【R18】氷雪のフリージア

日蔭 スミレ

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終章

春の祝福

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 ──長い冬の終わり、雪解けの春。レイヤは十七歳の誕生日を迎えた。
 髪は肩につかる程まで伸びた。相変わらず癖毛は直っておらず、ピンピンと外に向かって跳ねているが、アップに纏めてしまえば、ろくに目立たない。

 今の彼女はフリージアの戦姫フレイヤと呼ばれた者とは思えぬほど、美しい淑女となった。

 純白のドレスを纏い薄いベールを被った彼女は、森の教会の待合室で大きく膨らんだ腹を大事そうに擦っていた。
 しかし一年前の自分がまさかこうなっているとは思いもしなかっただろう。なんて思いつつ、母になる喜びと、今日という祝福の日の幸せを噛みしめていた。

<さぁ可愛い娘、そろそろ時間だ>

 背後から響く、懐かしい声色のノキアン語を耳にしてレイヤは慌てて振り向くと、そこには懐かしい姿があった。

<も、モーゼフおじさん?>

<父さんだろう?>

 黒い燕尾服をキッチリと着こなしたモーゼフにレイヤは幾度も目をしばたたく。

<結婚式に出ろって、誰がバージンロードをあの子と歩むんだって近衛兵の兄ちゃんが迎えに来てたんだよ。ああ、綺麗になったなぁレイヤ>

 ──夢だろうか。まさか来てくれるなんて思いもしなかった。
 レイヤはたちまち涙ぐむが、モーゼフは肩を竦める。

<ほらほら、式前に泣いちゃダメだ! エリアスが心配しちまうだろ!>

 俺が怒られちまう。なんて笑みつつ、モーゼフは溌剌とした笑い声を上げてレイヤの背を擦った。

「レイヤ様、モーゼフ様。お時間です」

 結婚式が始まると、クラリッサは告げて、二人は待機室を出た。
 パイプオルガンの音色がもうそこまで聞こえてくる。大きな木のドアが開くと賛美歌が響き渡り、正面の聖母の玻璃からは七色の光が溢れていた。
 レイヤはモーゼフと腕を組み、赤い絨毯をゆったりと歩む。その脇の席には、ラウラをはじめとする針葉樹林タイガの集落に人達の姿があり、バージンロードを挟んだ反対側の席にはソルヤナ国王やエリアスの兄弟や親族の姿もある。
 そして、白いタキシードで身を包んだエリアスが壇上でこちらを向いて優しい笑みを浮かべて待っている。
 壇上まで辿り着くと、モーゼフは無言で下がりレイヤはエリアスと向かい合った。

「これより婚礼の儀を始めます」

 二人の間に立つ壮年の神父は厳かに告げる。

「汝エリアスは、レイヤを妻とし、病める時も健やかなる時も、共に歩み、死が二人を分かつまで、永遠に寄り添う事を誓いますか?」

<はい。もう一つのフリージアの血を引く僕は、彼女を……怒りんぼうな戦士──レイヤを一生愛する事を誓います>

 エリアスは照れながら、フリージアの言葉でそんな誓いを口にした。
 しかし、怒りんぼうとは失礼だ。無性に腹が立って来るが、こんなところがそうなのだろう。そう自覚して、レイヤは直ぐに自嘲してしまいそうにもなった。

「では、汝レイヤ……」

 神父は再び厳かな言葉で続けるが、その表情はにこやかだった。

<はい。自由気ままで少し頼りない所もあるエリアスだけど……私は永久凍土ツンドラのフリージアの誇りに従い、この一生、彼を愛し守る事を誓います>
 言葉にすれば感極まる。久しくフリージアの言語で話した事もあるだろう。レイヤは少し震えた声ではある
が、凜然と宣言した。

「神聖なる神の元、二人が今日夫婦となる事を宣言する──」

 神父の言葉の後、二人は誓いの口付けを交わした。



 挙式が終わると、宴が始まった。
 外は穏やかな晴れで、針葉樹林タイガからは、緑の匂いをたっぷりと含んだ春の風が運ばれて来た。爽やかな風に心が和みレイヤが目を細めていれば、エドガーは慌ててレイヤに近付いて来た。

「おい。レイヤ宛にナヴィア王国から手紙が届いているが?」

 そう言って、彼はレイヤに手紙を手渡すが、全くもって身に覚えが無い。ノキアン、ソルヤナ、ナヴィア……と三国の名前は幾度も聞いているので隣の国だと分かるが、その王国に知り合いなんていないし、あの旅で立ち寄ってもいない。
 レイヤは不審を感じて手紙を見る。そこには見慣れぬ文字で宛名が記されていた。
 封を破って取り出した便箋にも理解の出来ない言葉の羅列がズラリと並んでいた。これでは読めないと、レイヤは渋った表情を見せると、いつの間にか隣に立っていたエリアスが「え……」と、驚嘆した声を上げた。

「覗き見してごめん。レイヤ……この手紙ヘレナって方からだよ。それって君の……」

「──ヘレナ、からなの?」

 エリアスの答えに、レイヤも目をみはって彼を見る。

「ねぇ、エリアスって……ナヴィアの言葉は読める?」

「ああ、分かるよ。読んであげる」

 優しく笑んだエリアスは、レイヤから便箋を受け取った。



 ──親愛なるレイヤへ。
 私は今ナヴィア王国の王城にいます。あの後、私はナヴィアの方に買われました。
 そこで神秘の力が認められて、王城に遣える占術師となり働いています。辛い事も悲しい事も沢山ありました。けれど、そんな時レイヤの事をいつだって考えていたの。
 真冬になって雪が降り始めた頃、ソルヤナ王国の第三王子が結婚をするという話を聞いて驚きました。だって、その相手がレイヤなのだから!
 だけれど、私の言った導きは当たっていたでしょう? 貴女は必ず幸せになるって。
 本当におめでとう。心より祝福するわ。近いうちに必ず、貴女に会いソルヤナに行くわ。
 フリージアの星の巫女、ヘレナより祝福を。



 エリアスが読む彼女の言葉、一つ一つ全てが想像出来た。
 同じように、いつだってヘレナは考えていてくれたのだと。そう思うと、レイヤの瞳にはうっすらと涙が滲んでくる。ただ良かった……と安堵で涙が出そうになったのだ。

「灯台下暗し。まさか、ナヴィアの王城の中にいたとは……」

 手紙を畳んで彼は安堵したように笑む。「良かったね」と、優しく言われ、レイヤは上手く言葉も出せずに黙って頷いた。それから二拍、三拍と経て──レイヤが顔を上げたと同時、クラリッサはおどおどとレイヤに声をかけた。

「レイヤ様、宜しいでしょうか。そろそろ次の儀に……トスを行いましょう」

 そう言って彼女が渡したのは、白い花のブーケだ。確か、未婚の女性達に次の幸せを渡す為にブーケを投げる儀があると聞いたが……。

「……クラリッサは未婚だから次の儀式に参加してくれるよね?」

 未だ涙で潤った瞳でレイヤがけば、彼女は顔を赤らめてブンブンと首を横に振るう。

「い、いえ……私はレイヤ様の侍女ですので、ご遠慮させて頂きます」

「でも、この式……参列者の年齢層が高いでしょ? 私の親族として来てくれたノキアンの集落のお客さんみんな結婚してるっていうか……おばさんしかいないし。エリアス側の親族だって二、三人だけでしょ。それに、クラリッサはずっと私に付きっきりで見ててくれたでしょ。だから、参加して欲しいんだけど」

 侍女は遣える身だ。公爵夫人という立場上、使用人に対等に接する必要も無いと言われたが、それでもやはり狩猟遊牧民だったレイヤにその概念は無い。彼女はこうも付きっきりだった。何か少しでもお礼出来たらと思っただけである。
「ダメ?」念を押すようにくと、彼女は折れたようで渋々と参加を認めて去って行った。
 ……何か悪かったか。と、思うもののエリアスは「僕もクレアが参加しても良いと思うよ」と朗らかに言う。

 しかし、ブーケからほんのりと爽やかな良い匂いが漂っている気がする。
 思わずレイヤがブーケの中を見ると、中には見慣れぬ可憐な花があった。雪のように白々とした花片は丸みがあって愛らしい。

(すごく、綺麗な花……)

 トスの為、エリアスに手を引かれながら階段を歩みながら、レイヤは食い入るように花を眺めていた。そうして踊り場に着くと、彼は同じように花を覗き込む。

「そうそう、レイヤ。その花の名を知っているかい?」

「え……知らない」

 チューリップ、カモミール、ラベンダー……程度で、花の名前なんてろくに知らない。「何?」と、エリアスにけば、彼はいつもの穏やかな笑顔を浮かべた。

「──フリージアだよ。南の大陸の国では、春を告げる花なんだ」

 あどけなさ、純潔……そんな意味を持つ。と、彼は言う。レイヤはその言葉に息を飲んだ。

「花の言葉そのものが、君にぴったりだと思ってね。球根を取り寄せて温室を作って冬の間一生懸命エドガーと栽培していたんだ。それを、クレアにブーケにしてもらったんだよ」

 エリアスの言葉にレイヤの視界は一瞬にして曇った。
 やがて、ぽたりぽたりと涙の雫は花片を濡らし、ツゥとそれは朝露のように滑り落ちる。

 ──きっと彼に出会わなければ、こんなに温かな気持ちを知らずに生きたのだろう。こんな素敵な花の事だって知らなかったのだろう。結ばれて、子を宿し幸せそのものだと、レイヤは歓喜に震え嗚咽を溢す。

「レイヤ、ごめん。僕、何かまずい事でもしちゃったかな……」

 エリアスは慌てた様子でレイヤの肩を揺する。しかし、レイヤはブンブンと首を横に振り、涙の雫を払い落とした。

「ありがとうエリアス。私を見つけてくれて、私を好きになってくれて……」

 震えた声で思いの全てを伝えると、優しく彼に抱き寄せられた。

「エリアス! レイヤを泣かせるんじゃありませんよ!」

 そんな様子を見ていたラウラは、優しく笑みつつもエリアスを叱咤する。

「フリージア……ヘレナにも見せてあげたかったな」

「そうだね。でも彼女は君に会いに来るって言ってくれたんだから」
 再会の日も近いと、エリアスは微笑した。

 ──げつこうの血は絶えたのかもしれない。戦姫フレイヤだってもういない。
 そこには咲くような笑顔が溢れ、悲しみの氷が溶ける温かい春がある。
 レイヤは喜びの涙を溢し、フリージアのブーケを麗らかな春の空へ投げた。
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