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Chapter1.人でなし
1-3.無茶苦茶な依頼は突然に
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礼拝が終わったのはいつも通り、午前六時過ぎだった。
「それでは今日も良き一日を……」
院長は朗らかに言って礼拝堂端の部屋に姿を消すと、前の席に座していた五人の乙女達が静かに立ち上がり、出口へ向かって行った。
尊厳たる礼拝堂内では私語厳禁。彼女らはアルマと目は合わせて微笑むものの、無言でスタスタと歩んでいく。
先頭を歩む栗毛の少女は日曜のゲルダ。十九歳で最年長。彼女が現在エーデルヴァイスを取り仕切るのリーダーだ。
その少し後ろを歩むのは月曜のカトリナ・水曜のイリーネ・木曜のユリアだ。カトリナは十四歳であとの二人は十五歳。アルマよりも二つ三つも年下だが、普段は非常にかしましい三人娘である。その証拠と言わんばかりに居残りになるアルマに三人ともニコニコと手を振っている。言葉が無いだけ静かだが、もはや所作だけでかしましい。
そして最後をとぼとぼと歩むのは、土曜。十二歳のエーファだ。
彼女は一ヶ月程前に赦しの力を発現させ、エーデルヴァイスの一員になった。
元はといえば、四年ほど前から孤児院に居た少女だが、彼女はどうにも人見知りが激しく寡黙だった。
雪のように白い髪にクリクリとした琥珀に似た金の瞳……と、見てくれこそ愛らしいが、表情が乏しすぎて何を考えているかも一切分からず、子供らしい明るさなど皆無。だからこそ、リーダーであるゲルダがよく気を遣っている場面を見る。
彼女は先の四人のようにアルマの方は一瞥もせず、足元を見て出て行ってしまった。
「……本当に大丈夫かなぁ、あの子」
直ぐに響いた呆れたような声に、アルマは隣の席に目をやった。
──緩く波打つ亜麻色の長い髪に桜桃の花を彷彿させる薄紅の瞳。金曜「美」に宛てられるだけあって、現在のエーデルヴァイスでは一番の美人。隣部屋のアデリナである。
もはや孤児院に居る男児達の初恋泥棒と言って過言でない。同時期にエーデルヴァイスになった事もあって一番の仲良しだが、この美貌には同性であるアルマも感嘆する程。本当に同じ十七歳かと思えてしまう。
その上、彼女は育ちも良い。アデリナはエーデルヴァイス唯一の貴族階級出身者……隣の領を治める子爵家の次女だ。容姿端麗・身分まで素晴らしい。何から何まで羨ましい存在である。
羨望と恨めしさを混じった視線を送りつつ「私語厳禁」と、アルマが発すれば「バレなきゃいいのよ」と返された。
見かけに反して砕けた彼女の性質はとても好きだ。そんなアデリナは華奢な指を伸ばしてアルマの頬を突く。
「アルマってさぁ、本当によく寝るわね……消灯時間は守ってるの?」
いくらなんでも、その三つ編みは雑でしょう。と笑い飛ばされてアルマは「後で直すし」と頬を膨らませる。
「消灯時間はしっかり守ってるってば。と、いうか、それより早く寝てるし。でも、どうしてアデリナは起こしてくれないのよ?」
不満げに言えば、アデリナは薄紅の瞳を細めて心底呆れた顔をした。
「起こしてるわよ? だってあんた本気で起きないんだもの」
「目を無理矢理こじ開けるとか、ベッドから無理矢理引き摺り落とすくらいしていいから……本当に起こしてよ」
「嫌よ流石にそこまでは面倒臭い。私、アルマのお母さんじゃないんだから。と、いうか、あんた力を失った後、絶対にお嫁さんに行けないわよ?」
ギクリとした。確かに言う通りだろうと思った。こんなだらしない配偶者など誰も欲しくないに決まっている。
エーデルヴァイスは国では非常に、尊き扱いをされている。なので、どんな階級の出だろうが縁談が多く来るのだ。縁談が来るのは十八を超えてから。貴族の子息や商人他、玉の輿縁談が多い。実際に、十九歳のゲルダの元には何通かの縁談が既に来ているそうだ。本人ははぐらかす態度を取るので、あまり聞かぬようにしているが……。
そう。天使とはたいそうな呼ばれ方は如何かと思えるが、この部分だけはアルマは良いと思えた。何せ、将来を安泰に暮らせる事が約束されるのだから。だからこそ、赦しの力を発現させた乙女というのは、実質幸福としか言いようもない。
……十七歳。当然恋に憧れる頃合いだ。エーデルヴァイスもただの少女。恋をして、素敵な人のお嫁さんになりたいに決まっている。それはアルマも持つ憧れに違いなかった。
「頑張る……」と、ふて腐れて返したと同時だった。
礼拝堂に戻って来た院長が、手を叩いて二人の注目を集める。
「ほらほら、仲良しでも礼拝堂は私語厳禁です。アデリナ。貴女は孤児院に行きなさい。アルマの説教が出来ませんよ」
「はーい」と、間伸びした返事をしてアデリナは立ち上がる。
「じゃあねアルマ」
そう言って小さく手を振ると、アデリナは小走りで礼拝堂を出て行った。
❀
その後、アルマは院長の後について院長室に向かった。
礼拝堂内部にある院長室は尊厳さに満ちている。薄暗く冷え冷えとした空気が漂っており、明かりは聖母の偶像が祀られた小さな祭壇にある蝋燭のみ。
ガスや電気も普及しつつある現代だ。礼拝堂や院長室に来る都度、どうにも二世紀も三世紀も時間遡行してしまったような気分になる。何度来ても落ち着かぬもので、アルマはソワソワと辺りを見渡す。その様子に見かねたのだろうか。書き物机前に座した院長は「アルマ」とため息交じりで名を呼んだ。
「さてと。よく眠れる事は健康的で良い事ですが、貴女は天使としての自覚をきちんと持たねばなりません」
私は貴女が憎くてこんな事を言っているのではないです。と、穏やかに切り出すが、これはもう耳にタコが出来る程に聞いている。
確かに言う通りなので頷く他はない。この後といえば、その為に何をするか。どう考えるか、どうやって改善をしていくか。そう訊かれる事が恒例だ。
しかし……。
「貴女、今年で幾つでしたっけ……」
いつもと違う言葉にアルマは空色の目を幾度も目をしばたたく。
「十七歳になりましたけど……」
「そうですか。若いとは言え、もう世間一般的には立派な大人ですよね? アルマ、責任ある務めを果たしてみませんか」
院長はやや緊張した相好をアルマに向けた。
……これは説教だろうか。
これまで何度も院長の説教を受けてきたが、明らかに今までと様子が違う。
「情けない私に対する罰ですよね」
訝しげに訊くと、院長は直ぐに首を横に振る。
「言いましたよね? 貴女が憎くて説教する訳でないと。お寝坊も大概にして欲しいと思いますが、何度も言っているので分かるでしょう。今、私が話しているのは、火曜の天使であるアルマにしか頼めそうに無い事をお願いしようとしているのです」
「お願い?」
説教かと思えば違う。復唱すれば、院長は深く頷いた。
「……かなり特殊な孤児の面倒を見る事をお願いしたいのです」
院長の言葉は、これまでに無い重みがあった。
しかし、特殊な孤児とは……。
ふと頭に浮かぶのは、つい最近エーデルヴァイスに加入したエーファだった。あぁいったかんじで、全く喋らぬ表情も乏しい子供だろうか。確かにそれは特殊だし扱い辛い。だが、それならば自分でなくても良いだろう。
まさに適材適所。そういった事は面倒見の良いリーダーのゲルダに任せておけば大抵上手く収まるものだ。
「そもそも孤児は皆特殊じゃないですか。何も火曜の私でなくたって……」
そうだ。孤児なんて皆ワケアリ。大抵、心に傷や影を持っている。自分でなくても良い。と、念を押すように言うと院長は重々しく首を横に振るう。
「いいえ。貴女にしか頼めそうにないのです。何せ、その方は……」
──人であって人で無い。と、院長が続けた言葉にアルマの脳裏に今朝の出来事が過った。
人であって人で無い者と邂逅したばかりだ。随分と精悍な異国人の男……しかし、彼は子供でない。自分より、明らかに年上の風貌をしていただろう。
「まさかと思いますけど、それって子供じゃなくて機甲の兵隊さんじゃ……」
シュタール軍の。と、あっさりとした調子でアルマが付け添えると、院長は丸い目を更に大きく開く。
「会われたのです?」
「はい。寝坊して走って礼拝堂に向かう最中に彼にぶつかりまして……美人な女軍人さんと一緒にいましたね。……異国人の方ですよね?」
随分と精悍な顔立ちをしていて彫刻のよう。どこか幻想的な印象だった。彼を反芻しつつ言うと、院長はどこか安堵した面で頷いた。
「そうです。孤児という名目で大戦が終結する迄、彼をここに置く事になったのです。初めこそ断ったんですけど、あの女軍人さんのお母様もこの修道院に深い縁がある方でしてね……」
どこか懐かしむように院長は言ってほぅと一つ息をつき、話を続けた。
「それでは今日も良き一日を……」
院長は朗らかに言って礼拝堂端の部屋に姿を消すと、前の席に座していた五人の乙女達が静かに立ち上がり、出口へ向かって行った。
尊厳たる礼拝堂内では私語厳禁。彼女らはアルマと目は合わせて微笑むものの、無言でスタスタと歩んでいく。
先頭を歩む栗毛の少女は日曜のゲルダ。十九歳で最年長。彼女が現在エーデルヴァイスを取り仕切るのリーダーだ。
その少し後ろを歩むのは月曜のカトリナ・水曜のイリーネ・木曜のユリアだ。カトリナは十四歳であとの二人は十五歳。アルマよりも二つ三つも年下だが、普段は非常にかしましい三人娘である。その証拠と言わんばかりに居残りになるアルマに三人ともニコニコと手を振っている。言葉が無いだけ静かだが、もはや所作だけでかしましい。
そして最後をとぼとぼと歩むのは、土曜。十二歳のエーファだ。
彼女は一ヶ月程前に赦しの力を発現させ、エーデルヴァイスの一員になった。
元はといえば、四年ほど前から孤児院に居た少女だが、彼女はどうにも人見知りが激しく寡黙だった。
雪のように白い髪にクリクリとした琥珀に似た金の瞳……と、見てくれこそ愛らしいが、表情が乏しすぎて何を考えているかも一切分からず、子供らしい明るさなど皆無。だからこそ、リーダーであるゲルダがよく気を遣っている場面を見る。
彼女は先の四人のようにアルマの方は一瞥もせず、足元を見て出て行ってしまった。
「……本当に大丈夫かなぁ、あの子」
直ぐに響いた呆れたような声に、アルマは隣の席に目をやった。
──緩く波打つ亜麻色の長い髪に桜桃の花を彷彿させる薄紅の瞳。金曜「美」に宛てられるだけあって、現在のエーデルヴァイスでは一番の美人。隣部屋のアデリナである。
もはや孤児院に居る男児達の初恋泥棒と言って過言でない。同時期にエーデルヴァイスになった事もあって一番の仲良しだが、この美貌には同性であるアルマも感嘆する程。本当に同じ十七歳かと思えてしまう。
その上、彼女は育ちも良い。アデリナはエーデルヴァイス唯一の貴族階級出身者……隣の領を治める子爵家の次女だ。容姿端麗・身分まで素晴らしい。何から何まで羨ましい存在である。
羨望と恨めしさを混じった視線を送りつつ「私語厳禁」と、アルマが発すれば「バレなきゃいいのよ」と返された。
見かけに反して砕けた彼女の性質はとても好きだ。そんなアデリナは華奢な指を伸ばしてアルマの頬を突く。
「アルマってさぁ、本当によく寝るわね……消灯時間は守ってるの?」
いくらなんでも、その三つ編みは雑でしょう。と笑い飛ばされてアルマは「後で直すし」と頬を膨らませる。
「消灯時間はしっかり守ってるってば。と、いうか、それより早く寝てるし。でも、どうしてアデリナは起こしてくれないのよ?」
不満げに言えば、アデリナは薄紅の瞳を細めて心底呆れた顔をした。
「起こしてるわよ? だってあんた本気で起きないんだもの」
「目を無理矢理こじ開けるとか、ベッドから無理矢理引き摺り落とすくらいしていいから……本当に起こしてよ」
「嫌よ流石にそこまでは面倒臭い。私、アルマのお母さんじゃないんだから。と、いうか、あんた力を失った後、絶対にお嫁さんに行けないわよ?」
ギクリとした。確かに言う通りだろうと思った。こんなだらしない配偶者など誰も欲しくないに決まっている。
エーデルヴァイスは国では非常に、尊き扱いをされている。なので、どんな階級の出だろうが縁談が多く来るのだ。縁談が来るのは十八を超えてから。貴族の子息や商人他、玉の輿縁談が多い。実際に、十九歳のゲルダの元には何通かの縁談が既に来ているそうだ。本人ははぐらかす態度を取るので、あまり聞かぬようにしているが……。
そう。天使とはたいそうな呼ばれ方は如何かと思えるが、この部分だけはアルマは良いと思えた。何せ、将来を安泰に暮らせる事が約束されるのだから。だからこそ、赦しの力を発現させた乙女というのは、実質幸福としか言いようもない。
……十七歳。当然恋に憧れる頃合いだ。エーデルヴァイスもただの少女。恋をして、素敵な人のお嫁さんになりたいに決まっている。それはアルマも持つ憧れに違いなかった。
「頑張る……」と、ふて腐れて返したと同時だった。
礼拝堂に戻って来た院長が、手を叩いて二人の注目を集める。
「ほらほら、仲良しでも礼拝堂は私語厳禁です。アデリナ。貴女は孤児院に行きなさい。アルマの説教が出来ませんよ」
「はーい」と、間伸びした返事をしてアデリナは立ち上がる。
「じゃあねアルマ」
そう言って小さく手を振ると、アデリナは小走りで礼拝堂を出て行った。
❀
その後、アルマは院長の後について院長室に向かった。
礼拝堂内部にある院長室は尊厳さに満ちている。薄暗く冷え冷えとした空気が漂っており、明かりは聖母の偶像が祀られた小さな祭壇にある蝋燭のみ。
ガスや電気も普及しつつある現代だ。礼拝堂や院長室に来る都度、どうにも二世紀も三世紀も時間遡行してしまったような気分になる。何度来ても落ち着かぬもので、アルマはソワソワと辺りを見渡す。その様子に見かねたのだろうか。書き物机前に座した院長は「アルマ」とため息交じりで名を呼んだ。
「さてと。よく眠れる事は健康的で良い事ですが、貴女は天使としての自覚をきちんと持たねばなりません」
私は貴女が憎くてこんな事を言っているのではないです。と、穏やかに切り出すが、これはもう耳にタコが出来る程に聞いている。
確かに言う通りなので頷く他はない。この後といえば、その為に何をするか。どう考えるか、どうやって改善をしていくか。そう訊かれる事が恒例だ。
しかし……。
「貴女、今年で幾つでしたっけ……」
いつもと違う言葉にアルマは空色の目を幾度も目をしばたたく。
「十七歳になりましたけど……」
「そうですか。若いとは言え、もう世間一般的には立派な大人ですよね? アルマ、責任ある務めを果たしてみませんか」
院長はやや緊張した相好をアルマに向けた。
……これは説教だろうか。
これまで何度も院長の説教を受けてきたが、明らかに今までと様子が違う。
「情けない私に対する罰ですよね」
訝しげに訊くと、院長は直ぐに首を横に振る。
「言いましたよね? 貴女が憎くて説教する訳でないと。お寝坊も大概にして欲しいと思いますが、何度も言っているので分かるでしょう。今、私が話しているのは、火曜の天使であるアルマにしか頼めそうに無い事をお願いしようとしているのです」
「お願い?」
説教かと思えば違う。復唱すれば、院長は深く頷いた。
「……かなり特殊な孤児の面倒を見る事をお願いしたいのです」
院長の言葉は、これまでに無い重みがあった。
しかし、特殊な孤児とは……。
ふと頭に浮かぶのは、つい最近エーデルヴァイスに加入したエーファだった。あぁいったかんじで、全く喋らぬ表情も乏しい子供だろうか。確かにそれは特殊だし扱い辛い。だが、それならば自分でなくても良いだろう。
まさに適材適所。そういった事は面倒見の良いリーダーのゲルダに任せておけば大抵上手く収まるものだ。
「そもそも孤児は皆特殊じゃないですか。何も火曜の私でなくたって……」
そうだ。孤児なんて皆ワケアリ。大抵、心に傷や影を持っている。自分でなくても良い。と、念を押すように言うと院長は重々しく首を横に振るう。
「いいえ。貴女にしか頼めそうにないのです。何せ、その方は……」
──人であって人で無い。と、院長が続けた言葉にアルマの脳裏に今朝の出来事が過った。
人であって人で無い者と邂逅したばかりだ。随分と精悍な異国人の男……しかし、彼は子供でない。自分より、明らかに年上の風貌をしていただろう。
「まさかと思いますけど、それって子供じゃなくて機甲の兵隊さんじゃ……」
シュタール軍の。と、あっさりとした調子でアルマが付け添えると、院長は丸い目を更に大きく開く。
「会われたのです?」
「はい。寝坊して走って礼拝堂に向かう最中に彼にぶつかりまして……美人な女軍人さんと一緒にいましたね。……異国人の方ですよね?」
随分と精悍な顔立ちをしていて彫刻のよう。どこか幻想的な印象だった。彼を反芻しつつ言うと、院長はどこか安堵した面で頷いた。
「そうです。孤児という名目で大戦が終結する迄、彼をここに置く事になったのです。初めこそ断ったんですけど、あの女軍人さんのお母様もこの修道院に深い縁がある方でしてね……」
どこか懐かしむように院長は言ってほぅと一つ息をつき、話を続けた。
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