迷える機甲と赦しの花

日蔭 スミレ

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Chapter4.想いが育たぬように

4-6.懺悔と救済、自分達に出来る事

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 その日、夕食を終えた後だった。

「懺悔に来た人がいます。どなたか二人、礼拝堂までお願い致します」

 突如駆け込んで来た修道女にそう言われて、アルマとアデリナは自ら率先してそれを引き受けた。
 単刀直入に言えば、皿洗いの当番で無かったからだ。ゲルダは子供達を夕食の席で、午後の勉強の時間に分からなかった事があるから教えて欲しいと捕まっていた。エーファに関しては未だ、この務めには就いていない。否、彼女は人前で話す事もろくに出来ないので、この務めからは外されている。そこで一番場数を踏んでいる自分達が出向いたのである。
 懺悔に来た人、そして自分達エーデルヴァイスが呼ばれる場合は間違いなく、人の心の影と対峙する為である。しかし、こういった事は年間で十回も無い。

「久しぶり過ぎて、上手くいくか不安になってきた……」

 思ったままを吐露すれば「大丈夫大丈夫」と、アデリナに軽い調子で言われて僅かに心の強ばりが和らいだ。
 そうして二人は礼拝堂に辿り着く。暗い祭壇の左右には数多の蝋燭の炎が揺らいでいた。  礼拝堂の座席の端には小柄で細身の女性の姿があった。細い背や白髪交じりの毛髪を見る限り初老女性とおぼしい。だが、振り向いた女性の顔を見て、存外そこまで歳を取っていない事が分かった。

 四十代半ば、或いは五十代程だろうか。その背にはふわふわと黒い影が蠢いており、まるでおぶさるように彼女の背に纏わり付いていた。

「お待たせ致しました。私、金曜に宛てられたエーデルヴァイス、アデリナと申します」

 レースをふんだんにあしらったスカートの裾を摘まんでアデリナはれんに一礼する。それに倣ってアルマも同じように名乗り礼をした。
 そうして今一度、婦人の顔を見ると、彼女はつぶらな目でアルマとアデリナを交互に見るなり。「どうか愚かな私を赦して下さい」と大粒の涙を溢して頭を振り乱す。

 しかし、その途端、どこか聞き覚えのある音がした。しゃらりと軽い金属音──その正体は。
 アルマがその正体を辿れば案の定だった。彼女の手に鎖付きの認識票が握られていた。それを持つ……つまり軍に服役した身内が死した事が直ぐに結び付く。

「どういったお悩みでしょうか」

 見当が付こうが聞くしかない。すると、案の定〝一人息子が戦地で死した〟と、彼女はさめざめと答えた。

 ──召集令状が届いたものの、息子は服役したくなかったらしい。
 国の為に戦える事は男として誇らしいこと。寧ろ刃向かうなど言語道断。「嫌だ」という息子に痺れを切らし、夫と無理矢理に送り出してしまったそうだ。戦争に行こうが死ぬ筈無い。何せ、無敵の三帝国だ。きっと生きて帰ってくるだろう。誰も死にやしないだろうと信じていたらしい。だが、帰ってきたのはこの認識票だけ。息子は僅か十九歳でこの世を去り、異国の地に埋められたらしい。

 婦人はさめざめと泣き〝どうして送り出してしまったのか〟と懺悔をする。そして、無敵の三帝国でないのか。と悲痛な声で叫んだ。
 しかし、それに対してどう返して良いか分からない。自分達はこの人の心に干渉し、晴れ間を与える事しか出来ないのだ。
 赦しの力とは人の心に干渉する事。実際に何から何まで救える訳でない。気付かせる事がこの務めである。
 しかし、流石に嘆きを聞き続けているのも心苦しくなってきた。アルマはアデリナをいちべつすると直ぐに視線が交わり合った。言葉にせずとも「そろそろ始めよう」と言っているに違いない。そう確信して、アルマとアデリナは婦人の肩に手を触れる。

「分かりました。その嘆き、私達は受け入れます」

 そう告げた後、アデリナは胸のポケットから金の小さなベルを取り出した。

「どうぞ目を瞑って下さい。その心どうか私達を入る隙をお与え下さい」

 アデリナがそう語りかけ、ベルを二つ鳴らしたと同時──次第に視界が暗くなり始めた。

  ❀

 その女性の救済を終えたのは午後八時近くだった。
 この務めは人の深層心理に飛び込み、影を赦す。深層心理に居る本人と語らい、ただただ祈りを捧げるだけだが、祈る時点で影は薄まるなり消えるなりする。

 しかし、この務めの本質は戒めを与えるものだ。

 あの女性の場合は「決して息子を忘れぬ事」「敬い、思い続ける事」「同じ過ちを二度と繰り返さぬ事」それらを彼女は自ら心に刻んだ。
 これこそがエーデルヴァイスだけが行える務めだが、人の深層心理に飛び込むので、儀式後は疲労困憊するものだった。
 無論これは一人でも出来る事だが、こうして二人で務めを行う理由は、人の深層心理に飲み込まれる事を回避する為だ。

 人の心とはまるで深い水の中のよう。或いは迷宮ともたとえられる事がある。初めは影が助けを求めるように蠢いているので、深層まで辿り着くのは容易だが、帰る方が困難だ。何も道しるべもなく感覚だけで戻ってくるからだ。だからこその複数人。互いが命綱となり、帰り道が分からないなんて事を避ける為である。
 別に人の心から戻れなくなるとしても死ぬ事は無いが、数日気を失う羽目になる。また干渉時間が長すぎると、数ヶ月酷い頭痛に悩まされるなどという事も。

 だが、そもそもヴィーゼンの天使と称されもてはやされているので、失敗など許されるわけがない。だからこそこの務めの基本は二人体制だ。

「なんだかドッと疲れちゃった。でも良かったね……あのご婦人、少し明るい顔で帰って行ったし。前を向いて生きる事が出来れば良いけど」

 肩を回しつつアデリナは苦笑いで言う。

「そうだね。本当に久しぶりだったし疲れた。私も今日はもうテオの部屋に寄ったら、宿舎に戻って入浴して直ぐ寝たい気分……」

 気怠げに返した途端だった。

「──いい加減にしろよ!」

 中庭から男児の罵声が響き渡ったのである。
 声だけで分かる。間違いなくあの双子のうちのどちらかだ。アルマは直ぐにアデリナと顔を見合わせて、声がした方に向かって急ぎ走った。
 もう既に入浴も済ませた頃合いだろうに、声の元を辿れば中庭の木陰にレオンとロルフの姿があった。そんな二人の足元には白い何かが蹲っている。否、転がっているのが見える。それは月明かりでやけに際立って明るく見える。そう、自分達と纏うのと同じ礼装だったのだから。

「……やめて」

 震えた小さな声はあまり聞き馴染みの無い少女の声。だが、アルマからしてみれば強烈な印象だったので、それだけで正体が直ぐに分かる。

「……っ! エーファ!」

 叫ぶアルマは二人の合間に駆け込んだ。

「貴方達、何してるの!」

 アルマはエーファに背を向けて、双子の前に立ちはだかる。
「げ……」と心底嫌そうな声を上げられるが、二人は逃げもせずジッとアルマを見上げて睨み据えた。
 それもその筈だろう。両脇が植木で囲われた入り組んだ場所……その行き止まりだ。後方にはアデリナも控えているので完全に袋の鼠に違いない。

「いくら気に食わないからって、こんなのなんてどうにかしてる」

 ──おかしい。悪い事だと判別出来ないのか。アルマは怒声を上げるが、二人は睨むのを止めず舌打ちを入れる。

「こいつが無視するからだよ。ぶつかっても謝りもしない。話を振っても答えもしない。嫌がるような事をしたって表情さえ変わらない」

「気持ちが悪いんだよ。どんなに話しかけても俺達の事なんか眼中に無い。見下されてるみたいだ。何がエーデルヴァイスだ。悪魔にでも憑かれてるんじゃないのか!」

 二人はそれぞれ罵声をあげた。しかしその答えを聞いて、アルマは呆れ返ってしまう。
 まさにテオファネスが以前言った通り……気を引きたいが故の暴走だったからだ。

「ねぇ、仲良くしたいとか気を引きたいなら、もっと優しく出来ないのかしら? 嫌な事をされたら誰だって遠ざかる。最低な気の引き方よ。それくらい分からないのかしら?」

 後方のアデリナは心底呆れた調子で言った。

「そう。気持ち悪いなんて言葉は訂正しなさい。そんな事言われたら誰だって傷付くでしょ」

 アルマも呆れて言うが、尚も双子は食い下がらなかった。

「お前らは無視され続ける事を、どう思うんだ! 気分が悪く無いのかよ! こっちは仲良くしたいって思うのに、沢山親切にしたのに全部届きもしない事をどう思うんだよ!」

「天使だとかもてはやされてるけどエーデルヴァイスなんて、病気みたいなもんだろ! 人の心に入れるなんて悪魔みたいだ!」

 そう言われて、アルマは思考が止まった。

 子供が言うにしては随分と当を得た発言だ。確かにそう思う。自分だってこんな力が欲しかった訳でない。二次性徴と同時に発現させ、一定年齢を超えれば綺麗さっぱり消えて無くなる。その力を守る為に修道院に閉じ込めらて、修道女見習いさながらの務めを行う。〝なぜに自分が〟なんていくら考えたって分からない。
 それはきっと神のみぞ知る事に違いなく……。

「そうだね。確かに奇病みたいなものかもしれない」

 アルマはぽつりと言って、双子を交互に見た。

「それでも私達は人間だよ。親切にして無視されたなんて何度も積み重ねれば嫌な気分にだってなる。放っておこうと思う。だけどね、その人にはきっとそれなりの事情だってあるに違いない。出来れば言葉にして欲しいと思うけど、無理強いなんて出来ないよ。人にはそれぞれのペースがある。踏み込まれて欲しくない事もあるかも知れない」

 戦場に行ってしまった兄の件。それで心を閉ざした件。それらを知ってしまったからこそ、出た答えだった。

「貴方達の言う事は少し共感は出来る。何も応えないのは苛々する。でも、だからって暴力はダメに決まってる!」

 それをきっぱりと言ったしゆ──「俺らの気持ちなんか分かってねぇ!」とどちらかの叫びが響く。その一拍後、ゴツリと頭に鈍い痛みが走った。
 ひどく目がチカチカした。何が起きたかよく分からなかった。
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