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Chapter1.人でなし
1-1.早朝の修道院と不似合いの客人
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黎明の空に修道院の鐘の音が鳴り響く。
北部辺境地ヴィーゼン──ベルシュタイン帝国最高峰、霊峰ザルツ・ザフィーアを間近に望むその地は、初夏になろうが標高が高い事から朝は肌寒い。
寝相の悪さで外から飛び出た脚が徐々に冷えるのを感じて、彼女──アルマ・シュメルツァーは上掛けを掛け直した。そうしてベッドで丸くなること幾何か。鐘の音が止んだと同時にアルマは空色の目をパチリと開く。
「……え。今、何時」
独りごちつつ壁掛け時計に目をやると、時刻は既に午前五時三十分過ぎを示している。それを見て顔を青くしたアルマは跳ね起きるなり、衣紋掛けに吊された純白の装束にいそいそと着替え始めた。
柑子色の髪は寝癖でぼさぼさだ。それを二つに結って三つ編みにするが、所々ピンピンと髪が飛び出て雑だ。だが、悠長に直している場合でない。最後に柘榴石を数珠状に連ねた祈り用具を首に提げるなり、アルマは大慌てで部屋を飛び出して廊下を突っ走る。
「部屋が隣なのに、どうしていつも起こしてくれないのよ!」
──アデリナの馬鹿、意地悪! と、隣に住まう同僚の名を甲高く叫ぶが既に建物内に人の気配はなく、叫びは虚しく響くばかりだった。
突き当たった螺旋階段の手すりに腰掛けて一番下まで滑り降り、無事着地して駆け出すと、アルマは体当たりで正面扉を開く。
出たと同時に目にしたものに彼女はピタリと立ち止まった。
宿舎前のアプローチに黒塗りの車が停まっていたからだ。ライトの横にはお隣のシュタール帝国を示す赤と黄色の二色の国旗。見るからに軍用車と思しい。
しかし、こんな田舎に車自体が珍しい。アルマは思わず車に見入ってしまう。
現在、世界をひっくり返すような大戦の最中だが、ヴィーゼンは国境に面しているというのに軍人はまず立ち寄らない。
…………軍人のお客さん?
アルマは首を傾げるが、間髪入れずに礼拝の始まりを告げる鐘の音が響き、我に返って再び弾けるように駆け出した。
目指す先は、高々とそびえる霊峰を背景に佇む古びた礼拝堂だ。そこへと続く白い蔓薔薇のアーチが連なる小道に差し掛かろうとしたと同時──鈍い衝撃を覚えてアルマは地面に尻餅をつく。
「痛った……」
随分と硬いものにぶつかった。しかしこんな場所に柱など無い。
頭を押さえて恨めしげに顔を上げると、そこには軍人と思しき装いの女と男の姿がある。
一瞬で分かった。間違いなく、あの軍用車の持ち主達だろう。
女は妙齢といった年端。なかなかに長身の女だ。艶やかな金髪はうなじが見える程に短く切り揃えられており男性的な印象を覚える。それに反して、顔立ちや体躯は極めて女性的──切れ長の輪郭の瞳には水底のような深い蒼をたたえており、唇もぽってりとして、どこか妖艶な風貌だ。ぴったりとした漆黒の軍服の所為か大きく膨らんだ胸が際立っており、女性独特な滑らかな身体のラインが浮き出ている。男性的と女性的、双方が混ざり合ってちぐはぐな筈だが、違和無く噛み合い、ため息が出そうな程に美しかった。
しかし、もう一人の男は未だ背を向けたままだった。
それでも、後ろ姿を見るだけで明らかに異国人と分かる。
無造作に跳ねた短い髪は、冬の星の光を彷彿させる神秘的な銀。灰髪とも白髪ともまた違う。こんな髪色の人はベルシュタイン人はおろか、根本的に同民族であるシュタール人にも居ない。縦に長細い体躯で後ろ姿からどこか高貴な印象を感じるが、装いは極めて簡素なもの。彼は灰色の兵士の服を纏っていた。腕章は屈強なる鷹の紋章……シュタール軍の所属を示している。
それから間もなく──チャリ。と金属質なものが揺れる音と共に、彼はおずおずとした調子で振り向いた。
────人じゃない……機甲?
アルマは彼の面を見たと同時に息を飲む。
右目は人と変わらぬが、左目は冷ややかで無機質な機械仕掛け。強膜は黒く濁っており、菫色の瞳が際立って光っているように見えた。その半身も金属質な物質で構成されているのだろう。袖から出た彼の左手は真鍮の義手のよう。硬質な金属で出来ていた。
その見てくれはまさにアルギュロス最悪の兵器──機甲そのものだ。
ベルシュタイン・シュタール・アルギュロスこの三帝国は同盟を組み、六国以上を連ねる連盟軍との大戦に明け暮れて、今で三年目に差し掛かる。
機甲は、南西の大帝国アルギュロスで開発製造されたらしく、最前線を歩ませる盾・切り込みを行う矛……と、双方の役目を果たしている。特殊兵扱いになっているが、存在そのものが兵器だ。どのように製造をされているのかは公にされていないが、生きた人間に機械を浸食させているとの事で、もはや悪魔の所業と囁かれていた。
しかし、こうも人に近しい姿をしていると思いもしなかった。もっと悍ましい怪物のよう、醜い姿をしているのだとアルマは勝手に想像していたのだから。
まるで礼拝堂の彫刻のよう。彼の顔立ちは彫りが深く極めて精悍だった。年端は二十前後だろうか。どことなく、ぶっきらぼうな印象を抱くのは、唇を固く結んでいるからだろう。
それにしても、彼が身じろぎする都度聞こえる金属質な音が気になった。
襟元からちらりと見えるチェーンが音の正体か。服の下に秘されていようが兵士の証──認識票と見当が付く。
「あの」
精悍な見てくれによく似合う低く透き通った声だった。
アルマはハッと我に返る。たとえ機甲だろうが、物珍しげに見るのは不敬に違わない。
……軍人は国の為に戦い民を守る為の存在。ましてや現在戦時中だ。ピリピリとしているに違いない。大慌てで詫びを入れると、金髪の女性軍人は「怪我はないかい?」と、優しい口調でアルマを気遣った。
同じ言語とはいえ、独特な訛りがある。間違いなく彼女は生粋のシュタール人だ。
地面に座したまま頷くと、機甲の青年はアルマにそっと右手を差し出した。
「……俺の身体、硬いから痛かったね。怪我してない?」
ぶつかったのは彼の身体だったのかと納得した。岩に体当たりでもしたようだったが、この程度、たん瘤が出来る程度で大した事はない。
しかし異国人の見てくれなのに随分言葉が流暢だ。シュタール訛りのある程で……。
そんな事を考えつつ手を取れば、彼は優しく手を引いてくれた。機械浸食を受けていない手は人のものと何ら変わらない。温かみがあるが、やはり男の手。ゴツゴツとした無骨さがあった。しかし、彼はアルマを立ち上がらせるなり、サッと手を離して後ろを向いてしまう。
「あ……コラ」
女性軍人は慌てて彼を叱るが、あまり己の姿を見せたくなかったのだろうと推測出来た。何せ、ぶつかっても直ぐにこちらを見ようともしなかったのだから。
「本当にすみません! 慌てて前も見ず……不敬をお許し下さい」
深々と頭を下げ、精一杯の敬語で今一度アルマは二人に詫びる。しかし、金髪の女性軍人は頤に手を当てて「それよりも……」と困った調子で切り出した。
「……君、ここの天使だろう。恐らく朝礼に遅れるだので急いでるのではないのかね?」
──早く行くと良い。そう促されて、アルマはハッと目を瞠る。そうだ……全くもってその通り。大変だ。
「そうです! ごめんなさい!」
アルマは叫ぶなりスカートを翻して駆け出した。
北部辺境地ヴィーゼン──ベルシュタイン帝国最高峰、霊峰ザルツ・ザフィーアを間近に望むその地は、初夏になろうが標高が高い事から朝は肌寒い。
寝相の悪さで外から飛び出た脚が徐々に冷えるのを感じて、彼女──アルマ・シュメルツァーは上掛けを掛け直した。そうしてベッドで丸くなること幾何か。鐘の音が止んだと同時にアルマは空色の目をパチリと開く。
「……え。今、何時」
独りごちつつ壁掛け時計に目をやると、時刻は既に午前五時三十分過ぎを示している。それを見て顔を青くしたアルマは跳ね起きるなり、衣紋掛けに吊された純白の装束にいそいそと着替え始めた。
柑子色の髪は寝癖でぼさぼさだ。それを二つに結って三つ編みにするが、所々ピンピンと髪が飛び出て雑だ。だが、悠長に直している場合でない。最後に柘榴石を数珠状に連ねた祈り用具を首に提げるなり、アルマは大慌てで部屋を飛び出して廊下を突っ走る。
「部屋が隣なのに、どうしていつも起こしてくれないのよ!」
──アデリナの馬鹿、意地悪! と、隣に住まう同僚の名を甲高く叫ぶが既に建物内に人の気配はなく、叫びは虚しく響くばかりだった。
突き当たった螺旋階段の手すりに腰掛けて一番下まで滑り降り、無事着地して駆け出すと、アルマは体当たりで正面扉を開く。
出たと同時に目にしたものに彼女はピタリと立ち止まった。
宿舎前のアプローチに黒塗りの車が停まっていたからだ。ライトの横にはお隣のシュタール帝国を示す赤と黄色の二色の国旗。見るからに軍用車と思しい。
しかし、こんな田舎に車自体が珍しい。アルマは思わず車に見入ってしまう。
現在、世界をひっくり返すような大戦の最中だが、ヴィーゼンは国境に面しているというのに軍人はまず立ち寄らない。
…………軍人のお客さん?
アルマは首を傾げるが、間髪入れずに礼拝の始まりを告げる鐘の音が響き、我に返って再び弾けるように駆け出した。
目指す先は、高々とそびえる霊峰を背景に佇む古びた礼拝堂だ。そこへと続く白い蔓薔薇のアーチが連なる小道に差し掛かろうとしたと同時──鈍い衝撃を覚えてアルマは地面に尻餅をつく。
「痛った……」
随分と硬いものにぶつかった。しかしこんな場所に柱など無い。
頭を押さえて恨めしげに顔を上げると、そこには軍人と思しき装いの女と男の姿がある。
一瞬で分かった。間違いなく、あの軍用車の持ち主達だろう。
女は妙齢といった年端。なかなかに長身の女だ。艶やかな金髪はうなじが見える程に短く切り揃えられており男性的な印象を覚える。それに反して、顔立ちや体躯は極めて女性的──切れ長の輪郭の瞳には水底のような深い蒼をたたえており、唇もぽってりとして、どこか妖艶な風貌だ。ぴったりとした漆黒の軍服の所為か大きく膨らんだ胸が際立っており、女性独特な滑らかな身体のラインが浮き出ている。男性的と女性的、双方が混ざり合ってちぐはぐな筈だが、違和無く噛み合い、ため息が出そうな程に美しかった。
しかし、もう一人の男は未だ背を向けたままだった。
それでも、後ろ姿を見るだけで明らかに異国人と分かる。
無造作に跳ねた短い髪は、冬の星の光を彷彿させる神秘的な銀。灰髪とも白髪ともまた違う。こんな髪色の人はベルシュタイン人はおろか、根本的に同民族であるシュタール人にも居ない。縦に長細い体躯で後ろ姿からどこか高貴な印象を感じるが、装いは極めて簡素なもの。彼は灰色の兵士の服を纏っていた。腕章は屈強なる鷹の紋章……シュタール軍の所属を示している。
それから間もなく──チャリ。と金属質なものが揺れる音と共に、彼はおずおずとした調子で振り向いた。
────人じゃない……機甲?
アルマは彼の面を見たと同時に息を飲む。
右目は人と変わらぬが、左目は冷ややかで無機質な機械仕掛け。強膜は黒く濁っており、菫色の瞳が際立って光っているように見えた。その半身も金属質な物質で構成されているのだろう。袖から出た彼の左手は真鍮の義手のよう。硬質な金属で出来ていた。
その見てくれはまさにアルギュロス最悪の兵器──機甲そのものだ。
ベルシュタイン・シュタール・アルギュロスこの三帝国は同盟を組み、六国以上を連ねる連盟軍との大戦に明け暮れて、今で三年目に差し掛かる。
機甲は、南西の大帝国アルギュロスで開発製造されたらしく、最前線を歩ませる盾・切り込みを行う矛……と、双方の役目を果たしている。特殊兵扱いになっているが、存在そのものが兵器だ。どのように製造をされているのかは公にされていないが、生きた人間に機械を浸食させているとの事で、もはや悪魔の所業と囁かれていた。
しかし、こうも人に近しい姿をしていると思いもしなかった。もっと悍ましい怪物のよう、醜い姿をしているのだとアルマは勝手に想像していたのだから。
まるで礼拝堂の彫刻のよう。彼の顔立ちは彫りが深く極めて精悍だった。年端は二十前後だろうか。どことなく、ぶっきらぼうな印象を抱くのは、唇を固く結んでいるからだろう。
それにしても、彼が身じろぎする都度聞こえる金属質な音が気になった。
襟元からちらりと見えるチェーンが音の正体か。服の下に秘されていようが兵士の証──認識票と見当が付く。
「あの」
精悍な見てくれによく似合う低く透き通った声だった。
アルマはハッと我に返る。たとえ機甲だろうが、物珍しげに見るのは不敬に違わない。
……軍人は国の為に戦い民を守る為の存在。ましてや現在戦時中だ。ピリピリとしているに違いない。大慌てで詫びを入れると、金髪の女性軍人は「怪我はないかい?」と、優しい口調でアルマを気遣った。
同じ言語とはいえ、独特な訛りがある。間違いなく彼女は生粋のシュタール人だ。
地面に座したまま頷くと、機甲の青年はアルマにそっと右手を差し出した。
「……俺の身体、硬いから痛かったね。怪我してない?」
ぶつかったのは彼の身体だったのかと納得した。岩に体当たりでもしたようだったが、この程度、たん瘤が出来る程度で大した事はない。
しかし異国人の見てくれなのに随分言葉が流暢だ。シュタール訛りのある程で……。
そんな事を考えつつ手を取れば、彼は優しく手を引いてくれた。機械浸食を受けていない手は人のものと何ら変わらない。温かみがあるが、やはり男の手。ゴツゴツとした無骨さがあった。しかし、彼はアルマを立ち上がらせるなり、サッと手を離して後ろを向いてしまう。
「あ……コラ」
女性軍人は慌てて彼を叱るが、あまり己の姿を見せたくなかったのだろうと推測出来た。何せ、ぶつかっても直ぐにこちらを見ようともしなかったのだから。
「本当にすみません! 慌てて前も見ず……不敬をお許し下さい」
深々と頭を下げ、精一杯の敬語で今一度アルマは二人に詫びる。しかし、金髪の女性軍人は頤に手を当てて「それよりも……」と困った調子で切り出した。
「……君、ここの天使だろう。恐らく朝礼に遅れるだので急いでるのではないのかね?」
──早く行くと良い。そう促されて、アルマはハッと目を瞠る。そうだ……全くもってその通り。大変だ。
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