迷える機甲と赦しの花

日蔭 スミレ

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Chapter2.人より人らしく

2-5.〝最前線を歩んだ者〟の世界予測

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 細々と食べるかと思いきや、彼の食事は存外雄々しかった。パンを千切らずそのまま食らいつき、スープで掻っ込めば、あれよあれよという間に平らげてしまう。それはもう見ていて、こちらまで気分が良くなる程の食べっぷりだ。

 もう昼下がりの頃合いだ。口ではあぁ言っても、気遣っていた節はうかがえる。アルマはやれやれといった調子でテオファネスをいちべつし、彼の隣に腰掛けた。

「本当は凄くお腹が減ってたんですね……」

 思ったままを言えば彼は恥ずかしそうに頷いた。

「明日はもう少し早く持ってきます。あと、量は出来るだけ増やしますので。やっぱり全然食べれるでしょう」

 間違いなくこれだけでは足りぬだろうと思う。それを指摘して言えば、彼は頬を赤く染めた。

「なんか、ごめん……」

 またも震えた声で言われたので、こちらが追い詰めている気分にもなってくる。
 アルマは一つため息をついた後「それで……」と先程の話の続きを自ら切り出した。

「謝罪の件は別にどうだって良いです。ただ約束して欲しい事があります。私以外にもエーデルヴァイスが居る事は知ってますよね。下は十二歳……と、未だ幼い子も居ます。貴方の存在は夕方の礼拝で全て知らされると思いますが、他の皆を脅かす事は許せません」

 ただでは済まさない。と、釘を刺せば、彼は黙ったまま頷いた。

「それに、ここは身寄りも無い孤児達が暮らす孤児院です。極めて人間的な貴方にこんな事は言いたくないですが、子供達を脅かすような真似は許せません。貴方は決して誰にも近付かぬようにして下さい」

 この部屋から出ぬように、私以外との関わりは無いように。と、きっぱりと告げると、彼は頷くが……「だけど」と、小声で切り出した。

「どうして、謝罪をどうでも良いなんて言うんだ……」

 そう聞き返されて、アルマは心底面倒臭そうに目を細めた。

「だってテオファネスさんの事情がどうあれ、国を守る兵隊さんに変わりないじゃないですか。アルギュロスもシュタールも同盟国。男性を、ましてや国を守り戦う男性に……」

 アルマが全てを告げきる前だった。

「どうして、そうなるんだよ」

 先程までのおどおどとした態度が嘘のよう。テオファネスは、強く言葉を切り出した。

「国が違えど、男女以前に人という括りは変わらないと思うが。許すも許さないも判断すれば良いだろ。兵士だからって……こんな身体の時点で俺はそんな大した存在でも無い」

 あまりに毅然とした言い方にアルマは呆気に取られて目をしばたたく。
 アルマが怯えたと勘違いしたのか、彼は一言詫びると、今度はゆったりと切り出した。

「土地信仰が強い所為かヴィーゼンは戦禍知らずと聞いてる。だからアルマさん達は間違いなく知らないだろうけど……三帝国は多分負けるよ。想定より戦が長引き過ぎた所為で劣勢だ。相手は六カ国以上。烏合の軍勢に叶う筈も無い」

 そう告げきると彼は深い吐息をつく。しかし、その言葉に心の奥が凍てつくような心地になった。〝負ける〟だなんて兵士が言うなどありえないだろう。

 無敵三帝国──この言葉は、大戦が始まって以来、何度も聞いた事がある。間違いなく、兵士が吐けば、上層部に首をねられてもおかしな話でもない。

「何でそんな事を……貴方が言って良い事じゃないと思いますが」

「そもそも、俺はこの大戦の始まるより前にアルギュロスに吸収された小国、スピラス出身だ。国を奪われただけでなく、人権まで剥奪され、挙げ句の果てにこんな身体になった。国が滅びようが人と言えなくなったって、それでも母国の誇りは棄てられない」

 スピラス。初めて聞く国名だ。果たしてそれが地図上でどこに位置したかは分からぬが……。アルマがぽつりと地名を復唱すると彼は頷き、静かに切り出した。

「南西にあった王政国だよ。霊峰信仰のあるヴィーゼンと少し似てるかも。神話と寄り添い千年も続いた国だった」

 ──鉄鉱石や石炭など。資源が豊富だった事からアルギュロスに目を付けられ、奇襲を受け、国はひと月も経たずに滅びたと彼は語る。

 しかし、千年も続いた国だ。生き残った民はなかなか降伏はせず、アルギュロスに反逆を続けた。その結果、スピラス人はアルギュロスで迫害指定され、見つけ次第捕らわれたと……。

「そう……だから、俺は戦場に立ちたくもなかったし、兵士になんて好きでなりたくもなかった。だから、この大戦の勝敗なんて俺からしたら心底どうだって良いんだよ」

 ──刃向かわなかったのは、死ぬのが怖いから。仕方ないと思ったから。あれ以上に痛い目には遭いたくないから。機甲化試験で命を散らした同郷の人達が浮かばれないから。と、極めて穏やかな口調のまま彼は続けるが、その瞳には深い影を落としている。
 やがてスゥ……と彼の背から煙のように黒々とした影が揺らめき、アルマは身構え唇を固く引き結ぶ。
 その様子に見かねたのだろう。テオファネスはピタリと話を止め、申し訳無さそうな顔でアルマを見下ろした。すると影はスゥ……と薄まり、やがて見えなくなる。

「ごめん。気分良い話じゃないな」

「あの、そうじゃなくて……貴方の影が」

 何が何だか。とでもいったおもてでテオファネスは首をかしげた。アルマは直ぐに話の続きを促すが、彼は首を横に振るう。

「何か、アルマさん急激に顔色が悪くなったから……」

「ああ、ええ。私達エーデルヴァイスって人の心を蝕む影が見えるんです……だからこその赦しの力と……聞いてないですか?」

 テオファネスは唖然とした表情で頷いた。

「凄いね……そんなもん見えるんだ」

 ──でも、そこまで怯えた顔をするって、俺の影ってそんなに怖いの? と、続け様にかれ、間を開けて頷けば、テオファネスはやれやれと首を振った。

「じゃあ、なるべく出さないように頑張る」

「え、それだと本末転倒……」

 思ったままを言うが、彼は直ぐに苦笑いを溢した。

「多分、俺に電流ビンタした時もソレが見えたんでしょ。アルマさんが何かを必死に払おうとしてたのは何となく覚えてる。多分影って事は人の弱い部分で間違いないでしょ?」

 確かに、弱い部分に違いなかろう。アルマは考えつつも頷くと、テオファネスは僅かに頬を赤く染め「気を付ける……」と恥ずかしそうに口にした。

「え、でもそれじゃダメです。だって、貴方の不眠の改善も院長から言い渡された仕事ですし。改善の為には根本の影と対峙しなくてはダメです。それを払うのが私の役目に違いなく……出来るだけ詳しく話を聞き……」

 説得するように言うが、彼は顔を赤く染めたまま額に手を当てふるふると首を横に振った。

「だって、それで明らかな年下の女の子を怯えさせるとか、どう考えても最低じゃん……。軍人云々じゃなくて男なら強くあれってきっと万国共通で当たり前だし。それにさ……会って未だ一日だし。弱い部分曝け出すとか恥ずかしいでしょ。俺だって流石に何から何まで話せる訳でもないし」

 ──少し勇気が要る。と、彼はアルマをいちべつすると、深く息をつく。
 確かにそれもそうだろう。初日から何から何までけたものでない。信頼関係を築くには時間が必要に違いない。
 それでも、まさか当人に気遣われると思うまい。アルマは自分の情けなさを心の中で呪った。

 だが、これまでの会話で一つだけ把握した事がある。
 間違いなく、戦争自体が彼に凶暴な影を背負わせたに違いない。
 憎悪に怒り感情、途方もない喪失感。アルマに想像出来たのはこの程度だが、きっとこれ以外にも様々な感情が交ざっているに違いない。そうして出来上がったのが、あの影だ。

「とりあえず、アルマさん……」

 アルマは静かに切り出したテオファネスを見上げた。少し落ち着いたのだろう、頬の赤らみは薄れつつあった。

「部屋から出るなとかアルマさんの提示した約束は納得出来るから、全部従うよ。カサンドラ准士官のおせっかいとはいえ、あの人が俺の事を気に掛けてここにやって来た事も分かってる。だけど君に一つ俺から頼みがあるけど……」

 そう切り出して一拍後──「その敬語、俺に使わなくて良いよ」と彼は毅然として告げた。

「……え?」

 アルマが目をしばたたくと、テオファネスは吊り上がった目を細めて微かに笑む。

「だって、俺に電流ビンタした時にアルマさん完全に素が出てただろ? いいよあれで。そっちの方が俺も少しは気が楽だし」

 彼は軽い笑いを溢しつつ言うが、アルマは途端に胸がズキンと痛んだ。

 ──最低、この人でなし! 頭に巡ったのはつい数時間前に己が放った言葉だ。

「最低」は未だ良い。しかし「人でなし」は……。

 いくら何でも、あれは酷い言葉だったように思う。ましてや、彼は人であって人では無い。間違いなく傷付けただろう。
 早々にあれは謝るべきだ。しかし、切り出し方に惑ってしまった。彼はこうも笑っているが、本当は酷く傷付いていたら……。そう思うと、酷い罪悪感に押し潰されて、言葉なんて出てこない。そうこうしている間に、彼が口を開く方が早かった。

「あとさ。俺を呼ぶのテオで良いよ」

「へ?」

 途端に言われた言葉に理解が追いつけない。アルマが複雑なおもてで目をしばたたくと、彼は少し気まずそうに頬を掻き視線をらす。

「言語が同じでも、どうにもシュタール人の方が正しい発音が出来るみたいだ。気を悪くしないで欲しいけど、耳が慣れないのかベルシュタイン人の〝ファネス〟発音に違和があって」

「え、えぇ……確かにベルシュタインとシュタール少し発音に違いがある所為か」

 しかし、まさか略称で良いとは……。
 相手は三つも年上の男性だ。兵士云々の下りは納得したものの、男性は敬うものに違わない。それが当たり前のように根付いているので、流石に抵抗を感じてしまう。

「じゃあ、私の事も敬称は付けずにアルマと呼んでくれれば……善処します」

 そう提案すると、彼はせいかんな顔に似合わぬ程の儚げな笑みを浮かべた。

「分かったよアルマ。そうさせて貰う」

 しかし、こうも真っ向から優しく言われるのは居心地が悪い。自分が吐いた残酷な言葉がぐるぐると腹の底を這いずり回る心地さえもした。
 だが、どうにも謝罪は上手く切り出せなかった。その後アルマは「まだやる事があるから」と適当な理由をつけて、トレーを持つなり彼の部屋を去った。
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