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十八 出動
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十八 出動
――結浜研究所地下 センターベースの管制室――
「さて、我々は今大きな問題に直面している」
まるで虹色に輝く光のプールで戯れている子供のように、結浜は巨大な3Dホログラムモニターのディレクトリーボックス内に体ごと浸かり、様々な情報を掴み出す。ただし、その様子は戯れと言うにはあまりにシリアスな状況だと結浜の悲痛な表情が物語っている。
魁地は昨日の一件で華凛にやられた後頭部のコブを気にしつつ、必死に手足を振り回す結浜の様子を眺めている。
「おさらいになるが、昨日説明したとおり、事件の発端は数日前に岐阜県奥飛騨の高山で発生した事件だ。正確な場所は丹生川の両面窟と呼ばれる洞窟内およびその周辺。バグズの被害が二名。一名は重傷、そして一名は死亡。犯人は不明」
やはり、何度聞いても『死』という言葉は、自分の置かれた状況を理解するのに余りある影響を与えてくれる。それは、これまで考えていた悠長なものではない。これから結浜が開くディレクトリーボックスに、バグズというものの本質があるのだろうと、彼は思う。
「死亡した水元はアメリカを拠点に活動する地質学者で、とても陽気な奴だった。助っ人として呼んだのに、今回の調査でまさかこんなことになるとは、私も思っていなかった。正直、油断があったのは否めない……」
結浜の人を刺すような鋭い目は角を失い、悲しみを湛えていた。
魁地は居た堪れなくなり、それを見て見ぬ振りをする。
結浜は一つのディレクトリーボックスを鷲掴みにしてそれを蜜柑の皮を剥くように開く。そこには数々の画像データが格納されている。彼は、その中からある女性の顔写真を摘み上げた。
「重傷を負ったメンバーの草野原明美。彼女は考古学者で、主に海外を拠点に活動していた。この中では古株の霧生君も数回会話した程度で、彼らのことはほとんど知らないだろう。今回はたまたま草野原の興味を引いた事件があったので、日本にいるところを捕まえたんだ。正直、私の電話が発端で彼らがこうなってしまったことを考えると、自分を責めたくなるよ」
結浜は中空で静止しているボックス状の画像データを手で撫でるようにして次々に送る。そこには目を覆いたくなるような生々しい彼女の傷の様子や発見現場の写真が並んでいる。
真理望がこれを見たらあの時のことを思い出してしまうかもしれない。彼女は今、別の業務があるとかで出払っているが、それは結浜が気を利かせてのことだろうと魁地は思った。
「こちらの画像を見てくれ。これは両面窟の出口にある鉄骨の階段が崩落したものだが、興味深い状態にある」
写っている鉄骨階段は、3Dグラフィックスで断面輪切り構造を図解したモデル映像のように直線的に切り出され、その複雑な断面形状を晒している。
「切断面の状態を分析すると、これは一瞬、一太刀で切られたものと推定される。それにレーザーなどの熱による溶断でもなく、金属同士の剪断応力によるものでもない」
「こんなことできるのって……やっぱり」魁地が生唾を飲み込み言葉に詰まると、そこに霧生が入り込む。
「今の科学では無理です。何らかの能力と考えるのが自然」
「ああ、その通り。だが、おそらく人間ではない。バスターウェアの仕業だろう」
「バスターウェア……こないだ言っていた殺人プログラム。天使や悪魔の類。そいつはどんな容姿してるんだ?」
「うむ。多くの場合、我々人間と変わらない姿をしている。だが、現代とは時代が異なるから、格好には違和感があるかもしれないな」
「だけどよ、なんで人間じゃないと分かる? バグを持った未検知の人間ってこともあるだろ?」
結浜は「ふむ」と頷くと、人差し指を立てて鼻の頭に当てた。
「確かに、その可能性もないわけではない。しかし、草野原がスキャンした現地の立体画像データと、彼女が持っていた洞窟内で発見した遺物、それに彼女の能力『リーディング』によって得られた過去のビジュアルデータ、何より、彼女の証言でその確証を得ている」
結浜は別のディレクトリーボックスからデータを掴み上げ、周囲に撒き散らすように展開した。
「まずはこの全方位画像を見てくれ。これは草野原がスキャンした事件現場の全体像だ」
結浜が小さなボックスを摘み、それを一気に両手で引き伸ばすと、3Dスキャンされた全方位画像が部屋一面に広がって表示された。垂れ下がる鍾乳石や謎の建築物が管制室を埋め、ちょうど魁地らの目の前には古代の鎧をまとったミイラが鎮座している。
魁地は「何でミイラなんだよ」と言いつつ後ろに回ると、ある特徴に気付いた。
「あれ? こいつの鎧、頭の後ろにももう一つ顔を出す穴があるぞ。でもミイラにはもう一つの顔はない。ってか、後ろ半分が剥ぎ取られているみたいだぜ」
「その通り。手や足も同じだ。二人分あった形跡がある。彼はおそらく、日本書紀にその姿が記されている両面宿儺という人物だ。多少記載との差異はあるが、ほぼ特徴が一致している」
「ひょっとして、その両面宿儺ってモンスターがバスターウェアか?! キャラ的に間違いねぇだろ」
結浜はチッチッチッと立てた人差し指を振る。
「そうではない。両面宿儺は、古代のバグズだよ」結浜はそう言って草野原が持っていたとする遺物の一つを画像で示した。
「これは両面宿儺が身に着けていたと彼女が証言しているものだ」
それは表面酸化が進行して色褪せ、かなりくすんだメダル状のネックレスだ。だが、そこにぶら下がる金属を掘り込んで作られたメダルの形状ははっきりと見て取れる。
「じつは、これは古代エジプト時代から継承されているバグズのシンボルだ。今とは多少デザインが異なるが、ホルスの目がベースになっている点で共通している」
結浜は首元で光るチェーンを引く。そこにぶら下がって引き出された金属を打ち抜いたカードに、同じような目を模ったシンボルが刻まれている。
「これは我々のIDカードにもなっている。今日中に君の分も発行されるはずだから、後で渡そう」
結浜はIDを胸元に垂れ下げたまま、説明を続ける。
「話を戻そう。西暦四百年前後の日本にも、同じようにバグズの組織が存在していた。そして彼、両面宿儺も能力者だ。マルチバグを有した当時の中心的な人物だったようだ。その異形の容姿も能力に関わるものかもしれない。そして彼はこの世界のセキュリティーホールである聖域『磐境』を利用してバスターウェアを結界で封じ込めたのだよ」
「じゃ、バスターウェアはどいつなんだ?」
「それについては、実際に遭遇した彼女の証言を聞いてみたまえ」
結浜はデータファイルの中から、動画ファイルを引き出し、中空に展開した。彼がそのファイルに手をかざすと、サムネールの静止画が動画に変わる。
『あれは……なんというか、化け物としか言いようがないわ。あんなに強力なアビリティーは初めてよ』
それは先程画面に写し出された被害者の草野原だった。
『私は懸念されていたバスターウェア復活を阻止するため、あの洞窟に入ったわ。そして、そこにミイラ化した両面宿儺を発見した。事前情報のとおり、彼の半分は失われていた。けど、どうやら行くのが遅かったようね。結界は誰かに切られた後だった。おそらくタッチの差よ。バスターウェアの難波根子武振熊が、復活したの。あいつは、ミイラのような、それとも朽ちた機械のような姿をしていた。そして、相棒の水元を殺した……私も必死で逃げたけどこの通りよ』左腕に装着されたギミック義手がモーター音を鳴らしながらぎこちなく動いている。
『アイツは、私から通信端末を奪い取ると、そこから大量の情報を抜き出して、流暢な現代語で話しかけてきたの。自分が昔、難波根子武振熊と呼ばれていたこと、そして自分の目的が磐境周辺の人間を皆殺しにすることだと……』
結浜は動画を止めた。
「両面宿儺はセキュリティーホールを利用したエンクリプションバリアのような結界能力で周辺のアドレスを暗号化して結界を張り、バスターウェアごと凍結させていたと推察される。それを、何者かが侵入して解除したんだ」
結浜はハテナ顔の魁地をスルーして説明を続ける。
「さて、厄介なのは奴が古代のバスターウェアだというところだ。実のところ、我々は古代ウェアに対しての実戦経験がほとんどない。すでに過去の神話のような存在だからね。だが、いずれにせよ奴を放っておくわけにはいかない。これ以上被害が拡大しないよう、我々は難波根子武振熊を討ち取らなければならない」
「なんか、ヤバそうだな。ところで、磐境周辺の人間を皆殺しにするって言ってたけど、磐境ってなんだよ?」
「磐境は、自然の中に神が宿っていると考えられていた古代、神が降臨するとされた依代を磐境と言ったんだ。両面窟の奥にはアドレスバグによる次元歪があると言われている。そのバグによって発生する超常的な現象から、あそこは古来より聖域とされていたんだ」
「だったらさっさと高山行って、ナニワのネコなんとかクマをぶっ飛ばして来ようぜ」
魁地が意気込む。
「いや、それは危険だ。そもそも、両面宿儺がなぜ難波根子武振熊を結界で凍結したのか」
「そんなの動けなくするためだろ」
「それは少し違う。両面宿儺は、相当な戦闘能力を備えたマルチバグだ。そんな彼なら大抵の敵なら破壊していただろう。だが、彼程の者でも、自分を犠牲にして凍結するしかなかった。そこに問題がある。多綱君。我々は奴のことを全く知らないし、誰が復活させたのかも不明だ。おそらくはザルバンの急進派アングラの連中だとは思うが……まずは情報収集して相手の出方を読むんだ。そのために、すでに山田君と華凛を現地に向かわせている。まずは彼らの連絡を待つんだ。その上で作戦を練ろう」
「なんだよ。それでアイツら、ここにいねぇのかよ……俺じゃ足りないってか。真理望もここにいねぇけど、まさかあいつも行ってんじゃねぇよな?」
「いや、織里君は能力的にも実戦向きではないのでね。今はまだ護身術のトレーニング中だ」
ウィーウィーウィー!!!
突然、グラフィックモニターが赤く点滅し、部屋中をアラーム音が駆け巡った。
つんざくようなその音は、魁地の脳内で生理的な拒絶反応を引き起こさせる。
「な、なんだ?!」
彼は驚いて咄嗟に身構える。しかし、霧生や信司は何事も無かったかのように平然としている。
「きたな。BCOだよ。……場所は新宿。一人が死亡している。目撃者の供述と現場の状況からアビリティーを使った犯罪である可能性が高いとのことだ。霧生君、行けるか?」
「了解しました。ドクター」
「多綱君、正直まだ君は研修生といったところだが、山田君や華凛なしではさすがに霧生君も苦しいだろう。君も同行してくれるか?」
「上等だ。おっさんはお茶でもすすって見てな」
結浜はやれやれと言った表情で頷くと、信司の肩を軽く叩いた。
「蔵門君も彼らと一緒に同行してくれ。今回は三人体制でいこう」
「分かりました!」
「おいおい、信司もかよ。中学生をそんな危険なとこに連れ出しても大丈夫なのかよ?」
「蔵門君も既に一定の実戦プログラムをクリアしてきている。それに彼の検知能力は、特に人ゴミの多い場所や相手の容姿が不明な場合にきっと役立つ」
「多綱さん、宜しくお願いします!」
魁地は信司の澄んだ目と笑顔に押し負けそうな気がしたが、同時に実戦において年齢は関係ないというバグズの非常さと公平さを悟った。それは彼がこれまでの学校生活で浸ってきた上辺だけの力関係を誇示する低俗な世界にはないものだ。
「あ、そういやレジルは……」
……Zzzz。寝ている。
「彼女は放っておきましょう。では、出発です」
魁地は霧生の後を追って扉の外へと出た。これまでは、自分の足跡だけを刻んできた彼だが、今は霧生や信司、仲間と言える者と歩みを共にし、その足跡を追う。しかしそれは同時に、これまで恒常的に作り上げてきた『自分』という存在の崩壊を危惧する鬼胎の裏返しでもある。彼は霧生の小さな背中を見ながら、ふとそんな不安に近い心のむず痒さを感じた。
「なぁ、霧生」
「何ですか?」と振り向く霧生――魁地は彼女に声をかけたが、特に何があるという訳でもなかった。
「あぁ、いや、ははっ。歩くの早いね」
「……急ぎましょう」
彼は自分の中に渦巻く感情のマーブル模様に戸惑いを感じつつ、とにかく今は流れに身を任せようと力むのを止めた。
「よっしゃ、いっちょやったるか!」魁地は霧生を追い越して走る。
「多綱くん!」
「おう、なんだ霧生。おいてくぞ!」
「……そっちじゃありません。戻ってください」
ズルッ ドタタッ!「いってぇ~!」
「ちょっと、多綱さん大丈夫ですか?!」
結浜はソファーに腰をかけ、テーブルに設置された珈琲サーバーのパネルボタンに触れる。濃厚な琥珀色の珈琲がノズルから流れ落ち、白い湯気を上げながらカップの中でくるくると渦を作る。彼は口でカップの端をふっと吹いて回る珈琲の渦に加速を加えると、ゆっくりそれを口に含む。
ちょうどそのとき、彼の胸ポケットの端末が呼び出し音を奏でた。
結浜はカップを持ったまま端末をテーブルに置くと、そこから3Dホログラム像が出力され、白髪で年老いた白人男性が映し出された。
「やぁ、ドクター結浜。例の件だが、事態は深刻化しているようだ。君が接触している彼だが、信憑性はあるのかね?」
「それは間違いありません。彼からの情報はこちらで知り得た過去の記録とも一致している。それ以外も、おそらく。それにしてもそちら所属の二人の件は申し訳ないことをしました。おそらく、情報がリークしているものと思われます」
「……それが本当なら、彼の力なしではどうにもならんだろう。まったく、創造主というのは勝手なものだ。では、引き続き頼んだよ」
厳つい老人は最後にニヤリと笑うと、その映像はプツリと途切れて端末の中に吸い込まれた。結浜は足を組みなおしてカップの珈琲に再度息を吹きかける。
彼は珈琲を一口啜ると、メインモニターに映る監視カメラの映像を見つめた。
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