【R18】氷雪のフリージア

日蔭 スミレ

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第一章 最初で最後の戦

1-1.戦士から奴隷へ

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 鬱蒼とした針葉樹林タイガを抜け、幾つもの湖や丘を越えた。
 その間、何度か飯は与えられたが、硬くて味気ないパンと水のみ。大して腹も膨れぬまま夜を幾度も明かした後、馬車は〝別れの場所〟へ辿り着いた。
 到着してほどなく、先に引き摺り出されたのは怯えた子供達。そして順を追うようにヘレナが引き摺り出された。 

 ──最後にヘレナは泣いた。

『必ず生きるのよ、どうか生きる事だけ考えて』
 男達に揉みくちゃにされつつ、彼女は長い髪を振り乱してそう告げた。

 ヘレナとの永久の離別に視界が霞み、胸が張り裂けそうな程に痛んだ。きっと大人しくしていた方が身の為と分かっていたが、長年染みついた〝習わし〟はやはり簡単に抜けやしない。
 悲嘆をげつこうに変え、レイヤは自分を押さえつける男達の腕の中で暴れ藻掻いた。腕に噛みつき、膝に蹴りを入れて必死にあらがったが、流石に自由を奪われた状態で五人六人もの男に叶うまい。結果、抵抗を諦めるまで鞭で殴られる羽目になった。

 馴鹿トナカイに頭突きされるより痛かった。少年達と取っ組み合って喧嘩するよりもずっと痛かった。喧嘩をしたって負け知らず。女の癖に強すぎる──そんなレイヤの初めての敗北だった。露出していた脚はミミズ腫れだらけになってしまい、立つ事を拒む程。その時、彼女はようやく自分の立場を理解して、あらがう事を諦めた。

 そうしてレイヤが連れて行かれた場所は寂れた建物の中。鉄格子の中に放り込まれて、手足に枷を嵌められた。

<顔は悪くないが、こりゃ絶対売れないだろうなぁ……本当に蛮族中の蛮族だ>

<ああ、他の女は自分の立場を理解して割と従順にしてくれたもんだがな。こいつは間違い無く頭が悪い>

 レイヤはフリージアの言葉しか知らない。当然のように男達の言葉は分からなかった。それでも、自分を見て蔑んでいる事は顔だけみればよく分かる。抵抗を諦めたが、憤激は燻ったままだ。レイヤが目を釣り上げて男達を睨み据えれば、せせら笑われる。

 そうして男達が去った後、食事を持ってやって来たの三人の女達だった。何か言葉を掛けられるが、やはりこの女達も男達と同じで理解出来ない言語を使う。だが、彼女らは蔑むような目を向けなかった。その瞳は愁いをたたえており、哀れに思っているのだと想像するに容易かった。

<大丈夫よ、良い子にしてて。綺麗になりましょう>

 投げかけられる言葉は、理解出来ないがどこか優しく感じられた。
 きっと彼女らは害をなさない。そう理解して数日後──彼女らが鉄格子の施錠を外してもレイヤは暴れなかった。
 髪を梳かれようが、装束を脱がされ湯に身体を浸けられたって、されるがままにされていた。抵抗すればきっと痛い目に合わされるとはもう分かる。それを物語るように、彼女らの背後に自分を散々に撲った巨漢が鞭を握って控えていたからだ。

 その後から、随分と生地が薄いワンピースを着せられた。貧相な体躯が透けてみてしまうどころか……大して膨らんでもいない胸の頂だって透けていた。
 永久凍土ツンドラ育ちのレイヤに羞恥なんて言葉は皆無に等しい。裸同然だろうが恥ずかしくもない。だが、脚を拘束されて白い服を纏ったろうに股の恥肉をこじ開けられた時は羞恥で頭に血が上った。
 当然、そんな部分は誰にも見せた事もないし、自分でだってろくに見た事もない。

 ──そこは不浄の場所であって、命を宿す為の神聖な場所。

 そう言われてきたのだから、羞恥と憤怒で心が壊れそうになった。それを見ず知らずの赤の他人に……まさか異国の民に舐めるように見られるとは。強い屈辱と憎悪が膨れるが、それでも、痛い思いをするのが嫌でレイヤは抵抗する事を堪えた。 
 ここを見るとは、どんな意味があるのかも分からなかったが理由に気が付くまでに時間は掛からなかった。
 何せ、たった数日で鏡の中の自分の姿が見違える程に変わったからだ。

 乱雑に切った自由奔放に跳ねていた髪も、今ではすっかり綺麗に切り揃えられた。それでも、癖を持った後ろ髪は外に向かって跳ねているが、艶やかで光沢があり幾分か纏まっている。自分から香る匂いは、うっとりする程甘やかな花の香り。あまりに優美な香りを纏っている事にまるで別人のように思ってしまった。それに、毎日軟膏を塗られたお陰か、痕は残っているもののミミズ腫れは引いていた。

 ……全ては品物になる為だろう。流石にこのままここでずっと家畜のように鉄格子の中で過ごす訳が無い。目も背けていた全てを理解すると、烈しい憎悪と悔しさが渦巻き、涙が滲まぬよう唇を噛む回数が益々増えた。

 それから数日と経て──鉄格子の中での生活が終わった。

 またもレイヤは馬車の荷台に押し込まれたが、今度は鳥籠に似た檻の中に閉じ込められた。施錠されると、目隠しと言わんばかりに檻の上からベールをかけられた。
 近くに似た境遇の娘でもいるのだろうか。蹄と車輪の音に混じって、少女の啜り泣く声が幾らか聞こえた。レイヤはそれを聞きながら睫を伏せる。

(私は誇り高いフリージアの女戦士になる筈だった筈。どうしてこうなったの……。あの戦だって終わっていない筈でしょ。私は立派な大人。来年には子供を産んで、ソルヤナって国に向かって、顔も知らないお父さんやお母さん達と戦う筈だったのに)

 フリージアとて生きて、フリージアとして死ぬ筈だったのに……。心の中で独りごちて、レイヤは瞼を持ち上げる。
 ベールの所為で、目を開けているのか閉じているのかも分からぬ程に真っ暗だ。まるできよくのようだとレイヤは思った。上を見上げて、金銀輝く星のまたたきや極光オーロラでも見られたら怖くも無かったのに、上を向いたって闇が渦巻くだけ。底知れぬ恐怖が次第に膨れあがり、レイヤは膝を抱えて顔を埋めた。

(夢ならさめてよ……)

 これまで全て嫌な夢であって欲しいと願った。もう何も考えたくも無かった。次第に酷く心細くなってレイヤは考える事を止める。すると、次第に音という音、全てが遠のいていった。

<……こちらが本日最後の希少商品となります。白き地獄の蛮族フリージアの少女。この民族の出品は最後です。この娘は生粋の処女です>

 いくばくか時が過ぎ、レイヤの耳に理解不能な男の声が届いた。それに混じって聞こえるのは喧噪だ。
 何事か。ようやくレイヤがうつつに戻ったと同時──ベールが払われ、眩い陽光が視界を焦がす。一瞬にして脳裏まで真っ白に染まるが……次第に視界に色がつき始めた。
 まるで飛蝗の大群でも押し寄せたかのよう。辺り一面が人だらけだった。皆、自分を見上げて、いぶかしげな視線で射貫いている。その異様な光景にレイヤは顔を強ばらせ、奥歯をギリと噛みしめた。

<見ての通り、非常に愛らしい顔立ちの娘です。瞳の色は氷河を思わせるアイスブルー、推定年齢は十二歳から十四歳程度でしょう。しかし──>

 何か言われたと同時、恐怖に取り乱したレイヤは鉄格子に体当たりした。
 こんなに多く異国の人間に見られているのが怖くてたまらなかったのだ。レイヤは四つん這いになって、獣のような唸り声を上げる。

「ここから出せ! 私を見るな!」

 鉄格子に体当たりして甲高く叫んだと同時だった。ジュッ……と酷く熱いものが腕に当たりレイヤは唇を歪めて目をみはる。檻の外には赤々と焼けた鉄の棒を持つ男がいた。
 あらがえば傷みつける。叫べば怒鳴られる。それを改めて思い出し、夢でないと悟ったレイヤは、ガタガタと震えて座り込む。

<……と、このように、これまで出品した娘達とは比べようにない程、非常に気性が荒いです。躾けて手なずけるのも至難かとは思いますが、四肢を切り落とし歯を全て抜けば愛玩物にもなりましょう。また薬品等の人体実験にも最適かと思われます。特別価格でのご提供です。五千から始めましょう>

 間近から朗らかな男の声が落ちて直ぐだった。群衆が次々に叫んで手を上げ始めたのだ。それが自分の命の値段を競っているとは知らず、レイヤは恐怖に目をみはったまま背を戦慄かせた。
 これまで以上の底知れぬ恐怖と不安が胸を覆い尽くす。眦が熱くなり、視界が酷く霞んで来る。ああ、泣いてしまいそうだ。レイヤは目を固く閉ざし、唇を強く噛む。

(……父や母、精霊達や星の導きに感謝を。厳しくも美しい永久凍土ツンドラに心からの感謝を。花を散らす私をどうかお許しください)

 フリージアの女戦士が敗北の自決を覚悟した時の儀礼を唱え、レイヤは息を止め、水紅色ときいろの唇を血が滲む程に強く噛みしめた。
 実際に今から舌でも噛んで命を絶つ訳でない。涙を流す事を覚悟したからだ。きっと今、瞼を開ければ涙が溢れ落ちそうな気しかしない。
 もう無理かもしれない。そうが思うが、己に流るるげつこうの血潮は「泣くな」と「怒りを忘れるな」と語りかけている気がして仕方ない。そう、やはり〝習わし〟には背けぬもので……。

(忘れるな……! 私は誇り高いフリージアの戦士だ!)

 止めていた息を吸い込んだと同時だった。ポタリと水滴が脚に落ちた気がして、レイヤは薄く目を開く。視界は未だ曇ったままだが、その液はまたも落ちている。まるで涙の代わりのよう。自分の唇から血がポタポタと滴っていた。生地が薄いワンピースに赤い染みを広げていく様を見つめていると、視界も次第に鮮明となる。不思議とそれを見ていると、憎悪や恐怖が薄れるようで、やがて涙は完全に引っ込んでしまった。
 それから間もなく。けたたましくベルが鳴ると、再び檻にベールがかけられた。きっと買い手が決まったのだろう。次第に群衆の声は遠ざかり始めると、身体の強張りが解けてくる。

「怖かった……」

 消え入りそうな声で呟いて、レイヤは膝を抱えて蹲った。
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