迷える機甲と赦しの花

日蔭 スミレ

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Chapter5.真意と終わりの音

5-6.来年があったら

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 その後、アルマはカサンドラ准士官からの手紙を全て読んだ。そこには案の定、エーファの兄の事について綴られていた。

 何やら、以前エーファの兄の件をいたベルシュタインの技術者が暇を見て探し出し、身内が居るなら……と送ってくれたそうだ。

 それから、エーファに兄の話を聞きたいと言われ、アルマはこれまでカサンドラの手紙に綴られていた全てを話した。
 それを聞いて、エーファは再び涙ぐむが、全て話せば「教えてくれてありがとう」と泣き笑いを浮かべる。それが酷く切なく思うが、彼女はきっと平気だろうと思えた。懺悔に来た婦人とは違い、兵士になる事がどういう事か分かっていた部分が大きいからだ。そう、彼女は全てを受け入れていた。幼いながら、凄い事だとしか言いようも無い。

「あのね、アルマ。その軍人さんにエーファもお手紙書いていい? お兄ちゃんの事お礼を言いたいの」

 そう言われてアルマは勿論。と、直ぐに頷いた。

「あ、でも……十二月のホリデー中は多分休戦状態になって暇が出来る可能性があるみたい。本人が来るかもしれないよ」

 その旨を伝えると、エーファは嬉しそうに頷くが、テオファネスは少しばかり煙たそうに目を細めた。

 そうだ……彼からすればカサンドラは上役で管理者だ。正直、彼が彼女に対してどのような感情を寄せているかは分からぬが、立場上身構えるのは当然に違いない。

「お察しかもだけど、カサンドラさんにテオの体調不良の件を相談して手紙を送ってたの。私も出来る限りの事を模索してるけど、技術者に見て貰った方がきっと良くなる筈。もう少しだけ頑張ってね」
 そう言って彼を鼓舞すると、テオファネスは曖昧な表情で頷いた。

  ❀

 ──それから一週間。十二月半ばに差し掛かり、修道院内はすっかりホリデーの和やかな空気に満ちていた。
 談話室に設置した木には煌びやかなオーナメントが沢山ぶら下がっており、赤い火が揺らめく暖炉の上には毛糸で編み込まれた靴下が子供達の数の分並べられている。

 ホリデーとは聖者の生まれた日を祝う数日間。その日は日曜礼拝同様に修道院が一般開放されるので、修道女達も力を入れているのだろう。賛美歌の練習が日夜問わずに聞こえて来る。

 遠くで聞こえる歌声に耳をそばだてて、アルマは肩に箒を立てかけ窓辺で息をついた。その息は硝子窓にかかると白く濁る。窓の外は重苦しい灰色の雲に覆われ、しんしんと牡丹雪が舞っていた。

 ──寒くて陰気、日照時間も短い。冬は嫌いだ。

 そんな風に思ったアルマは目を糸のように細めて悴んだ手を擦り合わせた。
 正式な修道女でもないエーデルヴァイスは十二月の一時帰省が許されており、二・三人ずつ交代で休暇を過ごす。
 当たり前のようにアルマも毎年十二月は実家に帰って休暇を過ごしていた。
 しかし、テオファネスの担当となった今回ばかりは帰る事が出来なかった。彼が元気なままでいれば帰る事も出来ただろうが、容態が一向に良くならなかったので帰省を断念せざるを得なかった。

 ……とはいえ、実家は修道院から徒歩二十分圏内の近隣だ。

 父母は日曜礼拝の都度やって来て、チーズやバターを届けるので定期的に顔は合わせていた。それに、ホリデー時も修道院が一般開放されるので、父母がやって来る事も想像出来る。だから別に帰れない事においてはアルマとしては全く問題無いが……。

「……なんか、ごめんな。折角の休暇だろうに」

 背後からテオファネスの心底申し訳無さそうな謝罪が聞こえて、アルマは窓の外を眺めたまま首を横に振る。

「いいのいいの。だって私の実家って物凄く近いもの」

 朗らかに言ってアルマは精一杯の笑顔を作るとようやく彼の方に顔を向けた。
 しかし彼の姿を見るなり、抑え込んだ焦燥が胸の奥底から疼き出す。そう、いかに献身的な治癒を行おうが、彼の容態は一向に良くならず、悪化を辿っている。
 数日前「勿体ない事をしたくないから、はっきり言うけど食事量を減らして欲しい」と言われた。どうにも食事が喉を通らないのか、パン一つと暖かいミルク程度しか彼は口にしなくなった。

 少しでも滋養のつくものを……と、パンをミルクで粥状にしたものに蜂蜜や穀物を入れる他、摺り下ろした林檎を与えるなど工夫を凝らしたが食欲は一向に戻らなかった。

 とうとう起き上がる気力も無くしたのか、テオファネスは完全に寝たきりになってしまった。

 エーファの兄の件の礼も含めてカサンドラに手紙を送ったが、やはり返信は無い。多忙だろうと想像出来るが、以前の手紙でも彼の容態の悪さに特にこれと言って何も触れられていなかった事を思い出すと腑に落ちない。
 技術者ならば、当たり前のように機甲マキナを熟知している筈だ。〝テオファネスについて困った事があれば頼れ〟と言ったじゃないか。それなのに、改善策を提示してくれない無責任さにアルマは苛立ちを募らせていた。

「テオそんな顔しないで。だって、お父さんもお母さんもホリデーの礼拝に来るに決まってるし気にしないでよ」

 朗らかにアルマは言うが、彼は腑に落ちない顔で頷いた。
『ヴィーゼンのホリデーはどんなだ?』と、彼の質問から、エーデルヴァイスの帰省の話に広がった。そこで軽く話したところ、責任でも感じたのか彼は落ち込んでしまったのである。
 事実、テオファネスが理由で帰省出来ないが、別に彼に非は無い。それに、アルマとしては一秒でも彼の側に居たかった。こんな容態だからこそ心配というのもあるだろう。だから、実家に帰りたいとは思わなかったもので……。

「でも、休暇なんだしさ……」

 かれこれこの台詞は二回目になる。しかし今度は「俺の所為で……」と、続けたので、アルマは続きを言わせんとばかりに大きなため息をついた。

「いいって言ったらいいの。だって休暇なんて二泊三日程度だもの。人手が居た方が孤児院の管理だっていつも通りでしょ? それに私はともかくエーファの事を考えてみなさいよ?」

 エーファ。と、名を出せば、流石に何も言えぬのか、彼は複雑な顔を浮かべて頷いた。
 エーファは元より孤児。帰省する場所なんて無い。それに兄の死を知って日も浅い。やはりアルマとしても気がかりで仕方なかった。
 あれ以降、エーファは時折物思いに更けている。それでも、話かければ至って元気だった。それに笑顔を見せる回数も多くなり、随分と年相応の女の子らしくなったものだと思う。
 彼女は、今を生きている。「家族にならないか」とレオンとロルフが言った件の回答からも、未だ分からぬ未来さえ見つめている事が分かる。彼女ならきっと大丈夫だろうと思えた。

「……分かったよ。それでも間違いなく俺が原因だから悪いなって思っただけ。だからその気持ちだけは分かって欲しい」

 テオファネスが眉を下げて悲しげな顔をするので、アルマも同じような表情を浮かべてしまった。そんな事を言わせたくはないのに。本当に難しい。どうすれば明るい表情を見せてくれるのだろう。アルマは箒を置き、ベッドのへりに腰掛けると、彼の手を取って両手で包み込むように握りしめる。

 血が通っているのかと思える程に彼の手は冷たかった。爪だって血の気を失いやけに白い。今では温湿布をしようが、毛布をどんなに被せようが彼の体温はちっとも変わらない。激しい焦燥が沸き立つが、アルマはニッと口角を上げて悪戯気な笑みで彼を覗き込む。

「テオ早く元気になってね。来年も未だ大戦が続いていたとしてさ、テオが未だここに居たとしてさ……そうしたら私ちゃんと帰省するから。もしそうだったら、去年の分だって孤児達の世話も掃除だって馬鈴薯の皮むきだって沢山頼むから覚悟しててよ?」

 戯けて言ってみせると、彼は目を細めてクスクスと軽い笑いを溢す。

「ああ、わかったよ」

 ようやく笑った事に安堵するが、それでも笑顔が妙に儚く見えてしまう。
 沸き立つ焦燥を悟られぬように、彼の手を離した途端──今度はテオファネスがアルマの手をやんわりと握りしめた。

「何だろう。俺、凄く幸せだって思う。無礼な発言してさ。初日に随分嫌な思いさせたけど……分かり合えてよかった。俺、アルマと出会えた事、本当に幸せだって思う」

 感慨深そうに、深く深く噛みしめるように彼は言う。あまりに真摯な言葉にアルマは一瞬にして首まで赤くなってしまった。

「そ、そんなの……大袈裟! 恥ずかしいじゃない」

 恥ずかしい反面で恋した人にそう言われるのは嬉しかった。アルマは羞恥でプルプル震えつつ彼の方を向けば、真摯な瞳とかちりと視線が交ざり合った。

「大袈裟じゃない。確かに言った俺本人も今物凄い恥ずかしいけど……言葉にしなきゃ分からない事もある。だから、ちゃんと伝えなきゃって思っただけで」

 そう言って、彼はアルマの手を持ち上げると手の甲に冷たい唇を軽く押し当てた。
 しかし、口付けの光景をまじまじと見てしまったアルマは更に赤々と頬を染める。

「……な、なんなの今日は。照れ性な癖に何だかテオじゃないみたい」

「ん……確かに〝らしくない〟かも。でも、なんだろ。どうすれば、ありがとうが伝わるかなって思っただけ」

 儚げな笑顔ではあるが、その双眸は妙に熱が篭もっているように映ってしまった。
 まさか……彼も自分と同じ想いを抱いているのか。そんな期待を抱いてしまうと、いやに胸が高鳴った。

「でも手の甲にキスとか流石に調子に乗ったかも。嫌だった?」

 戯けつつ、テオファネスはアルマの三つ編みに手を伸ばす。

「前から思うけど、真っ赤になってるアルマって可愛いな」

 彼は三つ編みを愛でるように指の腹で撫で始めた。
 ふと過ったのは初日の事だ。三つ編みがぼさぼさだと指摘され、こうして髪を撫でられた。それ以降も三つ編みに触れられた事は何度かあったが、ここまでどきまぎしなかった。酷くこそばゆく思えてアルマは首を竦める。それと同時──軽快なこうが二つ響き、テオファネスはスッと手を引っ込めてアルマも慌てて立ち上がる。
 間もなく姿を見せたのはアデリナだった。

「ちょっとアルマ。少し暇あるかしら? 雪かきの手伝いしてくれない?」

 何やら礼拝堂前の道が完全に雪で埋もれてしまったそう。それを聞いて、アルマは返事をすると直ぐに、彼の部屋から逃げるように飛び出した。
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