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Chapter3.謝罪の言葉

3-5.二人の夏空キャンバス

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 ──七月中旬。新参の孤児としてテオファネスがザフィーア修道院に入って一ヶ月ほどが経過した。

 季節は完全に夏に。とはいえ、緯度の高いベルシュタインの夏は非常に短く、一ヶ月も経たずうちに肌寒くなり秋を迎える。日照時間は未だ長いものの、これからは短くなる一方で冬至を迎える頃には陰鬱とした暗闇と曇り空に覆われる。だからこそ、この短き夏こそ皆、はつらつと外で過ごす事が多い。
 そよそよと吹く爽やかな風に洗濯物がヒラヒラと靡く。湖の方角から子供達のはしゃぐ声が響き、アルマはそちらを振り向きつつ、胸元のポケットにしまったしんちゆう製の懐中時計を取り出して蓋を開けたと同時だった。
 ヒラヒラと靡くシーツの群れの隙間からアデリナが現れ、アルマを見つけると彼女は手を振って歩み寄る。

「アルマ? そろそろ子供達も戻って来てお勉強の時間になるし、テオファネスさんのお迎え行った方が良いんじゃないかしら?」

「うん。そんな時間だなって思ったの」

 懐中時計をいちべつすると時刻はもうすぐ十一時に差し掛かろうとしていた。 
 そうして時計の蓋を閉じようとするが、噛み合わせが悪いのか、きっちりと蓋が閉まらない。ちようつがいのネジかツメが馬鹿になってしまいっているのだろう。アルマはジト……と目を細め、蓋の閉じない懐中時計をそのままポケットに突っ込んだ。

「アルマの時計、物凄い年季が入ってるね……」

 その様を見ていたのか、アデリナは苦笑した。

「ううん。私時計なんて持ってないよ。テオの外出許可が出てから、院長先生が時間を見るようにって貸してくれたの。借り物だから文句は言えないけど……見た通り壊れかけ。針もき動くけど、蓋がどうにもね」

 笑みつつ言えば、アデリナは時計をしまったアルマのポケットをじっと見た。

「……そういえばテオファネスさんって手先が器用だし修理出来そうじゃないかしら?」

 ──聞くだけ聞いてみたら? と言われて、アルマは頷いた。

 外出許可が下りてから、テオファネスは限られた時間内で外に写生に行くようになった。そこでアルマは彼の異常な程の手先の器用さを知ったのである。

 絵を描くのが好き。と、聞いていたものの、失礼ながらまさかそこまで上手いと思いもしなかった程。彼の描く絵は画家顔負けな程、非常に素晴らしかった。

 修道院には絵の具など色彩を付けるものなど一切無い。使用画材はただのスケッチブックと鉛筆のみ。それにも関わらず、彼はただの鉛筆一本で艶めかしい程の立体感のある描写をするのである。

 手法をよく見ていれば、指で擦りぼかしを繰り返し陰影を付けている他、消しゴムの滓を丸めてそれでぼかしを行っているようだ。見ていて眠くなる程に非常に地味な作業に違いないが、やがて素晴らしい絵を創り出す彼の手はまさに魔法の手のようにアルマは思ってしまった。

 そんな部分からアルマは彼が手先が器用でないのかと予測したが……どうやらこれは大当たりだった。孤児院の食堂に設置してあるテーブルランプが壊れた時、彼にそんな話を持ちかけた所、「工具一式とランプを持ってきて欲しい」と言われて従った所、翌朝には見事直してしまったのだ。配線関連の事まで分かるとは思いもしなかったので、ただただ驚嘆してしまった。
 しかし、それからというものの……幼児が使う木製のおもちゃが故障しただの、手押し車が壊れただの、事ある毎にアルマは話を振られテオファネスに持ちかけると、彼はそれら全てを見事に直してしまったのである。

「配線関連はカサンドラ准士官からの入れ知恵もある。あの人技術者だし、そういう系統全般的に強いから。あと俺自身こういう地味な作業って昔から凄い好きだしな」

 そんな風に彼は言っていた。しかしこうも事ある毎に便利屋の如く頼るのはいかなものかと思ったが「暇つぶしになるから全然構わない、寧ろ喜んで手伝う」と言ってくれたもので……。
 その旨を伝えた所、未だ誰とも会っていないのに、彼は完全にエーデルヴァイスの裏方であり便利屋のような存在になってしまったのである。

 しかしながら、こうなってからというものの彼の調子はすこぶる良い。もはやどうからどう見たって健常者……レメディーの投与回数も減り、今では重度の不眠も嘘のように改善された。それもたった一ヶ月でだ。その上、彼の笑顔を見る事も確実に増えていた。

「あ。ほら子供達が見えて来た。早く迎えに行ってあげなくちゃ……」

 アデリナにそう促され「また夕方に」と言うなり、アルマは慌ててテオファネスの元へ向かった。

  ❀

 テオファネスと外に出る際、アルマは彼と昼食を取る事になった。
 何せ、子供達の食事の時間が終わる頃には午後一時近く。流石にその頃にはいい加減にひもじくなる頃合いなので、朝食時にサンドイッチを拵え、それを持って外に出る。
 バスケットいっぱいの食事を持つアルマの隣で彼はスケッチブックを片手に持ちつつ、一本の鉛筆を器用にくるくると回して歩んでいる。

「今日何だかバスケットの中身が多くないか……?」

 持とうか? と、訊かれるが別に重たくない。アルマは首を振った。

「この前、ゲルダがいつもより多くパンを作りすぎたみたいでね。カビが来る前に消化すべきだって事で……沢山テオにあげてって言ったの」

 そう言うと、テオファネスはバスケットの上に被せたクロスを持ち上げて中を確認するとアルマの方を向き一つ頷く。

「出された分は食べるけど、流石に俺にも限度はある。多分この量なら胃袋に納められるとは思うけど。でも、いくらヴィーゼンが豊かでも、このご時世じゃ食料がいつ入手困難になるか分からない。粉も勿体ないからゲルダには分量ちゃんと計りなって伝えて」

 吐息混じりに言われて、アルマは頷いた。

 ……アデリナにゲルダ。かしましい十六歳のカトリナ、イリーネ、ユリアの三人に最年少のエーファ。と、アルマは何気ない会話から自分以外六人の名前を彼に教えた。
 その所為か、彼もすっかり六人の名を覚え、このようにアルマが間に入ったやりとりを日常的に行っている。
 同じ敷地内、毎日同じ建物内に居るのに実際に会っていないというのが不思議でならないが……アデリナにしてもゲルダにしても初めにアルマの言った「あまり干渉しないで欲しい」を未だ優先してくれていた。

 規則を破り悶着をしたというのにだ。なぜにそうしてくれたかと言えば、そこにはテオファネスの気遣いが一因しているに違いない。

 二人に咎められた後日……。幸いにも気まずさも重苦しさも無く二人とは仲良くしているが、やはりアルマはアデリナにあんな顔をさせた事について深い罪悪感を抱えていた。
 その様子にテオファネスが気付き、問われて素直に吐露した所……後日「アデリナとゲルダ双方に渡して欲しい」とスケッチブックを破いてこしらえた二通の手紙を彼は渡してきたのだ。

 内容について聞けば「俺からの謝罪。それだけ」と、彼は笑みつつ言った。

 そうして彼女ら手紙を渡したところ、二人は直ぐに返事を書きテオファネスに渡して欲しいと言ったのである。
 その内容について尋ねた所「うちのガサツな火曜の天使をお願いします」との事で……。テオファネスはアデリナとゲルダからの手紙を見せてくれた。
 どちらも双方同じような内容だった。
 ただ、自分自身の身を心配していた事、そして脅していただの誤想への謝罪……「ガサツなアルマについて困った事などあれば、文句を手紙にして送ってくれるとありがたい」などなど。しっかり者の二人らしい内容だった。
 そう、これがあったからこそアルマも深々とその時の事を考えすぎるのを止めた。否、このお陰もあって以前より二人とは仲睦まじい状態になっただろう。

 ────だけど、ガサツガサツって……。私そんな荒っぽいかな。

 手紙の内容を思い出しつつ、アルマが唇を尖らせていれば「どうした?」なんてテオファネスに声をかけられる。

「何でも無い。ガサツ……ってよく言われて、なんか腑に落ちないって思っちゃっただけ」

 そう言いつつ、アルマは立ち止まった彼を追い越し、先を歩めば直ぐに背後からクスクスと笑む声が聞こえた。

「大雑把って結局は〝いい加減〟に見せかけて〝良い加減が出来る〟って事。気にしない方が良いんじゃないのか。寧ろ、アルマはそういう部分があるから放っておけないと思えて、愛されてるんだと思う。言葉は悪くとも、自分から見た短所は人から見たら長所だって事もあると思う。確かに三つ編みがグチャグチャな時あったり……レメディーの瓶が開かないからって蓋を壊そうだのしたりガサツとは思うけど。そんな部分、俺は可愛いって思うけどさ」

 隣まで追ってきた彼は優しい笑みを向けて言うので、アルマの胸はドキンと高鳴った。
 確かこの感覚は初日の昼食時にも味わっただろう。しかし、何気ない会話から酷く心が揺さぶられる言葉を言われるのは妙に気恥ずかしい。

「そうだったら良いけどね」

 顔が熱くなる事を自覚して、アルマはテオファネスから顔を背け、再び足早に歩み始めた。

  ❀

 ろくに会話もしないまま、二人は湖畔に着くなり昼食の支度をした。
 夏なだけあって、燦々とした陽光が眩しいので、一際大きな菩提樹の木の下に布を敷いてサンドイッチやローズマリーで焼いた鶏肉、チーズなどを並べる。しかし、並び終えて飲み物を忘れてしまった事に気がついた。

「ごめん、私急いで一旦孤児院に戻るね」

「え。何か忘れ物?」

「うん、飲み物を……。ローズマリーとミントのお茶を準備していたは良いけど、水筒とカップを食堂に忘れちゃったみたい」
 どうせ、修道院は目と鼻の先。走れば五分も経たずに戻れる距離にある。
 きびすを返そうとアルマは立ち上がるが、直ぐにテオファネスはアルマの手を引いた。

「アルマ次第だけど、俺は別に飲み物無しでも構わないけど……食後だって構わないが」

「え? 良いの?」

「多分今日も外出に一時間以上時間が割けてるだろ? 俺は取りに行けないし、アルマに任せるしか無いのは申し訳無いけど。でも、折角弁当を広げたんだし、風でも吹いて埃がかぶる前に食べた方が良くないか?」

 そう促されて、再び腰掛けるとテオファネスは安堵したのか優しい笑みを向ける。 
 こういった忘れ物をした場合、エーデルヴァイス間ではガサツだなんだの言われる事が恒例だが、やはり彼は対応が違う。それに違和を覚えるが、決して不快な違和でない。やはり少しだけ恥ずかしくなる反面、嬉しく思えてしまうもので。

 ────本当いつも……私の事、何でも肯定するから調子がくるう。

 仄かに痒くなる胸の奥を気にしつつ、アルマは静かに食前の祈りを捧げた。
 初めこそ無言の食事だったが、途端にアルマは院長から借りた時計の事を思い出し、その話を切り出した。
 彼の答えは状態によりけり……との事。渡してみた所、留め具さえ交換すれば多分綺麗に直るだろうとの事で。しかし、そんなパーツは修道院には無い。応急処置にネジの緩みを直せば少しはマシにはなるそうで……。
「帰ってから直してみるよ」と、彼は懐中時計を預かってくれた。

 だが、やはり食事を終える頃には喉が渇いてきた。何せ、サンドイッチのパンが粉料の多い硬いものなので、口の中の水分が全部持って行かれるのだ。

「流石に喉も渇くし、バスケットを置きながら水筒を持って来るね……」

 片付けをしながらアルマが言えば「描き始めて待ってる」と言って彼は頷いた。
 そうして、アルマは一人修道院にきびすを返す。外に彼を一人で置いておくのは今回が初めてだ。自分が居たところで結果は変わりないだろうが、誰かに見つからないか……と、今更の不安がふと過ぎる。しかし、ほんの数分ならば大丈夫だろう。アルマは僅かに後方を振り返り、早速スケッチブックを開いたテオファネスの姿を確認すると足早に歩み始めた。

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