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Chapter6.生の喜びと永遠の約束

6-1.秘密が割れた日

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 真っ白な花──エーデルヴァイスが咲き乱れる世界にアルマはいた。頭上に青々と広がる空は、手が届きそうな程。吹く風は暖かく穏やかで緑の匂いを存分に含んでいた。山の中腹にいるようだ。眼下に広がる景色は牧草地。青々とした湖の近くには見慣れた修道院がある。

「ここは……」

 私はどうしたのだろう。テオファネスの心から現実へ戻ってきた筈だ。アルマは訝しげに眉をひそめていれば、少し先からテオファネスが呼ぶ声がした。

「テオ!」

 アルマは少し離れた先に居る彼の姿を見つけて、急ぎ駈け出した。その途端、煌々とした光に視界が覆われアルマは目を瞑る。暫くして、目を細めて開ければ彼の背後に金に光る扉があった。

「ごめん。ちょっと俺、行ってくるよ」

「行くって、どこへ?」

 不安に思ってアルマが尋ねた瞬間だった。彼の背後に現れた金の扉が音も無く開く。
 扉の先の世界は瓦礫の山。そこには真っ赤な炎が揺れていた。やがて聞こえ出すのは腹に響く重低音。恐らく砲弾を放つ音だ。人の悲鳴に怒号、悪夢のような共鳴にアルマは畏怖に顔を歪ませる。

「……っていう訳だ。俺はアルマに助けられて動けるようになった。それにアルマに〝愛してる〟って言っただろ。だから……俺はこの地を……アルマを守らなきゃいけない。だから行かなきゃいけない」

 そう彼は告げて、くるりと背を向けた。その瞬間に彼の装いは患者衣から灰色の兵服の装いへと変わり果てる。

「ダメ! 待って! なんで、どうして……!」

 アルマは叫び、彼を追う。しかし、一向に扉に近付けず、歩み出したテオファネスは扉の向こう──炎の中に消え去った。
 光る扉は音も無く閉まり、一瞬にして金色の光となって消え失せた。まるで光虫のよう。それは一面の白の花畑にふわふわと漂う。

「いや……嫌、なんで……どうして?」

 まるで水底に沈んだかのよう、視界がぐにゃりと歪んだ。ぼたぼたと熱い雫は垂れ落ちてアルマは背を震わせ嗚咽を溢す。

 もういいじゃないか。充分に彼は戦った。最後の時を幸せに過ごす為にこの修道院に来たのだ。なぜにまたも戦場に行かねばならない。

「嫌。離れないで。愛してるって言ってくれたじゃない……テオ、テオ……ねぇ、こんなの酷いよ。戒めを忘れないで! 私を置いていかないで……!」

 両手で顔を覆ってアルマは啜り泣く。その途端だった。またもどこか遠くから自分を呼ぶ声が聞こえ始めた。その声は複数だ。アルマ……アルマ、しっかりして……。と……。
「起きて」と、はっきりと聞こえた瞬間だった。視界がぱっと明るくなる。歪んだ視界の先にはアデリナやゲルダ、エーファの姿……そして久しく見た母の姿がそこにある。
 彼女らの合間から覗く天井はよく見慣れた木目調。少し視線をずらせば、チェスナットブラウンの古びた書き物机がある。
 それだけで宿舎の自室と気付いた。アルマは涙で濡れた目を擦り、身体を起こそうととするが妙に気怠い。喉もひりつくように痛く、息苦しく感じた。

「だめよ。まだ動かないで。横になっていないさい」

 そう諭した母は、アルマの前髪を撫で、上掛けを首元までかけた。そうされている合間にふわふわと彷徨っていた意識は定まり、これが現実だと直ぐに悟る。

 ……そう。自分はあの夜、寿命を迎えたテオファネスの心に入り、彼の影を赦した。

 本来ならば二人で行う筈の儀を一人で行ったのだ。
 かろうじて現実へと帰って来たものの、とんでもない負荷がかかり倒れてしまったのだと想像は容易い。そして悪夢を見ていたのだと……。
 しかし、なぜにこの場に母がいるのか。テオファネスはどうなったのか。彼は無事か。ここに母が居るという事はテオファネスの事が割れたのではないか。そんな不安がドッと過る。

「全く、誰に似たのか無鉄砲なんだから……」

 呆れたように母は言って、アルマの頬を優しく撫でる。

「アルマ。心配してるようだから先に言うけど、テオファネスさんは無事よ。彼はもう起きてている。事情は全て聞いたわ」

 ため息交じりにゲルダは言う。無事と分かりアルマは安堵するが、母の前だ。彼の存在は門外不出……隠蔽しなくてはならない。

「でも、その……それは」

 痛む喉でアルマが言えば、ゲルダは首を横に振るい、一つ息を抜いた後に話を続けた。

「アルマ。貴女、彼と湖の畔で倒れていたの。アルマが夜半に出て行った事は気付いたけど、一向に帰ってこない。心配になってアデリナと探しに行けば、二人が湖畔で倒れていたの。明け方三時くらいかしら」

 今はもうすぐ夕方になるわ。と付け添えて、彼女は時計に視線を向ける。それを目で追えば、壁掛け時計の針は午後三時五十分を示していた。

「テオファネスさんは昼前には目を覚ましたわ。あの不調が嘘みたいに元気よ。貴女が赦しの力を一人で使ったと言ってたわ」

 ……それで、どうにか二人でアルマを担いで部屋に運んだ。その後、急ぎきびすを返してテオファネスを二人で担ごうとしたが無理だった。金属を含む身体の所為か彼の身体は異常に重たい。それも力が抜けた状態だ。流石に持ち上げられる事も出来ず、急ぎ院長に急ぎ相談した所、彼を運ぶには男性の手があった方が良いだろうとの事。止む終えない事態だ。そこで、アルマの実家に駆け込み、アルマの父を呼び雪車そりを使って彼を運んでもらった。と……。事の経緯をゲルダは熟々と語った。

「そうだったんだ……」

 門外不出の案件だ。これが親に割れたとなると、ややこしくて頭まで痛くなってくる。しかし少し喋っただけで、やけに喉がひりつく。
 風邪を引いたのだろうと想像出来た。その証拠と言わんばかりにベッドサイドのナイトテーブルに薬袋が置かれていたので案の定と……アルマは眉を寄せた。

 それからアデリナやゲルダ、エーファは孤児院の仕事に戻ると席を外した。
 母親と二人きりになってしまい、妙にアルマは気まずく思った。彼の事をかれるのが怖く思えたのだ。
 アルギュロス最悪な兵器を修道院が匿っていただの、ましてそれを娘が付きっ切りで看ていただの親としてみれば心配必須だ。軍に明かしたっておかしくない。

「……お母さん」

 アルマが弱々しく言えば、母はニコリと笑んでまたもアルマの頬を優しく撫でる。

「お医者様が言ってたけど、貴女……肺炎を起こしかけてるのよ。今はゆっくり休みなさい。貴女が不安がる事なんか何も無いわ」

 優しく母は語りかけるが〝不安がる必要は無い〟という言葉が引っかかる。

「テオは……テオはその……」

 その言葉に、母はアルマにニコリと笑んだと同時だった。こうもせずに部屋の扉が開き、そこには自分と同じこういろの髪の父と……隣にはテオファネスの姿があった。
 身長こそテオファネスより低いものの、彼と並ぶと父の横幅の広さが妙に際立って見えた。畜産業を営む男というだけあって、父はガッシリとしており肩幅が広い。起きたアルマを見るなりに父は引き結んだ唇を少しばかり綻ばせ「おはよう」と低く平らな声で言う。

「お父さん……テオも……」

 目を疑うとんでもない組み合わせである。それも男性の入出が禁止された宿舎だ。

「どうして……」

 戦きつつ言えば「喋るな馬鹿娘が」と呆れた調子で言って、父はドカリとベッドのへりに腰掛ける。

「この若造から色々話は聞いたぞ。しかし、本当にコイツ、重いのなんの……アルマが目を覚まさなければ、俺はくわでバラバラになるまでコイツを殴り壊してたわ」

 そう言って父はテオファネスをギロっと睨んで鼻を鳴らすと、萎縮した彼は直ぐさま詫びを入れた。
 父が冗談のつもりで言っている事は直ぐに分かった。何せ、今にも笑いそうになって口角が上がっているのだから。しかし対面間もないテオファネスからすれば冗談と分からないのだろう。彼は俯き今一度詫びを入れる。すると父はテオファネスの脇腹を抓って「うじうじするな」と豪快な笑い声を上げた。

 父は大抵いつもこんな調子だ。強面な見てくれ通りに頑固で口は悪く、喋り方も威圧的。だがその反面、冗談好きでお茶目な一面がある。そんな調子について行けないのだろう。テオファネスは心底困却したおもてを貼り付けて、いつも以上におどおどとしていた。

「ところでお父さん、何です?」

 ──修道院の宿舎です。親族と言えども、男性の立ち入りは控えるようにと言われていた筈ですが……。と、母が切り出せば、父は腕を組んでアルマとテオファネスを交互に見る。

「直接お前達二人に伝えるべきだと思ったから、院長に無理を言ってコイツもこうしてアルマの所に連れて来た訳だ。それに、娘が苦しんで寝込んでいるのに父親が入れないなどおかしいだろう。〝娘が起きたら五分だけ〟って条件で入ってきた」

 フン。と鼻を鳴らして父は言う。
 父が院長をドヤす様は容易に想像出来た。相当無理を言って踏み入ったのだろう。その始終でも見たのかテオファネスは複雑な面持ちを浮かべて父の背を眺めている。

「……いいか。アルマよく聞け。俺も母さんも機甲マキナなんぞ見ていない」

 さっぱりとした口調でそう告げて、父はテオファネスに視線を向けた。

「俺が見たのは、二十歳前後の退役軍人だ。随分シュタール語が上手い外国人のな」

 分かったな? と、同意を求めるようにかれて、アルマは目をしばたたく。

「……え?」

「え? ではないだろ。そういう事だ。俺も母さんもそのくらいに捉えておく。だからアルマは安心しろ、俺達が見たのは外国人のただの若造だ」

 分かったな。と今一度言われて、されたアルマは頷く他無かった。そして今後はテオファネスに視線を向ける。完全に萎縮した彼はコクコクと何度も頷いた。
 それだけ告げると、父はテオファネスを引き摺って部屋を出て行った。アルマは呆気に取られたまま彼らの消えたドアを見ていれば、母は呆れた調子の吐息を一つ吐く。

「全く。お父さんは本当強引で無鉄砲で……貴女、本当にお父さん似ねぇ」

 いやいや全く似ていないだろう。あんなに強面でも強引でもない。しやくどうはつの母と違い、確かに髪の色素だけは遺伝しただろうが……。そう思いつつもアルマは母に視線を向ける。

「そのテオの事……」

 つまり誰にも漏らさないとの意図は汲み取れるが……。
 続けて喋ろうとすれば、母は首を振り、アルマの唇の上に指を突き立てた。

「当たり前だけど、彼の姿を見て、お母さんもお父さんも初めはギョッとしたわよ? 火曜の天使とはいえ、娘にそんな危険な務めを負わせていたと知ってゾッとした。相手は兵器。貴女がいくら強い超常力を持つとはいえ……お父さんはカンカンになったわ。お父さん、院長に怒鳴り散らした程よ。危険なんか顧みず、目を覚ましたテオファネスさんに殴りかかろうともした。でもね、私が貴女の部屋に入った時、これが開きっ放しでどうにも目に入ったの」

 そう言って母は立ち上がり、アルマの机の上の日記帳を持ち出すと、パラパラとページを捲った。

「人の日記を見るなんて悪い事だと分かるけどね、どうしてもお父さんに伝えたかった。だから、これをお父さんに見せたけど……貴女がこの務めを受け入れて、やるべき事に懸命に向き合ってた事がよく分かったの。それに彼が人と変わらない事や、無害である事が分かった。お父さんに胸ぐらを掴まれても彼は攻撃なんてしなかったのよ。目を真っ直ぐに見て、誠意のある謝罪をしたわ。それに、話をしてあの子がアルマをとても大切に思ってると分かったわ」

 瞼を伏せて母は語る。娘が守りたいものを親が否定するのはどうなのかと。こんなに献身的な思いを無碍にする事なんて出来る筈も無い。だから、私達家族は絶対に彼の存在を外には漏らしたりしないと。
 それを聞いてアルマは胸を撫で下ろした。

「……ありがとう」

 小さな声でそう告げると「当たり前の事よ」と母は笑み、アルマの髪を撫でた。
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