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第一章 信じ難い依頼

1-4.初めての変装

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 時間は経過し、完全に夜の帳は落ちた。燭台に灯された炎は暖かな橙の色彩で絢爛な空間を染めている。
 素顔を晒したネーベルは、お仕着せを纏った一人の女性の前で深い吐息をついていた。

 ──顔を見られて掟を破った。領地のもう一人の異端と知り合った。その異端に一目惚れと言われ求愛された。
 ……と、これまでの流れは良かっただろう。否や、ありふれた日常が一瞬で目まぐるしく変わってしまったのだから良くは無かっただろう。
 そんな風にネーベルは思うものの、今更どうしようも無い事である。

 確かその後の流れはこうだった……。流石に、ラルフが霧の魔女を城へと招いた事実が多くの使用人達に割れてしまえば、混乱を招く恐れも否めないとルーカスは言った。
 幸いにもこれを知っているのは、ルーカスと二人の使用人のみ。
 そして〝来客があった〟という事にして、ネーベルは変装して城を出る事になったのだ。 

 ──同日中に複数人に顔を晒すなんて誰が予想するのだろうか。ネーベルは澱を吐き出すように深い吐息を溢す。 
 あまりに理不尽ではあるが仕方ないだろう。領主や城の立場の方が大事には違いない。けれど、仕方が無いとは言え、これ以上の掟破りはネーベルの胸に重たい背徳としてのしかかる。

(ああ……お祖母ばあ様ごめんなさい)

 ネーベルは心の中で、幾度目になるかも分からない謝罪を述べる。すると、目の前に立ったお仕着せを纏った娘は
「そんな暗い顔しないで頂戴」と、ネーベルの肩を叩いた。

 目の前の使用人は自分とさして歳も変わらなそうな見た目の娘だった。
 肩程の長さの癖も無い焦げ茶髪ブルネット。顔立ちは人懐こそうなクリクリとした目と頬に散ったそばかすが印象的。この女性は先程ベルタと名乗っただろうか。それを思い出しつつ、ネーベルは彼女に目をやった。

「今の霧の魔女が多分若いとは分かっていたけれど、こんなにも可愛らしいお顔のお嬢さんだなんて、誰が思うのかしらね……」

 ベルタは腕を組んで、舐めるような視線でネーベルの頭から爪先までを射貫く。しかし、こうもジッと見られる事に恥ずかしさを覚えて、ネーベルは直ぐに俯いてしまった。

「何をそんなに恥ずかしがるのよ。褒めてるのよ? 可愛らしくて羨ましいわ!」

 しかしそう言われてもどう反応して良いか分からない。ネーベルは黙ったままだった。
 ……何やら、彼女はラルフの侍女をしているそうである。普通、男性貴族の世話をするのは女性の侍女ではなく、男性の近侍きんじがつくものだ。しかし、どうにもこの侯爵家は使用人が少ないとの事で彼女が担っているのだそう。

「……それでまぁ、廊下の掃除中に貴女を連れ込むの見ちゃった訳」

 自分が第一発見者。と、彼女は朗らかに笑いながら言ってネーベルの肩を叩く。
 非常に明るくかしましい。まるで雲雀ひばりのようだとネーベルは思った。それでも決して嫌な感じはしない。

「ベルタ様、お忙しい時間でしょうが大変申し訳ないです……」

 晩餐の支度などあるだろうに。ネーベルが言うと、彼女はブンブンと首を横に振った。

「いいのよ、いいのよ! 給仕をサボれて幸いよ! それに貴女、アイツに強引に連れて来られたのでしょ? 災難だったわねぇ」

 随分砕けて好意的な雰囲気な彼女に親しみを覚えるが、水と油と言って良い程に己とは正反対の性質……なんて、ネーベルは感じてしまった。
 やはり城の者は殆どがラルフで異端慣れしているのだろうとうかがえる。何せ、ラルフをアイツ呼びだ。ベルタは、相変わらずぺちゃくちゃと喋っているが、どうにも頭の中に入ってこなかった。しかし──突然、彼女が漆黒のドレスの裾を捲るものだから、ネーベルは思わず悲鳴を上げてしまった。

「な、なんですか!?」

「ん。アンダードレスを着てるのか確認よ。じゃあ。肌着はそのままでいいわね。じゃあこれを着て頂戴」

 そう言って、彼女はブラウスと花模様のチロリアンテープが裾に施された可愛らしいドレスを手渡した。まるで街の娘達が着ているような愛らしい民族衣装──ディアンドルだ。

「え?」

 これを、自分が……? ネーベルは幾度も目をしばたたいて、ディアンドルとベルタを交互に見る。
 街の仕立屋にある既製品のディアンドルを僅かに見ては、可愛いとは昔から思っていた。それでも、自分がこれを着る機会など一生無いと思っていた。だが、絶対に似合わないだろうと思う。何せ、黒以外の服なんか着た事が無いのだ。

 手渡されたディアンドルは、森を思わせる深い緑。生成り色のブラウスの襟には花の刺繍が施されており愛らしい。しかし、見るからに胸を大きく開くデザインだ。これを自分が……? ネーベルは固まってしまう。

「ああ。これ、私の私服だけどね。私には似合わなかったの。あとがちょっとブカブカで。でも、貴女だと似合いそうだし、いいでしょう? これは貴女にあげるわ」

「でも……」

 流石に服を貰うなんて悪いだろうとネーベルは思った。
 魔女の正装はローブと黒のドレスだ。貰った所で金輪際こんりんざいこの服を着る事も無いのだ。流石に勿体ない。とそんな風に思ってしまうが──

「はいはい、何か言いたいでしょうが言わせないわ。さぁ着替えて頂戴」

 言ってベルタはグイグイとネーベルの背を押して、仕切り板の方へと追いやった。
 つまりここでローブを脱いで着替えろという事だろう。

「割と簡素な作りだから手伝いは要らないとは思うけれど、難しかったら遠慮無く言って頂戴。手伝うわ」

「あ、はい。お気遣いありがとうございます」

 やはりベルタは親しみやすそうな雰囲気がある。
 しかし、貴族に侍女がこんなにも砕けているのはやや不自然に思う。
 ──慣れとはいえ、この城は少し不思議だ。と、ネーベルはふとそんな事を思った。

「ベルタ様はラルフ様やルーカス様とても仲が良いのですね」

 ブラウスを着ながら、ポツリと出てきた言葉にネーベルはすぐに口をつぐんだ。
 思っていただけであって、口に出してしまうなんて自分でも思いもしなかったからだ。

「ん?」

 直ぐに、疑問を含んだ答えが仕切りの向こうから返ってくる。
 貴族に遣える使用人や侍女とは言え、大凡はそれなりの家からの出だ。魔女と比較すれば、雲泥と言って良い程に身分が高いに違いない。流石に不敬だっただろう。そう思って、ネーベルは顔を青くした。

「それねぇ。普段だけよ。侯爵様の前だとかしこまった言葉はしっかり使っているわ」

 先程の答えはただの相槌だったようだ。
 明るいだけでなく、ベルタは寛大に優しいのだろう。彼女はネーベルのふと漏らした疑問を穏やかな口調で答えてくれた。

 ……何やら、ベルタの母親もこの城で使用人として住み込みで勤めていたそうだ。故に歳も近い侯爵家の二人の子息とは、本当の兄弟のように育ってきたと言う。だから、普段は素で振る舞うのだと教えてくれた。そして、異端と呼ばれるラルフに対しても、世が囁く程に恐れる事も無い存在だと彼女は断言した。つまり、同じく忌まれし異端である霧の魔女も同じで、ローブ中身は普通の人間と想像していたそうである。
 ネーベルの想像は的中した。城の一部は異端に慣れている。だから、ルーカスにしてもあのように、ごく普通の人に接するように振る舞うのだと改めて理解した。

「意外かも知れないけど、城には異端を極端に忌む者は居ないわよ? 侯爵様だって同じ。街では人狼王子を地下牢で監禁してるだの、変な噂もあるらしいけれどね。確かに、噂が当たっている部分もあるけれど、少しだけ違うのよ」

 ──侯爵とは言え、過去は騎士として国に仕え、剣を振るっていた騎士道精神の塊のような人。頑固で不器用だから、ラルフとあまり話が出来ていないだけ。ベルタはさらりとそう述べた。
 確かに、城の者が言うくらいなのだから事実なのだろう。そう考えると、彼は〝ただの風評被害者〟のように感じて、いたたまれない気持ちを覚えた。だが何故に、彼の異端撤回をしないのだろうと疑問が残る。どう考えても城としても不利益過ぎるだろう。
 恐らく、それは噂が事実という部分もあるからだろうか……。

「出過ぎた話は私が怒られちゃうわね。さぁさ、もう着替えは終わったかしら?」

 仕切りの向こう朗らかなベルタの声が響いてきた。しかし、返答する前に、ベルタが入って来た事にネーベルは目を丸くして驚いてしまった。

「何よ、そんなに驚く事ないじゃない。女同士だから困らないでしょう……って、まぁ! あらあら霧の魔女様とても可愛いらしいじゃないの!」

 砕けた口調でベルタは言って、満足そうに拍手する。
 けれど、褒められる事はやはり慣れていない。当然、自分が可愛いと思った事なんて今までの人生で一度も無い。何と答えたら良いのかだって分からない。ネーベルは心の底がくすぐったくて堪らなかった。
「そんな事ありません」ネーベルは淡々と言って首を横に振るが、ベルタは子供のようにケラケラと無邪気に笑った。

「予想通りね。貴女は私より小柄だし、私の見立ては間違い無かったわ。ぴったりだし」

 ──それでも私が着るとブカブカな胸元がかなり窮屈そうでちょっと腹立たしいけど……。なんて付け添えて、ベルタは恨めしそうに目を細める。それがとてつもなく恥ずかしくなって、ネーベルは慌てて手で胸元を覆い隠した。

 ラルフにも同じ事を言われたが、やはりこれは同性だろうが恥ずかしい。ブラウスのボタンがはじき飛びそうという程ではないが、やはり彼女の言う通り少し窮屈だった。
 それどころか、大きく胸が開けたデザインだ。ふっくらと胸が盛り上がり、谷間が出ていて、妙に恥ずかしい。首から提げた薔薇石英の御守アムレットだって、谷間の合間に埋もれて今は見えやしない。
 せめてローブだけでも上に纏えないだろうか……。そうは思うが、それでは本末転倒だ。ネーベルはこめかみを揉んで、困窮した。

「何よ。魅力的で素直に羨ましいって言ってるのよ?」

 自信を持って。と、ベルタが肘で腰を突いて悪戯気に笑う。
 こうも褒められると恥ずかしいが、それでも蔑まれるよりもずっとマシな気がしてしまった。ネーベルはおずおずとベルタに向き合って頷いた。

「ベルタ様ありがとうございます。ディアンドル、大切にします」

 ぺこりと頭を垂れると、彼女は嬉しそうに笑んでネーベルの髪を一房ひとふさ掬い上げた。

「どういたしまして。……しかし貴女。その二色の髪は神秘的でとても素敵だけど、流石に目立つわね……ちょと待っていなさい」

 そう言って、仕切りの外へと出て行った彼女は急いで布切れを持って戻ってくる。

苺金髪ストロベリーブロンドなんて北の民みたいでとても素敵。だけど、隠しておいた方が良さそうね。これだけ可愛いと街の変な男に目をつけられる可能性だってありえるわ」

 ベルタは丁寧にネーベルの髪を纏めると、包み隠すように頭巾で覆った。
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