して、ドクターが衝撃で破れた血管や傷口をすぐに修復したから一命は取り留めましたけど、死んでいてもおかしくはありませんでしたよ」
魁地は頭に残っている傷痕を指で確かめる。もともと継ぎ接ぎだらけの体故、いまさらどの傷が今回のものかは分からなかったが、まだ多少の痛みは残っている。
「う~ん、っつってもよ。元はと言えばおっさんが狙いを外したのが発端だし、華凛が予想以上の勢いで俺をぶっ放したから、防ぐのが追い付かなかったんだよなぁ……はは。でも、後悔はしてねぇよ」
「ねぇ、魁地」
「多綱くん」
「ん、なんだ?」
真理望と霧生の視線が魁地に向けられている。眉間の寄せられたその眼は、多少怒っているように見えた。
魁地はキョドって二人の顔を行き来する。
「えっ……あの、な、なんでしょか?」
「もう二度と、あんなことしないでよね」
「もう二度と、あんなことしないでください」
二人の声が重なり、共振して魁地の耳に潜り込んできた。
そして、魁地は二人に頷いた。
「大丈夫。死んでもいいなんて思っちゃいないさ。なんのために生きているのか、お前らのお陰で分かった気がする」
魁地は真っ赤な夕日の対角に薄く溶け込む三日月を見た。
彼は口でそれを描くように、笑顔を作った。真理望と霧生もそれにつられ、口元を歪ませる。
真理望が「あっ」と思い出したように言った。
「魁地、そう言えば入院している間の宿題とか全然やってないでしょ。それに来週は定期テストだよ」
「ええぇ、なんだよ急に」
「そうです。先生にも入院中に勉強するようにと多綱くんの端末にウェブ講座が送信されていたはずです」
魁地は急にチープな現実に戻されたような気がした。
「……なぁ、ちょっと写させてよ」
「こら、退院したんだから、ちゃんと明日までにやって学校持ってきなさいよ」
「霧生、たのむよぉ。あ、なんならテストのときリンクして教えてよ」
「私がテストできなくなるじゃないですか……不正はいけません」
そうやって、他愛もない時間はゆっくりと進んでいく。
やがて、彼らは徐々に黒く侵食されていく紅色の水面に別れを告げ、その場を背にした。
「さて、また研究所に帰るか」
「結局あそこに住み着いてんじゃん。魁地、いつまでたってもあそこから抜け出せないわね」
「まぁ、あそこなら霧生もいるし、安心だからな」
「私なら何かあればいつでも駆け付けられますから、任せてください」
「むっ……、ま、まぁ、いいわ。でも霧生さん、こいつは変態オタク野郎だということを忘れないでよね」
両脇から発せられる妙な空気が、魁地を挟む。
魁地は慌てて真理望をなだめる。
「いや、そういうことじゃなくてさ。この世界は、バグズにかかってるわけだしな」
「そうですね。明日も早いですし、早く帰りましょう……多綱くん、朝礼当番ですから寝坊しないでください」
朝礼ってか……魁地は急に現実に戻された気がして、ため息をついた。そして、「はぁ~い、はい。じゃ、行きますか」と生返事を返す。
彼らが歩き出してしばらくは無言が続いた。彼らはそれぞれ、ここ数日で起きた混沌とした事実と、これから起きるであろう不確定な未来図に、揺れ動く心が定まらないでいる。
「……アングラのジャヒが、戦争を仕掛けようとしている……かぁ。一体、これからどうなっちまうんだろ」
そう呟いた魁地の眼には、赤い光が輪郭を作るビルの数々がまるで群集する生き物のように映った。そして、それはとても美しいと感じた。
彼には、それがプログラムの産物とは思えない。そう考えると、自分の存在もまた、そこにある確かなものに感じられた。
「まぁ、余計なことを考えるのは止めにしよう。それより、腹減ったな」
「じゃぁ、途中でファミレスでも行こうか?」
「悪くないですね」
「よしっ、決まり。もう胃がくっつきそうだ。急ぐぞ!」
魁地が勢いよく踏み出したその時、彼らの端末がアラーム音を鳴らし始めた。
モニターには『BCO』の文字が浮かび上がっている。
「え……マジかよ。今から?!」
その夕日は流れ来る豊富な水を湛えた川を赤く照らし、複雑に流動するその水面は光の反射と変化するコントラストで常に新しい紅染め模様を描く。広い芝生の草の香りに包まれながら見るその光景を、真理望は素直に美しいと思った。
「綺麗ね……」
芝生の草のざりざりとした感触を手に受けつつ、そこに腰を下ろしている真理望。だが、その横にいる彼はその光景を同じようには捉えていない。
「……まるで血のような赤だよな」
「何よそれ、魁地。もっとロマンチックな表現ないの?」
魁地は真理望を見ていて思った。ロマンチックなんていつの時代の言葉だよというつっこみは後にして、自分の目に映る血生臭い光景も、人によっては美しいのだと。いや、むしろ自分が本来のそれを歪曲しているだけなのかもしれない。
――あの日以来、自分は何かを失っている、彼はそう思った。それは独りで生きようとしていた頃には気付けなかったことかもしれない。
「多綱くん、ここに何か思い出でもあるのですか? 突然行ってみたいなんて」
魁地は反対側に首を返す。
彼の目に入った霧生の横顔は、白い肌を夕日の紅色で透かしてその美しさを際立たせている。
「いや、まぁ思い出って言うか。ここから乗り越えていかなきゃなぁ~ってね」
真理望と霧生は魁地の言わんとしていることが分からなかったが、分からないままでいいと思った。その必要性は魁地自身が決めようとしているのだと。
しかし、彼女らは魁地のそばにいる。いざとなったら何とでもなる、二人はそう思い、それ以上の詮索は止めにした。
「それにしても、あんた本当にしぶといわよね」
「ホントです。外傷性くも膜下出血は致死率が高いんです。華凛さんがリアクションキャンセラーで止血して、ドクターが衝撃で破れた血管や傷口をすぐに修復したから一命は取り留めましたけど、死んでいてもおかしくはありませんでしたよ」
魁地は頭に残っている傷痕を指で確かめる。もともと継ぎ接ぎだらけの体故、いまさらどの傷が今回のものかは分からなかったが、まだ多少の痛みは残っている。
「う~ん、っつってもよ。元はと言えばおっさんが狙いを外したのが発端だし、華凛が予想以上の勢いで俺をぶっ放したから、防ぐのが追い付かなかったんだよなぁ……はは。でも、後悔はしてねぇよ」
「ねぇ、魁地」
「多綱くん」
「ん、なんだ?」
真理望と霧生の視線が魁地に向けられている。眉間の寄せられたその眼は、多少怒っているように見えた。
魁地はキョドって二人の顔を行き来する。
「えっ……あの、な、なんでしょか?」
「もう二度と、あんなことしないでよね」
「もう二度と、あんなことしないでください」
二人の声が重なり、共振して魁地の耳に潜り込んできた。
そして、魁地は二人に頷いた。
「大丈夫。死んでもいいなんて思っちゃいないさ。なんのために生きているのか、お前らのお陰で分かった気がする」
魁地は真っ赤な夕日の対角に薄く溶け込む三日月を見た。
彼は口でそれを描くように、笑顔を作った。真理望と霧生もそれにつられ、口元を歪ませる。
真理望が「あっ」と思い出したように言った。
「魁地、そう言えば入院している間の宿題とか全然やってないでしょ。それに来週は定期テストだよ」
「ええぇ、なんだよ急に」
「そうです。先生にも入院中に勉強するようにと多綱くんの端末にウェブ講座が送信されていたはずです」
魁地は急にチープな現実に戻されたような気がした。
「……なぁ、ちょっと写させてよ」
「こら、退院したんだから、ちゃんと明日までにやって学校持ってきなさいよ」
「霧生、たのむよぉ。あ、なんならテストのときリンクして教えてよ」
「私がテストできなくなるじゃないですか……不正はいけません」
そうやって、他愛もない時間はゆっくりと進んでいく。
やがて、彼らは徐々に黒く侵食されていく紅色の水面に別れを告げ、その場を背にした。
「さて、また研究所に帰るか」
「結局あそこに住み着いてんじゃん。魁地、いつまでたってもあそこから抜け出せないわね」
「まぁ、あそこなら霧生もいるし、安心だからな」
「私なら何かあればいつでも駆け付けられますから、任せてください」
「むっ……、ま、まぁ、いいわ。でも霧生さん、こいつは変態オタク野郎だということを忘れないでよね」
両脇から発せられる妙な空気が、魁地を挟む。
魁地は慌てて真理望をなだめる。
「いや、そういうことじゃなくてさ。この世界は、バグズにかかってるわけだしな」
「そうですね。明日も早いですし、早く帰りましょう……多綱くん、朝礼当番ですから寝坊しないでください」
朝礼ってか……魁地は急に現実に戻された気がして、ため息をついた。そして、「はぁ~い、はい。じゃ、行きますか」と生返事を返す。
彼らが歩き出してしばらくは無言が続いた。彼らはそれぞれ、ここ数日で起きた混沌とした事実と、これから起きるであろう不確定な未来図に、揺れ動く心が定まらないでいる。
「……アングラのジャヒが、戦争を仕掛けようとしている……かぁ。一体、これからどうなっちまうんだろ」
そう呟いた魁地の眼には、赤い光が輪郭を作るビルの数々がまるで群集する生き物のように映った。そして、それはとても美しいと感じた。
彼には、それがプログラムの産物とは思えない。そう考えると、自分の存在もまた、そこにある確かなものに感じられた。
「まぁ、余計なことを考えるのは止めにしよう。それより、腹減ったな」
「じゃぁ、途中でファミレスでも行こうか?」
「悪くないですね」
「よしっ、決まり。もう胃がくっつきそうだ。急ぐぞ!」
魁地が勢いよく踏み出したその時、彼らの端末がアラーム音を鳴らし始めた。
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